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リスティリア救世譚  作者: ともざわ きよあき
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罪裁くカイオディウム 第七話④ 救世主は今、全てを背負う少女のために

「……行けばよろしいのに。あなたらしくもない」


 大聖堂デミエル・ダリアの中には、居住者のための医務室がある。クレア・ウェルゼミットの案内で、オーランドとルテアを医務室へ運んだリシアとミスティルは、十字架のイヤリングを通して全てを把握していた。


 フロルが、総司とベルの対決を全て中継している。そんな機能があるとまでは知らなかったが、目を閉じてみれば脳裏に、フロルの視線を介して二人の戦いの光景すらも伝わってくる。恐らくはフロルだけが使用できる機能なのだろう。


 リシアが何度か剣を手にして、居ても立っても居られない様子で歩き出しては、首を振って引き返すという動作を繰り返しているので、見かねたミスティルが声を掛けたのだが。


 リシアは焦燥に駆られた表情ながらも、総司の元へ行こうとしなかった。


「邪魔してはならない戦いだ」

「……頑固ですこと。似た者同士ですね、あなた達は」


 ティタニエラで総司と戦い、敗れた時。


 ミスティルは総司の過去を垣間見た。愛するヒトを失うその瞬間に期せずして立ち会ってしまい、総司の根底にあるものを知った。


 一般的な倫理観や価値観はさておき、総司にとってみれば恐らく、フロルを殺そうとしたことよりも更に許せないのかもしれない。自分の命を、思い出を否定して、なかったことにしようとしているベルの野望は、総司に引けない理由を作った。


「ソウシさんが負けたら、どうなります」

「アイツが負けるような相手、私ではどうにもならん。枢機卿猊下は殺されるだろうし、“レヴァンフェルメス”はベルの目的のために消費される。その先は、ベルの言う通り“誰にもわからない”な」

「でも負けるとは思っていないのでしょう」

「無論だ」


 リシアの声は確信に満ちていた。


「負けはしないが、恐らく……ソウシにとっての勝利条件は、ただベルを止めることだけではない」

「あのお人よしの悪いところです」

「あのお人よしの良いところ、だ。我々の知る通りのな」

「……ええ」


 憎まれ口の一つでも返ってくるかと思ったが、ミスティルは意外にもこくりと頷いた。


「もしかして……後悔しているのか?」


 ミスティルはそう言えば、ラーゼアディウムへと突入した時から、いつもの彼女とは少しだけ違って見えた。彼女らしからぬ所作や物言いが多かった。別にそれが悪いというわけではないのだが、彼女にしては憎まれ口が少なかったし、どこか素直に総司のことを称賛していた。特に総司に対しては、もっと遠慮のない痛烈な言い方が多かったはずだった。


「……ベルさんの望みを叶えるため……私はカイオディウムまで来ました。けれど……“選択が正しかったのか”と問われれば、自信を持って肯定することは出来ません」


 ミスティルはただ、ベルのために。


 彼女の望みを叶えるために行動した。


 総司の言う「選んだ先の責任まで背負う」覚悟がそこにあったわけではない。ベルの望みが「自分の命を否定すること」だと最初から知っていれば、ミスティルは手を貸したりしなかったはずだ。


 リシアが総司の戦いに手を出そうとしないのは、誰よりも彼が、ベルには絶対に負けられないから。彼の意地を邪魔してはならないと確信しているから。


 ミスティルが手を出せないのは、その資格がないと自覚しているから。彼女のためにという理由付けは、ミスティルにとっては考えなくて済む免罪符に過ぎなかったのかもしれない。


「……これはソウシにも言ったことがあるんだが」


 リシアは微笑を浮かべてミスティルを見る。


「“選ぶ前からその選択が正しいと確信している”のが重要なのではない。選んだ後の行動こそが重要なんだ」

「……彼は幸せ者ですね。あなたのような相棒がいて」

「よしてくれ」


 リシアは苦笑して首を振った。


「ベルがルテア様に魔法を掛け、全てを仕組んでいたなどと、とても読み切れたものではない。あの子の演技も大したものだった……そう自分を責めるな、ミスティル」


 聖騎士団の中でも、ベルは王家と特に親しくしていた。王女ルテアに魔法を掛けるタイミングはいくらでもあっただろう。ティタニエラから戻った後も、ベルはたびたび王女と話し合うために二人きりになっていたことがあった。恐らくは、魔法が完璧に機能しているかどうかを逐一確認していたのだろう。


 ミスティルの直感はある意味当たっていた。王女ルテアのことを最初から気に入らなかったのは、ルテアに掛けられた魔法を無意識に感じ取っていたからなのかもしれない。だが、ベルの巧妙な魔法をついには見抜けなかった。ベルはそれだけ周到に準備していた。


「そして願わくは……ベルのことも、責めないでやってほしい……いや、これは私が言うべきことではないが」


 ベルの思惑の一つには間違いなく、フロルの殺害があり、その点では嘘をついていたわけではないにせよ。


 奥底に秘めた真意は、総司やリシアの旅の目的とも相反するもの。最初から「この状況」に至ることをベルが想定していたなら、リシアも彼女の嘘の被害者には違いない。


 それでも、リシアはベルを恨めなかった。ベルが背負う宿命と、それを克服しようとする覚悟の、並々ならぬ重みを認めていた。


 手段にも、願いの果てにも正当性はない。だがベルは行動するしかなかった。彼女を突き動かす感情は決して「良いもの」ではないが、だからと言って彼女を責める気にはなれなかった。


「……私にも負い目があります。偉そうにベルさんを糾弾できる立場ではない……でも、願わくは……解放されてほしいものですね……」


 オーランドがリシアとミスティルに語った、スティンゴルドの系譜が抱える血の呪縛の重さ。お前たちには推し量れない――――その言葉は正しかった。


 カイオディウムの物語の結末が何を齎すのかは、まだ誰にもわからないが。


 少なくとも総司の望む結末とベルの望む結末は違う。この戦いでどちらかの望みが必ず折れることになる。総司は間違いなく、アレインの望みもミスティルの望みも断ち切ったが、これまでは、「断ち切ったことで前に進んだ」ものが確かにあった。


 今回は違うかもしれない。へし折った望みの果てにあるのは、ベルの絶望かもしれない。


 総司も理解しているはずだ。殺さなかったことで「救いがない」結果になるかもしれない事実を感じ取っているはずだ。


「ミスティル、少し――――」


 リシアが何か言いかけたところで、クレアが医務室に駆け込んできた。


 彼女はリシアたちを案内した後、水や食料を調達しに大聖堂の別の場所へと行っていたはずだった。


「アリンティアス団長、大変です……!」

「何があったのです?」


 顔色の悪いクレアに、リシアが鋭く詰問する。


「最初は気のせいかと思った……しかし、間違いありません……!」


 クレアは全力疾走してここまで来たのか、息も絶え絶えの様子でリシアに告げる。


「ラーゼアディウムの高度が……少しずつ、下がっている……! しかもその速度が本当にわずかずつ、増している……! このままでは――――ラーゼアディウムは更に加速して、地上に……!」







 反逆者ロアダークが目論んだのは、端的に言えば「破壊」と「再生」だ。


 かつて「スティーリア」と呼ばれたこの世界と、女神レヴァンチェスカとの繋がりを断つために「破壊」し、女神のいない世界を再構築する。


 リスティリアにおいては、名を改めるよりもずっと前から、数多くの魔法使いたちが女神に執着し、その妖しい魅力に絆されては破滅してきた。


 絶世の美女であり、絶対的な存在。女神の領域と接続できていた時代は特に、その魅力に取りつかれてしまった者が幾度となく現れた。


 ロアダークにその執着はなかった。女神を我が物に、という考えはロアダークにはなく、彼が望んだのは女神なき世界、自らが支配する世界だった。だからこそ、修道女エルテミナとは決別することになってしまった。


 世界を敵に回した二人の野望の差異は、現代でも見て取れる。


 ロアダークが“女神の領域と接続できる聖域の破壊”を主目的としていたのにも関わらず、カイオディウムの“断罪の聖域”が破壊を免れて現代まで残っていることが、エルテミナの願望の証左と言ってもいい。ロアダークと違ってエルテミナは、女神の領域と接続できなくなるのは困る。故に、利用価値があると唆し、“断罪の聖域”の破壊を後回しにさせたのだ。


 最終的に、相反する野望を携えた二人の「反逆者」の勝者はと言えば、修道女エルテミナの方だった。ロアダークは討たれ、その命は潰えたが、エルテミナの意思と魂は下界に残った。彼女の企み通り、“聖域”もカイオディウムに残ったまま。


 エルテミナの真実を知るゼルレインは行方をくらまし、ロアダークは死に、レスディール・スティンゴルドは後の支配体制の中でほぼ排斥が叶った。各国が繋がることを拒んだリスティリアにおいて、特に他国の干渉を受けづらい状況となったカイオディウムは、さながらエルテミナという悪意を安全にはぐくむゆりかごのような役目を果たすことになった。千年という長い時間を、臥薪嘗胆の心境で生き永らえた、尋常ならざるエルテミナの執念は、今まさに結実しようとしていたところだった。


 誤算はたった一つだけ。


 千年の時を超え、絶えることなく受け継がれた“真実を知る意志”。


 レスディール・スティンゴルドの系譜に、千年来の天才が生まれたこと。


 その天才が更に奇跡的なことに、意志ある生命として際立った善性と、確固たる強さを持っていて、かつてロアダークとすら肩を並べたエルテミナをも、生命の格として上回ったこと。千年待ち望んだ結末の一歩手前で、レスディールの反逆の剣が、エルテミナの心臓に届いたのだ。


 諸刃の剣だった。確かにエルテミナの心臓に届いた反逆の剣は、その天才にも逃れ得ぬ呪いを与えた。自らの出自を徹底的に嫌い呪う最悪の宿命と共に、「最も親しいヒトを殺さなければならない」という最悪の使命感を齎してしまった。


 ベル・スティンゴルドにとって、フロル・ウェルゼミットの殺害は単なる意地だけに留まらない。


 修道女エルテミナを確かに取り込んだが、エルテミナの痕跡をこの世から完全に消し去るためには――――もしも、ベルが女神の領域へと渡った後に失敗しても、せめてエルテミナだけは確実に道連れにするためには。


 今なおフロルに残り続ける「楔」を、リスティリアに置いていくわけにはいかない。万が一の可能性かもしれなくとも、ここまで来て失敗するわけにはいかない。


 エルテミナがベルを継承者としたのは、エルテミナが最後の最後で犯したミスであり、ベルにとって千載一遇の僥倖だった。エルテミナは力を取り戻しつつあり、ベルを見くびった。希代の天才はエルテミナを逆に支配し、遂に、千年生き永らえた化け物を葬り去るという悲願に王手をかけた。取り込んだが故に記憶をも受け継ぎ、それが「自死の道を選ぶ」強烈なトリガーになってしまったが、それでもベルにとっては幸運だったのだ。


 ベルにとっては、というよりは、「スティンゴルドにとっては」と、言い換えるべきなのかもしれないが。


 スティンゴルドの系譜が受け継いできた悲願の達成において、ベル個人の意思や人格は尊重されない。必要だったのは彼女の天才性だけだ。ベルはそれでよかった。逃れられない宿命の中で、自分の血を呪いながら生きるよりも、意味があると思えたから。千年来の因縁に決着をつけるためだけの駒であっても構わないと思えた。


 だというのに、どうして。


 どうして目の前にいる“この男”は、ベル・スティンゴルド個人のために、殺そうともせず、かといって引こうともせず、それでいて必死に、命を賭けて戦うのか。ベルにはそれが、どうしても理解できない。


「――――強い……」


 フロルのつぶやきは、強烈な魔力と魔法のぶつかり合い、その衝撃波にかき消される。


 ベルの力はすさまじい。フロルの知る彼女ではない。伝承魔法“ネガゼノス”の強さもさることながら、エルテミナの力も合わさって、ベルは本当に強い存在になっている。


 しかしフロルの賞賛は、ベルに向けられたものではなかった。


 食い下がる総司の強さが、フロルの想定もベルの想定も遥かに超えている。


 今のベルは決して甘い相手ではない。相手を「殺さない」ように仕留めるには、それだけ実力的に上回る必要がある。拮抗した実力の中でギリギリの命の奪い合いをしていては、そんな甘さを持てば瞬く間に均衡が崩れる。


 全力のぶつかり合いの中で力の均衡が「崩れていない」ということはつまり。


 フロルの目には「あまりにも強すぎる」ベルの力を、総司の力が更に上回っているから。そうでなければ説明がつかない。


「これほどとは……!」


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