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リスティリア救世譚  作者: ともざわ きよあき
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罪裁くカイオディウム 第八話② 聖域を撃墜せよ

「――――お帰り」

「……おう」


 目が覚めて、視線の先には、泣きそうなベルの顔があった。


 罪裁く大太刀がエルテミナを切り裂くと同時に、総司の意識は失われた。彼の頭はベルの膝の上にある。


 うねりを上げる風が、「それどころではない」のだと告げている。大聖堂は緩やかに降下し、すぐ頭上にあるラーゼアディウムもまた、降下を続けている。


「……あたしは、女神のことが大っ嫌い」


 ベルが言った。笑みはなく、涙をこらえる沈痛の表情。


 およそ聖職者らしからぬ振る舞いが多かった。そう言えばベルの口から、女神教の信徒らしく女神レヴァンチェスカを敬うような言葉は、一度も聞いたことがなかった。


「信じらんないよ。命懸けで旅をさせて。つらい選択をたくさん押し付けて。そのたびに心も体も傷つけて。その先には何もないのに……この世界から、消えてなくなるのに。何も教えずに。そんなの――――そんなの、ソウシがやらなくていいんだよ」

「もう慣れた」

「……救いようのないヒトだね、ソウシは」


 ベルは総司に覆いかぶさるようにして、その頭を強く胸元に抱きしめた。


「帰って来れないんだよ……怖くないの……?」


 力強い抱擁が、ベルの最後の抵抗だと知る。


 ミスティルが情の深い存在だったことは、ベルにとって想定外だったが、ベルもまたヒトのことを言えた義理ではないのだ。


 自分の善性を抑え込めたと錯覚していたが、ベルはやはりベルのまま。


 共に過ごした戦友たちへの情が、ベルの計画の全てを狂わせた。修道女エルテミナを取り込んだ時に得た知識――――女神の領域へ渡った者は、二度とこの世界に戻ってくることが出来ないという事実。そして、そうと知らぬまま挑む、友人となった者たち。


 フロルの殺害という悲願を二の次にさせてしまったその情がベルの敗因だ。事実を知ってしまった後の女神への反抗心こそがベルの誤算だ。最初は単に利用するための駒に過ぎなかったのに、友人となってしまったがばかりに。ベルはどうしても、総司とリシアを見捨てられなかった。けれど、だからと言って総司を殺し切ることも出来ず――――身動きの取れないまま敗北した。


 優しすぎる彼女に、総司は静かに告げる。


「前例がないだけだ。何が何でも帰ってくる」

「……責任感があるようで、実は無責任だよね。それであたしが死ぬまで待ち続けたら、どう責任取ってくれるわけ?」

「……ルディラントで、言われた。俺が“どうしてもそうしたい”と思える何かを見つけて初めて、俺は“最後の敵”を上回ると」


 ベルの抱擁を、優しく引き離す。泣いている。結局、非情になり切れなかったのはベルも同じだ。


「見つけたぞ、俺が戦う理由を。俺が自分の意思で命を賭ける理由を見つけた。そしてそれは、“最後の敵”を倒した後でこの世界に戻ってこなきゃ、達成できない夢なんだ」

「……だから、帰ってくるって? 気合でどうにかなるわけないじゃん」


 ようやく、ベルが笑った。


 総司のひいき目かもしれない。ベルの引き起こした異常事態を鑑みれば、何も事情を知らない者からすれば彼女の笑みは許せないものかもしれないが。


 総司の目には、天使にも勝る可憐で美しい微笑みに見えた。戦いの終わりを告げる、可愛らしい笑顔だ。


「さっき、フロルと話したんだ」


 大聖堂の中枢、聖域の最深部を移植した場所から、フロルはベルに通信を繋げたのだろう。


「リシアとミスティルにも話しているはず……礼拝の間へ行くよ」

「何……?」

「ラーゼアディウムはまだ、自由落下には入っていない。フロルがすんでのところで繋ぎ止めてる。でも、長くはもたないと思う」


 隕石の如く落下を続ける“断罪の聖域”。大聖堂デミエル・ダリアから制御を試みたフロルだったが、完全に支配下に置くことは出来なかったようだ。


 一体何が作用して、ヒトの手がなくとも浮いていたはずの島が落下を始めたのかはわからない。原因が不明だから、それを止める手立てもない。


 その現実を前にして、彼女たちは結論を出した。


「あなた達をもう一度ティタニエラに飛ばす。せめてあなた達だけは護る。いっぱい迷惑かけたけど……これでチャラにしてね。これ以上は、何も出来ないから」

「……なんだ。まだわかってねえんだな」


 総司が体を起こし、ベルの肩をがっと掴んだ。そして、天蓋を失った“星拾う展望台”の床をガン、と殴った。


「ついさっきか、フロルがそれを話したのは」


 十字架のイヤリング越しに、フロルの声が聞こえた。どうやらフロルは、二人の会話をちゃんと聞いていたようだ。


『……ええ。まだ数分と経っていないと思いますが……止めても無駄ですね、きっと』

「ハッ」


 笑いがこぼれる。不敵な笑み。片刃の剣へと姿を戻したリバース・オーダーを拾い上げ、総司が立ち上がる。


 ぎらりと見据える先には、天より落ちる砕け始めた巨大な島。そのまま落とせばカイオディウムは滅ぶだろうが――――


 もう少し小さく砕けば、一縷の望みが繋がるかもしれない。


 浮遊の魔法を失い、魔法的防御も失った「単なる巨大な塊」ならば、完全に跡形もなく消し飛ばすことは不可能でも。


 あともう少し砕く。それだけなら何とかなるかもしれない。


「……無理だよ……? わかってるでしょ……? フロルも何言ってるの?」


 ベルが震える声で言った。総司が何をするつもりかを悟り、慌てて立ち上がって総司の腕を掴んだ。


「ダメ……絶対ダメ……! ねえ、もうこれ以上頑張らないで! 何もかも背負わなくてもいいんだよ! もう充分背負い過ぎてるんだよ! あたしもフロルも覚悟は――――!」

「だーから、わかってねえって言ったんだよ」


 総司は、ひび割れた床にリバース・オーダーを力強く突き刺した。


 魔力が溢れる。凛とした清涼なる魔力が、爽やかな風と化して吹き抜ける。うねりを上げる天空の気流の中で、その流れに逆らいながら渦巻く気配を、ベルは知っている。


 ティタニエラで見せた、総司の魔法の一つ。


 総司にあるのは確信。


「背負い過ぎてる、確かにな。けど、お前も知ってるはずだ。その悪癖があるのは“俺だけじゃない”ってことを」


 あの二人ならば必ず、自分の復活を知ると共に行動に出るだろうという揺らがぬ確信――――信頼だ。


「お前ら二人に『逃げろ』なんて言われて、あいつらが大人しく引き下がるわけねえだろ」


 吹き抜ける風の質が変わる。迫りくる二つの魔力に覚えがある。


 大気を切り裂き天へ至るその翼は、他の追随を許さぬ神速を達成し、大聖堂デミエル・ダリアの巨大な威容をいとも容易く飛び越える。


 ベルは確かに見た。遥か下から遥か上へと空を駆け抜けていく、光機の天翼の輝きを。


 “ジラルディウス”を背負うリシアが、一直線にラーゼアディウムへ、既に砕け始めた島の一部へと向かっていく。少し遅れて、同じく空を飛べるミスティルが、リシアから距離を離しながら別の角度へと舞い上がっていく。


「リシア……ミスティル……!」


 ベルの目が驚愕に見開かれる。


 迷いのない行動。総司の復活を知ってから、わずかな時間で。


 まるで最初からそうすることが決まっていたかのように、二人は空へ飛んでいた。そうでなければ、この早さはあり得ない。


 リシアが遥か彼方から一瞬だけ総司を見た。二人の視線が交錯する。やるべきことは、わかっていた。


「わかってるよ――――ぶちかませ、二人とも」


 突き刺した剣の柄に手を翳し、総司が力強く叫んだ。




「“ティタニエラ・リスティリオス”!!」




 新緑の魔力が風となって舞い上がる。魔力の奔流がリシアを捕らえ、光機の天翼に力を与える。増大する魔力はティタニエラで同じ魔法を使った時の比ではなかった。


 大聖堂デミエル・ダリアの最深部、その天井へと突き立てられた剣が、女神の騎士の力だけでなく、大聖堂の魔力をもリシアに供給する。


 総司だけではない、リシアも成長を続けている。“ゼファルス”の真髄を極めた者。オーランドですら生涯をかけても到達できなかった、一つの究極に至った者。


 女神の騎士の福音を纏い、その力は更に一段上の領域へと昇る。


 翼が分かれ、円形に広がる。リシアの背には光の翼が残り、彼女の体を空中に留め置く。


 完全な「消滅」を齎すことは出来ないが、既に砕け始めた島の一部に対してであれば、届き得る。


 円形に広がる翼の欠片が、巨大な魔法陣を形成する。


 リシア一人では、“その魔法”を実現することは出来ない。総司の助力と大聖堂の後押しを受けて初めて達成可能な力。


 剣を砲身に見立ててラーゼアディウムに向けて突き出して、リシアは叫ぶ。


 ベルと同じく、真髄に至ったリシアにとっても「まだ早い」魔法ではある。だが、今なら使えるという確信があった。




「“アポリオール・ゼファルス”!!」




 放たれる究極の一撃。この後のことなど微塵も考えない、全ての魔力を注ぎ込んだ全身全霊。天を駆ける莫大な魔力の奔流が、砕けたラーゼアディウムの一部へと激突する。破壊の波が広がって、巨大な塊が砕けていく。巨大な隕石だった一つが、小さな流星の如く散っていく。無論、それでも一つ一つが家屋一棟に勝る大きさだ。地上の人間に直撃すれば死は免れないが、そのまま落ちるよりはよほど被害が少なくて済む。


 続けて銀の魔力が呼応する。リシアの狙いとはまた違う巨大な塊へと照準を合わせて、ミスティルが舞う。ミスティルにも、新緑の魔力が追従していた。


 新緑を纏う銀の力が、巨大な弓の形を成す。つがえる矢の質が違う。それを支えるため、弓はアスタリスクの記号を形成するかのように、交錯する三本の土台を創り上げた。女神の騎士の力を携えて現世最強の魔女が放つ渾身の魔法は、リシアの魔法に勝るとも劣らない威力を実現する。


 放たれたミスティル最強の魔法、“星の雫”。強大な銀の矢は新緑の尾を引いてラーゼアディウムに突撃し、リシアが破壊せしめたように、彼女に競い合うように、巨大な塊の一つを粉砕する。


 だが、力を失い落ちゆく最中、ミスティルはきっと目を細めて天を睨みつけていた。


 粉砕された破片の全てに追撃することは、流石に出来ない。その余力を残してしまえば、巨大な塊一つの破壊も叶わなかった。飛び散る流星の破壊力は健在。何もしないよりはマシな結果だろうが、地上に降り注ぐ破滅の波を止めきることが出来ない。しかもそのうえ、まだもう一つ、リシアとミスティルが破壊した巨大な塊と同規模のものが残っている。


 無論、大金星。常人ではわずかに傷つけることも不可能であろう「島の破片」を砕いた二人は、末永く英雄と語り継がれるに足る、十分以上の働きを成し遂げたに違いない、が。


 最後に残ったあの塊が落ちてしまえば、「語り継ぐ」者がいなくなるだけの破滅の波が地上を蹂躙するだろう。


「っと」


 ミスティルの体が、リシアに支えられて空中で止まった。


「どうも……大丈夫ですか?」


 ミスティルが呑気に聞く。リシアは息を切らしながら笑った。


「何とか……着陸までは持ちそうだが……!」

「すみませんね、私もそれぐらいの余力は残すべきでした」


 最強の魔女であり、魔法の扱いに長けているからこそ、ミスティルは全力を出し切れたのだが、裏目に出た感は否めない。


 女神の騎士の力を借り受けて達成した偉業。大聖堂デミエル・ダリアの力もなければ、砕けていたとはいえ島を破壊するような真似は決して出来なかった。魔法による防御が一切なかったのも大きい。


 それはつまり、ラーゼアディウムが既に「聖域」としての力の一切を失っているということを意味する。わずかでも魔力による何らかの妨害があれば、リシアやミスティルの攻撃が、ラーゼアディウムを砕くほどに作用するはずはなかった。


 やはり何らかの意思が介在している。そのせいで、ラーゼアディウムは「聖域」の格から脱落し、浮遊の力すらも失った。原因と理由をまだ、リシアたちが知る由もない。


「――――賭けは俺の勝ちだよな、ベル!」

「……そう、だね」


 リバース・オーダーを引き抜いて、総司がベルに手を伸ばす。


 ベルは茫然としたまま、天空で起きたとんでもない事態に目をぱちくりしていた。


 まさか本当に――――健在であったラーゼアディウムよりは、少しずつ小さくなっていたとはいえど、「大地」を粉砕するとは。リシアとミスティルの力は、総司と大聖堂デミエル・ダリアの後押しによって、ベルの想像をはるかに超えて高まっていたようだ。「島の撃墜」を実現するなんて、そんな現実が目の前で起きるなんて、思ってもいなかった。


「連れて行け。もう一つぶっ壊す」


 しかも目の前にいる馬鹿らしいほどのお人よしは、まだやるつもりでいると来た。放心するのも無理からぬこと。


 絶望的な状況で、それが「可能」などと信じられるはずもないのに。普通の感性であれば、諦めて膝をつく以外に出来ることなど何もないはずなのに。


 どうしてこの男は、彼女たちはわずかも躊躇わなかったのか。諦めるということを知らないのか。ベルは頭を抱えて考え込んだが、やがて吹っ切れたように叫んだ。


「……あーもう……! 嫌になるよ、ホントに!」


 総司が勝ったら、ラーゼアディウムの破壊に手を貸す。受け入れたつもりはなかったが、今更後にも引けなかった。


 ベルは総司の体に手を回すと、“サレルファリア”の魔法で天に舞い上がる。徐々に落下していくリシアとミスティルを追い抜いて、更に高度を上げていく。


「この辺で良い、やってくれ」

「着地は考えてんだよね!?」

「いや全く」

「離せるかァ! リシアもミスティルももう動けないんだよ!?」

「お前が何とかしてくれ。頼んだぞ」

「……ほんっとにあなたって……!」


 手放しの信頼。あまりにも身勝手なその信頼にベルは歯を食いしばったが、心なしか口の端には笑いがこぼれているようにも見えた。


「突撃するあの魔法でしょ!? 壊せたとしても無理だったとしても、とりあえず最後に、上に弾かれるようにうまいこと調整して! 勢いそのまま地上に突っ込んでいかない限りは追いついて見せるから!」

「善処する」

「何が何でもやるの! 死んだら許さないよ!」

「殺そうとしてたくせに」

「今言うかァそれ! 悪かったよ! 謝って済むことでもないけどさ!」

「済むさ」


 総司が笑った。


「俺が許すからな」

「ッ……行くよ! 構えて!」


 総司をパッと離して、ベルが総司よりも下へもぐりこむ。


 足に装着したソルレットに赤い魔力の閃光が宿った。黒い稲妻のような光が迸り、“ネガゼノス”の気配があたりを満たしていく。


 同時に、蒼銀の魔力を纏った魔法陣が幾重にも、総司の道を示すように連なって、最後に残ったラーゼアディウムの欠片、巨大な塊へと向かっていく。


 総司がすいーっと落下してくる位置に合わせて、ベルが思いきり蹴りを繰り出した。


 総司がタイミングを合わせて、ベルの蹴りに乗っかった。


 かつて世界を脅かした反逆者の魔法と、世界を救わんとする救世主の魔法が、共通の目的のために共鳴した。




「“ディノマイト・ネガゼノス”!!」

「“シルヴェリア・リスティリオス”!!」




 ベルの蹴りと共に打ち出される蒼銀の流星。遥か天空を駆けるそれはまさしく流れ星のように、一直線に目標へと向かっていく。


 爆裂する蒼銀、砕け散る島の欠片。莫大な魔力の奔流の中で、総司はベルに言われた通り、砕け散る大地の一部を足蹴にして何とかして上へ跳んだ。


 女神の騎士の身体能力があればこそ為せる技。突撃の進路をわずかに上へそらせたものの、真上に跳ぶことはさすがに叶わず、総司の体は進行方向からほんの少しだけ上へずれた程度の位置へと投げ出される。


 だが、それで十分。赤い閃光を纏ったベルが、“シルヴェリア・リスティリオス”の爆裂をものともせずに突っ込んできて、総司の体を確保する。


「いだだだだ!!」


 高密度の魔力に晒されて、ベルの肌の一部が火傷のような、擦過傷のような傷に見舞われる。


「あなたこれ、こんなとんでもない魔法を……!」

「ッ……けど、やっぱこれが限界か……!」


 総司が悔しそうに目を細めた。


 粉砕は成し遂げた。だが、それが限界。究極の一撃を以てしても、流石に大地そのものを「消し飛ばす」ほどの威力は達成できない。


「……十分だよ。そりゃあ、犠牲がゼロってわけにはいかないだろうけど……」

「くそっ……!」


 リシアとミスティルが破壊した分も含めて、飛び散った細かな破片は無数の隕石と化し、あと数分とせずに地上へと降り注ぐことになる。


 全てが滅びるよりはマシな結果になる。それは間違いないだろうが、果たしてこれで“何人が死ぬ”ことになるだろう。


 ラーゼアディウムが突如として浮力を失ったことは、決してベルが引き起こしたことでもないし、誰にも原因はわからない。今回の騒動がなくてもいつか起きてしまう災厄なのかもしれない。そのような緊急事態の中で、総司たちは実によく頑張ったと言える。


 しかし、それでも、叶うならもっと犠牲の少ない解決手段を見出したかった。時間がなさ過ぎた。総司たちがカイオディウムにいたからこそ出来た破壊ではあるが、やり切れない思いは残る。

 そんな総司の焦燥を汲み、消し飛ばすかのように。


 希望の調べとも言うべき魔力の気配が、総司とベルの元に届いた。


「これは……!」


 二人が大聖堂を見る。


 大聖堂デミエル・ダリアが、眩い輝きを放っていた。


「フロルか……!」


 大聖堂の中枢、聖域の最深部を移植した部屋で、フロルは祈りを捧げていた。


 まさに今、この権能を使うとき。枢機卿として与えられた「大聖堂の権能」の全権限を有するフロルは、総司たちを信じて準備を進めていた。


 他の誰にも、天に浮かぶ島を「破壊しよう」などと夢にも思わないだろうし、出来るはずもないと断じるだろう。しかしフロルは違う。


 総司たちが信頼に値するということは、この半日ほどで嫌というほど見せてもらった。彼が決然と空を見上げたその瞬間から、彼らを信じないという選択肢は、フロルにはなかった。


 大聖堂の周囲に無数の「盾」のような、「鏡」のような物体が展開される。大聖堂全体を覆うようにして展開されたそれらは、高速で旋回しながら徐々に大聖堂を離れて半球形を形成する。


「“常世に遍く生命よ――――全て等しき・女神の子らよ”」


 魔法の才覚はなく、伝承魔法を受け継ぐ系譜でもなく、特別の力を何も持たぬフロル・ウェルゼミットが唯一有する力。


 千年の叡智を内包する、存在そのものが「神器」と化した大聖堂の権能との、史上まれにみる親和性。フロルが持つ唯一の才能は、きっと、今この時のために在る。


 祈りを捧げる所作をやめ、かっと目を開き、フロルはもろ手を挙げた。


「“女神の奇跡を賛美せよ――――デミエル・ダリアの名のもとに”!」


 力強く叫ぶその権能は、名を。




「“スティーリア・サルヴァレアス”!!」




 魔力の規模が違う。魔法の規模が違う。それは本来、エルテミナの魂を護るゆりかごとしての大聖堂が、外敵を排するために有する機能であり、それが故に強烈。ヒトの身で達成できる次元を大きく逸脱した力は、総司たちの決死の突撃がかすむほどの威力を伴う。


 無数に展開された鏡のような物体から、同じく無数に放たれる高速の閃光。うねりながら飛び交う流星は、細かく散ったラーゼアディウムの破片の全てを捕らえて、数えきれない爆発を引き起こし、破壊していく。


 女神の名を騙り外敵を排するための権能は、まさに国を護るために使われた。フロル枢機卿の為政者としての意地だ。


 全ての破片を残らず破壊し切り、フロルはふっとふらついた。大聖堂の権能の行使は決して、その権限を持つ枢機卿に負担がないわけではない。大聖堂が蓄えた魔力を惜しみなく使っても、フロル自身の魔力が一切消費されないわけではない。


 だが、倒れるわけにはいかない。フロルにはまだ大事な役目が残されている。


 それが出来るかどうかはわからないが、やるしかない。


 ラーゼアディウムの魔力を失った「大聖堂を含む四つの浮遊衛星都市」は、放っておけば自由落下に入ってしまう。大聖堂には、ラーゼアディウムと同じく“聖域”の一部であった場所、しかもその最も重要な最深部が存在している。流石にラーゼアディウムとは規模が違い過ぎるために、全ての衛星都市を浮遊させたままというのは不可能だろうが、落下速度を調整することぐらいは出来るはずだ。


 せめて安全に、ゆっくりと地上へ下ろす。そのためには、フロルが今気を失うわけにはいかない。フロル枢機卿の殺害というクーデターは未達成に終わった。フロル以外に、この大聖堂の制御が出来る者はいないのだ。


 だが、大聖堂最大の権能を使った今、フロルに残された余力はわずかしかない。総司やリシア、ミスティルももう限界だ。彼らは力を出し切って、到底不可能と思われた奇跡を達成した。


 あとは自分の役目。なんとしてでも、このまま落とすわけにはいかない――――!


「くっ……!」


 魔力を回し、最深部に設置された「鳥かご」、その光へ魔力を供給する。しかしとても足りない。もとより魔法の才覚も魔力量も、常人の域を出ないフロルである。いくら大聖堂自体が魔力の塊であろうとも、それも大部分を消費してしまった今、全ての衛星都市を支え切るだけの力を大聖堂に供給できない。


 「鳥かご」も悲鳴を上げているかのようだった。光が拡散し、わずかな魔力までもが逃げていきそうになる。


 フロルも限界が近く、膝が落ちそうになった。意志の力で耐えたところで、終わりの時は近かったが――――


 疾走する足音。“星拾う展望台”に続く階段を駆け下りてくる誰か。


 一連の戦闘、一連の破壊行動の中でもしも、フロルを手伝えるだけの余力を残した者がいるとすればそれは、彼女以外にはあり得なかった。


「ぜぇあ!!」


 フロルの後ろから飛び出して「鳥かご」に突進し、彼女が手を打ちつけると同時に、赤い閃光が炸裂する。フロルとは比較にならないすさまじい魔力。黒い稲妻が部屋中を駆け巡っていく。


「ベル……!」

「制御はフロルにしか出来ないんだよ! 集中して!」


 フロルの方を見もせずにベルが檄を飛ばす。フロルは言われた通り、全ての衛星都市を制御し、落下速度を緩めるために意識を集中する。


 ベルの魔力は強烈、やはり天才のそれ。フロル一人の時よりもよほど十全に魔力が回っていくのを感じるが、まだそれでも足りない。


「ソウシ!!」


 ベルが叫んだ。


 フロルの十字架のイヤリングを通じて、ベルの呼びかけを聞いた総司が、“星拾う展望台”でふらつく体を引きずりながら、リバース・オーダーを床に突き立てた。


「正真正銘これですっからかんだ……頼んだぞ、二人とも」


 再び放つ、“ティタニエラ・リスティリオス”。新緑の魔力が床を抜け、ベルとフロルに降り注ぐ。赤い魔力に新緑が加わって、部屋中に拡散していく。


 最後の最後で、ようやく交わった二人。離れていた二人の手はいつしか重なり合い、全身全霊で力を注ぐ。


 ゴウン、と奇妙な振動と共に、大聖堂を含む衛星都市の落下が止まり始めた。緩やかな速度の減衰が、制御の成功を告げる。


 いや、成功どころか――――大聖堂を含む衛星都市は、ゆっくりと「元の位置」まで戻っていくと、その場で停止した。“聖域”の最深部に秘められた強大な魔力が、女神の魔力と同質である「女神の騎士」の力に呼応して、フロルの想定以上の力を発揮した。


「ッ……っしゃあ……!」


 雄たけびにも満たない歓喜のつぶやきと共に、総司の体が崩れ落ちる。


 受け身も取れず床に倒れ込もうとしたところで、リシアがその体をしっかりと支えた。


「流石のお前も、限界か」


 自分もとうに限界を超えているだろうに、リシアは笑って見せた。


 穏やかに浮かぶ大聖堂。その頂点で、リシアに支えられながら、総司がふと、今気づいたように言った。


「おぉ……道理でしんどいわけだ……そういや徹夜じゃねえか、俺達は……」


 一晩寝ないぐらいのこと、“何もなければ”さほど大変な事態ではないが。


 常に異常事態に巻き込まれ、大きな戦いをも潜り抜け、心も体もすり減らした今、寝ていないという事実はどっしりとのしかかっていた。


「そうだな……私も疲れた。だが、見合う成果はあったさ」


 重すぎる血の呪縛に苛まれた、たった一人の少女が引き金となって巻き起こった“二度目のカイオディウム事変”。


 長いようで短かった激動の数日間が、今ようやく幕を閉じた。


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