怨嗟に沈むエメリフィム 第六話④ 歯止めを失う怨嗟の炎
「――――いやぁ、勝てない! アハハ、強いなァ二人とも!」
リシア・トバリVSアルマ。
ヴァイゼ族の本拠地付近、“ダイアット渓谷”近辺で行われた、現状のエメリフィム最高戦力と反逆者の戦いは、リズーリの心配をよそに、リシアとトバリの圧倒的優位で進んでいた。
賢者アルマは防御に特化した魔法使いである、との評判は間違いではない。
リシアとトバリの攻撃力はリスティリア世界でも屈指のそれであり、その二人を相手取って尚も、一気に押し込めないアルマの力は強大そのものだ。
だが、アルマの側からリシアたちに対する決定打がない。それはつまり、類まれな攻撃能力を持つ二人に、攻撃以外の選択肢を迫ることが出来ないということである。
“ジラルディウス”による圧倒的な膂力と速度で、休みなく仕掛けるリシアと、わずかでも緩めば容易く首を飛ばせるであろう神速の太刀を振るい続けるトバリ。この二人に好き勝手に攻撃させてしまって、アルマは防戦一方から全く逆転できなかった。
アルマ自身の魔力も集中力も、決して無尽蔵ではない。削られる結界、削られる体力、致命傷を避けつつも、どうしてもブレてしまった集中が小さな傷をいくつも許し、積み重なって、アルマはじわじわと自分の血にまみれていく。
それでも、狂気の笑みは消えない。明らかに勝ち目の薄い戦いの最中、アルマはずっと笑っていた。楽しそうに、狂おしそうに。
アルマはリシアに追いつけるほどの移動魔法を持っているが、攻撃能力に欠けている。背を見せればそれは隙となってしまうが、攻撃し続ける限りはリシアとトバリが追い込まれることはない。
結局のところ、リシアとトバリをこの場に留めておきたいらしいアルマにとっては狙い通り。有利に運ぶ戦闘であっても、リシアはこの状況を素直に喜べない。
もうどれだけの時間、ここに留められてしまっているのか。
決め手に欠けるのはリシアたちも同じ。防御能力としては一級品のアルマをすぐさま倒す術はなく、かといって逃げる算段もなく、“ダイアット渓谷”の周辺に釘付けにされている。
リシアとトバリの攻撃にしても、出来るだけリスクを抑えて、すぐに敵の攻撃をかわせるようにしか仕掛けられていない。それでもアルマを今のところ押さえ込めているが、例えば“レヴァジーア・ゼファルス”のような大規模な攻撃は仕掛けられない。
アルマがまだ“イラファスケス”の魔法を片鱗すらも見せていないからだ。
攻撃能力に欠ける、という評価は、あくまでも“イラファスケス”を除いた状態でのこと。どんな攻撃手段があるのか、今はまだ把握できていない。
「とはいえ、いつまでも付き合ってられんな……!」
いつまでも安全策に留まっていては、状況を打開できない。
戦闘は激化し、長引いてしまっている。アルマの目論見通りに動きを制限され続けるのは、リシアたちにとって決してプラスには働かない。
一方的に有利なこの状況、生かさない手はないのも事実。リシアは意を決し、トバリに目で合図した。
トバリはリシアの意図をすぐに理解した。
そして、アルマも察する。
刀による近接戦だけで驚異的な強さを発揮するトバリが、これまでと質の違う魔力を身に纏ったことで、アルマもまた、二人が仕掛けに来ることを察し、笑みを深めた。
「何だい、もう終わりか……いいよ、ノッてあげよう!」
稲妻のような魔力が走り、アルマの周囲を旋回する。円形を成すそれは、トバリの必殺の一撃を受け切らんと、膨大な魔力を湛え始めた。
この期に及んでもやはり、攻撃の魔法ではない。アルマは、リシアとトバリのエースを受け切るつもりだ。
「退避を」
トバリに合わせようとしたリシアだったが、トバリの小さな呟きを聞いて進路を変えた。
太刀を居合のように構えたトバリが、ふっと小さく息を吐いた瞬間――――
「“天閃”」
アルマが創り上げた薄い赤色の魔法の盾が両断される。その先にいるアルマの肩から鮮血が走った。
振るった刃も見えず、明らかに刀が届く範囲でもない。縦に飛んだ回避不能の「飛ぶ斬撃」。総司のような派手さはないが、それ故に不可避。必殺の一閃は、アルマの防御によってその命を奪うまでは至らなかったものの、熟達した護りの魔法使いの防御すら貫通した。
「“レヴァジーア・ゼファルス”!」
アルマの護りが揺らいだ瞬間を見逃さず、リシアが続けざまに魔法を叩きこむ。金色の魔力の波動がアルマを確かに捉えた。
吹き飛んだアルマは、ボロボロの体になってもなお、笑っていた。
そのまま倒れ伏すこともなく、ざっと地面を滑りながら、それでも立っていた。
凄惨な笑みは消えることがなく、二人の見事な一撃を拍手で以て賞賛する。
血まみれで、明らかに消耗しているのに、アルマはこの場にいる誰よりも楽しそうだった。ようやく命を賭けた戦いに身を投じることが出来た、水を得た魚であるトバリよりもずっと。
「くふふ、強い、強いなァ……いやはや、ここまで勝負にならないか」
リシアが警戒した隠し玉も見せないまま、アルマはもう瀕死だ。
だというのに、気圧される。今突撃すれば恐らく首を取れるのに、リシアは飛び込めなかった。
そんな気配をものともしないのがトバリだった。アルマがようやく見せた明確な隙を、戦闘狂は決して逃さない。
トバリが迷いなく振り抜いた太刀はアルマの首筋を捉えていた。肩を切り裂いた右腕側から斬り込む容赦ない一閃。しかしアルマの右腕は動き、結界を纏ってトバリの太刀を防いだが、防ぎ切れはしない。
深々とアルマの細腕に刀がめり込む。そして――――抜けない。
「おっと!」
アルマが意外そうに目を見張った。トバリの判断は早かった。刀が引き抜けないと見るやすぐさま手を離し、大きく跳躍してアルマから距離を取る。
「なんて嗅覚だ……! 武器にこだわっていたら死んでいた、それをよくわかってる……!」
「申し訳ありません、手を誤りました」
「いえ、今しかなかった……しかし……」
黒の混じる蒼い炎が、アルマの傷口から漏れ出している。
リシアは“ジラルディウス”の翼に魔力を回す。
遂に来る――――何故今までそのカードを切らなかったのかはわからないが、遂に。
アルマが受け継ぐ伝承魔法、忌まわしき“イラファスケス”の力が――――
「使うつもりはなかったんだけどね、楽しくなってきちゃった。さあ、前哨戦は終わりだ!」
トバリの足が止まった。次はリシアの方が早かった。
湧き上がる怨嗟の念が二人を襲い、形容しがたい不快感と共に危険性を焼き付ける。トバリの前にリシアが立ちはだかって、もう一度“レヴァジーア・ゼファルス”で迎え撃とうと身構えた。
「それは“約束が違う”であろう、我が召喚者よ」
しかし、“イラファスケス”が二人を攻撃することはなかった。
アルマは背後から、不気味で巨大な手の爪によって、その胸を貫かれてしまったからだ。
「……え……」
賢者アルマ=レナトゥスは、これまでほとんど完璧にエメリフィムを手のひらに置いて、見事踊らせてきた。
王城の柱であるジグライドは、“イラファスケス”の何たるかを知るまで、どうしてもアルマを読み切ることが出来ず。
全てがアルマの思い通りで、エメリフィム王家陣営はただ翻弄されるばかりだった。狂気はもとよりその計画性、間違った方向に尖ってしまった聡明さも、凄まじいものだった。
だが、この結末がアルマの想定通りではないということは、今の彼女の表情を見れば明らかだった。
「なん……くふっ……あ――――」
断末魔の叫びすら、上げる暇はなかった。
アルマの体が蒼い炎に包まれて燃え上がり、その炎が背後にいるレナトゥーラに吸収されていく。
巨大な腕をソファのように使役して、レナトゥーラは――――今しがたヒト一人殺したのだとは思えないほどの気楽さで、ふう、とため息をついた。
「全く、少し目を離せばこれだ……念のため、こちらにも残しておいて正解だった」
何も劇的なところがない、あまりにも呆気ない最期だった。
目の前で起きたことをすぐに受け入れられず、リシアもトバリも動きを止めてしまっていた。
レナトゥーラは、その大きすぎる隙すらも意に介さない。呆けた表情のリシアを見やり、クスクスと笑う。
「おぉ、リシア。久しいな。安心してよいぞ」
自らの召喚者を殺したというのに、レナトゥーラはまるで何事もなかったかのように、どこか親しげに声を掛けた。
「ここにいるわしは本体ではない。貴様に手を出してもどうにもできんよ。ちょいと忘れ物を取りに来ただけ。案ずることはない」
「……一体、何を……? 貴様はアルマに召喚されて……」
何を聞けば良いのかすら満足に考えられず、リシアは馬鹿みたいな質問をした。レナトゥーラは目を細め、相変わらず微笑んだまま、気楽に答えた。
「我が愛すべき召喚者だとも……故に、糧とした。アルマはとてもよく働いた。わしにくべる薪も上質そのもの、昔の主人と比べて感情、非常に……しかし約束は守ってもらわねば」
「約束……」
リシアはレナトゥーラの言葉をヒントに、これまでの情報をもとにして、答えに辿り着いた。
「……アルマに流れ込んだ千年前の……レナトリアの情念を取り込んで……!」
「ほう」
レナトゥーラは意外そうに目を見開いた。
「知っておったのか。誰の入れ知恵か――――まあ、あの忌まわしき女神以外におらんか。意外だな、貴様にも言葉を授ける情がアレにあったのか」
賢者アルマの狂気が暴走したのは、元々素質があったにしても、“レヴァンフォーゼル”に封じられたレナトリアの情念に取り込まれたことが何よりの原因だ。
“レナトゥーラ・イラファスケス”の礎となった神器から流れ込んだ力は、本来“レナトゥーラに注がれるべきもの”だった。賢者アルマに流れ込んでいたその力こそ、レナトゥーラ完成に必要なピースの一つだったのだ。
つまりレナトゥーラは、アルマがその力を元手に“イラファスケス”を行使しようとしたから、殺して取り込んだのである。
その力は自分のものだと。
タガが外れてしまったアルマは、レナトゥーラに注ぎ込むための力を使おうとしてしまった。見張りがいるとは思っていなかったのだろう。
「さて、目的は達した。ここに留まる理由もない――――リシア、貴様も呆けている暇などあるまいよ」
「どういう意味だ」
リシアが慌てて聞いた時にはもう、レナトゥーラの体は陽炎のように揺らいで、消えようとしていた。
「わしがこれから何をするのか、早く戻らねば見逃すぞ。貴様と戦うことを楽しみにしている」
レナトゥーラの姿が消える。
リシアはその場に立ち尽くし、思考を回し、全てを悟って愕然とした。
「しまった――――!」