眩きレブレーベント・第三話④ 宰相閣下の講義
「一言でいうならば、アレイン様は間違いなく“天才”だ」
リシアが紡いだ言葉は、総司としては意外なものだった。リシアは真剣な表情をしながらも、第一王女のことをそんな風に称えたのだ。
「その魔法の才覚は恐らくレブレーベントで随一。他国の著名な魔法使いの功績も耳にするが、アレイン様を凌ぐほどの魔法使いはそう多くはあるまい。あの御方は、お前とは違った形だが、間違いなく女神さまに愛された存在だ」
レブレーベントの民は、アレインのことを、敬意と畏怖を込めて「稲妻の王女」と呼ぶそうだ。彼女が操る雷の魔法は、王都シルヴェンスの危機を救ったこともあるという。魔獣が王都の地下に巣食い、民の命が脅かされたとき、彼女は誰よりも先頭に立ち、魔獣との戦いに臨んだ。その麗しい見た目からかねてより、民衆から絶大な支持を得ていた王女は、その戦いを境に単なるアイドル的な人気だけでなく、高名な魔法使い、実力ある戦士としての名声までも手に入れる。
しかしながら、未だ根強くファンがいるものの、同時にアイドル的な人気はわずかに陰りを見せた。戦いに臨む王女の凄惨な笑みを目撃し気圧された民から、王女の見事な戦いぶりと共に、王女が残酷であるという噂も広がったからだ。
命を賭した戦いで気が高ぶっていただけ、とする見方もあるが、一度流れた噂は止まらない。彼女は民から愛される王女であり、感謝される王女であると同時に、どこか恐れられる王女でもある。
「類まれな才能の持ち主であり……それが行き過ぎたこともあった」
「行き過ぎた?」
「アレイン様はかつて、禁呪に手を出されたことがあるのだ」
聞き慣れない単語だった。総司がわかっていない顔をしたので、カルザスがリシアの言葉を補足した。
「要するに禁じられた魔法……使った者、或いは使われた者に、あまりにむごい結果を齎すような、そんな魔法に手を出してしまわれたのさ。幸い、発動の手前で女王陛下が発見し大惨事には至らなかったけどね」
「その時の陛下は怒り狂っておられた。アレイン様は一時幽閉されたし、何より代償は……右目の視力を失ってしまわれたこと。行使した者の体を蝕む大禁呪だった」
「……発動の手前で止めたんじゃなかったのか?」
「完全な形で効果を発揮する前に止めることは出来たんだけどね。ただ、術者の被害も全て止められるような段階ではなかったということだ」
総司は二人の言葉にわずかな疑問を覚えた。
アレインの瞳の奥に、あの紫電の光を見た時、彼女の目は確かに両目とも機能していたように見えた。
もしかしたら、あれは総司にしか見えない不吉の予兆だったのか――――?
「アレイン様は決して、根本が『悪』のお人とは思わない」
リシアがきっぱりと言った。
「しかし、我々には及びもつかない感性をお持ちだというのも事実だ。大変な才能を持っておられるが故……しばしば、我等凡人の理解を越えたお考えをされる時がある」
ルーナに言わせれば、リシアもまた非凡な才能の持ち主だ。若くして女王や王族の傍に控えることを許されたカルザスもまた、決して凡人ではないだろう。
その二人をして及ばない天才であると認めさせるアレインは、間違いなく傑出した人物だ。そして秀で過ぎたが故に、彼女は理解されない。
「書庫でアレイン様に声を掛けられたのか?」
「あー……まあな。別に、何でもない雑談だったが」
リシアには、アレインが多くのことを知っているという報告はしなかった。総司自身も、何故リシアに相談しないのか、自分のことが不思議ではあった。
それでも、リシアの言葉に同意できるところもあるのだ。アレインは根底から悪というわけではない。ただ彼女はどこか、超越してしまっているのだと。
「アレイン様がソウシくんに興味を持たれるのも無理はない話さ。才覚ある御方だからこそ、キミの持つその剣や、キミから感じられる力に何か思うところがあったのだろう」
カルザスが努めて陽気に言った。
「なに、心配はいらないよ。リシア殿が言う通り、キミに害を為すような御方ではない」
「いやまあ、そこは心配してないんだけど。あ、そう言えば――――」
「雑談はそこまでだ。カルザスよ、お前はもう休んでいい」
バン、と部屋の扉を開いて入って来たのは、ビスティーク宰相だった。分厚い本を片手に、つかつかと講堂の教壇に上がった。途端、リシアがすっと背筋を正してビスティーク宰相に注目した。カルザスは言われた通り、というか喜々として、父の言葉に従い足早に行動を出ていった。
騎士たちが座学を学ぶ講堂の教壇で、宰相はこほん、と咳払いを一つ。
非常に忙しく、責任ある立場の男が、たった一人の無知な生徒のために時間を割く。それ自体がかなり異常な計らいである。総司も自然、居住まいを正した。
「さて、イチノセ。日中のんびりと過ごしていたわけではあるまいな?」
「いくつか、この世界に関する文献は読みました。まだまだ全然追いつきませんが」
「結構。では聞く。リスティリアにある七つの大国、全て名を挙げてみよ」
「レブレーベント、ローグタリア、ルディラント、エメリフィム、ティタニエラ、カイオディウム……あれ、そう言えば……」
総司はそこでハッとして、
「女神に恵みを施された七つの国って、確かに書いてあったけど、名前って六つしか書かれていなかったような……」
「短い時間だったが、基礎は覚えたようだな」
ビスティークは微笑みもせず頷いた。
「お前が読破したのは恐らく、『リスティリア創世記』という児童書であろう。間違ってはおらん。その本には七つ目の国が記されておらんからな」
「そうなんですか。何故です?」
「軽々に記すべきではないからだ」
ビスティークはコホン、とまた咳払いを一つした。
「七つ目の国……否、その領域は、名を『ハルヴァンベント』という。リスティリアの民草の間で“この世界を見渡せる場所”として伝わる、女神の住まう神域だ」
いきなり、答えが出た。
ビスティークのこの言葉に驚いたのは、総司だけではなかった。リシアも思わず目を丸くして、口をぽかんと開けながらビスティークを見つめていた。どうやら言葉が出ない様子だ。
「……さ、宰相閣下……?」
リシアがやっとの思いで言葉を絞り出した。ビスティークはフン、と鼻を鳴らし、
「さて、イチノセ。それにアリンティアス。特別講義を始める。講義の内容はお前達二人以外に決して口外せぬこと。これは陛下の命令でもある。肝に銘じ、傾聴せよ」
いつもと変わらない声色で、講義を開始した。
「『ハルヴァンベント』に関する情報は極めて少ない。今を生きるリスティリアの民草にも、その名を知る者はそう多くない。各大国の王家とそれに近しい者にしか伝えられておらんからだ」
総司もリシアも、ビスティークの話についていけなかった。
女神を救うため、何をすればよいのか――――途方もなく答えのないその問いに、どうやったら答えを見出せるだろうかと、総司は悩んだ。にもかかわらず、ビスティークはこともなげに、その答えと等しい言葉をどんどん紡いでいくのである。思考が追いつかないのも無理からぬことだった。
「そこに至る手段は既に伝説と化し、リスティリアの生命が容易に辿り着くことは出来んが、レブレーベントにも、残りの五つの大国にも、多くの手がかりが残されている。陛下はお前に、レブレーベントで得られる限りの情報を与えよと仰せだ」
「わ、私は? 宰相閣下、何故私までも……カルザス殿すら……」
「私にも理由まではわからんが、それも陛下のご判断だ」
ビスティークは文献を開きながら、総司をじっと見つめた。
「……陛下はお前に並々ならぬ可能性を感じておられる」
女王は、最初にシエルダの街で出会ったときから、既に総司のことを信じていた。惨状を目の当たりにして、ひそかに憔悴していた総司を叱咤激励し、このわずかな期間であっても、彼に道を示し続けた。
「そして同時にご心配なさっている。これからお前に与えられる試練は、シエルダでの一件と同じかそれ以上に、お前を苛烈に追い込むことだろう。伝説に挑む英雄譚に、試練と痛みはつきものだ」
女王は予感していたのだ。総司が歩まなければならない道の苛酷さを漠然とでも悟ったからこそ、一番最初につまずきかけた彼を奮い立たせる必要があった。
一国の主としてではなく、エイレーン・レブレーベント個人として。
折れかけた心を最善の方法で救ったのだ。
「では、講義を始めるとしよう。レブレーベントに伝わる話から順に」