受け継がれるエメリフィム 第三話⑤ 空の器を満たしたものは
思えば、ヒントはあった。
レブレーベントの王都シルヴェンスの庶民の食事処で、初めて邂逅したその直後。
最終的にはアレインが撃退した最初の対決でも使っていた魔法――――そして今回、総司を捕らえて大霊廟の中へと引きずり込んだ「水の魔法」。
伝承魔法ではない普通の魔法である可能性も大いにあったが、レヴァンチェスカの言葉と併せて考えれば、それは。
総司も間近で見たことのある魔法――――水の魔法ではなく、“海と風を操る伝承魔法”。
“海風の魔女”たるルディラントの守護者が使いこなした、伝説の彼方にある奇跡。
「アイツが使っている魔法は……伝承魔法“アウラティス”……なのか……?」
無言は、肯定。
レヴァンチェスカの無表情が、言葉を紡ぐよりも雄弁に、総司の言葉を肯定している。
「サリアに子がいたはずはない、俺が見たルディラントの終わりは――――!」
「子ではないわ。言ったでしょう、『ゆかりがある』と」
レヴァンチェスカが柔らかに、動揺する総司の反論を押さえる。
「遠い祖先を同じくする、同じ“血筋”の子。サリアの時代よりも更に前に、あの子の家系には『エルフ』の血が混じっている。その流れを汲む家系の出……“アウラティス”は、元々は“伝承魔法”というよりは“古代魔法”に近いもの。エルフの血筋に由来する魔法なのよ」
ここでカトレアと出会ったのは、決して「レブレーベント以来」というわけではない。
そうだった。
エメリフィムに至るまでにもう一度、総司はカトレアと出会っている。その場所は、エルフの楽園。妖精郷ティタニエラである。
ティタニエラの大老クローディアによる結界も突破してカトレアが現れたのは、彼女に流れる血に「エルフ」の性質があったからか。
サリアも、見た目にはエルフの特徴はなかった――――表面上の形質には現れない特殊性が、その血にあったのだとすれば合点がいく。
「あの子は、かつてルディラントを守護した者が、自分と同じ魔法の使い手だったことを知っているわ。だから、『ゆかりがある』。その先は自分で考えなさい」
「……そう。ようやくわかったわ」
レヴァンチェスカが警告するようにネヴィーを睨んだ。
「ダメよ」
「そういうことだったのね。でもレヴァンチェスカ、だったら――――」
キィン、とまた、金属音に似た不思議な音色が響き、総司とリシアの時間が止まった。レヴァンチェスカとネヴィーだけが、意識を保ち、動くことが出来た。
「ネヴィー、お願い」
レヴァンチェスカが懇願するように言った。
「それ以上は、この場では言わないで。きっともうすぐ辿り着くけれど……自分で導き出さなければ意味がないの。わかって」
「……私は、とっても付き合いが浅いわ。ソウシのことはただ私が一方的に“知った”だけで、勝手にお友達と思っているだけ」
ネヴィーが冷静に、しかし、わずかな怒りを滲ませて、女神へと言った。
「でもね、ソウシがとっても頑張っていること、つらい役目を担ってそれでも折れずに立ち向かおうとしていることは、よくわかっているの。レヴァンチェスカ、あなたのその行いは、この子の勇気と献身への冒涜よ。ちゃんと報いるものがあるの?」
「もちろんよ。総司に与えるものは、一番最初にちゃんと約束しているし、その約束を反故にするつもりはないわ。必ず彼には、彼に与えるべきものを贈るつもり」
「つもりではダメよ」
ネヴィーが腰に手を当てて、ぷんすかとあからさまに「怒っています」とアピールしながら、厳しく言葉を叩きつける。レヴァンチェスカは情けなさそうに笑って、
「必ず、与えるべきものを贈るわ。あなたにも約束する」
「……そう。せめて、全てを教えられないのだとしても、ソウシにちゃんと、あなたの想いを伝えてあげて」
「ええ、わかってるわ」
再びキィン、と音が響いて、時間の流れが元に戻った。
「……ネヴィー?」
「何でもないわ。ごめんなさいね、邪魔しちゃった」
不自然に会話が途切れた、というのが、総司とリシアの主観だ。総司が気づかわしげに問いかけたが、ネヴィーは笑って首を振った。
「続けて、レヴァンチェスカ」
「……カトレアのことについては、これ以上の情報は与えられないわ。他にも聞きたいことがあるでしょう。リシア?」
レヴァンチェスカがリシアに話の矛先を向けなおす。リシアはコホン、とまた咳払いした。
「言いたいことを言ってよいのですね」
「もちろんよ。総司を支えてくれるあなたを、いたずらに罰するような真似はしない」
「では、申し上げますが。ソウシは女神さまにとって、ただ世界の危機を脱するための駒にしか過ぎないのですか?」
「……決してそんなことはない、と言って、信じてくれるの?」
レヴァンチェスカの問いに、リシアは何も言わなかった。
「……絶対にありえないわ。総司は……私のことが信じられない?」
総司はリシアに座らされたままあぐらをかいて腕を組み、険しい顔で答えた。
「カイオディウムでも言っただろ、お前のそういう言い方は嫌いだ……!」
「そうだったわね」
「俺だってお前のことは信じたいし、お前に恩を感じてる! だから、せっかく命を賭けるんだ、お前のためにだって戦いたいさ! けど……俺は……」
「私に“使われている”ように思ってしまう?」
「違う!」
総司が叫んだ。リシアが驚いて目を見張った。総司は何とかして自分の想いを伝えようと、必死に訴えた。
「俺のことなんざ好きに使えばいいんだ! もともとそういう話だったと思ってるし、別に文句はねえよ! 俺は俺で、俺自身のためにも勝手に頑張るしよ! けど、俺の旅路のお膳立てのために、お前は――――お前が愛してるはずのリスティリアの皆のことすら、“使っている”ように見えちまうんだ! 俺が我慢ならねえのはそこなんだよ!!」
総司の慟哭には、話の続きを促したネヴィーですらも驚きを禁じ得なかった。
リシアも総司の心の奥底までは理解できていなかったのだ。それはひとえに、リシアが優しく、総司に甘いから。総司がまるで、リスティリアの民ではないから「捨て駒」のように使われているのではないか、というリシアの中の怒りが、総司の想いの奥底まで思考を伸ばさせなかったのである。
総司が女神に疑念を抱き始めているのは、「自分が駒のように扱われている」からではないのだ。
「そりゃあお前から見りゃ、俺は頼りねえ救世主かもな! 頭も良くねえしもともと戦士ってわけでもねえ、お前が整然と道を整えてくれなきゃまともに歩けもしねえかもしれねえよ! だけどそのために“他の誰か”が犠牲になるってんなら――――お前が整えた運命のために、リスティリアの皆を踏み台にしなきゃならねえって言うなら、俺はこれ以上先に進むのは嫌だ!」
優しく甘いが故に総司の心の内を読み切れず、リシアがぎゅっと固く目を閉じた。リシアは、総司が抱える疑念を総司自身に言わせたくなかった。レヴァンチェスカの返答次第では、リシアが聞いて答えを引き出すよりもずっと総司の「傷」になりかねないと思ったからだ。得られる答えがたとえ同じであっても、総司が感情をぶつけて答えを聞くのと、リシアが冷静に、間接的に聞き出すのとでは、ほんのわずかかもしれないが違いがあって、それが総司のためになると思った。だが、今回はリシアの気遣いが裏目に出てしまった。
カイオディウムで聞いた総司の本音を、リシアは思い出していた。
ベルとフロルの悲愴に満ちた過去が、まるで総司の旅路を完遂させるために仕立て上げられたかのように見えたあの不自然さ。
もしかしたらそれまでの旅も全て、総司が救世主として確固たる「何か」を得るためのお膳立てで、それまでの旅の全ては総司のために用意された「クリアすべき課題」だっただけではないか。
そのために、良し悪しにかかわらずリスティリアの民たちの「想い」を踏みにじってきたのだとすれば。それは総司にとって、耐えがたい苦痛だった。
「歩みを止めればリスティリアが滅ぶ、でも歩みを止めなければ、“俺じゃない誰か”の想いが、人生が犠牲になる……そんな選択を俺にさせないでくれ……俺はそこまで、強くはねえよ……」
座ったまま、項垂れて。総司が力なく締めくくった。
総司の精神性は、旅を進めるほど確かに成長した。彼が元いた世界では持ち合わせていなかった、精神的な強さを手に入れた。自分と他者の命に対する考え方も、リスティリアに来たばかりの頃とは随分と変わった。
間違いなく良い方向への変化だ。だが、その変化は、総司に「自分ではない誰か」の想いや人生に対する情を抱かせ――――ともすれば、「世界」と「誰か」を天秤に掛けた時に足踏みさせる。
客観的に見れば、悩む必要のない選択のはず。何より「世界」を、より多くを護るべきだと、総司も頭では理解しているが、自分がそれを選ばなければならない側に立ってみれば、その難しさがよくわかる。
おとぎ話の世界の英雄たちは、しばしば「世界」と「物語のヒロイン」を天秤に掛けて苦悩する。今の総司には痛いほどよくわかるのだ。他人事なら迷うはずがないだろうと疑問符が浮かぶような、「正解」の明らかな選択肢を前にして、頭を抱えてうずくまってしまう彼らの気持ちが。
「……“強く”なったわ」
そんな迷いを、苦悩を、レヴァンチェスカは“強くなった”と表現した。
「あなたの器を満たすのは、顔の見えないその他大勢に対する朧げな使命感ではなく、得難い縁を繋いできた者たちへの想い……自分のためだとどれだけうそぶいたところで、きっとあなたは、誰かのためでなくては剣を振るえないのでしょう。ねえ、気付いてる?」
レヴァンチェスカは総司の元に歩み寄り、彼の前に膝をついて、そっと頬に手を当てた。
「“強靭過ぎる鋼の器”を、臣民への愛で満たすあの子と、今のあなたはよく似ている。ついこの間まで、あなたにとっては遠い背中だったのにね」
眩い信念を前にして頭を殴られたような気分になって、自分が何のために戦うのかを自問自答するところから、総司の旅は始まった。
リスティリアに生きる生命が自らのために立ち上がることなく、わざわざ異世界の民である総司に、全てを託す意味があるのか。その答えは今ここにある。
既に総司は、リスティリアを背負うに十分すぎるほど、リスティリアにいる生命への愛で溢れている。
顔の見えない誰かではなく、縁を繋いだ者たちのために。
「言葉に意味はないわ。私が私の潔白をあなたに証明するには、あなた自身の目でこの先を見てもらうほかない。だって、そうでなければあなたが納得しないでしょう?」
「……それは……」
「よくそれで、私に卑怯だなんて言えたものね。自分の中で答えの決まっている問いを感情に任せて相手にぶつけるのは、卑怯ではないの?」
「うるせえ、言わずにはいられねえんだ……!」
「でしょうね。本当に、イイ男になったものだわ」
レヴァンチェスカは総司から目を背けず、真剣に言った。
「私を信じて、進んでほしい。本当にあと少しのところまで来ているの。もう一度、信じて」
「……俺以外の誰も、俺の旅路のために、犠牲にしないと誓えるのか」
「この先何が起こるのか、私も全てがわかるわけではないわ。けれど、あなたの言う『犠牲』を最初から計算に入れた道を、あなたに示すことはない」
「……納得いかねえことは、たくさんある。けど、お前の言う通りだ」
総司はレヴァンチェスカの手をすっと払って、静かに言った。
「ここでどんな話を聞いたところで、意味はない……わかった」
立ち上がり、総司は決然と言った。
「この目で見るよ。この先を。そのうえで、自分で決める」
「ええ……それで良いわ」
空間がぐにゃりと歪んだ。ネヴィーが顔をしかめ、苦しそうに胸元を押さえた。
「流石に、ちょっときついわ……」
「ッ……それとは別にまだ聞きたいこともあるんだがな……!」
総司が歯を食いしばったものの、ネヴィーの表情を見れば、相当無理をしていたことが嫌でもわかった。
喫緊の課題としてはレナトゥーラのこと。それ以外で言えば、これまで“聖域”を破壊する所業にはからずも及び続けていることなどなど。レヴァンチェスカの真意を問いただしたい出来事は、数え始めればキリがないが、ここで全ての疑問を解決するのは不可能らしい。
「エメリフィムの“聖域”だ、レヴァンチェスカ!」
キィン、キィンと。金属音に似たあの音と共に、総司やリシアにとっては不愉快なノイズが空間に満ち始めている。
「もうちょい旅に必要な、建設的な話をしねえと…! 時間を無駄にしちまったが……!」
「無駄ではないわ。これも大事なこと……けれど、そうね」
レヴァンチェスカは、総司との幾度目かの邂逅で初めて、どこか「名残惜しそう」な表情を見せたものの、仕方なさそうに息をついた。すっと立ち上がり、総司からふわりと離れていく。
「あなたがローグタリアに渡る前に、“アゼムベルム”のことを話しておく必要がある。もう一度会いましょう。待ってるわ」
「あっ、お前、何でこんな土壇場でそういう意味深な――――」
「すぐ会えるわ。それじゃあね、総司。愛してるわ」