受け継がれるエメリフィム 第一話③ 王都へ
「……先ほどは失礼致しました」
総司が頭を下げると、リズーリは囲炉裏に歩み寄りながら手を振った。
「今言った通りじゃ、気にするな。それに今更畏まらんでもよい。お主に似合わん。寒気がする」
「それマジでちょこちょこ言われんだけどさ、何で? 俺が畏まるのはそんなにおかしいか?」
「……私からすると別に、礼儀正しいお前も特段の違和感はないんだが……」
ルディラント王ランセムも、カイオディウムのオーランド・アリンティアスも、総司の畏まった態度は気に入らないものだとバッサリ切り捨てた。
フロル・ウェルゼミットも、総司が断りもなしに砕けた口調になっても特に異論を挟まなかったし、むしろそちらの方が好ましいと思っていたのかもしれない。
「なに、それも美徳じゃ、誇ってよいぞ」
「そうかなぁ……」
囲炉裏を囲み、三人、再び顔を突き合わせる。だが、総司はリズーリの変化に気付いていた。
さっき会った時よりもずっと、表情がどこか輝いている。つきものが落ちた、とでも言おうか、明らかな変化がある。
総司が何も言わないので、リシアがコホン、と咳払いをして、とにかく何か話をしようとしたところで、リズーリが切り出した。
「さてお主ら。明日――――というよりはもう今日じゃな。まずはゆっくり休んで、それから王家に向かうと良い。わらわも行こう」
「えっ……よろしいのですか?」
リシアが目を見張った。
「わらわがいた方が話は早かろう。あちらにカトレアがおるからにはなおのことな。しかし誤解なきよう」
リズーリは意味深に微笑んで告げる。
「わらわはお主らが何を為すのかを見たいが……カトレアが何を為そうとしているのかにも興味がある。見定めるために共に行くのじゃ。わが国のことである、手放しで味方は出来ぬ。わかるな」
「それでいい」
総司が頷いた。
「俺達には今のところ、あなたに自信を持って返せるものがない。あなた自身の興味が行動につながっているほうが気楽でいい」
「決まりじゃな。王都までは、ケルテノを休ませながら走るとなれば二日ほど掛かる。わらわは道中寄りたいところもあるのでな、王都で合流する。必ず向かうと約束しよう」
話は終わり、とばかり、リズーリが席を立とうとしたところで、総司が引き留めた。
「リズーリ、聞きたいことがあるんだが」
「ん?」
立ち上がりかけたリズーリがもう一度腰を落ち着けた。
「なんじゃ?」
「全然違う話なんだが……”怨嗟の熱を喰らう獣”、って言うのに、何か思い当たることはないか?」
”忘却の決戦場”で得た知識の一つ。
千年残る蒼き炎の主、かつてエルレインの陣営と共にロアダークと敵対したモノ
しかし――――あくまでもヴィスークの主観ではあるが、「そういう陣営」に立って戦うような存在には見えなかったモノ。
リズーリに何か心当たりはないかと投げかけてみたのだが、総司がわずかに期待した反応は残念ながらなかった。リズーリは眉をひそめ、何も思い当たるところがない様子だった。
「うぅむ……? 聞いたことがないのぅ……怨嗟の熱を喰らう、”獣”。言葉だけ聞けば恐らくは魔獣の一種か?」
「詳細まではわからないんだけど、とんでもなく長い時間消えない、特徴的な蒼い炎を使う存在だと思う。”消えぬ怨嗟の蒼炎”……俺たちにその存在のことを教えてくれた魔獣も背負っていた」
「炎といえばまさにエメリフィム王家じゃが、代々”紅蓮”じゃ。アルフレッドが操る炎に”怨嗟”などと、陰気な印象も感じたことはない……」
リズーリは首を振った。
「すまんな、わらわにはわからぬ」
「そうか……いや、いいんだ、謝らないで。何か知っていればもうけもの、というだけの話だ」
「確証はないが、そういうことなら賢者アルマに聞いてみるといい。少なくともわらわよりは知識が深い。特に魔獣や魔法にかかわることならば。もっとも……お主らはカトレアと敵対しておる以上、アルマもお主らにどのような態度をとるのか、今はわからんがな」
翌日、総司とリシアは朝の内からケルテノの背に乗り、エメリフィム王都・フィルスタルを目指していた。
「朝はゆっくり」とリズーリに言われたものの、総司とリシアの目覚めは早かった。手持無沙汰でいても仕方がないので、予定を早めて王都を目指すことにしたのだ。
タユナの里の食文化は、魚を中心とした、社の見た目通りに「和風」テイストに近かったが、味付けはどこか不思議な味わいだった。総司がリスティリアでも口にしたことのない、味噌に近いが香辛料の後味も残る形容しがたい調味料が、料理のそこかしこでふんだんに使われていた。味は良いが、どの料理を食べてもその調味料の味がするのである。
日本人がなんにでもしょうゆを使いたがって結局味が似通ってしまうのと同じように、タユナ族にも譲れない何かがあるのかもしれない。そうした文化をゆっくり楽しみたい気持ちもあったことは間違いないが、そこはリシアが船の上で言った通り、「帰ってきたらゆっくりと」だ。
リズーリは、総司とリシアが出発しようとしたときには既にタユナの里を発っていた。ゼディの案内で王都に向かうこととなったが、リズーリがどこへ何をしに消えたのかはわからずじまいである。
「ちゃんと来てくれるんだろうな、あのヒト」
昨晩はリズーリも王都に来るという方向で話が纏まったものの、リズーリにはどこか、猫のような気まぐれさがあるように感じられて、総司がぽつりと不安を口にした。
首尾よく王都まで迎える運びとなっただけでも、エメリフィムでの滑り出しは順調と言ったところではある。
だが、リズーリ自身が言ったように、彼女がいてくれれば王家との話もしやすいし、何より総司の願望として「後悔させたくない」という想いがあるからには、リズーリがひとまず王都に行くということは絶対に必要だ。
「さて、そればかりはわからんな」
リシアはそんな総司の心境と一抹の不安を見透かして、苦笑しながら言った。
リシアは総司の想いを汲んでいるものの、総司ほどにはリズーリに情を移していない。普通は共有しがたい過去の苦い経験を偶然にも共有することとなった、という事情も踏まえて、総司がリズーリに必要以上にお節介を焼こうとしていることに強く苦言を呈することはしないが、リシアにとっては、「リズーリが来てくれれば、来てくれなかった時よりは楽」というだけであって、結局姿を見せなかった場合も想定している。
総司もリシアもレブレーベントの騎士という肩書を持っているが、エメリフィムはリシアにとっても初めて訪れる国であり、未知の国だ。しかも一応は国の権力者である王家の傍には、敵対的な存在が控えている。リズーリという要人がいてくれるかどうかというのは、事を運ぶ上で大きな要因となるのは間違いない。それでも、そもそもリズーリと接触できたのは全く偶然であって、もともとは二人で王家まで行って何とか交渉するしか方法がなかったのだ。
王女アレインの手紙にもあった通り「使えるものは使う」が、いざ「使えない」となったところで足を止めるわけにもいかない。
「一応、釘を刺しておくが」
とりあえず、と言った様子で、リシアが言った。
「我々の主目的は、リズーリ様と王家を四年ぶりに引き合わせること……ではないぞ」
「わかってるっつの」
どうだかな、と言った様子で笑うリシアを見て、総司はぷいっと顔を背けた。
「わかっているならいい」
「ご安心ください」
ケルテノの手綱を握るゼディが、二人の会話に口を挟んだ。
「リズーリ様はお二方から一日だけ遅れて王都に入られるはずです。あちらが首尾よく終わればですが」
「ゼディは、リズーリがどこに行ったか知ってるのか?」
「はい」
ゼディはこくりと頷いて、
「タユナ族の多くはリズーリ様の指導の元動いておりますが、一部――――というかおひとりだけ、リズーリ様の思い通りにはなかなか動いてくださらない方がいらっしゃいまして。その方にひとまずの方針を話しに向かわれたのです」
「へえ……どういうヒトだ?」
総司が身を乗り出して、ゼディの隣に体をやった。
「私もお会いしたことはないのですが、リズーリ様曰く」
ゼディは表情を変えないまま言った。
「タユナが有する戦力的な切り札“であってほしいヒト”、だそうです」
「何だそりゃ。妙な言い回しだな」
「ええ。私も全く詳細は存じ上げませんが……その方と会われた後のリズーリ様は、帰ってきたその日一日中愚痴と悪態ばかりですので、相当そりの合わない方だろうと思います」
なにやら不穏な気配である。リズーリの人格の全てを知るわけではないが、割と寛容に見える彼女の機嫌を思いきり損ねるような相手らしい。
「タユナ族は、同族同士で念話を繋ぐ魔法を持っておりますので。リズーリ様から何か連絡がありましたら、お二方にもすぐ報告します。ご心配なく」
「済まない、気を悪くしないでくれ。あんたの主を疑ってるわけじゃねえんだ。ただ、その……」
「ええ、わかっております」
初めて、ゼディが少しだけ微笑んだ。
「リズーリ様はあなたのことをとても気に入っておられました。私の勝手な感想ですが、あなたには嫌われたくないとお思いのはずです。約束を反故にはしないと思います」
「……そりゃ、光栄なことだ。うまくいくと良いけどな、あっちも」
「さて……私も機嫌の悪いリズーリ様と会話するのは避けたいのですが……そればかりは、祈るしかありませんね」