贖いし/罪裁くカイオディウム 終話④ うそつき
フロル・ウェルゼミット枢機卿と王家は、秘密裏に和解。
オーランド・アリンティアスとライゼス・ウェルゼミットは、これまで通り大司教として、聖職者と聖騎士団の双方を纏め上げる役目を担う。
ベル・スティンゴルドもまたこれまで通り、近衛騎士としてフロル直属の騎士として活動。ただし当面の間、王家の屋敷及び礼拝の間への出入りは禁止。ティタニエラから招待状が送られてくるまで、大聖堂の転移魔法を使うことは許されない。
終わってみれば全てが「以前のまま」。状況としては何も変わっていないし、本当に何事もなかったかのように、カイオディウムは日常に戻る。
しかし、総司とリシアは知っている。以前と変わりなく見えるカイオディウム、その中枢で確かに変わったものがあり、カイオディウムという国はこれからフロル枢機卿の指導のもとで、これまでと違ったもっと良い国になっていくのだろうと。
「では、ここでお別れですね」
大聖堂デミエル・ダリアの正面、美しく整えられた大広場にて。
ミスティルはいつも通りのクールな表情で、二人に言った。
時刻は早朝、まだ日も昇り切っておらず、空は暗いまま。総司とリシアは旅立ちの時刻を出来るだけ早めることにして、ミスティルがそれに従った。
名残惜しい気持ちもあるが、「何事もなかった」という嘘を貫き通すとすれば、盛大に見送ってもらうわけにもいかない。日が昇り、皆が活動する時間となれば、今日の内にも多くの信徒が『下』から昇ってくることになる。エルフであるミスティルからすれば、ヒトで混雑する前にカイオディウムという地を去りたいのが本音だった。
しかし、大聖堂の権能でティタニエラまで飛ばなかったのはミスティルのわがままでもある。本人の希望で、彼女は一人でゆっくりと、ティタニエラに戻ることになった。
それはこれからすることを、誰にも見られたくなかったし、邪魔されたくなかったからだろう。
「ベルには会っていかなくていいのか?」
「昨日十分お話ししましたよ。名残惜しくなってしまいますしね」
「そうか。考えてみれば……なんだかんだ、お前が一番損な役回りだったな」
総司が苦笑して言う。ミスティルは首を振った。
「馬鹿なことを。満場一致であなただったでしょう。よくもまあ厄介事を次から次へと、自分から背負い込むものです。その内死にますよ。言っておきますが冗談ではありませんので」
辛辣極まりない物言いに、明らかに非難するような目。ミスティルとしても、総司に言いたいことはたくさんあるようだ。
「残る二つの国でも同じようなことやってたら、身が持ちませんよ。せっかくいくつか手掛かりを得られたのですから、この先はもう少し、自分の目的に集中すべきです」
「別れ際まで説教かよオイ」
「リシアさんも結局あなたには甘いんですから、私以外に言う者がいないでしょう」
リシアがばつが悪そうに目を逸らした。
カイオディウムにおける「戦い」の必要性については、ミスティルの言う通り。避けられたはずのものだった。総司がそれを許さず、リシアは意気込んで総司の決断に乗っかった。ミスティルの言う通り、総司の甘さとお人よし具合を糾弾できるような立場にはいないのがリシアだ。
それを言えば、ベルのためと言いながら結局最後まで付き合ったミスティルも大概といったところだが、本人は自分のことを見事に棚に上げた。
棚に上げてでも、もっと自分のことを考えてほしいと、総司に訴えたかった。何故なら――――
「私は……ベルさんだけでなく、あなた方にも。またティタニエラに来てほしいと……心から、思っています」
「……ミスティル」
「だから死んでほしくないです。また会いたいです。これが今生の別れだなんて思わない。絶対に認めない」
あんなふうに何もかも背負って、まるでそれが当然とでも言うかのように、誰かのために命を賭けて戦っていたら、本当にもう会えなくなるかもしれないと危惧しているから。
ミスティルは素早く二人に歩み寄ると、二人を強引にぐいっと抱き寄せた。
「待ってますからね、お二人とも。ずっと待ってますから」
一緒に付いていきたい、とすら思う。
その言葉を胸に秘め、ミスティルが告げられる精一杯。
運命は既にこの二人を選んでいる。ティタニエラからカイオディウムまでの冒険譚を経て、ミスティルにもそれは痛いほどわかっていた。
「世話になったな、ミスティル。ありがとう。また会おうぜ」
「クローディア様にもよろしく伝えてくれ。我らは必ず、ティタニエラに勝利の報告を持っていく」
二人に頭を撫でられるがまま、ミスティルはしばらく抱き着いていた。
やがて二人から離れ、それ以上は何も言わず、二人に背を向ける。あっさりとした別れ際かもしれないが、これでいい。いずれまた必ず会えるのだから、これ以上は必要ないのだ。
たっと駆け出し、飛び降りていった彼女に、二人は手を振った。振り向かない彼女には見えていないだろうが、きっとわかってくれていることだろう。変わったのは、大聖堂の中だけではない。ミスティルもまた、間違いなく変わったのだ。
「……是が非でも負けられねえな」
「もとよりそのつもりだろう。世界のため、主のため……友のためにもな」
女神のため、とは言わなかった。リシアのわずかな変化に、総司は相変わらず気づかなかった。
「最後に礼の一つも言わせてほしかったところですが」
背後から声を掛けられて、二人はばっと振り向いた。
朝日が少しだけ顔を覗かせ、フロル・ウェルゼミットを柔らかく照らし出す。
「フロル!」
「行ってしまいましたね。ミスティルも、いつでも遊びに来てくれていいのですけど」
気づかれないように外に出てきたつもりだったが、大聖堂デミエル・ダリアの中でフロルの隙をつくというのは並大抵の難易度ではない。どうやら、総司とリシアの動きは筒抜けだったようだ。
「まさかあなた方まで私に黙って行ってしまおうとするとは。薄情なことです」
「……湿っぽいのは好きじゃないんでな」
「別に引き留めはしませんよ」
フロルは一瞬だけふっと笑ったが、すぐに表情を引き締めた。
「女神様の領域へ行った者は戻って来られないらしいですね」
“星拾う展望台”での総司とリシアの会話は、十字架のイヤリングを通してフロルにも筒抜けだった。フロルも意図的に盗み聞きしていたわけではなかったのだが、救世主とその相棒の会議は興味をそそられて当然のもので、言葉は次々に彼女に入ってきた。
それがなくとも、フロルはすぐに知ることになっていただろう。彼女の部下としてこれからも仕えることになったオーランドがそのことを知っているのだから。
「あなたが異世界から来たという話、私は信じています。女神様があなたを召喚したというのは事実に違いないと信じていますそのうえで、あなたの旅の終着点が、あなたにとって命を諦めねば辿り着けないのだとすれば……女神様は、あなたを最初から切り捨てるつもりで……ただリスティリアのために消費するつもりで、あなたに力を与えたことになる」
「今のところ、そうとしか思えねえってのが、個人的な感想だな」
総司が気楽に言う。
既に舞台装置としての役割を自覚している総司は、フロルの言葉を受けても動揺はなかった。
「ですが、私が信じる女神様は決してそのような非情な行いはしない……そういう角度から見ますと、違ったものが見えてきます。つまり、必ず何か、まだあなた方の知らない情報があると思うのです。要するにこれは、リスティリアに今生きる生命が直面したことのない問題であって、たかだか三か国――――失礼、四か国に残っていた程度の、既存の知識で全てを理解しようとするのは非常に難解というか、不可能であろうと思います」
回りくどく、最終的に何を言いたいのかいまいちわからない、フロルらしくない歯切れの悪さ、要領を得ない発言だった。総司は首を傾げ、きょとんとして言った。
「……それは何だ。励ましのつもりか?」
「ッ……ええそうです! 不得手なものですみませんね、慣れてないんです!」
図星をつかれて、フロルは諦めてがーっとうなった。
「全く……似合わぬ真似をするものではありませんね……最後の最後で、実に格好のつかない……」
「最後じゃねえよ」
総司は力強く言った。
「また会うことになるさ、必ずな」
「……ええ、そうですね」
総司の言葉に、どこか寂しげな色が含まれているのを、フロルは聞き逃さなかった。普通に立っているだけのリシアの顔に、カイオディウムで初めて顔を合わせた時とは次元の違う覚悟が刻まれているのも、感じ取っていた。
総司とリシアは決して「諦めてはいない」だろう。諦めるには早すぎるから、当然のことではある。
しかし一方で、既に覚悟も決めているのだ。
帰って来られない可能性は十分にあり、たとえそうであったとしても、この二人は最後の試練に挑むのだろう。
その身を犠牲に、世界と女神を救う選択をするだろう。
そういう二人だとわかっている。ここで「何が何でも帰って来い」と言ったって、響くはずもないのだろうと、わかっている。
「本当に、ありがとうございました。どうかお気をつけて。あなた方の勝利を心から祈っています」
いつか聞いた台詞に似ていた。大聖堂の中枢で、同じような言葉を聞いた。あの時は必死だったから、その言葉に応える余裕もなかった。深々と頭を下げるフロルに、総司は告げた。
「ありがとう。必ず成し遂げて見せる。楽しみにしててくれ」
「こちらこそお世話になりました、猊下。またいずれ」
互いに頭を下げ合った後、総司とリシアはいよいよ、カイオディウムを去るため『下』に続く光の道へと歩を進める。フロルもまた、これ以上は名残惜しくなってしまうと思い、踵を返して背を向けた。
しかし――――
帰って来いと言ったって、響くはずもないのだとわかっていても、どうしても。
もう覚悟を決めている二人に何を言ったって無駄なのだとわかっていても、フロルは言わずにはいられなかった。
拳を固め、立ち止まり、叫ぶように。背後の二人へ言った。
「“繋がるリスティリアを見てみたい”、そう高らかに謳ったからには!」
総司とリシアの足が止まる。フロルらしからぬ大声――――というわけでもない、というのは、この数日で知った。冷静沈着で、ともすれば冷酷にも見える彼女はその実、熱い女で、使命感に溢れた女で。むしろ彼女らしい激励のやり方だった。“星拾う展望台”で総司が語った「総司のやりたいこと」を、意図せずして知ったフロルだからこそ出来る激励だ。
朝日が昇り、より明るく、大広場を照らし出す。フロルの叫びは静かな朝に響き渡った。
「最後の戦いに勝利するだけでは足りない――――あなた方は、生きて! 帰ってこなければならない! 勝ったところで戻って来られないのでは、その後の世界を見ることなど叶わないのですから!」
振り向くことはしない。互いに背を向けたままで、総司はフロルの言葉に耳を傾けた。
「勝利を祈ると言いましたが、撤回します……あなた方が無事帰ってくることを、心から祈っています」
変わったのは、大聖堂の中だけでもなく、ミスティルだけでもなく、フロルも。
力強い激励の言葉に胸を打たれ、振り返りそうになるのを堪えて、総司が応えた。
「さっき言った通りだ。必ず帰ってくる。また会おうな、フロル!」
「身に余るお言葉です、枢機卿猊下。いずれまた」
二人が去っていく。フロルはその場に立ち尽くし、しばらく動けなかった。
託すしかない己の無力を呪う。立場の問題だけではない。総司とベルの戦いを間近で見てしまっては、フロルが付いていったところで何も出来はしない。共に行きたいとすら願っているのはミスティルだけではない、フロルも同じだが、ミスティルとは別の意味でそれは叶わない。
もっとお礼を言いたかったし、他にも様々、語り合いたいことはたくさんあった。だが、それはフロルのわがままだ。今しがた、きっと言うべきではなかった言葉を二人に叩きつけたばかり。覚悟を決めている二人に対し、子供のようなわがままを押し付け、約束させてしまった。これ以上は贅沢に過ぎるというものだ。
「……お孫さんに一言もなしで良かったのですか、オーランド」
「そこまで無粋ではありませんよ。説得力の欠片もないでしょうが」
いつの間にか、オーランドが大広場に出てきていた。フロルにハンカチを渡して、オーランドは笑う。
「あの二人は直情的だ。猊下の御言葉、心に染みたことでしょう」
「リシアはきっと……あなたの言葉を、嬉しく思ったと思いますが」
「いやいや」
オーランドは首を振った。
「未熟なアレに皮肉を言うのは、“次会った時”にとっておきましょう。門出の朝に口喧嘩と言うのは、あまりに締まらない」
「……全く……まあいいです。さあ、今日から皆が『上』に戻ってきます。忙しくなりますよ」
「あの二人がディフェーレスの領域から出る頃合いを見計らって触れを出すとしましょう」
「結構」
フロルとオーランドが大聖堂の中に戻っていく。そして二人が、フロルの執務室で今日の予定の話し合いを始めた頃。
総司とリシアは『下』に到着し、クレア・ウェルゼミットに頭を下げられながら、地上の要塞である「光のゆりかご」を出て――――足を止めることとなった。
「さあさあこちらへ、お客様。ここからはこのベル・スティンゴルドがご案内致しますので」
記憶の端に残ったあの日が思い起こされた。
ベルと初めて出会った日。カイオディウムの首都ディフェーレスの『下』から『上』へ昇ろうとしたとき、総司とリシアを円滑に『上』へ招き入れるために、ベルが二人を迎えに来てくれた。ベルもその時のことをよく覚えていたようで、あの時を全く同じセリフを吐きながら二人を出迎えた。
「ベル! なんだ、お前も気付いてたのか!」
「まーね。ディフェーレスの端っこまでぐらい、一緒に行っても良いでしょ?」
彼女らしい明るさを取り戻したベルの案内を受け、総司とリシアは歩を進める。
三人は昨日の夜に引き続き、三人で経験したことを思い出話として語りながら歩いた。一夜では語りつくせない冒険を共に歩んだ三人だ。予想だにしない出来事も数多く、予想だにしない裏切りもあったが、それでも、この三人は既に仲の良い友人となっていた。
だから、必然だった。
首都ディフェーレスの『下』の街、その端に辿り着き、遂に別れの時となった時。
ミスティルもフロルも、どうしても口にできなかった一言を、彼女が口にしたのは、必然という他ない。
「さて、ベル。名残惜しいがな、この辺で戻ってもらわねえと」
「そうだな……これでは、共に『ロスト・ネモ』まで行ってしまいかねない」
リシアが寂しげに笑い、ベルの手をそっと取る。
「枢機卿猊下を支えてあげてくれ。オーランドが改心したとはにわかに信じがたいし、そちらの見張りもしっかりな」
「お前が忙しくなるのはこれからだしな。お互い頑張って――――」
「ねえ」
リシアの手を優しく払い、ベルは真剣に――――泣きそうな顔で、言った。
「あたしも……ついていっちゃダメかなぁ……!」
フロルが感じ取ったように。
ベルも、二人の変化を感じ取っていた。その気配が醸し出す、「一段上」の覚悟が、ベルに言い知れぬ胸騒ぎを与えていた。
無茶をするなと言って、その通り無茶しない二人であるはずがない。
自分の命を何より大切にしてほしいと言ったところで、体が勝手に動くのがこの二人なのだ。
総司がポン、とベルの肩に手を置く。答えの分かり切った問いだと、ベル自身も自覚していた。
「フロルにはお前が必要だ。さっき言ったろ、カイオディウムはこれからが大変なんだよ。お前がいなくてどうするんだ」
「……正直」
リシアは少し情けない顔になった。
「ベルが共に来てくれるなら、どれほど心強いか、言葉では形容しがたい」
伝承魔法“ネガゼノス”の真髄、その一歩手前まで迫る魔法の使い手。エルテミナの力を掌握していなくても、ベルは近いうちに更なる高みへと至るだろう。
加えて身体能力、身体強化のための微細な魔力コントロールも戦士として一級品。カイオディウムでの騒動は褒められた内容ではなかったにせよ、行動力と度胸も常軌を逸しているレベルで備えている。
これほどの「仲間」、共に歩んでくれるとなれば頼もしいことこの上ない。
カイオディウムの情勢がこれから変わり始めるという予感がなければ。
旅路の果てに待つものがもしかしたら「命の終わり」で、ベルがもしもついてきてしまったらきっと、最後を前に自分だけ帰るなんて絶対にありえないという確信がなかったら。
リシアはベルに頼み込んでいたかもしれない。一緒に来てほしいと。
「だが……それぞれに役目がある。今すべきことがある。連れて行くわけにはいかない。わかってくれ」
総司とリシアが困っているのは、ベルもわかった。
最後の最後で困らせた。だが、ベルとしてはどうしても言わずにいられなかった。
「……だよね……わかってんだけどさ……」
たとえ自分が共に行ったところで、どうせ止められやしない。この二人が「やる」と決めたなら、きっと誰も止められない。
「ミスティルのところには、あなた達と一緒に行きたいからさ」
言いたいことを、ぐっと堪えて。
ベルは笑って見せた。泣きそうな笑みが、昇り切った朝日の輝きの中に弾けた。
「必ず勝って、帰って来なよ」
「当たり前だ。“最後の敵”の土産話を引っ提げて帰ってくるから、宴の準備をして待っててくれよ」
「イイね。フロルのお酒は美味しくないから、今度はあたしが選んでおくよ」
「猊下が聞いたらお怒りになるぞ、高級な品だったろうに。……ではな、ベル。共に過ごした日々は、とても楽しかった」
「やめてよそんな言い方、二度と会えないわけじゃない。でしょ?」
三人は共に頷き、ベルが二人に順番に抱き着いて。
遂に、別れの時は来る。
ディフェーレスに、大聖堂デミエル・ダリアに背を向けて、歩みを進める救世主とその相棒。二人の身体能力で以てすぐに駆け出さないのは、かけがえのない友がまだ見送ってくれているとわかっているから。
一時編成された「パーティー」は解散し、また二人での旅路に戻る。
目指す先は五つ目の国、“エメリフィム”――――その前に、少しだけ寄り道を。自分の役目を自覚し、自分自身の望みを得る必要があると悟り、そして遂に望みを得た。確かな成長を遂げた総司と、その相棒として自覚を新たにしたリシアの旅は、終盤戦へと差し掛かる。女神の思惑、“最後の敵”の謎、そして――――二人が歩む旅路の意味。
二人はまだ知る由もない。
エメリフィムより先に待ち構えるのは、決して希望だけではない。輝ける未来だけではない。それでも歩みを止めてはならない。
歩み続けた先に、二人にとっての幸福がなかったとしても、引き返すわけにはいかない。
「……うそつき……」
一筋、涙を流して。見えなくなった二人への皮肉を、誰にも聞こえない呟きを風に乗せて。
ベルはパッと踵を返し、フロルの待つ大聖堂デミエル・ダリアへと帰って行った。