受け継がれるエメリフィム 第二話② 砕けた”オリジン”
「砕けてるじゃねえか!」
「これは……なんという……」
総司の絶叫と、リシアの愕然とした呟きを聞いて、ジグライドが眉根をひそめふーっと大きく息をついた。リズーリは頭に手を当てて、どうしたものかと首を振り、そしてアルマを睨んでいた。どうやらリズーリですら、王家から離れて以来、“レヴァンフォーゼル”がどのような状態にあるのかを正確には把握していなかったようだ。
一体どういうことなのか、と咎めるような視線をアルマに向けているが、アルマはリズーリを完璧に無視して、総司たちの反応に静寂な視線を注いでいた。仕方なく、リズーリが言った。
「そういう状態になったのは、ごく最近じゃろうな?」
「二か月ほど前だ……我らとしても想定外の出来事だった」
エメリフィムが擁する“オリジン”、名を“レヴァンフォーゼル”。
その正体は、太陽の如く煌々と輝く紅蓮の小さな宝玉と、それをはめ込んだ金色の装飾に連なる黄金の鎖で構成された「ネックレス」の形をしていた――――はずだった。
見るも無残、とはこのこと。紅蓮の宝玉は見事に砕けていた。ジグライドが「半球形の宝玉だった」と説明しなければとてもそうとはわからないほどだ。
ティタニエラの“レヴァンディオール”もそうだったが、総司は“オリジン”を手に取れば、その力が失われているかどうかがすぐにわかる。
疑いようもなく、“レヴァンフォーゼル”からは本来の力が失われていた。決して全てが失われているわけではなく、太陽のコロナのような金色の装飾や金色の鎖からはわずかに力を感じるのだが、万全の状態から程遠いことは明らかだった。
「“オリジン”を砕くなど、そもそも常識の範疇ではない」
どんなものを斬り、叩きつけようと、刃こぼれ一つしなければ切れ味も落ちることのない“レヴァンクロス”の性能を思い、リシアが言う。
「何故、こんな姿に……」
「“レヴァンフォーゼル”に何が起こったのか、正確に把握している者はおらん」
ジグライドが重々しく言った。
「だが、ご覧の通りだ。城の地下に安置されていたはずの“レヴァンフォーゼル”は二か月ほど前、何者かに持ち去られ、一時行方がわからなくなっていた。そして、再び元の場所に戻ってきた時には――――」
「こうなっていた、と……」
総司の旅路が始まったばかりの頃ならば、最も到達が困難な“オリジン”はどれか、という問いには、「ルディラントのもの」という答えが相応しかった。既に滅んでいるルディラントの、行方知れずになった“レヴァンシェザリア”を探し出すというのは、本来であれば無理難題だった。
その難題を、類まれなる奇跡と共にクリアした総司たちにとって、“オリジン”に関して言えば久々にぶつかることとなった「無理難題」である。手に入れることが難しい、という意味ではティタニエラもカイオディウムも相当なものだったが、エメリフィムは違う。
まさか“オリジン”そのものが壊れているとは。力を失っていた“レヴァンディオール”よりも、一段上の難題である。
「さて、“オリジン”とやら、私は詳しくありませんが」
トバリの目は明らかに輝いていた。火を見るよりも明らかな「厄介事」である。これに関連して面白いことが――――トバリにとって面白いことが起こるに違いないという確信めいた期待を隠そうともしない彼女の声色も、どこか弾んでいるようにすら思える。
「そもそも、“直せる”ものなのでしょうか。聞くところによればこれは女神の恵み、女神の御業に他ならぬとのこと……“砕ける”ことが予想外なれば、“直す”手段などもとより用意されているはずもありますまい。違いますか?」
「消失してしまった女神様の魔力を“再び充填する”ことに関して、普通であれば不可能極まりない所業だったでしょう」
トバリの問いかけに、ティナが自信満々に答えた。
「しかし“今”は事情が違います。女神様と同質の魔力を持つ者がいる。でしょう?」
「んっ!?」
急に話の矛先を向けられて、総司が動揺した。
「えー……そりゃあまあ、そうなんだけど。ただ王女様、情けないことに……俺はそういう器用な真似は苦手というか、普通の魔法が扱えないと言いますか……」
ティタニエラで”レヴァンディオール”が力を失っていた時も、総司は何も出来なかった。大老クローディアという魔法に長けた存在が傍にいたから、すぐにそちらを頼る選択肢に飛びついてしまって、総司が何かしようという意識がそもそもなかった。
結果的にはミスティルによって、”レヴァンディオール”は力を取り戻すこととなったわけだが、総司が何もしなかったことには変わりない。自信という意味では全くないのが正直なところだ。
「魔力を込めるだけです、きっとできます」
何故かティナの方が自信満々である。総司は助けを求めるようにリシアを見たが、リシアは頷いて、
「可能不可能はともかく、試す価値はあります」
「えぇ~……やるだけやってみるけどよ……」
「しかしその前に、“物理的に壊れている”ことに関して解決する必要があるでしょう」
「その通りです。そしてその点についても、私に策があります」
「ようやくお聞かせ願えるようですな」
ジグライドが皮肉たっぷりに言うが、ティナは意に介していないようだ。
「“リック族”に依頼しましょう。我が国自慢の鉱山を掌握し、魔力を秘めた鉱物の扱いに長けた彼らです、我々が右往左往するよりもずっと良い知恵を持っているはず」
「……しかし……」
ジグライドは、ティナの案を聞いて一瞬、「なるほど」と言いたげな顔をしたのだが、その言葉を飲み込んだ。
「リック族との交渉は失敗に終わっています。彼らは敵対的というわけではありませんが、友好的でもない。無論、これからも彼らとの関係修復には尽力しますが、今すぐにというのは……」
「いやまあ、そうなんだよね、実際……」
シドナがぽりぽりと頬を掻いた。
「正直、どこまで協力してくれるか全然わからないし……望み薄だと思うんだけど。まあ、ティナが行けって言うなら――――」
「いいえ、シドナ。あなたでダメだったのですから、ここは手を変えるべきでしょう」
ジグライドが何かに気づいた。先ほどから続くティナの自信満々の雰囲気に加えて、目をらんらんと輝かせる、はつらつさが更に増した表情から、全てを察したようだ。
ティナが胸に手を当てて、堂々と言い放った。
「私自ら“リック族”の元へ出向き、“レヴァンフォーゼル”の修復を打診するとしましょう! これはきっと女神様がくださった天啓、彼らと再び関わり合える好機。逃すわけにはいきません!」
そこから先は議論紛糾、総司もリシアも置いてけぼりで、エメリフィム要人勢の言い争いがしばらく続くことになった。
絶対に認められないと頑として言い張るジグライドと、にこやかなまま全く譲る気配のないティナを中心としてしばらく議論が続いたが、ついにジグライドが折れた。最終的には、総司とリシアに加えて、護衛としてシドナとトバリが同行し、明日の朝にリック族が住まう「ケレネス鉱山」付近へ王女と共に向かうということで話が纏まった。
総司とリシアには、ティナによってエメリフィム城内部の一室が仮の拠点として与えられた。しかし、ひとまずは今夜、再びティナと会食の機会を設けるとして、二人はリズーリに連れられて一旦、王都フィルスタルのタユナの屋敷に戻った。
どうやらリズーリから総司たちに重要な話があるようだ。王城内では誰が聞いているかわからず、そしてリズーリは王城内の者には聞かれたくない話をするつもりらしい。
トバリも同行してタユナの屋敷に戻ると、総司とリシアが昨夜泊まった部屋で腰を落ち着けて、リズーリは重々しく口を開いた。
「“レヴァンフォーゼル”があのような状態とは思っておらなんだわ……済まぬ。お主らには少々手間を掛けさせることになる」
「リズーリが謝ることじゃない」
総司が即座に言った。リシアも同調して言った。
「そう簡単に事が運ぶとは考えていませんでしたし、むしろこれまで順調に過ぎます。リズーリ様のお力添えあってこそ」
「ふっ、わらわの口添えがなくとも、お主らの主人が手を打っておったようじゃがな。しかしまあ、本題はそこではない。アルマのことじゃ」
「アイツか」
総司が少し険しい顔をする。
「お主らのことをカトレアから聞いたというのは話したな?」
「覚えています」
「そのカトレアに聞いておったのじゃ。アルマは、“オリジン”をお主らに渡すことで、お主らが国内に留まる時間を少なくしたいと考えておる……とな。わらわの助力も得て、さっさとお主らに“オリジン”を渡してしまいたいと」
「それは……」
リズーリの告白を聞いて、リシアが思考を回した。
「今のエメリフィムの情勢に、我々を関わらせたくないということですか」
「そのようじゃ。しかし、さっき見た通り。“レヴァンフォーゼル”は不完全な状態で、お主らに渡したところで、さてアレをどうするかという話になるのは目に見えておったはず。アルマがそこまで抜けておるとは思えんし……どうにも、あの子の周りはきな臭いのぅ……」
リズーリが話したかったのは、賢者アルマの行動にわずかに見える矛盾のことだった。
総司たちがエメリフィムを訪れる前、アルマはカトレアを使ってリズーリと接触を図り、女神の騎士をより早くエメリフィムから出国させるための手を打とうとしていた。
その手段が、女神の騎士の第一目標である“オリジン”を渡してしまうこと。それさえ総司の手元にあれば、総司はエメリフィムに留まる理由を失う。カトレアが話したアルマの計略については、“レヴァンフォーゼル”が万全の状態であったなら、リズーリも一応の納得をしたところではある。総司たちに出会うことでその考えはがらりと変わったが。
しかし、“壊れている”となるとそもそもの事情が変わる。リック族への修復依頼という王女の提案がなかろうと、エメリフィムの秘宝が壊れた状態なら、総司はひとまずエメリフィム国内でどうにか出来ないか模索することになっただろう。他の国で修復する手段があるか探すのはその後になる可能性が高い――――と言うのは、十分読める展開だったはず。
それでも、解決手段が提示されなければ、二人がひとまずは「手に入ったのだからそれでよし」として国を出ることに賭けたのだろうか。可能性としてはありえなくはないが、どこか違和感もある。
「ふふっ」
ああでもないこうでもない、と顔を突き合わせて取り留めのない議論を続ける三人の傍で立ったまま、トバリが笑みをこぼした。
「なんじゃいトバリ、小ばかにしたような笑いじゃな?」
リズーリがすぐにかみついた。仲が良いのか悪いのか、この二人の関係性も不思議なものである。
「いえ、いえ、楽しい議論だと思いまして」
トバリはそっと、総司のすぐ傍に屈んだ。
「アルマの思惑の全てまではわかりませんが、少なくともあなたのご主人様の手紙が予想外だったらしいということは、忘れるべきではありませんね」
「……あっ、そうか」
賢者アルマにとっても計算外はあった。レブレーベント王女アレインの手紙がティナの元へと届けられ、王女ティナが総司とリシアのことを把握してしまうというのは、総司たちがエメリフィムに留まることを良しとしない考えのアルマにしてみれば歓迎されない事態だ。
まだ数時間程度しか顔を合わせていない間柄とは言え、ティナの性格は何となくわかり始めていた。
「砕けた“レヴァンフォーゼル”をあなたに渡した後、どういう話の運び方をしてあなた達を出て行かせるつもりだったかはわかりませんが……いずれにせよ、アレイン王女の手紙によってそれすら破綻した。そう考えるのは不自然でしょうか?」
「……そういう見方もできる」
リシアが考えつつ頷いた。完全に納得したわけではなさそうだったが、トバリの意見にも一理ある、という感じの頷き方だった。
「と、言ってみたものの。余計なことのようにも思いますけどね」
「余計なこと?」
リズーリが眉を吊り上げて聞き返した。トバリは相変わらず微笑んだまま、
「“アルマにどんな思惑があれど、レヴァンフォーゼルさえ手に入ればそれでよい”のではないのでしょうか。ソウシ、今あなたが心配しようとしていることは、エメリフィムの――――ティナ王女のことではないですか? それは、余計なことではないのですか?」
総司がハッとして、トバリを見つめた。
「ふふっ」
全てを見透かしたように笑い、トバリは総司の頬に手を当てる。
「やはり面白いヒトですね、ソウシは。いい男ですこと。そのお節介さで以て、アレイン王女を口説き落としたのでしょうけど……お気を付けなさい――――女を口説いて回るほど、厄介事もついて回りますよ」
壊れた“オリジン”の周囲に渦巻いていそうな陰謀に思考を巡らせ、エメリフィムに、ひいてはティナに何かよくないことが起こるのではないか。総司の思考は確かに、目の前にある「壊れた“オリジン”をどうやって直すのか、そもそも直せるのか」という課題に向けられていたわけではなかった。
見透かされて、総司はばつが悪そうに頬を掻く。
「とりあえず、賢者アルマに関しては警戒すべきだろう」
リシアが助け舟を出すように言った。
「カトレアと会っていろいろと尋問したいところだが、賢者アルマが事情を多少なりとも知っている以上、私たちが頼んで会わせてくれる望みは薄い。カトレアの側がこちらに接触しようとしない限りは――――」
「あぁ、そう。カトレアとやら……あの娘を中心として今回の件を考えるとすれば……」
トバリが何気なく言った。
「あの娘の行動がもしかして、アルマの指示と違ったのかもしれませんね?」
「……どういう意味じゃ?」
「あとはご自分で考えなさいな。別に私の考えが正しいとも限りませんし。それにこの話はいったんここでおしまいですよ」
リズーリが怪訝そうにトバリを睨んだ。トバリはくいと顎で部屋の外を示した。
「屋敷にお客様です。ジグライドの魔力ですね」