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リスティリア救世譚  作者: ともざわ きよあき
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怨嗟に沈むエメリフィム 第六話② 終わりに向かって動く悪意

「イチノセは?」

「聞くまでもなかろ。荒れ狂っておったぞ」


 『紅蓮の間』には、ジグライドとリズーリが二人きり。リズーリは痛ましそうに目を伏せ、語る。


「リシアが何とか止めて……ミデム族であるシドナは、時間は掛かるが両の目も、腕すらもやがて再生するのだと聞いてようやく落ち着いたようには見えたが……無論、怒りは静まっておらん。気を付けておけよ、アレは飛び出しかねんぞ」

「わかっている。最近は特に武術の師弟として親しくしていたようだしな……心中、察して余りある」

「……お主も穏やかではあるまい。付き合いの長さは比べるべくもない……いつもより声が強張っておるぞ。茶でも飲むか?」

「……いただこう」


 命は取り留めた。


 いや、むしろ敢えて生かされた。


 両目と腕を奪われる状況にあって、それでも尚も生きて帰ってこられたということは、裏を返せば見逃されたということ。


 シドナを過剰に傷つけ、王城に帰し、見せつけることこそがアルマの狙い。


 シドナはアルマとレナトゥーラに襲撃され、残酷に傷つけられた上で王城に帰された。総司が想い怒るのは、シドナの身体的な損傷以上に、彼女の心に刻みつけられた屈辱と無念だ。


 武術の稽古を通して、彼女の武人としての矜持を肌で感じたからこそ、総司の怒りは頂点に達した。リシアが心を鬼にして総司を止める側に回ったのは幸いだった。性格的には総司に通ずるところのある彼女が怒りに身を任せ、総司と共にアルマの元へ突撃していたら、それこそ全てが終わっていたかもしれない。流石にそこまで冷静さを欠いていなかった。当然、リシアも怒りに震える拳を下ろすのに相当苦労したが、総司の前でその素振りは見せなかった。


「歯がゆかろうよ……今のあの子では何も出来ん。“アンティノイア”で件の“獣”と行き会ったと聞く。あの子が万全であれば奇しくも四年前と同じく、そこが決戦の地となっていた。あの子のせいではあるまいに、負い目に感じておる。自分が万全であれば、シドナが傷つく前に事を終わらせることが出来ていたとな……」

「アリンティアス団長も同じだろうな。彼女はあの場でレナトゥーラに挑むつもりでいた。勝ち目があったかは別にして、イチノセの撤退の指示を優先した形だが、その選択を後悔している。無論、あの二人に責任などない」


 椅子に座り、顔の前で手を組み、ジグライドの目がすうっと細くなる。


「偉そうにイチノセに講釈を垂れておきながら、読みを外した私の責任だ。危うく、貴重な戦力を……ティナ様の心の支えを、失うところだった」

「お主の立てた作戦は悪手ではない。そもそもアルマの動き、訳がわからんよ、実際。前線に出て来れるならさっさと王城に攻め入ることも出来る状態のはず。例の“獣”は万全な状態のソウシにしか止められんのだからな。それをしないからには出てくることが出来ん事情があると誰もが思うわ。気狂いを相手にするのは厄介よのぉ、てんで道理に合わん」

「道理に合わんからと言っていつまでも読みを外し続けるわけにはいかん。慰めは不要だ」

「ハッ、存外つまらん男よな。一人で勝手に思いつめるでないわ若造」


 リズーリが言って、ジグライドが流石にかちんと来たか、リズーリを睨みつけた。リズーリはその眼差しにひるむことはなかった。


「お主が冷静さを欠けば相手の思うつぼであろう。自覚せんか。久々に城に入ってようわかった。お主しかおらん。ほれ、良いから飲め」


 リズーリが紅茶を差し出す。ジグライドはため息をついて、言われた通りカップを手にした。


「トバリの見立てではやはり、ステノは囚われておるとのことだが」

「ああ」


 ヴァイゼ族の指導者ステノは、先代指導者の血を引くまだ年若いヴァイゼの女性だ。年齢的には総司やリシアとそう変わらない。


 ヴァイゼ族は他種族よりも、全盛期の身体に至るまでの成長速度が早く、既に完成された女性の姿をしている。男性よりも体表を覆う鱗が少ないのが特徴で、ヴァイゼ族とヒト族の混血がもし女性であった場合、はたから見ると普通のヴァイゼ族と見分けがつかないこともある。


 男とは違って「角」を有しているが、過去にも例のある「ヒトとの混血」でも角の特徴が失われることはなかった。ヴァイゼ族の女性という一つの生物カテゴリの中で、彼女らの角は遺伝的にも欠かせない特徴のようだ。


 アレインとはまた違った意味で、苛烈で勝気な性格。大人しく囚われる気性でもないだろうが、種族として戦いに秀でているが故にレナトゥーラやアルマとの実力差も理解しているのだろう。自分よりも身内に危害が及ぶことを恐れたとはジグライドの見立てである。


 ヴァイゼ族が王家の打倒を目論むのなら、彼ら自身が望んで「アルマと手を組む」道も考えられたが、恐らくアルマの側にそのつもりが微塵もないのだ。リズーリの言う通り、アルマの思考は狂った人間のそれであり、その狂気は傍目にもわかるもの。ヴァイゼ族も忸怩たる思いではあろうが、圧倒的な力と底知れぬ狂気を前に表立って逆らえない。


 詳細は知らずとも、誰もが感じ、畏怖している。伝承魔法“イラファスケス”の暗く黒い情念を。


「アルマの拠点にほど近い“ダイアット渓谷”に、幾重にも魔法の防御が施されている箇所があると聞いた。カトレアがそこに出入りしているのを見つけ、その時にトバリもまた見つかった……トバリの察知能力はまさしく常識外だ。通常感じ取れぬものも察知する。アレが感じ取ったからには間違いなかろう」

「カトレアか、久々に名を聞いたな」


 リズーリは苦笑し、


「あの子のことは嫌いではなかった……腹に何か抱えていることはわかっておったが、よい女子に見えた……」

「……フン。君もヒトのことをとやかく言えた立場ではあるまい。悔やむ必要のないことを悔やんでいる」

「この火急の事態、振り返ればどこかで止められた。誰もが己の選択を悔いておる。切羽詰まって初めてそういう、今更意味のないことを思うものよなぁ」


 リズーリは紅茶のカップを置いて、ジグライドに言う。


「アルマは捨て置けん。放っておけば被害は王家周辺だけでは留まらんぞ。何をしでかすかわかったものではない。下手をすれば、国が終わる」

「当然だ」

「しかしまあ、強い。そもそもあやつ、いくら護りの魔法に長けておるからと言って、今いくつの結界を同時に持たせておる……? この王都にステノのところに、例の”杭”の護りとソウシを封じる結界そのもの……優秀さは知っておったが、それにしても並外れておるぞ。化け物としか言えん。そんな奴を相手に次の策はあるのか?」

「……この手を使うのはまだ先と思っていたが、仕方あるまい」


 ジグライドは腕を組み、不満を漏らしつつも、言った。


「王城の戦力が落ちることになるが、安全策ではアルマを超えられん……トバリとアリンティアス団長で、ステノの救出を狙う」

「やはりそうなるか……しかし、わかっておるだろうが」


 リズーリは険しい顔だ。


「読まれておるぞ、恐らくな。カトレアから報告を受ければ、アルマは――――」

「同時並行で進める。トバリからの情報はそれだけではない」


 ジグライドはエメリフィムの地図を広げた。かつて、「ヴァイゼ族が最近制圧した場所」をマーキングしたものだ。


「どうやら、我々の予想は一部覆ったようだ。イチノセを縛る結界の基盤、例の“杭”について誤解があった。と言って、アリンティアス団長を責められはしないがね。恐らくこれは、アルマの側も予想していないはずだ」

「……と言うと?」

「アルマは自陣内のトバリを捕捉したことで、こう考えるだろう。私の考えの中では、『イチノセの力を取り戻しエメリフィムの窮地を脱する』という案は、第一位ではないとな。ステノの解放を最優先していると踏む。覆せるとしたら――――」


 『紅蓮の間』の扉が開いた。


 ティナが古びた書物を大量に抱えて、いそいそと入ってきた。ジグライドが目を見張り、素早い動きで彼女から書物を受け取る。


「お呼びくださればよいのに」

「いえ、このくらいは……」


 シドナの無残な姿を目にしたティナだったが、ジグライドは敢えて、「大丈夫ですか」とは聞かなかった。


「こちらは?」


 円卓にどさどさと書物を置いて、ジグライドが聞く。


「父が遺したものです。あなたが読みたがっていたと思い出しまして」


 レナトゥーラに関する記録は、王城内のどこにもないが、もしあるとすれば先王が自室に保管していた中にある、と踏んだのはジグライドだった。ティナはジグライドからそれを聞いていたものの、なかなか彼に託すタイミングがなかった。


 シドナがレナトゥーラと遭遇してしまい、残虐な傷を負ったことで、レナトゥーラに関する情報を少しでも集めることも、今の王城勢力にとっては非常に重要だと考え、ティナは書物を引っ張り出して持ってきたのである。


 親しい側近が苛烈に傷つけられ、ティナの心に齎された衝撃は計り知れないはずだが、彼女は次を見据えていた。


 そしてその書物により、王城の柱とも言うべき切れ者・ジグライドへ、総司とリシアが女神から得られた情報に準じるほどの情報が渡る。先王アルフレッドが自室に「それら」を持ち去っていたのは、ティナやアルマを含め王城内の者たちに、伝承魔法“イラファスケス”のことを知らせないためだっただろう。


 今最もその情報を持つべき者の手に、千年前から続く「大賢者の呪い」の情報が渡った。


 たったこれだけのことが、エメリフィムにとって大きな転機となる。








 訓練場の丸太をどれだけ殴ったところで。


 怒りに任せて叫び狂ったところで、何も収まりはつかなかった。本気で総司が暴れても、訓練用の的以外に被害を受けるものはない。弱った総司の力では、周囲に何も影響を及ぼせない。これまで確かに在ったはずの力が損なわれている現実が、改めて刻み付けられているようで、ふがいなさが増していく。


 リシアは、それで少しでも総司が落ち着くならと、訓練場で彼が暴れるのを止めはしなかった。


 そこへふらりと現れたのは、トバリ。


 険しい顔つきの総司の前に立って、穏やかに笑う。


「お相手しましょうか」

「……手加減できねえぞ」

「ご自由に」


 当然、相手にならない。


 トバリは見たことのない独特の動きで、直線的な総司の動きを容易く見切り、ふわりと体を浮かしてそのまま地面に叩き落とし、トン、と優しくその上に乗って、押さえつけた。


「……くっそ……」


 悔しさに涙がこぼれそうになって、総司は手で顔を覆う。もちろんトバリに負けたからではない。この緊急事態の中で、あまりにも非力な自分に嫌気が差した。トバリは静寂な目で、彼をじっと見つめていた。トバリに害意はない。リシアも、一連の流れに割って入ろうとはしなかった。


「情けない顔ですね」

「うるせえ、見えてねえだろが……!」

「見えずともわかりますよ。初めて会った時と別人のよう」


 トバリはクスクスと笑いながら、静かに言った。


「一つ、取引をしましょう」

「何だよ、こんな時に……」

「世界を救うために旅をしていると聞きました。では、その旅が終わってからで結構。私と本気で戦いましょう」

「……別にいいけどよ、生きて帰ってこれるかわからねえけど。……何だってんだ」

「その代わり、あなたの力を取り戻すのに、とても有益な情報を差し上げます。そしてこの先も、あなたと共に全力で戦ってあげましょう」

「……どういう意味だ?」


 総司が身を起こそうとしたが、トバリがぐっと押さえつけた。


「アルマの拠点にまで赴いて、一つ理解したことがあります。と言いますのも、その近くにも“あった”のです。あなたの力を奪っている結界の礎、“杭”と呼んでいる建造物が」


 事のあらましをリズーリから聞いているトバリは、ヴァイゼ族の本拠地近くで発見した“杭”の所在を既にジグライドにも伝えている。


 だが、泡沫のネヴィーのほとんど存在しない気配すら察知して見せたように、察知能力に関して総司以上のものを持っているトバリは、場所以外にもう一つ情報を得ていた。


「情報に齟齬がありますよね。こちらの見立てでは、最近になってヴァイゼが制圧した四つの地点にその“杭”があると思っていた。当然、本拠地近くというのは予想していない。改めて制圧するまでもなくヴァイゼ族の領域ですから。我々は予想を外していたわけです」


 総司が力を失った直後、王軍の調べで判明したヴァイゼの侵攻ルートは、あくまでも賢者アルマが「小競り合い」のために調達した仮の拠点だ。“杭”はそれらとは符合しない位置にあった。


 ヴァイゼ族が最近押さえた場所と“杭”の関連性を予想したのはリシアだったが、その予想は外れていた。リシアが悔しそうに顔をしかめた。


「悔しがる必要はありませんよ、リシア。あなた方にとって風向きが悪い出来事ばかりですが、一つだけ運が向いています。あれらは“等価値”ではない。視点が一つ抜けているのですよ」

「等価値ではない……?」

「“杭”は三本。アルマの拠点近くにあったものが……こういうのを何というのでしたか、ローグタリアの機械の……そう、『発信』側。帰りに見てきましたよ。“アンティノイア”にあったものも同じく『発信』、そして最後に残るものが『受信』。私にはヒトには感じ取れないような特殊な魔力の流れが見えますので、恐らく数も性質も間違いないでしょう。どれか一つ綻べば――――あなたの強大な力の全てを留め切ることは、恐らく出来ない」


 総司が目を見張る。


「この視点が抜けているのです。あちらの大陸で頑張り過ぎたのですね、ソウシ。全てを完璧にしようとしている。理想的な決着に向けて何も出来ない自分を責めるあまり、泥臭さを忘れている。本来そちら側ではないのですか、あなたは」

「……そうだ……そうだった……!」

「十全でなくても少しでも綻べば、あなたには多くのことが出来るはず。無力感に苛立つ前にやれることがあるでしょう。仮にも私が認めた男、いつまでもその体たらくでは許しません」


 トバリは総司を立たせ、最後の情報を与える。


「『発信』側には強力な魔力が必要だった。“アンティノイア”も、もう一か所の“ダイアット渓谷”も、非常に高い、且つ特殊な魔力を内包する場所です。つまりそれらを『抽出し発信する』役目。そして『受信』する“杭”は魔力の流れからして――――この王都の近辺にある。魔力の供給先であるその“杭”こそが結界発動の基盤でしょう。推測ですが、ジグライドには伝えてあります。彼も支持してくれていましたよ」


 まだ顔に残る涙を、ぐいと拭う。


「……情けねえ……お前は出来ることをやってんのに俺は……!」

「事の中心は必ずあなた。であれば、あなたが動いてくれないと私も楽しめません。期待していますよ」


 総司を奮い立たせる、その役目を奪われたリシアだったが、表情は綻んでいた。彼が再び立つ気概を取り戻せたのなら良いことだ。相棒としての役目はまだまだ多い。


「ジグライド殿のところへ行こう。彼の策も少し修正が必要になるはずだ」











 翌日から展開された、王都フィルスタル周辺に存在する可能性のある“杭”の探索には、王軍兵士および総司、王都に逃げ延びてきたリック族たち、そしてティナが動員された。リシアとトバリはヴァイゼの本拠地、アルマの拠点付近の“ダイアット渓谷”へと出立し、ヴァイゼ族の指導者であるステノの奪還に向かった。無論、アルマやレナトゥーラと正面から遭遇してしまった場合には、それぞれ全力で撤退することを条件づけた上でだ。


 当然それも命懸けであり、“ダイアット渓谷”の結界の突破――――作戦としては結界を避け、大破壊が可能なリシアの魔法で以て大地のどこかから崩しにかかる危うい手段を取るのが前提だが――――が敵わない場合や、ステノの近くにアルマがいた場合には、即時撤退することも念頭に置いていた。


 リシアとトバリであれば、アルマ単独や現在の半覚醒レナトゥーラ単独相手になら、逃げに徹すれば望みはないわけではない。


 揃っていた場合は、かなり運に任せることになるが、そのリスクについては両者納得済みだ。トバリはむしろその状況になることを望んでいる節があったものの、ジグライドは重ねて「生きて帰ることを最優先するように」とくぎを刺していた。どこまで効果があるかは定かではない。


 リシアは、総司の傍を離れることと天秤に掛けて、総司とも話し合った末に、ジグライドの作戦に従うことにした。王都に残って総司を護衛しつつ、”杭”の探索と破壊の方に加わる選択肢もあったが、そもそも王都側の話は「推測」に拠って立ち過ぎている。確実な目標がはっきりしている「指導者ステノ」の救出と、その先にあるヴァイゼ族との共闘と言う未来に向けての動きも迅速性が必要で、そのためにはリシアの力が要ると判断してのことだ。


 ティナは王軍の探索班の総指揮という位置づけだ。総司とリシアが描いた“杭”の模写をもとに探索に当たる。当然、アルマが前線にいつでも出て来れるらしいという状況の中で王城を離れることは許されない。


 シドナの負傷で居ても立っても居られないらしいティナに、「部屋にこもって大人しくしていろ」と言ってしまえば、爆発してしまった時の方が目も当てられない、とジグライドが考えたためにこのような措置となった。


 また現実的な意味で言えば、ケレネス鉱山にて“杭”の実物そのものを目にしたことのあるリック族が探索に加わってくれるのはありがたいことであり、リック族とほぼ完全な意思疎通ができるティナは総指揮としてうってつけでもあった。


 王城内に留まりつつ、現状を打破するために重要な作戦に関わることも出来るとあって、ティナもこの措置には納得した。


 トバリの話では、魔力の流れは王都に向かっているが、そこから先は詳しい位置が捉えられないという。総司も相当の察知能力を持っているが、トバリが言うような怪しげな魔力など全く感じ取れていない。トバリは「特殊な魔力」と表現していたが、単純な「魔力」の区分に属するエネルギーではないと思われる。


 “アンティノイア”、つまりは“聖域”に“杭”が存在し、そこから「何か」を抽出して王都に向かって発信していることから見ても、単なる魔力とは似て非なる「何か」を送り込んでいる。或いは、「変換して」送り込んでいるとは、ジグライドの予想だ。


 女神の特殊な魔力をそのまま送り込んでいるのであれば、“ダイアット渓谷”の説明がつかない。“聖域”はエメリフィム内に一つしかない。それに総司が気付かないのもおかしい。


 総司の察知能力を逃れつつ、しかしトバリの、総司をも上回る察知能力がわずかにだけ捕捉した力の流れ。


 単なる封印術というわけではなく、謎めいた伝承魔法“イラファスケス”に属する魔法かもしれない。単なる魔力のみならず、異質の「何か」を必要とし――――その異質性故に、使い手すらも歪ませる忌まわしい力。


 リック族の少年も言っていた。ケレネス鉱山に打ち込まれた“杭”から感じられる異様な気配は、総司と「真逆」に思えたと。“イラファスケス”の齎す力と総司の性質は、ことさら相性が悪いのかもしれない。


 もしも、トバリの言う通り、“ダイアット渓谷”と“アンティノイア”の“杭”が力を供給するためのもので、王都周辺にあると思しき“杭”が「受け取る」ものだとすれば、総司を無力化する不可思議な魔法の発動元も王都周辺にあるその“杭”である可能性が高い。


 つまり、その“杭”さえ何とか出来れば、総司の力を取り戻せるかもしれない。


 推測と想定に塗れた状況ではあるが、アルマが自由に動けて、今はあくまでも何らかの目論見のために「見逃されているだけ」という現状、ただ何もしないわけにはいかなかった。


 総司は、王都の路地を駆けながら、『紅蓮の間』における作戦会議の時の、ジグライドの言葉を反芻していた。


『不確定な部分は多い。王都周辺に存在するかもしれない『受け取る』側のものが、君らが目にした“杭”と同じ形をしているかどうかも定かではないしな。ただ、方向性としては理にかなっている部分もある』


 ジグライドは、トバリの情報まで加味した作戦会議の場で、“杭”に関してそのように評していた。


『君とその神獣の関係性については、興味はあるが今は聞くまい。ともかく、エメリフィム全域を網羅する結界とのことだが、君がエメリフィムにおいて駐留する時間が最も長いのは恐らくこの王都だろう。国の外へ出れば君の力が戻ると言うなら、結界には効果の届く距離の限界が存在する――――距離による減衰があるのかもしれん』


 王都に点在する物見の塔から視認できるような場所に、“杭”があるはずはない。総司が見たのと同じような形状であれば間違いなく誰かが気付く。ということは、同じく大きな建造物の中に隠されているか、それとも王都内ではなく、あくまでも「周辺」の、例えば王都を抱くようにして広がる巨大な山のどこかにあるか、はたまた地下に――――


「はっ……?」


 路地を一つ曲がり、ティナから探すよう指示を受けた地点の一つに向かおうとしたところで、総司は足を止め、素っ頓狂な声を上げる。


 人気の少ない裏路地に、ヒトの形をした「水の塊」がぼさっと突っ立っていた。


「……オイオイ……これはどういう挨拶だ?」


 まぎれもなく、“アウラティス”。カトレアの魔法によって作り出されたものだ。


 総司は素早く周囲を見回し、気配を探る。


 だが、カトレアの気配は微塵も感じられない。魔法を発動している使い手がすぐそばにいるなら魔力を察知できるはずだが、どうやら近くにはいないらしい。


 カトレアは総司の見たところ、同じ伝承魔法を受け継ぐ使い手として、完成度はルディラントの守護者サリアに遠く及んでいない。サリア並の使い手であれば、ギルファウス大霊廟での戦いもあれほど一方的なものであるはずがない。近接戦闘の実力を差し引いても、カトレアはこれまで出会ってきた「時代の傑物」たちのような、伝承魔法の真髄に至れるような使い手ではない。


 その未熟さをおして、術者が遠距離から水の人形を操ろうとしているからだろう、今にも崩れそうな風体で、少なくとも総司に襲い掛かってダメージを与えられるような脅威には見えなかった。著しく弱体化している総司にすら敵わない程度のものだ。


 リスティリアの魔法の「常識」の範囲、総司もまだまだ完全に理解しているわけではないが――――


「まさかアルマの拠点からここまで、魔法を届かせられるってこともねえよなァオイ――――それなりに近場にはいるんだろ……! 良い度胸だなテメェ!」


 総司が怒り心頭と言った様子で怒鳴りつける。


 カトレアとはもう一度話をする。ギルファウス大霊廟での女神との邂逅の後、総司は確かに、その方針を立てた。


 だが、今の総司はそれよりも先に怒りが来ている。もしも今、目の前にいるのが「水人形」でなく本物のカトレアだったとしたら、弱体化している自分の現状も忘れて殴りかかっていそうなほどに。


 総司は王都の探索に出る直前、意識を取り戻したシドナと少しだけ話をすることが出来たのだが――――その時の会話が、総司の怒りを更に増長させていた。


『ごめんね、情けないよね』


 医務室のベッドの上で、か細い声でそういうシドナの目元には包帯が巻き付けられていて、腕もまだ再生はしていなかった。


 数日もすれば再生するというミデム族の回復力は驚異的だが、傷つけられて痛みがないわけでもなく、シドナが受けた屈辱が和らぐはずもなかった。


 総司が「命があるだけで良かった」と言ったところで、何の慰めにもならない。シドナの傷を心身共に、わずかに癒すことすら出来ないのだ。


『悔しいよ……ごめんね、でも……笑われちゃったんだよ、アイツに……!』


 握りこぶしを固め、怒りに震えるシドナに、総司はもう掛ける言葉も見つけられなかった。


『力がなくても必死で、エメリフィムのために頑張ってきたティナを、アルマは笑ってた……! アイツだって四年間、父親を失っても立ち止まることなく走り続けてきたティナの姿をずっと見てきたのに!』


 力及ばずどころではなく、無残に蹂躙され、屈辱的に生かされて。


 愛する王女ティナを馬鹿にされて、殴り返すことも出来ないで。


『あんな小さな体で……国一つ背負うと決めた、ティナの覚悟は……! あんな奴に――――!』


「出て来いよ、今なら俺をやれるだろうが! 逃げやしねえ……相手をしてやる、掛かって来い!!」


 それは当然、してはならない選択。今の総司ではカトレアにすら及ばないだろうし、カトレアに一人でいるところを捕捉されたなら、しかし本人がすぐ近くにはいない状況ならば、王城に即座に引き返すべきだ。


 が、総司にはその冷静さがなかった。路地に響く怒鳴り声はしかし、カトレアには届いていないのか、カトレアの姿をした水人形は、ヒュン、と飛び出し、家屋の屋根を伝って“王城の方角へ”移動を始めた。


 総司の額に青筋が浮かび、鬼の形相でその背中を追いかけた。屋根に飛び乗ってすぐさま追いつくような動きは出来ず、水人形の姿を見失わないよう路地を疾走した。


「ふざけてんのかオイ……! 今の俺からも逃げるってか!!」


 水人形を追いかけながら、総司が挑発するように怒鳴り続ける。


「これまでもずっとそうだったよなァ! 結局何も出来ねえくせにちょこまかと! また俺から逃げるのか、カトレアァ!!」


 水人形は意に介していない。使い手には、総司の声は届いていないのかもしれない。


 しかし、総司と遭遇し、総司が追いかけているということは認識しているはずだ。そうでなければ説明のつかない動きだ。総司と行き会ってから、まるで追いかけさせるために動き出したかのようだ。


 残念ながら総司に、そこまで考えるだけの冷静さはなかった。総司はカトレアに誘い込まれるまま、水人形の背を必死で追いかけた。


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