怨嗟に沈むエメリフィム 第六話③ 始まった時から決まっていた敗北
「やられましたね」
アルマとレナトゥーラに、出来る限り見つからないよう。
読まれているとしても捕捉されなければ、「次」に繋がる情報をジグライドの元へ持って帰ることも出来る。慎重を期し、細心の注意を払って、トバリが突き止めた「指導者ステノ」の監禁場所、“ダイアット渓谷”の横穴へと辿り着いた。
そこに施されていた結界が全て解除されており、横穴には“捕らえるべき対象を失った枷と鎖”が放置されているという光景を見て、リシアとトバリは全てを悟る。
罠には違いないが、これは想定していない。
“移動させた”わけではない、枷は全て“力づくで強引に破壊されている”。
総司に与えた不可思議な弱体化の結界とはまた別種だろうが、魔力の類を封じる枷だ。
力で以て強引に破壊されている。
つまり、アルマは――――
「脱走“させた”……結界を解除し、枷に隙を作って、気性の荒いステノが自ら脱出を試みるように……ステノは戦いの嗅覚だけは並外れたものを持っていますのでね、それが災いして、容易に間違った思考を展開したことでしょう……アルマが何らかの決戦に備え力を集中するため、この場所の結界に魔力を回す余裕がなくなったと……」
「ヴァイゼ族の他の者に構っている余裕もなくなったのだと判断したか。しかしこれでは単に監禁場所を変えただけより厄介だ……!」
「ええ」
トバリはピッと、小さな紙を一枚取り出して、作戦会議の時、ジグライドが語った次善の策を繰り返した。
「『もしもアルマがステノの移動を試みた時は、次に記載する監禁場所の候補地へ向かえ』……先の先まで読んだジグライドの手腕は見事ですが、やはり彼も私たちも、まっとうな思考の範疇でしか物事を考えられていなかったようです。当然ですよね、意味がわかりませんもの」
砕かれた枷を拾い上げ、トバリが楽しそうに笑う。
彼女も戦闘狂として、リズーリやジグライドからかなり警戒されていた、ある意味では常識外れの思考回路の持ち主であるが、その彼女をして「意味がわからない」と言わせしめるアルマの狂いっぷりはとんでもない。
「この状況下でステノの脱走を許したら、ヴァイゼ族が全員自由になるのと同義だ。レナトゥーラがいれば、エメリフィム全国民を敵に回しても楽勝だと考えているにしても……」
「ええ、それでもやはり意味がわからない。“だからと言って敢えてそうする意味”がわからない。別に制御下に置けているのならそれでいいじゃないですか、わざわざ自分から不利を背負い込まなくても良かったはず……リシア、わかりますか? 私には全くです」
「……アルマが受け継ぐ伝承魔法“イラファスケス”は、怨嗟と憎悪の熱を束ねる外法と聞いている……レナトゥーラはその魔法の真髄。もし――――可能性の話ですが」
「はい」
「怨嗟と憎悪の熱を束ねるとはつまり、そうした負の感情を向けさせて、それらを糧にするという意味ならば……」
トバリがわずかに目を見開いた。
リシアはその場に固まって、深まり始めた思考を高速で回した。
「狂気じみたアルマの行動が全て、自分たちに怨嗟の情念を向けさせるための行動だとすれば……シドナ殿を傷つけた上で生かして帰したことにも説明がつく……では、ステノ殿を逃がしたのは何故か。ヴァイゼ族はステノの無事を喜ぶだろうが、そこから一気に、アルマに対する怒りが爆発して明確に敵対する――――」
「やはり君が一番手強い相手だよね、アリンティアス団長」
振り向きざまのトバリの一閃は、まさしく神速のそれだった。
驚異的だったのは、速度、威力、のみならず。
恐るべきはその躊躇いの無さ。たとえ同等以上の速度を実現できるであろう万全の総司がこの場にいたとしても、今のトバリほどの一撃を繰り出すことは絶対に出来なかった。
アルマの声が聞こえてから刀を抜き放ち振り抜くまで、かけらの逡巡も存在しない。もしもアルマがわずかにでも油断していたのなら、容易くその首を飛ばしていたであろう強烈な一閃。
当然、アルマに油断などなかった。お得意の結界魔法でトバリの一撃を受け流し、横穴の入口で、アルマは凄惨な笑みを浮かべていた。
「ステノの利用はまだ終わってないんだけど、“イラファスケス”の方はおおむね正解。まあそうだな、一つ教えとくと」
アルマはにやりと笑いながら、すぐには意味のわからない、かなり朧げなヒントを出した。
「手に入れたと思ったものが、実は手に入っていないんだってわかった時、わずかな望みは底抜けの欲を湛える『渇望』に変わる……意思ある生命の脆さの一つ。要は燃料としての質の問題さ。ただ絶望するよりも、ちょっと明るい希望を見せた後で叩き落した方が、より無様に希望を求めるものだろう?」
「……なるほど」
抽象的な表現から、全てを悟って。
リシアが険しい顔で言った。
「わざと逃がして、もう一度捕らえて……次は駒として利用しようと。力の差を見せつけ、どうあっても逃げられないのだと痛感させれば、“能動的な協力”が見込める。そういう魂胆か……! 回りくどい真似をする……!」
「今度こそ正解だ。ステノはウチのカトレアが使いたがっていてね。私の目的にも合致しているもので、彼女の策を許した。全く、あの子は日に日に“よくわかる”ようになってくれて、雇い主としてはありがたいよ」
アルマは軽く手を叩いてリシアを賞賛しつつ、楽しそうに言葉を続けた。
「しかしそれにしても凄まじいねぇ、トバリ様。っていうか、あなたがそこまで冷静に王家の駒として動き続けるとは思ってなかったよ。正直、私の最大の誤算だ」
「……誰ですか、あなたは……?」
入口から差す日の光を背後に立つアルマを見て、トバリが呟くように言う。
「アルマ……では、ない」
「んー……それはおおむね不正解。私はちゃんとアルマだよ、トバリ様」
トバリが刀を返し、次の一撃を繰り出そうとした瞬間。
リシアが“ジラルディウス・ゼファルス”を展開し、トバリの体をかっさらって、アルマの横を一目散に通り過ぎ、ギュン、と一気に空中へ飛び出した。
「交戦は避けます! アルマ単独であるとは限らない!」
「ふむ……」
「つれないなぁアリンティアス団長」
誰にも追いつけないはずの神速に、追いすがって。
リシアを追って凄まじい速度で、その身一つで浮かび上がってきたアルマが、また凄惨に笑った。
「今君に“帰ってもらっちゃ困る”んだよ――――楽しい宴が台無しになる。さあ、もうちょっと遊んでいきなよ!」
リシアに掛かる重力が、倍になったかのように。
光機の天翼でも支えきれない負荷がのしかかって、リシアが失速する。素早く進路を調整して、ダイアット渓谷の上にある森の中へ、トバリと共にざあっと滑り降りた。
「チィ――――!」
「交戦するしかありませんね」
刀をヒュン、と振りかざし、トバリが言う。
「真意は不明ですがここで戦う気があるようですし、レナトゥーラとやらの姿も今のところはなし。良いじゃないですか、ようやくわかりやすい状況になった」
「しかし……!」
「もし化け物が二体に増えた場合には、責任を取って私が足止め役を担いましょう。あなたはその時逃げればいい――――現状、単独。二人で仕留められるなら、これ以上の戦果はない。違いますか?」
これは、この先の命運を分ける選択だ。リシアは再び高速で思考を回す。選択肢を吟味している時間はない。
トバリに死の覚悟があるなら、アルマが単独であろうとトバリに相手を任せて、リシアは王城に向かうのが最善か。
それともトバリの言う通り、ここでレナトゥーラの増援が来る前に、アルマを仕留めてしまうのが正解か。トバリは戦いたい気持ちが前面に出ているだけだろうが、しかしその意見にも一理ある。
堅実な策は前者かもしれないが、それではトバリを失うリスクを負う。トバリと共に逃げる手段は既に防がれた。状況の変化次第では再度逃げの一手を試みるのも選択肢の一つとして残すが、今、現段階において取るべき選択は、ひとまず一つ。
「致し方ありません……確かに、ここでアルマを仕留められれば全て片がつく」
「決まりですね。では、参りましょうか」
「だぁぁすぐに退いてこんかお転婆ァ! どんな隠し玉があるか少しもわかっとらん相手に遭遇戦など、正気の沙汰ではないわァ! とにかく出会ったなら撤退と決めておっただろう!」
リズーリの怒鳴り声によって、ジグライドは全てを察した。
「遭遇戦――――逃げずに戦うことを選んだ。恐らく、アルマ単独だな」
「あ、あのお転婆、一方的に喋るだけ喋ってこちらの話を露ほども聞いとらん……!」
リズーリがわなわなと震えて、リシアとトバリの交戦を何とか止めようとする傍らで、ジグライドはじっと考え込んだ。
ジグライドには既に、伝承魔法“イラファスケス”の情報が渡っている。既に彼はリシアと同じく、“イラファスケス”がどのように作用する魔法なのかについて思い当たっている。
ジグライドがアルマの動きのことごとくを読み切れなかったのは、その情報が欠如していたからだ。
だが今は違う。ジグライドは、アルマが登場してリシア・トバリの二名と戦闘に入ったという事実に対し、“イラファスケス”の情報を念頭に置いて思考することが出来る。
「……他に情報は?」
「ステノがいなかったらしい! アルマが敢えて逃がした……! 逃がしたうえで、駒として利用する算段と聞いておる!」
「駒……」
「どうする!? 勝てる保証などどこにもない……! お主の詭弁力でトバリを退かせろ!」
「蔑称に近いな、詭弁力とは。しかしまあ落ち着け」
ジグライドが苦笑しながら言った。
「アリンティアス団長も共にいる状況で交戦を選んだからには、逃げるより戦う方が良いとの判断材料があったのだろう。逃げようと試みて失敗した可能性の方が高いな。背を見せるより戦った方が利があった……であれば、任せるしかあるまい」
「くっ……!」
「引き続きあちらの戦況を伝えてくれ。無論、隙があれば逃げて良いが、恐らくそうはならんだろう」
「……お主、いくらなんでも冷静過ぎんか?」
リズーリがはたと気付いて、ジグライドを探るように睨んだ。
「努めてそうあろうとしているにしても……まるで、あの二人が勝つと確信しているように見えるが……?」
「確信しているわけではないが、次の手は見えた。恐らく、間もなくレナトゥーラが動くと思うが……その情報が入れば、私の推論は正しいということになる」
「わからん、どういう――――」
『紅蓮の間』の扉が開かれ、ティナが駆け込んできた。ジグライドがぱっと立ち上がる。
「見張りの兵士から伝達がありました。まだ王都からは距離がありますが――――あちこちの街で、村で、“蒼い火の手”が上がっていると……! ゆっくりと、その進撃は王都に向かっています!」
「やはり……」
ジグライドは険しい顔で、ティナに指示を出した。
「恐らくレナトゥーラによる攻撃です。王軍兵士の全戦力を投入し、レナトゥーラの足止めを行いつつ、可能な限り多くの民を王都まで避難させましょう」
ティナがごくりと息をのむ。
これまで“いつでも”王都を滅ぼすことが出来たはずのアルマとレナトゥーラ。しかし、アルマにある何らかの目的のために、その時が訪れるのは随分と遅かった。
ついにアルマが動き出してみれば、驚くほど簡単に「最終決戦」じみた戦いが始まってしまった。
「イチノセは?」
「それが……しばらく連絡が取れていません。王都内の兵士たちが逐一彼の居場所を報告してくれていたのですが、何かあったのか……」
「すぐに兵士を使って、イチノセを連れ戻していただきたい」
「わかりました。しかし、今のソウシでは――――」
「力を取り戻すことが間に合わなかった以上、仕方ありません」
ジグライドは静かに言った。
「リズーリ、君が乗り物代わりに愛用しているアレは、すぐに出られるかね?」
「ケルテノか? そりゃあ、出そうと思えば出せるが」
「では――――」
ティナとリズーリを交互に見て、ジグライドは告げる。
「イチノセが戻り次第、リズーリはティナ様とイチノセを連れてエメリフィムを脱出し、レブレーベントへ渡ってくれ。国外でならイチノセの力が戻るというなら、アレイン王女殿下と共にレナトゥーラを相手取れる。アレイン殿下には災厄を押し付ける形になってしまうが……リスティリア全域への被害の拡大を押さえるには、これしかない。イチノセやアリンティアス団長の話を聞く限り、嬉々として迎え撃ってくださると期待していますが」
「……意味が、わかりませんが」
「アリンティアス団長もすぐに追わせます。レナトゥーラはイチノセと戦いたがっているとのことですが、私の見立てでは、アルマの目的には間違いなく、エメリフィムにおいて王城を攻め落とすというものが含まれている。徹底抗戦すれば、多少は足止めできるでしょう」
「意味がわからないと言いました」
「ティナ様はとにかくイチノセの捕捉と確保を。戦力になりませんので、シドナも連れて行ってくださって結構。レブレーベントで療養する時間さえあれば、決戦の折には多少使えるように――――」
「ジグライド!!」
ティナが怒鳴る。ジグライドは顔色を変えない。
「何を言っていますか……? 私に、国と民と……あなたを見捨てて逃げろと……?」
「……やはり納得していただけませんか」
「当たり前です!」
ティナは駆けだしてジグライドに詰め寄った。ジグライドは、そんなティナの肩を優しく押さえて、座るように促した。
二人が席に着き、リズーリもその輪に入った。ジグライドは仕方なく、ティナに自分の考えを伝えることにしたようだ。
それほど時間が残されていない中ではあるが、このままではティナが絶対に王城を離れないと確信していた。
「率直に申し上げて、“イラファスケス”の情報を得るのが遅かったのです。アルマの目的は、結局のところ“レナトゥーラ”の完成です。アルマのこれまでの行動は全て、“イラファスケス”の特性とされる“怨嗟”を、エメリフィム中からかき集めるためのものだった」
「怨嗟をかき集める……ふむ、要は恨まれたい憎まれたいというところかの?」
「簡単に言えばな。レナトゥーラを用いて王城を攻め落とさんとするのも、結局はそこに帰結する。象徴的なこの王城を落とし国に絶大な被害を与え、エメリフィム国民の怨嗟の念を集め、そのうえで多くを虐殺することで、更なる怨嗟の念を生み出せる……アルマは、エメリフィムと言う国を、レナトゥーラを完成させるための土壌としか考えていない。ここまでは良いですか?」
「……わかり、ます、けど……」
「アルマが王家に『敵意』と持っていたなら、理にかなっていないことがいくつもありました。ヴァイゼ族を掌握したならその戦力をうまく利用すれば良かった。それをしないのは『ヴァイゼ族からも恨まれたかったから』。王都の結界を保ったのは、ここが国民の逃げ場として最後まで機能するようにだ。『ケレネス鉱山』に打ち込まれた“杭”もそうです。トバリは『三本』だと言っていた。彼女の情報が正しいなら、ケレネスのものは何だったのか?」
トバリが言うには、アルマの本拠地にある“杭”と、“アンティノイア”にある“杭”、そしてまだ見ぬ王都周辺の、恐らく最も重要な“杭”の三本が、総司の力を削ぐための礎であるはずだという。
ジグライドは、その三本から外れてしまっているケレネス鉱山の“杭”についても考えていた。
「恐らくアレは、その後のこちらの思考を“杭”へと向かわせるための撒き餌……であると同時に、リック族を追い詰めて王都に逃げさせるための、もっともらしい理由付けだった。アルマはリック族を殺すことなく、リック族からアルマへ向けられる怨嗟の熱が欲しかった。我々にそのことを気付かせないために、恐らく『何の意味もない』“杭”を打ち込んだ。その時から既にしてやられていたのですよ」
「……リック族の感情の発露は、他種族と比べても特殊だから……」
「ええ、詳細までは私もわかりかねますが、恐らく我々が向けるものより上質な『餌』なのでしょうね。怨嗟や憎悪と言った負の感情は、同じ想いを持つ者が集まるほど互いに増長させるものです。住処を追いやり恨みを抱かせた上で、やがて逃げ延びる民が多く集まることになる王都にリック族を入れて……最後の仕上げを行う際に、より良い『餌』が得られるよう、徹底的に仕向けた」
ジグライドは、ティナが持ってきた先王の書物の情報をそのまま口にした。
「『意思ある生命が抱く怨嗟の情念は、死の際にこそ最も激しく燃え上がる』。アルマはそれをしようとしているのです。エメリフィムの民の怨嗟が色濃く、激しく、アルマに……レナトゥーラに向けられるように……まだ未完成なレナトゥーラを使ってでも侵攻を開始した、にもかかわらず王都への直接の襲撃を掛けずに、遠方から始めたのもこれが理由でしょう。民を追いやり、絶望させ、怨嗟を抱かせながら王都に集めて……」
ジグライドは言葉を切る。ティナがぎゅっと拳を握り固めて、ジグライドの瞳を見つめ返した。
「逃げるのは嫌です」
「聞き分けていただきたい。エメリフィム王家の血筋を絶やすわけにはいかない。きっと、万全なイチノセとアリンティアス団長、それにアレイン殿下であれば、レナトゥーラを倒してくれます。わずかな生き残りと、そしてあなたがいれば、何代か後にはなるでしょうが、エメリフィムの再興も叶うかもしれない。なんといっても、アルマは『王家そのもの』を滅ぼしたいわけではないのですから」
徹頭徹尾、アルマは“レナトゥーラの完成”のために動いていた。
全ては大賢者レナトリアに対する、アルマの劣等感が増幅されてしまった結果だ。レナトリアと同等の魔法使いになりたい、けれどなれないという彼女の劣等感、負の感情が、“イラファスケス”と触れ合って狂気へと変わり、エメリフィムはおろかリスティリア全土に牙を剥きかねない巨悪と成り果てた。
狂ってしまったアルマの思考を読み解くのが遅すぎた。アルマ対エメリフィムという構図ですら間違っていた。それに気づいた時にはもう事が始まるどころか、終わりに近づいていた。
ティナと総司を逃がすというのは敗北を認める一手である。だが、それ以外に手が残されていない。アルマが動き始めたことを、ジグライドが認識した時には既に手遅れだったのだ。
「アルマの思い通りに動くのは癪ですが、王都で抗戦すれば時間は稼げるでしょうし、民をその間に別の場所に少しずつでも逃がすことが出来る。イチノセがここにいなければ、王城を攻め落とした後は国民の生き残りよりもイチノセを優先する可能性もある。わずかな希望を繋ぐために、ティナ様にもイチノセにも生き残ってもらわねばならない」
「ではあなたも一緒に来てください! あなたの知恵はきっと、この先も……!」
「徹底抗戦するにしても、指揮を執る者がいなければ。なに、これでも軍の出、一息にやられるようなことにはなりませんよ」
「……嫌です、絶対に嫌……! 何もかも失って、でも自分だけ生き残るなんて……!」
「……イチノセが戻るまでに、決心を固めていただければ、それで結構」
ジグライドは立ち上がると、リズーリに声を掛けた。
「ティナ様を頼む」
「心得た」
「ティナ様は引き続き、兵士を動かしてイチノセを探してください。私は前線に向かう部隊と話してきます」
「ジグライド!」
ティナの声も聞かず、ジグライドは『紅蓮の間』から足早に出て行った。
「ッ……どうしても、そうしなければならないのですか……私は、何も……父がいれば、こんな……!」
「……そうかもしれんが、今言っても仕方あるまい」
リズーリの声色は優しかった。ティナの肩に手を置いて、優しく、しかし強く言い聞かせる。
「お主にできることをするしかない。アルフレッドの治世の折にもなかった未曽有の危機、お主に完璧に収めよなどと、誰も言えん。さあ、立ち止まっている時間はないぞ」