受け継がれるエメリフィム 第四話① 激動開始
「アイツはいっつもそうだ! 起承転結の“転”で話が終わるんだよ! いい加減話を結んで見せろダ女神ィ!」
倒れかけたネヴィーを支えつつ、総司ががーっとうなった。
「ちょっと……傍で叫ばないで。響くわ」
「あ、すまん……ありがとな、ネヴィー。アイツと話をさせてくれて……」
「構わなくてよ」
総司の支えも、わずかな時間しか必要とはされなかった。ネヴィーはふわりと総司の手を離れ、総司とリシアに微笑みかけた。
「さて、望む全てを得られはしなかったようだけど……少しは、足しになったのかしら」
「十分だ、とは言えねえが、ネヴィーが悪いわけじゃない」
「大変有意義な時間でした。感謝いたします」
リシアが深々と頭を下げた。総司は軽い調子で接しているが、リシアの目には、ネヴィーはかなり神聖な存在にしか見えていない。
「……次、あの子と出会ったら、あなたはどうするの?」
ネヴィーが率直に聞いた。総司は顔をしかめて腕を組んだ。
「そうだなぁ……俺としては、次も問答無用で問題ない気はしてるんだが」
“アウラティス”の使い手であり、ルディラントとの縁をレヴァンチェスカのほのめかされたと言っても、総司にしてみれば、それが「立ち止まる」だけの理由になるかと言われると微妙なところだ。
カトレアのことをもっと知りたい、とは思うようになったが、それでもやはり、一度完璧に傾いた感情の天秤を引き戻すのは容易いことではない。
自分の好奇心よりも、世界の敵の排除を優先すべきではないか、という考えが、今なお総司には残り続けている。
「多少は、話を聞くべきかもな。聞いたうえで、結果は変わらねえとも思うが」
「そう。私はあなたの選択を尊重するわ。さっきも言ったけど、その選択肢の方が楽だから飛びつくのではないのだもの」
ネヴィーの体がすーっと浮いて、淡い緑色の光に包まれ始めた。そろそろ、彼女との邂逅も終わり頃のようだ。
「そう言えば。私はあなたのお友達ということで、良かったかしら」
「もちろんだ。一方的に世話になってばかりで悪いな。借りは覚えておく。必要な時は呼んでくれ」
「あら、お友達同士で貸し借りなんて、野暮なことは言わないものよ。また会いましょう。楽しみにしてる」
ネヴィーはすうっと、そのまま空間から消え失せた。
総司はリシアに向き直り、軽く頭を下げた。
「お前もありがとな」
「ん? 何のことだ」
リシアが怪訝そうな顔で言った。
「いや、俺のためにいろいろ言ってくれて……怒ってくれただろ。嬉しかったよ」
「改まって何を言うのかと思えば……」
リシアは眉を少し吊り上げて、きっぱりと言った。
「当たり前だろう。礼を言われるようなことではない」
「……そうか」
総司はにやっと笑って、明るい口調で切り替えた。
「よし、アイツとはまた今度話すとしてだ! とりあえず城に戻るとするか」
「急ごう。ティナ様にお前の無事を報告しなければ。きっとご心配なさっている」
ギルファウス大霊廟の外へは、恐らくネヴィーの手助けによってすぐに出ることが出来た。“泡沫の霊殿”から一つ扉を通ってみればそこはもう外で、振り返ると扉はなかった。
そのことに驚く暇もなく、総司とリシアは面食らった。
涼しい顔をして、トバリが二人を待ち構えるように、刀を片手に立っていたからである。
「トバリ!」
「お帰りなさい。見たところ怪我もないようで、何よりです」
総司は慌ててトバリに詰め寄った。
「こ、こんなところで何をしてんだ。ティナは!?」
「ご心配なく。城へ無事に送り届けてからここへ来ました――――が、その反応。やはり“時間の流れが違った”ようですね」
トバリがさらりと言った一言を聞きとがめて、リシアが目を見張った。
「……トバリ殿。もしや――――」
「丸二日経過しています。今は三日目の朝。城でも動きがありましたよ」
総司がカトレアの魔法によってさらわれて、リシアがそれを追いかけてから、二日が経過していた。トバリとシドナが、王女ティナを城まで送り届け、トバリの健脚で以て聖櫃の森へ引き返すには十分すぎる時間だ。
そしてトバリの言葉通り、城では――――というよりエメリフィムでは、このわずか二日の間に大きな動きがあった。
「王女様を連れて城に到着した時には既に、事が起こっていました」
聖櫃の森をすさまじい速度で疾走する三人。木々の太い枝を踏み下し、三人は矢の如き速さで王城へ向かう。
「王家を慕う人々が住まう、言うなれば『王家の領域』の村の一つが、“ヴァイゼ”による侵略を受け、一夜にして滅ぼされました。その村はヴァイゼの拠点となり、いよいよヴァイゼが王都に攻撃を仕掛けてくる情勢となりました」
「マジかよ……!」
「しかしながら」
総司の険しい顔をよそに、トバリは至って冷静に話を続けた。
「一夜にして制圧された村は、同じく一夜にして、賢者アルマと兵士たちによって奪い返され、ヴァイゼは後退を余儀なくされました。これにて全面戦争はお預けの形となり、ヒトも亜人も、誰もいなくなった村の残骸が生み出されただけ……結果としては、ギリギリのところで均衡が保たれた形となります。しかし無論のこと、緊張の程度はそれ以前とは比較になりません」
ティナを送り届けた後、そのまま聖櫃の森へ引き返してきたトバリが事の詳細を知るのは、リズーリによる念話での連絡があったからだ。
期せずしてリズーリは、現在のエメリフィム情勢が大きく動き始めるタイミングで、ちょうどよく王城にいたことになる。
「ッ……なんで、そんな……」
制圧され、その後敵対勢力が排除され、結局誰もいなくなった街。
総司の脳裏によみがえるのは、忌まわしい「始まりの街」の記憶。
活性化した魔獣によって蹂躙され、その脅威が排除された後に美しくも寂しい街並みだけが残された、レブレーベント領シエルダの記憶だ。
「リズーリの見立て……というより、ジグライドの見立てでは」
歯を食いしばる総司に、相変わらず涼しい顔でトバリが告げた。
「リック族との折衝がうまくいったことが、事の発端だと思われるとか。どうやらヴァイゼの手の者も、我らと入れ違いでリック族の元を訪れた様子。彼らと会話が出来たかまでは定かではありませんが、少なくとも知ったのでしょうね。王家と接触があり、それがうまくいって、リック族が王家のために動いていることを」
総司の胸を、得体の知れない痛みが襲う。鋭い刃物で胸を抉られるような感覚が、総司の動きをわずかに鈍らせ、リシアが思わず総司の傍に寄ってその肩を支えた。
「気をしっかり持て」
「……俺のせいだ」
総司は正直に、自分の想いを吐露した。
「保たれていた均衡を俺が崩した……! 完全に平和でなかったとしても、少なくとも俺が来てティナが動かなけりゃ、こんなことには……!」
「……どうでしょうね」
それまで淡々と語っていたトバリが、わずかに間を置いて言った。
「遅かれ早かれ、とは思いますけれど。いつまでも仮初の平和を保つことは出来なかったでしょう。起きるべきして起こった事態……しかし、この先は」
すうっと目を細め――――総司たちには見えないその顔に、わずかに楽しげな色も滲ませて、トバリが言う。
「エメリフィムが大きく荒れる。それは間違いないでしょうね」
「全部お見通しだったってわけ? ティナが動けばどうなるか」
側近ジグライドの執務室に響く、シドナの声色は荒かった。
一触即発に近い緊張感が王城を包み、兵士たちはいつにも増してぴりついていて、訓練時に響く掛け声も怒号に近い。
ヴァイゼ族と正面衝突する機会も、そう遠くないうちに訪れるのだと、危機感と気合がこれまでとはまるで違う。
そんな怒号をBGMに、シドナは強い口調で続けた。
「リック族との意思疎通の仕方を誰にも教えてなかったのは、こうなる事態を予期していたからでしょう。どうしてそれを言わないの!」
「言って、何が変わるというんだ?」
ジグライドは、シドナとは正反対に極めて冷静だった。窓から訓練の様子を眺めつつ、彼は静かに語る。
「エメリフィムの平穏を保つことと、リスティリアそのものを救わんとするイチノセの助力をすること。この二つを天秤に掛けたまでだ」
「でもあんたの考えをちゃんと言ってれば、ティナだって少しは覚悟が出来ていたわ! 気丈に振る舞ってるけど心の内はぐちゃぐちゃよ、賢いあんたならわかるでしょ!」
「どうあれ事は起こっていただろうし、ティナ様の御心が乱れることも必定だ。どんなに下準備をしていたところでな。乗り越えてもらうしかあるまい。避けようのない事態だ」
シドナはまだ憤慨していたが、ジグライドの言葉は正論だ。
「あんただって、ティナがリック族の元へ行くことには反対してたでしょ……!」
「ティナ様の安全を考えてのことだ。リック族に“レヴァンフォーゼル”の修繕を託すこと自体には反対していなかったはずだが」
どこまでも冷静で、理を立てて話すジグライドに、シドナはいら立ちを隠せない。
「私が言いたいのは――――!」
ジグライドがぱっと手を挙げて、シドナの気勢を削いだ。
直後に部屋の扉がノックされる。ジグライドが「どうぞ」と声を掛けると、トバリに連れられて、総司とリシアが部屋に飛び込んできた。
「戻ったか」
ティナとシドナから、総司の身に起こった不測の事態の報告ももちろん受けていたジグライドは、わずかに安堵の表情を見せた。彼には珍しい一瞬の緩み。しかしすぐに、その表情も掻き消えた。
「“レヴァンフォーゼル”については、首尾よくいったと聞いている。君らの主君との約束を反故にせずに済みそうだな」
「んなこと言ってる場合じゃねえってのは聞いた。どうなんだ、状況は」
「ふっ」
総司の質問に、ジグライドは微笑で答えた。
「君らは客人だ。我が国の内情まで詳細に話す必要もあるまい。まあ、おおむねトバリから聞いてくれた通りだろう」
またも、ジグライドは正論を言う。総司は言葉に詰まったが、リシアが代わりにすっと前に進み出た。
「ジグライド殿、少し良いか」
「何かね?」
「リック族による“レヴァンフォーゼル”の修繕には三日を要する。王城に届けるまでにかかる時間も考えれば、こちらに届くのは明日になるだろう。そこから更に、ソウシによって女神さまの魔力を充填するという、うまくいくかわからない作業にも取り掛からなければならない」
「そうだったな」
「私の個人的な意見だが、恐らくその作業には『場所』が重要だ」
「……場所」
リシアは頷いて、
「エメリフィムにおいて、“かつて女神さまが降臨された”というような……それに近しいような伝説の残る場所はないだろうか。そこでなら、ソウシの作業も普通の場所よりうまくいく可能性が高いと思われるんだが」
「ッ……今そんなことを話して、一体――――!」
総司がたまりかねてリシアに言おうとしたが、リシアはさっと手を挙げて総司を制した。
「……心当たりがないではない。ただし容易ではない」
「と言うと?」
「今その場所は、王家の庇護の届かぬ場所――――ヴァイゼの力が強い領域に存在している。もともと中立地帯のような場所だったが、二年ほど前からヴァイゼの連中が周辺をうろついているのが確認されている」
「なるほど」
リシアはまた、ジグライドの言葉に頷いた。
「我が主君はティナ様を『エメリフィムの為政者』と認めている。故にティナ様に宛てて手紙を差し出された。レブレーベント王家の立場としては、エメリフィム王家を支持しているということだ。さて」
リシアはジグライドをまっすぐに見つめ、言った。
「あくまでも我々にとっての“目的”が第一優先だというのは間違いないが、それを叶えるためにはもうしばらく、情勢が動き始めたエメリフィムに留まる必要があり、いくつかの障害を乗り越えねばならないようだ。宿代の代わりになるかはあなたの判断に任せるが、その間、我々は『エメリフィム王家を支持するレブレーベント王家』の剣として、あなた方に我々の持つ“戦力”を提供する用意がある」
「……弁が立つな、アリンティアス団長」
ジグライドはにやりと笑った。
「君らが我々に加担した後、もしも王家が倒れ、ヴァイゼがエメリフィムを統治するような事態になれば、レブレーベントとエメリフィムの関係は悪化しかねんぞ」
「心得ている」
「ふっ……君のその独断も恐らく、独断のように見えて……君の主君は織り込み済みなのだろうな。大した信頼だ」
ジグライドは参った、とばかり肩を竦め、シドナに向かって言った。
「ティナ様を『紅蓮の間』にお連れしてくれ。君らも来い。詳細を話すとしよう」