受け継がれるエメリフィム 第三話③ 斬るべき相手を斬る選択を
ヘレネの予言にあった「一人の少女」とは、必ずしもカトレアを指すとは限らない。客観的に見れば、総司とリシアの考えは飛躍したかに思えた。
だが、特に総司はどこか確信めいたものを感じていた――――ローグタリアで総司の前に立ちはだかると予言された少女は、カトレアを指していると。
その予想が果たして当たっているかどうかはさておき、総司とカトレアの「エメリフィムにおける対決」は、早々に訪れることとなった。
『来てはダメ』
ジグライドが懸念していた“ヴァイゼ”の妨害もない、平和な交渉を終えて。
リック族の元をいったん離れ、老リック族の言葉に甘えて王都フィルスタルに戻ろうと、聖櫃の森に再び入った時。
ネヴィーの声が、どこか切羽詰まった声が聞こえて、総司は足を止めた。
「――――ネヴィー……?」
『来てはダメ、引き返して。罠よ、あなた達はずっと――――』
ネヴィーの言葉が途切れると同時に、世界が「ぶれた」。
目の前の光景が歪み、森の入口にいたはずの一行は瞬時に「ギルファウス大霊廟」のすぐそばに引き込まれた。
続いて、総司が足元から、一体どこから湧いて出てきたのか、ざあっと水流がせり上がってきて、総司の体を容易く捕まえた。
リシアの目がぎらついて、誰よりも早く総司を救出しようと剣を構え――――その動きを、ぴたりと止めた。
総司はリシアを見ていた。リシアに向かって手を伸ばし、「構うな」と目で訴えかけていた。
容易く回避できたはずの捕縛を総司が受け入れた。総司の目に焦りはなかった。
「ッ……ソウシ!」
ティナが手を伸ばしたが、リシアの反応よりはるかに遅れている。当然間に合うはずもなく、総司は水流の網に捕らえられて、そのまま地中に引きずり込まれていった。
「そ、そんな……リシア、ソウシが!」
「……ええ、わかっています」
リシアは冷静に、焦る様子を見せず、総司が「自分を止めた」ことの意味を考えながら返事をした。
「トバリ様、シドナ殿。お願いがあります」
「なんでしょう」
「ティナ様を連れ、先に王都へ。私はここに残ります」
「……これはこれは」
一瞬の出来事の中で、リシアだけが反応し、総司との意思疎通を図って見せた。ネヴィーが不意に総司の元に現れた時もそうだが、トバリは察知能力については総司を上回るほどの感覚を持っているのだが、それでも、今の一瞬、リシアの方が反応としては上回っていた。
トバリとしては、総司を突如として襲った不測の事態に興味を惹かれるのは間違いない。しかし、一応はティナ王女の護衛であり、この場での判断は――――
「承知しました。ご安心ください、必ず王女様を送り届けます」
「ダメです、リシア一人では危険です! ソウシだって、一体どんな状況か――――!」
ティナが抗議の声を上げたが、リシアは極めて冷静に言った。
「“私一人が危険であること”、そして“ソウシが危険に晒されていること”は、エメリフィムにとって些末な問題です」
「ッ……でも……!」
「最も避けるべきはティナ様の身に危険が迫る事態であり、この場に留まっていただくのは愚策でありましょう。ジグライド殿に仰せつかったティナ様の護衛の任を最後まで果たせないのは誠に遺憾ですが、ご容赦ください」
リシアが頭を下げる。ティナはまだ何か言いたげではあったが、その肩にシドナが手を置いて押し留めた。
「行くわ。これ以上議論の余地はない。でしょ」
「……どうか、ご無事で……!」
「どうかご自分の身を第一にお考え下さい」
シドナとトバリに連れられて、ティナがリシアを振り返りながら森の奥へと消えていく。リシアはふう、と一息ついて、ネヴィーが眠るとされるギルファウス大霊廟を見据えた。
「……何かを察したな」
一人、呟く。
総司の決然としたあの目、あの表情。何もかもわかっているかのようにリシアを止めた挙動。総司の“特性”と併せて考えれば、リシアにも答えは導ける。
総司は魔力の気配に鋭敏であり、視覚や聴覚と同じぐらい、その察知能力で以て外界を把握しているきらいがある。それはリシアも、これまでの旅路で幾度となく感じていた。
それを思考の材料にしてみれば、総司は水流に囚われたあの瞬間――――あの水の魔法をとっかかりに“魔力の気配”を察知し、その気配に覚えがあった可能性が高い。リシアはそう考えを纏め上げた。
森の入口からギルファウス大霊廟まで大規模な転移が行われた――――或いは何らかの幻覚によって、“まだ森に入っていない”と思い込まされているだけで、実はかなり森の中を踏破していたという可能性もある。はたまた、ギルファウス大霊廟自体が、その膨大な魔力で以て位置を大胆に変えたか。そのからくりまでは読み切れないが。いずれにせよ、下準備もなしに出来ることではない。総司たちが王都を出た時から、この仕掛けを用意していたのだろう。
恐らくは、高位の魔法に熟達した者の助けを借りて。
「この状況で仕掛けてくるとすれば……」
王城の内部の情報がどれだけ外に出ているかは不明だが、王家の敵対勢力として最も力在る“ヴァイゼ”が、王女ティナが傍にいる状況で総司に狙いを定めるとは考えにくい。情報漏洩は常にあり得ると考えるべきだが、仮に総司とリシアについては、王城外にさほど知られていないとすれば。
「……思っていたより大胆不敵なようだな……カトレア……」
「――――敢えてお付き合いいただいたようですね。過分な心遣いに感謝します」
ギルファウス大霊廟内、“泡沫の霊殿”。先王アルフレッドですら入ることの叶わなかった、ギルファウス大霊廟の内部、その深奥に近い場所。
それは、一つの「都市」の如く――――滅び忘れ去られた古の都の如く。
ヒトが住んだことなどもちろんないはずの、小さな街並みを模した空間だった。窓のない、閉ざされた広大な空間であるにも関わらず、夕暮れを思わせる穏やかな紅蓮が頭上を覆い、朽ちた銀の都市の合間を、淡い緑色の光が川のように流れている。まるであの世で魂が行きかうような光景に目を奪われそうだったが、総司としては、声の主以外に集中力を向けられる状況ではなかった。
朽ち果てた都市の、巨大な建造物同士を、不釣り合いなほど立派でまっすぐな、白亜の石造りの橋が繋いでいた。どこまでも続いていそうなまっすぐな道の先に、総司にとっては因縁深い相手が佇んでいる。
ギルファウス大霊廟内部に連れ込まれてからすぐさま、蒼銀の魔力を発散して水の牢獄を薙ぎ払った総司は、ぎらつく目に敵意を乗せて、彼女を睨みつけていた。
「ようやく会えたな、カトレア。それと、この状況で俺から隠れるってのは無理があるぜ、ディオウ」
総司が強く言うと、橋に寄りかかりそうな、斜めに倒れかけた建造物の物陰から、ディオウが姿を現した。
「……隠れていたわけではない。邪魔をしない方が良いと思っただけだ」
「そうかい。ま、何でもいいが」
総司は迷いなくリバース・オーダーを抜き放ち、にわかに蒼銀の魔力を発散し始めた。
既に臨戦態勢、いつでも斬りかかれる状態だ。
カトレアはその姿を見てわずかに目を見張った。ディオウと一瞬だけ、素早く視線を交わすが、ディオウは「だから言ったろう」とばかり、肩を竦めるだけだった。
総司とカトレアは、レブレーベントで一度だけ戦ったことがある。とは言えわずかな剣戟を交わしただけで、カトレアを撃退したのはアレインだった。
あの時カトレアは、「女神の騎士一人であればともかく、アレインが一緒にいる状況ではやり合うべきではない」と判断した。総司の脅威性に対する認識は、あの時点では低かった。
しかし今の総司は、あの時とは比較にならない。カトレアの想定をはるかに超えて、総司の力は増している。彼が本気になれば、カトレアが全力で挑んだところで――――
「少々敵意を鎮めていただけますか。話がしたいだけです」
「そりゃあ出来ねえ相談だ」
「……あなたが私に敵意を抱くのは致し方ないと理解していますが、エメリフィムにおいては、我々は同じ陣営です。そうである以上、話をするぐらいのことは――――」
「よくよく“俺達のこと”を知ってるみたいだな、カトレア」
総司がにこりともせず、鋭く言った。カトレアはその言葉の意味を図りかねて問い返した。
「……何が言いたいのでしょう」
「俺とリシアの二人なら、基本的にはリシアがそういう“計略”だのなんだのを見破る役目を担ってくれてる。アイツは俺より頭が回るし、俺ほど甘くはねえからな」
びりびりと、カトレアとディオウに打ち付けられる気迫は、レブレーベントにいた頃とは別格のそれ。
しかも総司は「力」のみならず、カトレアが想定していたよりもずっと敵意剥き出しで、気迫だけなら今にも斬りかかってきそうなほどの恐ろしさを醸し出していた。
「俺とリシアをわざわざ引き離して俺だけに持ち掛ける話。さて、対等な保証がどこにあるってんだ? リシアがいたら容易く見破られるような小賢しい真似を仕掛けようとしてるから、俺だけ連れ込んでんだろうが」
カトレアは図星を衝かれて、一瞬言葉を失う。
「俺はもう決めた――――“斬るべき相手を間違わない”ってのは、“斬らなきゃならない相手を自分の責任で斬る”覚悟だっているんだ」
ベルに立てた誓いを、サリアを想う誓いを自分に言い聞かせるように。
総司はすうっと目を細め、剣をまっすぐカトレアに向けた。
「お前の事情には興味あるが、それ以上に、お前はリスティリアにとって脅威になる。世界の敵は俺の敵だ。ちょうどいい機会じゃねえか。細かいこと抜きにしてケリつけようぜ。話は後でも出来る――――お前らが生き残れたらの話だがな」
その言葉に、脅しの色はない。カトレアは、一瞬で膨れ上がり炸裂した殺意を前に、慌てて武器を構えた。
盾と剣が同化したような、カトレアが扱うには少々大きい独特の、金色の武装。構えずにはいられない、何故なら――――
総司の姿はもう眼前から消えていて、ヒュン、と軽い風切り音と共に、カトレアの頭上まで迫っていたからだ。
何故カトレアは総司の邪魔をするのか、女神の騎士に対して敵対的なのか。
彼女の目的は一体どこにあるのか。カトレアの行動と、彼女の個人的事情に関する疑念は尽きない。だが、総司はそれを「後でも聞けるし、聞かなくても支障ない」と判断した。
カトレアは女神の騎士に対して敵対的であり、それはすなわち、女神救済の旅路において障害となることを意味する。レブレーベントの邂逅以来わかっていること。むしろ、今の今まで甘すぎたのだ。
ヘレネの予言の「少女」がカトレアではない可能性を考慮しても、だからと言ってカトレアを野放しにすることは決してプラスに働かない。
総司は総司の責任で以て、カトレアと言う存在を、リスティリアの未来のために――――この場で“斬る”ことを、遂に選んだ。
「ぬぅお!!」
ディオウの裂帛の気迫、迫りくる総司の剣を迎え撃つ、漆黒の剣。巨大な剣のぶつかり合い、力と力のせめぎ合いを制したのは、もちろんのこと、女神の騎士。
ディオウの体は切り裂かれこそしなかったものの、総司の膂力を止めきれずに吹き飛ばされ、まっすぐな白亜の道の上を大きく滑る。
着地した格好から返す刀で、総司の剣がカトレアの首を狙う。
迷いのない鋭い一閃。ディオウの一瞬の時間稼ぎのおかげで身を翻すことが出来たカトレアは、必要以上に大きく跳んで、総司の神速の連撃をギリギリでかわし、ディオウの傍に舞い降りた。
「ハッ……ハァッ……!」
たった二撃。
振り下ろされ、返された、たった二振り。ほんのわずかな、小競り合いのようなやり取りが、彼我の実力差をカトレアに叩きつける。
速過ぎる上に強すぎる。カトレアの首を狙いすました剣に迷いはなかった。それはカトレアの見立ての甘さを示していた。
命のやり取りに必ず抵抗を覚えると思っていた。そこには逡巡が生じるはずで、話し合いの余地は必ずある。その甘い見立てが、カトレアにとっては最悪の状況を作ってしまった。
“なめられていたから力の差をわからせた”、などという下らないやり取りではない。総司の剣に滲む気迫は、ある意味では人間らしいそんな感情などもうどこかに捨て去っている。
宿る殺意は本物。リスティリアはおろか人生で初めて、彼は本気でヒトを殺そうとしている。千年前の再現、幻の如きルディラントの守護者を斬るのとはわけが違う。今確かに在る生命を、自分の意志で断ち切ろうとしている。
たとえ後に――――カトレアがどんなに邪悪であれ、どうせ罪悪感に苛まれることになるのだと理解しながら、それでも。
その葛藤を乗り越えてでも斬らなければならない相手だと。躊躇いそうな自分の甘さを押し殺し、心を鉄にして、総司は再び剣を構えた。
「別に楽しむつもりも、様子を見るつもりもないしな」
総司の魔力が増大する。ただでさえ、リスティリアの普遍的な生命にしてみれば凶悪に過ぎる蒼銀の魔力が、更に増していく。
「恐怖の時間が長引くのも酷だ。これで終わらせる」
「下がれカトレア、出来るだけ距離を取れ!! 私が何とか――――!」
ディオウが叫んだ時にはもう遅かった。
カトレアとディオウに向かって、蒼い魔法陣が幾重にも重なりながら伸びて、総司の「道」を形成した。
レブレーベントからエメリフィムに至るまで、総司の最初の魔法でありながら常に切り札であり、最強で在り続けた究極の一撃。
あまりにも強烈な気配を前に、カトレアの体が完全に硬直した。その一瞬にも、総司は容赦しなかった。
「いずれあの世で会った時には、お前の“話”ってのを聞いてやる――――“シルヴェリア・リスティリオス”!!」
蒼銀の流星が連鎖的に爆裂しながら、魔法陣を潜り抜けてカトレアに突進する。速度を増し続ける蒼き流星を、ディオウが止められるはずもなく。
流星はカトレアとディオウの元にそのまま突進し、“泡沫の霊殿”を覆い尽くすほどの爆裂を齎した。