罪裁くカイオディウム 第七話③ これまでも、これからも
フロルが驚愕に目を見張り、総司の目がすうっと細く、鋭くなった。
「……何を言っているのですか?」
フロルの声は震えていた。
「ベル……一体、何を……?」
「誰もかれもがあなたみたいに、自己犠牲の精神に溢れてると思ってるところが、お人よしなんだよソウシは! もっと世界は欲に満ちてるし、みんな自分のためにしか動かないんだよ! そしてあたしもその一人! 高潔な精神も高尚な使命感もあたしにはない――――考えているのは自分のことだけ、それがベル・スティンゴルドの本性であり、意思ある生命の原則なの!」
それはベルの、魂の叫び。
出自を呪い、過去を忌む彼女の行動原理。根底にある負の思想。
千年前から連綿と続くスティンゴルドの因縁を、その根元から断ち切る。
「自分のやりたいようにやる」のだと言い聞かせながら、自分には何の利もない戦いに身を投じ続ける総司とは、対極の思想であり――――極めて普遍的で一般的な感性。野望の果てに在るものは常識からかけ離れているとしても、ベルの行動の根底に横たわる「自己中心性」は意志ある生命にとって当然の価値観であり、むしろ総司の方が異常なのだ。
苦しみから解き放たれたいという私利私欲のためにのみ、あらゆるものを騙して巻き込んだ大嘘つき。
自分のためと豪語しながら誰かのためにしか戦ったことのない総司には、きっと。
彼女が自分で言わない限り、彼女を理解できる日は訪れなかっただろう。
「過去をなきものにしてしまったら、それは“今”が滅ぶことと同じです」
フロルが必死で訴える。
「あなたの野望が実現してしまったら歴史そのものが歪んでしまう……スティンゴルドの系譜は“千年前の事件”の引き金でした、それがなくなってしまったら、今の世界は……!」
「さあ、どうなるんだろうね。誰もやったことがないだろうし、誰にもわからない。けどそんなことはどうでもいいんだよ、フロル。千年前の事件のせいで……スティンゴルドのせいで、間違った方向に進んだ今のリスティリアに、救うだけの価値なんてない」
自分の元いた世界でもなく、自分の居場所すら明確に存在しないリスティリアを救うために、総司は旅をして、四つ目の国にまで辿り着いた。
その対極たるベルは、自分が生まれた自分の世界であるリスティリアのことなどどうでもいい――――否。間違いなく自分が生まれ落ちた、血の呪縛から逃れようのない世界だからこそ、どうでもいい。むしろ要らない。
十六年間の思い出を否定する。その人生を否定する。己の命そのものを否定する。世界がどうなろうともそんなことは思慮の外。重要なことは、苦しみに満ちた十六年がベルには少しも必要ではなく。
スティンゴルドの系譜が齎してしまった千年の呪い。繋がることを拒む現在のリスティリアの在り方そのものを間違いと断じる。
もちろんそれは「事のついで」だ。最たるは己の出自を呪ったがため、スティンゴルドの血を無かったことにしたいから。彼女の言葉を額面通りに受け取れば、そういうことになるが。
総司は気付いてしまった。
修道女エルテミナを取り込んで力を得たベルだが、それだけではないのだ。オーランドが求めたもの、王女ルテアを継承者と勘違いしたあの男が求めたものは、エルテミナの――――
「……知ったのか、ベル……お前……!」
ベルの言葉から、カイオディウムで起きたこれまでの騒動で見聞きしたものから。
総司はその答えに辿り着いた。
「“千年前に何が起きたのか”……エルテミナの記憶を、知識を得たんだな!」
ベルの微笑は肯定の証。
彼女の肯定は、未だ謎めいたままの、「今起きている危機」に繋がる“何か”が、千年前の“カイオディウム事変”に在るということを示唆する。
女神レヴァンチェスカを脅かす危機の原因となり得る“何か”が千年前に存在し、恐らくはカイオディウム事変の時にそれが明るみとなって、現在に至るまで世界を脅かしている。だからベルは「今の世界が間違っている」と言ったのだ。エルテミナ・スティンゴルドによって引き起こされた大事件、そのさなかに発生した“何か”が、千年の時を経て現代にまで尾を引いて、女神を脅かすことに繋がったから、ベルは自分の生命と共にスティンゴルドの「始まり」をも無にしようとしている。
暴力的な解決方法だ。自分の野望を達するついでに世界の危機も消し去ろうとしているが、ベルのやり方では「危機を消す」というよりは「今の世界そのものを消す」ことになる。
それは許容できない。ベルのやり方を肯定することは、もう総司には出来ない。たとえ自分の世界ではなく、リスティリアには居場所のない、救世主としての役目を演じるだけの男であったとしても。
もう総司には、このリスティリアで「失いたくない」物が多すぎる。レブレーベントで出会った人々も、幻に消えたルディラントの思い出も、ティタニエラで過ごした日々も、カイオディウムで得た友人たちも、総司にとっては一つも失いたくない大切な、リスティリアにおける心の拠り所であり、護りたいものだ。
「少しはやる気になった? あたしを放っておけば、ソウシの“敵”が世界を滅ぼすよりも早く終わりが訪れるけど、それでもあたしを殺さないつもり? それともこの辺でやめとこうか。あなたがどうしてもいやだって言うなら、フロルだけ置いて下がってくれれば、別にあなたのことは追わないよ。“レヴァンフェルメス”は渡せないけど」
嘲るような物言いには、わかりやすい挑発の色がある。
総司はじっとベルを見つめ――――リバース・オーダーをすっと構えた。ベルが楽しそうに笑った。
「それでいい。あたし一人殺せないようじゃ、結局最後の“敵”も斬れないまま終わるだろうし。覚悟を決めたのは成長の証かもね」
不吉な魔力を再び拡散させて、ベルが決戦のため、総司の覚悟に応えようと構える。
「けど残念、ちょっと遅かった。それでも勝つのはあたしだよ。もう少し早くあたしのことを切り捨てていればよかったのにね」
「殺さず、止める」
ベルの顔から笑みが消える。総司はハッキリと告げた。
「今の話を聞いちゃあ、尚更お前を殺せなくなっただけだ。何が何でもお前から話を聞く必要がある。何より」
茫然自失にも見えるベルに、総司は続けて告げる。
「お前が何を言おうが、俺はお前を殺したくない。フロルも殺させない。“レヴァンフェルメス”は渡してもらう。“全部やる”。お前こそ引くつもりがねえんなら、気の済むように掛かって来い」
「……いい加減に……いい加減に、目の前の現実を見なよ!」
ベルの裂帛の叫びと共に、赤い閃光が炸裂し、黒い稲妻が迸った。総司の甘い考えが、ベルの逆鱗に触れていた。
怒号と共に拡散する魔力。慟哭にも似たベルの叫びが、総司の耳に届いて離れない。
「あたしはフロルを是が非でも殺す――――そして何より、“レヴァンフェルメス”を確保してる! あなたが引かないっていうんならこれは、真にあなたが挑むべき戦い、“オリジン”を賭けた争奪戦だ!」
チラチラと赤い光が、ベルの瞳に煌めくのが見えた。
総司はその瞳をまっすぐに見つめ返し、そしてベルを想う。
それは、願望。希望的観測。共に過ごした友人であるベルのことを信じたいがために総司の脳裏をよぎる、淡い期待。ベルはまだ真意の全てを明らかにはしていないのではないか、と勝手に信じようとしている総司の主観的な、勝手な見方。
ありもしない希望に縋ってでも、それを自分の心に言い聞かせてでも――――
絶対に、ベルを斬りたくない。
「何が“全部やる”だよ、子供のわがままみたいにさ! 馬鹿にしないで! あなたが女神の救済を望むなら、それがあなたの役目だというなら、あたしを殺して奪い取ってみろ! そうするための力なんでしょうが!!」
「いいや違う! 俺の力は、俺の望みを全部叶えるための力だ!」
ベルの叫びに、怒号で返す。蒼銀の魔力が拡散し、赤と黒の不吉な力に拮抗する。
子供のわがままのようだと言えば確かにその通りかもしれない。あれも嫌、これも嫌ではまかり通らないことぐらい、世の中にはたくさんあるもので、全てを取りこぼさないように意地を張る総司は、覚悟を決めて行動してきたベルからすれば優柔不断で甘すぎる。
だがそれでこそ、救世主。
世界と友を天秤にかけて、どちらかを選ぶのではなく。
どちらも救うという夢物語を、あり得ないはずの選択肢を、声高に叫んでこその救世主。
「他の誰でもない……俺が選んで決めたことを、成し遂げるためにこの力は在る。その先の責任も背負うために、この力が在る! 間違っても……間違っても、友達を殺すための力じゃないんだよ!」
「ッ――――その頑固さであなたもフロルも死ぬことになるよ、このわからずや!!」
「気に入らねえならわからせてみろ! 言っとくがな、ベル、俺は――――」
ベルが動いた。赤い力が黒を帯び、総司に向かって突進する。総司はそれを迎え撃つべくリバース・オーダーを振りかざし、叫んだ。
「俺は、これまでも、これからも! 斬るべき相手を、間違えるつもりはない!!」
サリアを斬った選択が、きっと正しかったのだと、自分自身が肯定するためにも。
仮初のルディラントを終わらせた選択が、正しかったとこれから先も認め続けるためにも。
自分の責任において絶対に、間違うわけにはいかない。一度でも“それ”を間違ってしまったら、総司の根底にあるものがブレる。斬るべきものを間違ったことがあるという事実が生じてしまえば、サリアを斬った選択の正しさを信じ切ることが出来なくなる。
それは苛酷な自戒だった。この先も幾度となく、総司にとって避けられない戦い、避けたくない戦いが起こるだろう。そのさなか、命を賭し、ひいてはその背に負う世界の命運すらも賭けた状態で、それでも総司は斬るべき相手を間違えられない。
リスティリアを救う運命に在るのだとしたら、きっと、そこまで強固で理不尽にも思える自戒を背負うべきではないのだろう。何より自分の命と使命を優先すべきなのだろう。
けれど仕方がない――――それが総司自身の望み。胸を張って「好きに生き好きに死ぬ」ために、決して下ろせない十字架だ。
そして総司はもう一つ、裏切ることのできない信念を背負っている。
最愛のヒトを失い、その後を追って死にたいとすら願っても、どうしてもそれが出来なかった自分。死への恐怖もあったかもしれないが、それ以上に、自ら死を選ぶことが何より“彼女”に対する侮辱だと知っていたから。だから何か逃れようのない事象で死ぬことを一時は望んだ。
自死を選ぶことに対する価値観は個々人によって違うかもしれない。その選択を取ってしまう者に罪があるとは言わない。しかし、総司個人としてはどうしても許すわけにはいかないのだ。自分の命が失われることを望むベルには、何が何でも負けられない。総司にはベルと戦う理由がないように思えたが、しかしベルが心の内を吐露したことで明確に理由が出来た。総司が絶対に負けられない、絶対に引けない理由を、ベル自身が創り出したのだ。
赤と黒の光が、蒼銀の光と激突する。激化する戦いを止められる者はいない。遂に吹き飛ばされたフロルは、ざっと床を滑って壁にぶつかり、せき込みながらもなんとか立ち上がる。
この戦いから決して目を背けてはいけない。自分の代わりに何もかも背負って戦ってくれている総司のためにも、どうしようもない運命の中で、間違った手段だとしても懸命に足掻いているベルのためにも、フロルは結末を見届けなければならない。
何もできない無力さに拳を固め、唇をかみしめながら、フロルは、相反する二つの決意が激突する様を見守った。