受け継がれるエメリフィム 第二話・閑話 器の片鱗と交換条件
ようやく落ち着いて、椅子に座って話をする――――という段になって、総司はリシアに促され、『紅蓮の間』を出ることになった。
リシアがジグライドと目線を交わし、何事か理解したのを総司も察していた。
エメリフィム王家とタユナ族の、政治的な会話が始まる。リズーリは総司のことを至極気に入っているとはいえ、総司とリシアはまだエメリフィムに来てから数日しか経っていない身である。
ましてや、敵対しているわけではないとはいえ他国の騎士。レブレーベント王女が直々に目を掛ける二人だ。エメリフィムの内情をそれなりに知るところとなった総司たちではあるが、ここから先の極めてデリケートな話を聞かせたくはない、と言うのが、ジグライドの本音だろう。リシアはその意を察した形となる。
「で、何でお前まで付いてくるんだよ」
「退屈そうな話でしたので。私が興味あるのはあなたであって、堅いおはなしではないのです。リズーリへの義理も果たしましたよ。こうして共に来たのですからね」
気を遣って席を外した二人に、何故かトバリも付いてきた。『紅蓮の間』を出て城の回廊を少し歩いたところで、外から吹き抜ける形となった渡り廊下に出て、三人はしばしそこで暇をつぶすことになった。
見れば見るほど、雄大なるエメリフィム城の周囲には圧倒されるばかりだ。この圧巻の城において頂点に立つのが、あの華奢なティナ・エメリフィムであるというのは、来たばかりの総司の感覚としても極めて不釣り合いに映る。
しかし、まだまだ完成には程遠いだろうが――――ティナからは、王たる器の片鱗を確かに感じたのも、また事実。
アレインとは異質、フロルとも違う。“誰に一番近いか”と思い出してみて、総司自身図らずも「そうだ」と思い当たり、一人で勝手にびっくりした。エイレーン女王陛下に近いのだ。これは総司としては最大級の高評価でもある。
皮肉屋で堅物らしいジグライドのすごみを軽くいなすあの感じ、茶目っ気のありそうなところも似ている。
「リシア……王女様はエイレーン女王陛下とちょっと雰囲気が似てた、と言ったら、お前はさすがに不敬だと怒るか?」
「……驚いた。同じ感覚を覚えていたところだ」
リシアが目を丸くして総司を見た。
「だよな。俺もびっくりだ。聞いてた話と随分違う」
「そうだな……無礼なことだが、もっとか弱い御方だろうと勝手に思っていた。出会ってみれば大間違いもいいところだ。芯の強さがはた目にもよくわかる」
「……でも、何となく」
総司はぼんやりと、城から見える周囲の河と、それから王都フィルスタルの街並みを眺めながら、ふと呟くように言った。
「すげー……無理してるようにも、見えたけどな」
「レブレーベントの王女のみならず、エメリフィムの王女も口説くつもりですか?」
トバリがからかうように言いながら、すすっと総司の肩に手を当てて寄り添い、その頬に顔を近づけた。総司がぎょっと目を見張って体をこわばらせた。
「何だよ急に、近いなオイ――――」
「軽々に思ったことを口走らぬよう。誰が聞いているかわかりませんよ」
トバリの囁きで、総司が言葉を切った。
久しぶりに、油断した。レブレーベントで何度も反省して以来、重要な場面では特に、総司はきちんと気を張って、魔力を主とした周囲の気配に敏感な自身の特性を発揮できるよう、気を付けていたつもりだった。アルティエ港でゼディの「念話」の気配を察知できたのも、それまでの教訓があったからこそできたことだ。しかし今、別のことに完全に意識を取られていて、トバリに言われるまで見事に気づかなかった。
「……忠告、感謝する」
外界の風が吹き抜ける渡り廊下には、全く人気がない。
しかし総司も感じ取った。魔法の気配。総司にはその詳細まではわからないが、トバリの言葉を併せて考えてみれば、「自分たちに向けられているらしい」この魔法の効力はいくらか推察できる。何者かが、総司たちの会話を盗み聞きするために魔法を使っている。
トバリの静かな警告によって、三人は不自然なほど黙ってしまった。
会話の奇妙な変遷は、盗み聞きしていた者にも違和感を与えたのだろう。“盗み聞きしていることに気づかれた”、ということに気づいたようだ。
数分の後、彼女は堂々と、三人の前に姿を現すこととなった。
「ごめんなさい。警戒させるつもりはなかったんだ。一応“ここ”の護りは私の担当だから、念のためにね。気を悪くしないで」
とんがり帽子を目深にかぶった、まさに「魔法使い然」とした魔法使い――――エメリフィムの護りの要、賢者アルマが、気さくな調子で総司たちに声を掛けた。
「おや、アルマ――――あなたでしたか」
「ごきげんよう、トバリ様。直接顔を合わせるのはいつ以来かな」
「確かに。あなたの遣いの者には何度か会いましたが」
「あの子たちは別に敵じゃないんだから、話ぐらい聞いてくださっても良いのに」
「興味がなかったもので」
アルマの名を聞き、総司とリシアが顔をこわばらせた。
カトレアとディオウ――――総司にとっては因縁深い相手を雇っている魔法使いだ。
「アルマ……エメリフィムの賢者アルマ殿、ですね」
リシアが姿勢を正し、ひとまず挨拶した。
「リシア・アリンティアスです。レブレーベント魔法騎士団の団長の一人であり、こちらのソウシ・イチノセと共にレブレーベントより参りました」
「うん、知ってる。“手紙”は私も読んだしね。遠路はるばるご苦労様」
「早速で申し訳ありませんが、お聞きしたいことがあります」
リシアの声は厳しかった。アルマは帽子のつばをくいっと下げて頷いた。
「うちの子たちのことだね。カトレアとディオウ」
カトレアはともかくディオウはアルマよりも年上だろうに、アルマは一貫して「あの子たち」「うちの子たち」と呼ぶ。どこか違和感はあるが、それがアルマの癖みたいなものなのだろう。
「ええ。ご存じかどうかはさておき、あの二人はレブレーベントにおいて狼藉を働きました。女王陛下に襲い掛かったという前科があります」
「らしいね」
「あの二人は傭兵と言うよりは賊です。信用に値するとは思えない――――ましてやあなたのように、王家に近い方の傍にいる者たちではありません」
「これはこれは、いきなりご挨拶だね、アリンティアス団長」
賢者アルマは微笑んで、リシアに言葉を返した。
「少なくともあの子たちは、エメリフィムのためという一点で見ればだけど、随分と献身的に働いてくれている。こちらが渡す金額以上の働きだよ。失うのはとても困るね」
「……レブレーベントの法による裁きを下すというのは、最早難しいのでしょう。ですがあの二人でなくとも、あなたには――――」
「エメリフィムの内情は知っているはず。国内に帰る場所を持たない外部の力だからこそ使える場面も多いんだよ。カトレアは任務に忠実。ディオウはカトレアに忠実。私にはそれが何より得難い武器なんだ」
アルマはぺこりと軽く頭を下げた。
「謝って済む前科でもないんだろうけどね、君に言った通り、今更あの子たちをレブレーベントに引き渡せと言われても、そんなことに手間を掛けている余裕は私達にはないし……あの子たちの非礼は私が詫びる。納得いかないだろうけど、ひとまず手打ちにしてくれないかな」
「……さて」
リシアが総司に視線をやる。「どうする?」と目で問いかけていた。
「別にあんたやエメリフィム王家を責めたいわけじゃない」
総司が腕を組んで、注意深くアルマを観察しながら、言葉を選びながら言った。ただその口調は、アルマに対し礼を尽くしたものではなかった。
「ただ交換条件だ、賢者アルマ――――あいつ等は俺に敵対的だし、俺も仲良くしようなんて思っちゃいない。あんたの部下だろうが関係ねえ、こっちの邪魔をするなら斬る。それに文句は言わせない」
「了解。あの子たちがどうかはともかく、私には少なくとも、君たちに敵対の意志はない。それに、エメリフィム国内のみでなら、あの子たちの行動には私が責任を持とう。君たちに無礼があったなら言ってくれれば、相応に処罰するよ」
「話が纏まったようですね」
トバリがパンパン、と軽く手を叩いて微笑んだ。彼女がすっと手を伸ばした先を見ると、王女の側近であるシドナが廊下に出て、四人がいる方向に早足で向かってきていた。
「王女様がお呼びのようです。あちらもこちらもつまらない話が終わったようですし、戻りましょうか」
「悪かったな……」
「構いません。直感ですが、ここから先は私も楽しめそうな気がしていますからね」