眩きレブレーベント・第三話⑤ 最初の鍵へ
「少し見ない間に、背が伸びたね?」
ベッドで上半身を起こし、本を読んでいた少女は、少し意外そうに、そして嬉しそうにそう言って、本をぱたりと閉じた。
穏やかな春の風が、窓から優しく部屋の中に吹き込んでいる。わずかにゆれるレースのカーテンが、日の光を優しく遮る。
少し輪郭のおぼろげな病院の一室で、総司は丸椅子に腰かけ、少女の瞳をじっと見つめ返していた。
総司は何事か喋っているはずだった。口が動くのを自分でも自覚していたし、少女は何度か相槌を打ったり、きょとんとしたりと、総司が紡ぐ言葉にしっかり反応していた。しかし何故か、総司は、自分が何を言っているのか自分で聞き取ることが出来なかった。
何を話しているかはわからないが、総司は一通り話し終えたらしい。少女はしばらく神妙な面持ちで思考を巡らせていたようだが、やがて口を開いた。
「私の見立てでは、総司の友人たちと同じだけど、その王女様は確かに『悪人』ではないね」
アレインのことだ。少女は続けて、
「でも、そう……難しいね、難しいけれど言うなれば……その王女様は強すぎるんだろうね。何でも自分一人で成し遂げるだけの実力と、並び立つ者を欲しない、孤高でいられるだけの精神的な強さを持っている。だから、誰からも理解されない。そりゃそうさ、理解してもらおうと思っていない人間の、何を理解できる」
稲妻の魔女、最強の魔女。
総司は自分で目の当たりにしたわけではないが、恐らくは常人よりもずっと優れた力の持ち主であるリシアとカルザスが畏怖するように、アレインの力は並大抵のものではないのだろう。
それゆえの孤独。その孤独をいとわぬ強さ。アレインは一個人として完成された存在であり、完成され過ぎているために、孤独を強めるしか出来なかった。
「そう言う人間は良くも悪くも一途なんだと思う。これと決めたら簡単には考えを曲げられない……総司のお父さんと一緒さ。一言でいえば、頑固ってやつ」
思い出しておかしくなったのか、少女はくすくすと笑った。
その姿を、本当に愛おしいと思った。
「悪かどうかは別として、その王女様は今のままじゃ危険だと思うよ。総司の直感、的外れとは思わない」
笑顔をきゅっと引き締めて、少女は真剣な面持ちで言った。
「短絡的な解決方法を選ばないようにね。きっと総司がこれから向き合うものは、ただ単に悪であるばかりのものではないから。大丈夫、総司になら出来るよ」
最後に信頼を込めてそう言って、少女はまた微笑んだ。
「……簡単に言ってくれるぜ」
まどろみの中で、総司は苦笑しながら呟いた。
久しぶりに夢を見た気がする。リスティリアに来てから、怒涛の展開についていけなくて、夢を見るほどの浅い眠りがなかった。思い出されるのは少女の顔。夢の内容を覚えていない、なんてことは誰しもあるが、総司は鮮明に思い出すことが出来た。
ビスティークの講義の内容よりなにより、総司の心にアレイン王女の一件が刺さっているということの証明だ。
敵対的でもなく、悪意的でもない。それでも彼女の瞳に見えた紫電の輝きを忘れることが出来ない。
頭を振って、朝の身支度を済ませ、リバース・オーダーを背に部屋を出る。今日も穏やかな青天だ。遥か先に見える霊峰イステリオスの山頂にわずかに雲がかかるだけの、透き通るような青空が広がっている。しかし、日はまだ昇りきっていなかった。どうやら相当早く目が覚めたらしい。まだ朝焼けを迎えたばかりの時間だった。
「早いな。その心構えは感心だ」
不意に声を掛けられた。既にかっちりと、普段の「偉い人」と言った居住まいの格好を整えたビスティーク宰相が、少しだけ表情を緩めて、後ろから総司に追いついた。
「おはようございます。昨晩はありがとうございました」
「うむ。……まだ時間も早い。朝食の前に、紅茶でも飲んでいくかね?」
ビスティークの執務室に入った。宰相は手慣れた手つきで紅茶を淹れ、総司にも振舞う。
「昨日の話だが、どう思った?」
「『七つの鍵』の話ですか?」
総司が聞き返した。
ビスティークが語った『ハルヴァンベントに至る方法』の、最有力候補。
大国を大国たらしめた、「女神の恵み」。リスティリアの下界に落ちた神の力。それらが実体となって現れているものがある――――
ビスティークは、その「力の結晶」を“オーブ”と呼んだ。これはレブレーベントで長年、歴史や女神の正体を研究する学者が名付けた名称だそうだ。
レブレーベントに伝わる神域へ至る方法とは、つまりその“オーブ”を六つ収集し、ハルヴァンベントへの扉に捧げることだ。
「何と言うか、まさに神域に至る方法ずばり、という気もしたんですけど」
総司は考えながら、
「でも、その“オーブ”というものがどういう形をしていて、今どこにあるのか、全くわからないというのが……どうも、釈然としない、というか」
「“オーブ”そのものが今の時代にもまだ力を持ち、大国への“恵み”の礎となっているのならば、そもそも管理下になければおかしい話だ。そうでないのだから、あくまでもオーブが実在するという仮定の下での話だが……既に役目を終え、力を持たぬ何らかの神器として、どこかにひっそりと埋もれている。そう考えられる」
紅茶を啜りながら、総司は昨日と同じように思考を巡らせた。
今のところ、足掛かりに出来るのは、ビスティークの講義の内容だけだ。しかしビスティークは、神域ハルヴァンベントの話はリスティリアの限られた者たちに確かに伝わる、確実性の高い情報であるにせよ、その神域に至る方法は可能性の一つに過ぎず、この考えに囚われるのは避けるべきだと、総司とリシアに再三警告した。つまり、“オーブ”という存在そのものがまだ確定的ではない。
「もしも“オーブ”が実在していたとして、既に力は失われていると、そう仮定していたわけだ。お前がハルヴァンベントに辿り着くまでの道のりはまだまだ見えてこないとな」
ビスティークの言葉はあくまでも過去形だった。
「しかし……それと近しいもの……いや、お前がこの国に来てからだが」
ビスティークが言った。
「正確にはお前が霊峰イステリオスを越えたと思われる時間から、異常な反応を示し始めたものがあると、つい先ほど報告が届いた。私がこれほど早くに起き出して仕事を始めようとしているのは、年寄りだからというだけではないのだ」
「……ということは……“オーブ”と思われるものは、まだ力を持っている?」
「可能性の話だが、偶然とは思えん」
ビスティークは安楽椅子に腰かけ、魔法を使って本棚から地図を呼び寄せた。
「もうすぐアリンティアスもここへ来る。そこで説明するとしよう。お前達に与えられる最初の任務をな」
その言葉通り、数分後にはリシアが部屋を訪ね、総司が既に来ている状況に驚いた。
ビスティークは二人をデスクの前に呼び、レブレーベントの地図と、いくつかの資料を広げた。古びた資料だったが、総司にもその文字は読むことが出来た。
「シルヴェリア神殿……?」
「古い神殿だ。アリンティアスは知っておるな?」
「はい。正確なところはわかりませんが、ある時期まで、レブレーベント王家がお住まいだった場所と伺っています」
「そう、かつて女神が降り立った場所の一つとして語り継がれている。ここに、“オーブ”という呼び名ではないが、ある神器が祀られているのだ。女神がレブレーベント初代王に与えたもうた神の恵み、“レヴァンクロス”がある」
その単語を聞いたとき、総司どころかリシアもピンと来ていなかった。その単語は少なくとも、レブレーベントの国民にとっても一般的なものではないらしい。
「そして、この神殿は既に“活性化した魔獣”の手に落ちている」
ピン、と空気が張りつめた。総司の目がぎらりと輝き、にわかに殺気だった。
彼の心からシエルダのことが消えていないことの証左だ。
「理解したな」
「まずは神殿を取り戻す。そして“レヴァンクロス”、オーブかもしれないものを手に入れる」
「その通りだ」
ビスティークは満足そうにうなずいた。
「魔獣どもはレヴァンクロスの影響か、神殿を離れて人里を襲ったという報告はない……が、お前も身に染みてわかっている通り、何が起こるかわかったものではない」
活性化した魔獣は、田舎町を一つ、単独で潰せるだけの力がある。しかもその行動原理は極めて危険で、どうやらレブレーベントの騎士たちの経験則でも予想出来ない。
ならばやることは一つだ。レヴァンクロスを取り戻すだけでなく、その妖しい魅力に惹かれた魔獣たちも駆逐する。総司に与えられた初めての任務である。
「決して気を緩めぬよう……お前の旅路は始まってすらおらんのだ。こんなところでつまずかんようにな」