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リスティリア救世譚  作者: ともざわ きよあき
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罪裁くカイオディウム 第八話③ 全てを赦す決断を

 白昼に突如として迫り来た「天から降り注ぐ破滅の光」と、「災厄から民を護った大聖堂の奇跡」の噂で、首都ディフェーレスどころかカイオディウム中が持ちきりだった。いやそれどころか神話じみたこのとんでもない大立ち回りは、リスティリアで起こった「事件」としては珍しく二日経つ頃には国境すら超えて、隣国レブレーベントの王女の耳にまで届くことになるのだが、事が起こった日の夜である今現在からすれば、まだもう少し先の話だ。無論、その報せを聞いた王女が、すっかり彼女のお気に入りの隠れ家となった結晶の牢獄の中で、ひっそりと人知れず微笑んだことについては、「まだもう少し先」はおろかどれだけ時間が経とうとも、女神の騎士が知る由はない。


 突然やってきたかに見えた「終わりの時」が、同じく突然に吹き飛ばされたその日、カイオディウムは荒れに荒れた。女神教の敬虔なる信徒たち、フロル枢機卿を女神そのものかの如く崇拝する国民たちもこの時ばかりは黙っているわけにもいかず、フロルに暇を出された高位の聖職者をはじめとして多くの民が大聖堂に詰めかけようとしたのだが、その流れは聖騎士団によって阻まれた。


 『光のゆりかご』なる大聖堂直下の要塞で、堅く閉ざされた光の道を堅牢に護る聖騎士団が、信徒たちの行動を許さなかった。クレア・ウェルゼミットを先頭に、聖騎士団は信徒たちをなだめつつも、決して『上』へは上がらせなかった。騒動の最中にクレアが大聖堂へと入れたのは、ミスティルによって転移させられたからだ。流石のミスティルもこの状況を予期していたわけではなかっただろうが、クレアを巻き込んだことはある意味正解だった。


 ラーゼアディウムを失った衛星都市だが、女神の騎士の力に呼応して覚醒した大聖堂デミエル・ダリアの権能により、その浮遊能力は健在となった。もしも『下』に落ちてしまえば、信徒たちの詰めかけを止めるのは更に苦労したことだろうが、幸いにして大聖堂は今日も、遥か天の高みにある。


 聖騎士団が身を挺して信徒たちを止めたのはもちろん、ようやく訪れた『上』の安寧を邪魔させないため。


 泥のように眠る英雄たちの邪魔をさせたくなかったがためである。


 夜通し動き続けたというだけではない。徹夜で挑むにはあまりにも強大な敵、大変な試練だった。死力を尽くして戦った彼らは、“星拾う展望台”で大の字になって寝転がり、そのまま眠りについていた。医務室まで行く気力すらないほど疲れ切っていた。


 ふかふかのマットと毛布を持って、天蓋を失った“星拾う展望台”と医務室を往復し、どれだけ動かしても起きる気配のない彼らを寝具の上に何とか寝かせたのは、ベル・スティンゴルドだった。自分の寝具も一通り揃えて、総司たち三人が寝転がるすぐ傍にぽすっと体を投げ出して、日が落ちた星空を見上げる。


 煌めく星は穏やかで、昼の喧騒が嘘のよう。ティタニエラからカイオディウムまで、四人で野営をしながら帰ってきたあの数日を思い出す。てきぱきと野営の支度を一人で整えてしまうミスティルも、今日ばかりはぐっすりと、ベルより先に眠っている。


 彼らにとって、ベルは「敵」だったはずだ――――というのは、ベル個人の感想でしかないようだ。無警戒に眠る彼らにとって、ベルは最初から最後まで「敵」ではあり得なかった。客観的に見ればベルの所業は許されざるものだ。全員を弁明の余地もなく完全に騙して今日に至ったのだ。だが、騙されていたのだとわかった後もなお、彼らはベルを信じることをやめなかった。


 意志ある生命の基本原則に反するほどのお人よし。ヒトの善性を信じて疑わない危うい信念。その危うさはともすれば脆さに直結し、彼らの「これから」を脅かしかねない。だが彼らは驚くほどに、その危うさを強さに変えている。危ういからこそまっすぐで、折れない。その信念に敗れ去った。


 友人と称せる者は、カイオディウムにはいなかった。


 自分がそう呼ぶことを、これからも許してくれるのだろうか、彼らは。裏切りに裏切りを重ねてなお、そんなことを考えてしまう自分の都合の良さに、ベルはほとほと嫌気が差した。


「あなたには『命あるまで待機』と告げたはずですが」

「フロルの言いつけを素直に聞いたことが何回あったっけ」

「……自慢げに言うことではないと、何回言いましたっけ」


 流石のフロルも疲れ切っていて、少しだけ仮眠をとった。だがフロル本人としては、総司たち三人の疲労に比べれば微々たるもの。今日ばかりは、『下』の対応はクレアたちに任せて休むつもりではいたが、三人を放っておくわけにもいかず、展望台に上がってきたところのようだ。


「詰めなさい」

「うえっ」


 ベルをぐいぐいと押しやって、フロルがその隣に無理やり寝転がる。二人で寝転がるには少々手狭だった。フロルは大きく息を吐いて、どこか心地よい疲労感を楽しんでいた。


「罪状をあげればキリがない。王女に対する狼藉、大司教の反逆ほう助、枢機卿の殺害未遂……あら、処刑以外にないではありませんか」

「お好きにどーぞ」

「……私に『出来ない』と思っていますか?」

「まさか」


 ベルはふっと笑って、心から言った。


「本音だよ。煮るなり焼くなり好きにしてよ。何の文句もない」

「……私を殺したくはないのですか」

「ソウシが邪魔する前に殺せてればきっと、いろんなことに踏ん切りがついてたんだけどなぁ。もう無理だぁ、流石に。我ながら情けない……ティタニエラに飛んでまで、成し遂げたいことだったのに」


 ベルが心から憎んだのは、ウェルゼミットではなく、スティンゴルドの系譜。ひいては自分の中に流れる血――――自分そのもの。フロルを殺すことで全ての因縁を断ち切ると共に、修道女エルテミナに関連するあらゆる憂いに終止符を打とうとしたベルの目的は別の形で一つは達成され、一つは恐らくこの先、絶対に達成できない。


 憎むべきは――――否、喜ぶべきは、その善性。ベルの根底にある情。戦友によって絆されてしまった心をもう一度、冷たい鉄のようにするだけの意思が、ベルにはもうなかった。


「結局子供だったんだ、あたしは。覚悟を決めたつもりで何もかも中途半端だった。けど、そうだね……フロルの手で終わらせてもらえるなら、悪くないね」


 力を出し尽くして敗北した。


 しかも、その敗北は戦いによるものではなく、信念の敗北。ベルを最後まで信じ抜いた総司に、ベルの半端な覚悟は完膚なきまでに敗れたのである。


 歳の離れた姉妹のよう――――で、ありながら。


 フロルはベルのことを何も知らなかった。理解していなかった。本音を知った時には全てが遅かった。だが、幸いにも二人はまだ生きていて、最悪の別れとなることもなく、「これから知る」だけの時間がまだ残されていた。


「……あなたの処遇は明日言い渡しますので。せいぜい今宵を楽しむことですね」


 フロルはそっとベルの頭を撫でると、ふと立ち上がる。


「どこ行くの?」

「ナイショです」

「そっ。じゃ、お休み」


 眠りこける英雄たちと、ベルを置いて。

 フロルはゆっくりと、“星拾う展望台”を後にした。





 フロルが医務室に現れた時、オーランドは寝てはいなかった。


 何を考えているのか読めない瞳で窓の外を見つめ、物思いにふけっていたようだ。リシアに受けた甚大な傷は、たった半日で癒えるはずもない。動ける状況ではないだろう。


 オーランドは、一言で形容すれば“どぎつい”蒸留酒の瓶を持って現れたフロルを、彼にしては珍しく驚愕の眼差しで見つめ、フロルが椅子に腰かけてグラスになみなみと酒を注ぎ始めても、何も言えなかった。


「どうぞ」

「……これはこれは。傷に響きそうだ」

「罰です。耐えなさい」


 オーランドは恭しくグラスを受け取り、フロルが飲み始めるのを待って一口飲む。


 オーランドがいったんグラスを離した後も、フロルはぐいぐい飲み続けており、一杯目を一息に飲み干すまでグラスを置かなかった。


「……お強いですな」

「そういえば、あなたと酒を飲むのは初めてでしたか」


 脇のテーブルに置いた瓶をパッと手に取り、二杯目をすぐさま注ぎながら、フロルは表情一つ変えずに言った。


「こう見えて好きなもので。聖職者らしからぬこと、他言無用に願います」

「仰せのままに」


 静寂な時間が流れる。ベッドで上半身だけを起こした状態のオーランドは、フロルが何か言うまで自分から話をするつもりはないようだ。


 フロルは二杯目の酒を半分まで飲んで、グラスをそっとテーブルに置いた。


「ルテア様に加担したのは、彼女をエルテミナの継承者だと誤認したから。そうですね」

「お恥ずかしい限りです」

「けれど確信はなかった。それでも盲信したのは、疑念をおして余りあるあなたの目的意識の強さ……エルテミナに何を求めたのですか、オーランド。あなたの戦いを見聞きしていましたが……『自分のため』に戦っているようには、見えなかった」

「……今更、詮無き事」

「言いなさい」


 フロルがぴしゃりと、厳しく言葉を叩きつけた。


「黙秘は許しません。言いなさい」


 オーランドはしばらく、フロルのまっすぐに過ぎる眼差しを見つめ返していたが、やがて諦めたように、言った。


「……エルテミナの外法は『命』を魔法の対象とするものです」


 ベルと、ベルに操られていた王女ルテアと、オーランドしか知らない会話を繰り返す。


「それはつまり、荒唐無稽にも思われた『命』に干渉する魔法が実在することの証左でありました。私がある時から、生涯をかけて求めた魔法の答えが、そこにあると思ったのです」

「……そういうことですか」


 オーランドが語ったわずかなヒントだけで、フロルは答えに辿り着いた。


「“失われた命を取り戻す”魔法。その手掛かりがエルテミナにあると見たのですね」

「全く……お恥ずかしい」


 先ほどと同じような言葉を繰り返し、オーランドはため息をついて、フロルから視線を外し窓の外を見た。


「取り戻したかったのは、“家族”ですか……ご子息とその奥様を、蘇らせることが出来るかもしれないと」


 リシアには決して語らなかった、オーランドの本音。


 十年ほど前の暴動で、息子夫婦を失った時、オーランドはリシアが思っているのとは真逆の感情を抱いていたのである。


 つまりは、リシアと同じものを――――「失った悲愴」を、抱えていた。オーランドの人格と思想そのものは「善性」を貴ぶリシアにしてみれば決して褒められたものではなく、事実として彼の在り方は危険をはらむ。だが、だからといって「親」として、「祖父」として当たり前の感情を持っていないわけではなかった。


 せめてリシアだけでも、両親と同じ目に遭わないよう、『上』へ連れて行こうとしたが、リシアの目に映るオーランドの人物像は、彼が悲嘆に暮れていると思わせるものではなく、ゼファルスの継承者であるリシアに価値を見出した利己的な人物であった。些細な誤解が二人の間に生じたまま二人は決別し、リシアはカイオディウムを出ることとなり、オーランドは家族を全て失って、聖職者の一人としてそのままカイオディウムに残った。自分のため、いや何よりリシアのために、息子夫婦を蘇らせようとしたことこそが、オーランドの行動原理の根底にあったのだ。


 たとえオーランドが本音を語ったところで、対峙したリシアが彼に協力するはずもない。リシアに全てを告げることに意味を見出さなかったオーランドは、孫との敵対を選んだ。振るう刃に迷いが生じないように、最後までリシアの敵であることを選んだのだ。


「……ベルを裁こうとすれば、全てを公にする必要があります。起こったことのありのままを。そうでなければ納得しない者が、聖騎士団含め大聖堂内にもたくさんいる。あの子は人気者ですからね」

「そうなりましょう」


 フロルがそれ以上追及せず、全く別の話題へと切り替えて、オーランドはすぐにそれに乗っかった。


「修道女エルテミナやウェルゼミットの起源にまで話が波及しかねませんので、そちらの選択肢については慎重にならざるを得ません。それを避けるとなると、ベルを不問としてしまうのが手っ取り早い手段です」

「猊下としても、望ましい未来では?」


 オーランドが笑みを浮かべて言うと、フロルは彼の顔をじいっと見つめた。


「……何でしょう」

「ベルを不問とすることは、今日起きたことの細部を秘匿するということ。事の中心にあるエルテミナやウェルゼミット家、スティンゴルド家のことも。言いたいことがわかりますね」


 オーランドはわずかに目を見張った。一瞬消えた微笑はすぐに彼の顔に戻り、すこしだけ首を振り、心底意外そうな声で言う。


「驚いた……正気ですか、猊下」


 意外そうであると共に、どこか感嘆の情も感じ取れる声色だった。


「私を赦すつもりでいらっしゃる」

「そうです。ベルの行いを不問とする以上、あなたとライゼス、それにベルによって操られていたルテア様の言いなりだったとはいえ、反逆に加担した国王陛下のことも、糾弾するわけにはいきません。此度の騒動は、“断罪の聖域”に起きた原因不明の事故だとして片付けねばなりませんから」


 ベル・スティンゴルドの行いを不問とする、というよりは、「なかったことにする」つもりだ。さらりと言ってのけている内容がかなりとんでもない。


 フロルは既に覚悟を決めているらしかった。全て隠し通す覚悟も、不穏分子となり得るオーランドやライゼスを再び抱え込む覚悟も決まっている。


 ベル一人のため、というだけではない。この一連の騒動を通し、フロルの中で改められた認識や考え方、獲得した知識、全てを総合的に判断し――――彼女らしく、最も合理的で効率的な決着を望んでいるのだ。


「あなたの力、知識、経験の全てを、カイオディウムのために使ってもらいます。文句はありませんね」

「……無論です」


 オーランドは、体の痛みをこらえて、グラスに残った酒を全てぐいっと飲み干して、フロルに誓いを立てた。


 他にも言いたいことはあっただろう。フロルにはもっと文句を言う権利もあるだろうに、どころかオーランドに極刑を言い渡す資格すらあるのに、フロルはうるさいことを何も言わなかった。


「猊下の思う通り、使い潰してくださって結構」

「頼みにしていますよ、オーランド大司教。話は以上です。明日から忙しくなります。動けなくとも知恵を貸しなさい」

「罪人の扱いとしては妥当でしょうが、そうでなくなるというなら、老体に無茶を言ってくださるものだ」

「あんな戦いが出来る男に気遣いなど必要ないでしょう。では、おやすみなさい」


 蒸留酒の瓶をその場に置いて、フロルはさっと立ち上がって去っていく。オーランドはその背に一礼して、酒瓶を手に取り、もう一杯グラスに注いだ。若い力の成長に感服しながら飲む酒は、思っていたより悪くない――――久しく忘れていた味だった。


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