受け継がれるエメリフィム 第二話③ ジグライドの依頼
「無理を承知でお願い申し上げる。どうか、リック族との折衝の間は、王女を最優先に考えていただきたい」
ジグライドは屋敷に入り、部屋に入るや否や、タユナの慣習に倣い膝をついて、深々と頭を下げた。
「止してくれ。言われるまでもないことだ」
「これこれ」
総司が即答したので、リズーリが呆れたように、しかしどこか楽しそうに笑いながら口を挟んだ。
「お主は“オリジン”の修復をこそ最優先にすべきところ、それをおしてティナを何よりもまず護ってくれと、そういう依頼なのじゃ。場合によっては“オリジン”を切り捨ててでもティナを護ることになるのじゃぞ」
「わかった上で、承知したと言ってるんだ」
総司が強く言った。リズーリも、そしてトバリもわずかに目を見張った。
「“オリジン”と王女を天秤に掛けて前者を取るような真似は、俺の“望み”に反する。そして俺には、俺の望みに反するとわかっている選択を選び取ったら、二度と顔向けできねえヒトがいる」
リズーリとトバリが顔を見合わせる。
リシアは微笑を浮かべて「決まりだな」とばかり総司の言葉に頷き、ジグライドを見た。
「ソウシが言うのならば是非もない。我らのこともティナ様の護衛と考えてもらって結構。我らは言葉に責任を持つ。確かに引き受けた」
トバリの指摘はもっともだ。
総司が最も優先すべき事項、考えるべきことは“オリジン”に関すること。だが、それに対する総司の回答は既に決まっていたようだ。
総司が決めて、リシアは共にその責任を負う。総司の明確な答えを聞いて、リシアの言葉にも迷いはなかった。
「……はーっ……つくづくよぅ似ておるわ。参った」
リズーリは降参とばかり首を振り、苦笑した。
「信頼してよいぞジグライド。わらわが保証してやる。こやつら救いようのないお人よしじゃ。お主の思っている以上に全力でティナを護るじゃろう」
「……報いるところがないことを、申し訳なく思っている。金を積むことは出来るが、恐らく君らはそこに価値を見出さんのだろう」
ジグライドが目を閉じ、厳しい顔つきで言った。
「直せるかどうかは別にして“オリジン”がもらえるんだろ。だったら、見返りは前払いされてるようなもんだ」
総司は気楽に言った。
「とはいえ、そうだな。何かくれるってんなら、この国で首尾よく事が運んだら、ローグタリアまで送ってくれよ」
「私が責任を持って手配しよう」
ジグライドがしっかりと頷いた。
ゼディがどこからともなくお茶を運んできた。ジグライドは最初断ろうとしたが、総司の勧めもあって受け取った。
もともと総司たちとはそれなりに長話をするつもりではあったらしいが、ジグライドにとってタユナの屋敷の中は決して「自陣」という意識ではなかったのだろう。それでも、総司とリズーリのやり取りから何らかの機微を感じ取ったか、ここに差し迫った危険はないと判断したようだ。
奔放で言い出したら聞かないティナと、戦闘力こそ信頼に値するものの、思慮の面では今一つ足りていないシドナに、胸の内にどんな考えを持っているのか今一つ不明瞭な賢者アルマ。王城の中の微妙なバランスを保ちつつ、王家を何とか持たしているジグライドは、こういうところでも細やかに気配りをして、心配の芽を少しずつ取り除こうと奔走している。
エイレーン女王陛下の奔放さに振り回されがちだったリシアには、彼に共感するところがあるのだろう。リシアのジグライドに対する態度はどこか柔らかだったし、視線の合図で意図を察するところも然り、彼とは通ずるものがあるらしい。
「――――ケレネス鉱山地域は王都の北に位置する険しい山だ。道中『聖櫃の森』という大きな森を挟むのだが、その森を抜けた先は一面荒野が見えることだろう。リック族は、その荒野の更に奥地、鉱山周辺に集落を持つ“小人族”だ」
「小人!」
ジグライドの説明を受けて、総司がハッとして目を輝かせた。地図を広げながら簡単にこれからの計画を話すジグライドが、大仰な反応に少しだけ怪訝そうな顔をした。
小人族と言えばまさにファンタジーの代名詞、総司としても心が躍るキーワードだ。
「彼らは魔力を秘めた鉱物の扱いを得意としており、エメリフィムの産業面で非常に重要な種族だ。先王の時代は密に連携を取っていたが、ここ四年はほとんど交流がない。シドナの話では、彼らに危険性はないとのことだが」
「明日の移動手段は?」
地図を眺めて頭に叩き込みながらリシアが聞いた。ジグライドの返答は煮え切らないものだった。
「……そのことなんだが……」
ジグライドは――――もう彼の表情としては見慣れたものになったが、眉根をよせてしかめっ面をした。
「走るそうだ」
「えっ」
総司が素っ頓狂な声を上げた。
「ま、待て待て、タユナの里から王都までと同じぐらいの距離があるじゃねえか。そりゃ、俺やリシアは構わねえが……」
当然、所々での休憩は必要になるだろうが、魔力による身体能力の強化、それによる高速移動については、総司もやってやれないことはない。もともと女神の騎士として与えられた素の能力の高さもある。リシアはいざとなれば飛ぶこともできるし、トバリは既にリズーリが駆るケルテノより、半日も速く疾走してきたという実績がある。戦闘面で高い評価を受けているシドナも、適度な休息さえあれば恐らく問題はないだろう。
しかし、王女ティナがそのような、戦士たちが実現するレベルでの「走る」を達成できるのだろうか。
たまたまそれが出来るメンツが揃っているだけであって、魔力による身体能力の強化を長距離移動に使うとなれば、相当な熟練を要する。リスティリアに生きる生命であっても、誰しもが出来るわけではない。総司にしても、女神の騎士としてのステータスと溢れんばかりの強大な魔力で以て、力技じみた方法でそれを達成しているだけであって、ジャンジットテリオスの手ほどきを受けたとは言っても、技術的な面ではまだまだ熟達しているわけではない。一国の王女にそんな真似ができるのかどうか、総司とリシアにしてみれば疑問だったが、ジグライドはため息まじりに言った。
「一応、ティナ様も魔力による強化の心得はある。君らほどではないだろうがまあ……休み休みでも、二日いっぱいは掛かるまい」
「……止めても無駄だったってことか」
「言わんでくれ」
ジグライドが頭を振った。
伝承魔法の才能が欠如している――――というだけで、魔力の扱い自体についても、決して落ちこぼれているわけではない。いや、或いは、伝承魔法がどうしても扱いきれないからこそ、ティナはそういう技の習熟に努めたのかもしれない。
「君らが本気で走れば流石についていけんだろうからな。くれぐれも置いてけぼりにはしてくれるな」
「そりゃ、わかってるけどよ……」
総司とリシアの戦闘能力は当然高いし、トバリも並の使い手ではないのだが、それにしてもティナの行動はただでさえ、「王女」としては危険極まりないものだ。リック族との折衝に自ら出向くという時点でかなりのリスクを抱えることになっている。
それに加えて地上を疾走するとなれば余計な不安要素が増えるだけにも思えるが、そこは王女が相当頑固だったのだろう。そうでなければジグライドが引き下がって、わざわざ二人に頭を下げに来るような事態にはなっていない。
ティナもティナで、何を考えているのかわかりにくいところがある。「走って向かう」この計画にどんな意味があるのか、まだ総司たちにもわからない。
「ティナ様はなんていうか……逞しいよな」
「好意的な表現をしてくれる」
ジグライドが皮肉げに笑った。
「懸念事項としては“ヴァイゼ”の連中だ。リック族は鉱物を自在に扱う工業の担い手――――言い換えれば、『武具』の製造の担い手でもある。ヴァイゼ族もリック族を押さえることについては、かなり力を入れているようだ」
「反王家の筆頭だっけ?」
「そうだ。反王家であり、反ヒト族。王家とヴァイゼの関係が良くないのは、ティナ様の代で始まったというわけではない。あくまでも、絶対的な“力”で王家優位を保っていただけ……押さえる力が失われた今、ヴァイゼは半ば暴走状態にある」
反王家のみならず反ヒト族でもあるときた。エメリフィムの情勢不安の原因、その大部分の根幹となっているのが“ヴァイゼ族”、竜人系の亜人族だ。
生まれながらにヒトよりも優れた身体能力を持ち、高い魔力耐性を有し、気性の荒い者が多いというヴァイゼ族は、エメリフィムの歴史においてもしばしば王家に対し脅威となってきた。王位継承者が代々伝承魔法の強力な使い手であったため、最終的には抑え込んできた。言葉を換えれば、ヴァイゼの反骨精神は王家に対する監視装置のような役目を果たしていたという言い方も出来る。王家が緩めば、ヴァイゼを止める者はいないのだと、そうした緊張感が絶妙なバランスを保ってきた。
今代にあって、その均衡は崩れ去り、天秤はヴァイゼ族の優位へと大きく傾いている。賢者アルマの護りがなければ、エメリフィム城は既に攻め滅ぼされていたというぐらいには、ヴァイゼ族の戦力は脅威だ。
「ジグライドの見立てでは」
総司がジグライドをまっすぐに見つめて言った。
「鉢合わせたら、やるしかないか?」
「……ヴァイゼには、常に指導者がいる。族長とは別にな。今代の指導者は話の分かる相手と思っていたが、先王が倒れて以来姿を見せん。交渉は意味を為していない。間違いなく、“やるしかない”だろう。ティナ様が一緒にいるとなればなおのことな」
ジグライドはそこまで言い切って、また眉根を寄せて苦々しげに言った。
「だから何としてもティナ様には城に留まってもらいたかったのだが……」
「差し出がましいことを言うようだが」
リシアが口を挟んだ。
「そういう状況下であれば、言葉は悪いが……力ずくででも、止めるべきでは? 見たところ、あなたには十分それが出来ると思うが」
「……うむ。正しい」
ジグライドが神妙に頷くのを見て、総司が思わず笑った。
「甘いんだ」
「……無論、やることなすこと口は出すとも。どれほど疎んじられようとな。だが最終的な決定権はティナ様だ。武力で以てそこを曲げてしまえば、あの御方を王位継承者として国中に認めさせたい我らの根幹が狂う。無論、君らに迷惑をかけてしまうのは申し訳ないのだが、こちらとしても苦渋の決断である。どうかわかってくれ」
ジグライドは冷静に、総司のからかいを受け流した。
「とにかく、明日はよろしく頼む。無事を心から祈っている」
話がひとまず終わって、ジグライドが立ち上がり帰ろうとしたところで、総司がハッと気づいて引き留めた。
王城では、“オリジン”が砕けているという衝撃的な事実に思考を奪われてしまって、聞き損ねてしまっていた大事なことがあった。
「ジグライド、一つ聞きたいことがあるんだ」
「何かね?」
立ち去ろうとしたジグライドがはたと足を止め、総司に向き直った。
「城の地下には何が保管されているんだ?」
「基本的に、武器の保管庫と宝物庫だが……何故そんなことを聞く?」
ジグライドが厳しい顔つきで総司を見た。
総司は、王都フィルスタルに入った瞬間に確かに感じ取った“禍々しい気配”について、ジグライドに話した。“忘却の決戦場”でヴィスークに聞いた“怨嗟の熱を喰らう獣”のことも言及した。
最初は怪訝そうだったジグライドも、総司の話に興味深そうに聞き入った。
「……まず、王城の地下で『生物』を飼っているということはない。君らの言う“怨嗟の熱を喰らう獣”とやらも聞き覚えがないし、地下にいるということもあり得ない。私の知る限りな。だが……」
「何か心当たりがあるのか?」
「いや、確証はないが、魔法を帯びた貴重な物品が数多く地下に眠っているのは事実だ。そのうちの一つが何らかの反応を示した、という可能性は否定できん、が」
ジグライドは首を振り、
「少なくとも君の話にあったその時間帯、私は間違いなく王城内部にいた。そして、君の言う“禍々しい気配”とやらは感じ取れなかったし、周囲の者が異常な反応を示したという事実もない。総じて、“何のことだかさっぱり”だな」
「そうか……」
総司が残念そうに項垂れた。
「ジグライドで知らねえならまあ、他の誰に聞いても同じだろうな……」
「それは買いかぶりというものだ」
ジグライドがふっと笑った。
思えば初めて見るような、嫌味っぽさのない微笑だった。
「魔法道具のことであれば、私よりも詳しい者がいる」
「……賢者アルマか」
「そうだ。心当たりがないか聞いておこう」
総司とリシアが何とも言えない微妙な顔をしたので、ジグライドがふと笑みを消した。
「……どうかしたかね?」
「いや、何でもない。頼めるか?」
「承知した。明日までに答えを用意できるとは限らんし、君らはひとまずリック族のことに集中してほしい。城の地下の話は、戻ってきてからでも良いだろう。では、私はこれで失礼する」