眩きレブレーベント・序章② 死を望む救世主に告げる
「まあ要するに、ここは異世界ってわけ。あなたの視点からするとね」
「なめてんのかオイ」
風が吹き抜ける大草原の中で、白い上品なテーブルに二人でついて、呑気に紅茶を飲みながら――――レヴァンチェスカが何気なく言った一言に、総司はいきなり食って掛かった。
当然、彼女は全く気にしない。可憐な少女は、アメジスト色の瞳をまっすぐ総司に向けたまま、愉快そうに微笑むばかりだ。
「そうなんですか、なんてさくっと言えるほど肝は据わってねえよ。夢だ、これは」
「しつこいわね。痛みがあれば納得するのかしら」
どういう原理か、レヴァンチェスカの指にバチバチと雷が宿った。総司は思わず椅子を引いて後ろに下がりながら、慌てて言った。
「いや、勘弁してくれ。わかった、夢じゃないのは受け入れる」
「ついでにここが違う世界だってことも受け入れなさいよ」
「そう言ったって……なあ?」
「なあとはなんだ、なあとは。男らしくない」
「……さっきからその、なんかバチバチやったり、さっきのもそうだけど」
「あぁ、言ってなかったっけ。“こっち”には魔法があるのよ魔法が」
「頭が痛くなってきた……」
「あら、良かったじゃない。痛いんでしょ? 夢じゃないってことね」
大草原と大自然、遠くに見える湖畔――――観光名所もかくやという雄大な景色の中にはしかし、生き物の気配が微塵も感じられなかった。正確には動物か。植物は多かれども、生きた動物の姿がわずかも見られない。
「レヴァンチェスカさん」
「気持ちの悪い呼び方ね。レヴァンチェスカと呼んでいいわ。敬意を込めて“女神さま”でもいいけどね」
「……レヴァンチェスカ、とりあえず続きを話してくれ。ここが異世界だって言うならだ」
「だって言うなら?」
「どうして俺はここにいる?」
「まっとうな質問ね。ようやく冷静になってくれたみたいで嬉しいわ」
レヴァンチェスカはカップを置いて、一呼吸置いて告げた。
「私が呼んだからよ」
「答えになってない」
「今から説明するわ。でもまあそれは」
ふわりと、甘い花のような香りを漂わせながら、レヴァンチェスカはそっと立ち上がる。
「歩きながらでも出来ること。さあ、行きましょう総司。あなたの新たな故郷となる場所よ」
緩やかな坂を下り、森の中の小道に入る。
やはり、動物の気配はしなかった。これほどの大自然の中にあって、聞こえてくるのは風の音、木々のさざめき、それだけだ。小鳥がさえずる音の一つも聞こえてこない。爽やかな朝の陽ざしの中で、どこか寂しく、恐ろしさを覚えるほどの静けさだ。
「危機的状況にあるのよ、私の世界は」
少しも危機感のない声で、レヴァンチェスカはそう言った。
「あなたがさっき驚いたとおり、私の世界はあなたの世界とは異なる発展を遂げている。二つは背中合わせに存在しているようなものだけど。あなたの常識で言う“物語の世界”のような、そんな世界で――――その安寧が、崩されようとしている」
剣と魔法の世界。そんな陳腐な単語が総司の脳裏に浮かんだが、口には出さないことにした。見透かしたようなレヴァンチェスカの横目がどこかくすぐったい。
「その状況を打破するためにはどうしても必要だったのよ。異界の力――――私の世界の法則から逸脱した住人の力がね」
「いや、悪い、あんたの言う話が全部事実だったとしてなんだけど」
眉唾物の話だし、今なお夢と疑っているものの、それでは話が進みそうもない。総司は言葉を選びながら言った。
「悪いけど、俺にはそんな大層な力はないぞ。ダンク決められるとかそういう話じゃないんだろ?」
「バスケットボールだっけ? あれは良いわね~、見ていて楽しかったわ。もちろんそういう話じゃないけどね」
くすくすと笑いながら、少女はすぱっと言い放った。
レヴァンチェスカは驚くほど華奢な体つきをしていた。それもそのはず、彼女の見た目は、17歳になる総司よりも更に幼く見えた。よく見積もっても中学生、というのが関の山。背もさほど高くはないので、180cmを超える総司から見ればまるで子供のようだ。
子供のようなのに――――かもし出す雰囲気や、どこか人を圧倒するような独特の気配が、彼女を高貴で尊い存在に思わせてならない。
「“違う世界の住人である”ということが大事なのよ。まあ、そうね。あなたでなくても良かったのは確か。あなたを選んだのは、私がたまたまあなたを見て、偶然にも気に入っちゃったからってだけ。クジ運が良すぎたかしらね、総司?」
「……ちょっと待て」
小道の最中で、総司は足を止めた。
「あら、どうしたの?」
「本当に……本当に俺は、違う世界へ連れてこられたんだな? たちの悪い壮大なドッキリ企画に巻き込まれているわけじゃあないんだな?」
「そう言っていると思っていたけれど、なぁに? まだ信じてなかっ――――」
「俺の家族は!? 親父はどうなる!? あぁそうだ、どんだけ時間が経ったか知らないけど、今頃探してるかもしれない!」
「それは問題ないわ」
レヴァンチェスカは、「何だそんなことか」とでも言うように、あっさりと言い切った。
「問題ない……? おい、どういう――――」
「現状の説明が先よ。あなたが知りたいことはほとんど全部ちゃんと教えてあげられる。けど、物事には順序があるの」
総司としては、到底納得のできる返答ではなかった。
しかし、何も言えない。レヴァンチェスカの先を行く背中が、その圧倒的な気配が、総司に勝手な発言を許さなかった。
しばらく自然の中を歩いた後、開けた場所に出た。
草原の丘から見下ろしていた、美しい湖のほとりに辿り着いたのだ。
レヴァンチェスカは、湖畔にひっそりと建っていた大聖堂へ、迷いなく歩を進めていく。総司も黙ってその後をついていった。
大聖堂の扉は、誰が何をするでもなく、ひとりでにゆっくりと開いた。総司はその光景にもう驚くのも面倒になっていたが、ふと、扉のはるか上に飾られているステンドグラスに目を留めた。
少女の姿が描かれている――――紛れもなく、目の前を歩くあの圧倒的な少女の姿だった。
「あなたの世界の住人は、私の世界では法則性の違う力を――――端的に言えば強さを、ただ在るだけで手に入れる。けれど、それでは足りないの」
ひんやりとした大聖堂の空気が頬をなでる。ただそこにいるだけで神聖な気分を味わえる独特の雰囲気が、レヴァンチェスカの纏う神秘的な気配をより一層際立たせていた。
「血沸き肉躍る大冒険をしてもらわなければならないのだけど、今のあなたでは流石に持たない。だから、持つように鍛える必要がある。というわけで、いったん私のところに連れて来たのよ。犬死させるわけにはいかないからね」
「なんだ、今から魔法ってやつの訓練でもしてくれるのか?」
総司がからかうように言うと、レヴァンチェスカは楽しそうに笑った。
「魔法だけじゃないわ」
「……ん? だけじゃない?」
「ありとあらゆるものを、叩き込むのよ」
レヴァンチェスカの目が――――出会ってから今この瞬間まで、少しもそんなことを感じたりしなかったのに――――ぎらりと、危険な光を湛えた。
「……あれ? 何この空気」
「さっきの質問に答えてあげる。あなたの世界のことは心配いらないわ。あなたは“最初からいなかったことになっている”からね」
レヴァンチェスカの言葉に、総司の思考が一瞬止まった。
止まったのは、一瞬だけ。総司は火の出るような目でレヴァンチェスカを睨んだ。
「何だ、それ……いなかったことに? 最初から?」
「ええ。だって、“それがあなたの望んだこと”でしょう。違った?」
思わず――――総司は、レヴァンチェスカに掴みかかろうとしていた。腕を伸ばして、か弱いように見える少女の胸ぐらを捕まえようと踏み出したはずだった。
だが、動かない。またしても、総司の体は見えない力に縛られて、動けなくなっていた。
「……何が言いたい」
「あなたが一番よくわかっているでしょう? あの子が死んでから、あなたは日々『まっとうな理由で死ぬ方法』をいつも考えていた」
総司の目に激情が宿った。レヴァンチェスカに対してというだけでなく、生まれて初めて他人に向ける、本気の怒りの眼差しだった。
「自ら命を絶つっていうのは、あの子に対する冒涜だものね。交通事故に巻き込まれるのでも良いし、銀行強盗に巻き込まれて殺されるのでも良い、とにかく避けようのない理不尽で死んでしまいたい――――あなたが持つ最も強い願望でしょう、総司」
総司の額に青筋が浮かんだ。怒鳴り散らしたい感情を必死で堪えている形相だった。お前に何がわかると叫ぶのを、何とか押さえ込んでいる――――そう、怒鳴るだけで、言い返すことは出来ないから。レヴァンチェスカが言ったことは真実だった。
幼馴染が死んでから半年間、総司は確かにそう考えていた。子どもの恋愛と笑われるかもしれないが、総司にとって彼女は、それほどまでに大きく、かけがえのない存在だった。そして最後の瞬間、彼女の想いに少しも応えることのできなかった後悔が、総司を「彼女と同じところへ行きたい」という衝動に駆り立てていた。
そんな総司を見て、レヴァンチェスカはまたしても、薄く微笑んで、告げた。
「だからその命、要らないのなら私にちょうだい?」