罪裁くカイオディウム 第七話② 彼女が出した答え
「下がってろ、フロル。俺がやる」
「……あなた方には、感謝のしようもないというのに」
フロルは心底悔しそうに拳を握り固めていた。
「約束の報酬をただ渡すことすら出来ず、またあなたに頼るしかないとは……」
「そんな言葉が聞きたいんじゃない」
リバース・オーダーを構え、ベルと睨み合いながら、総司がバシッと言った。フロルは首を振り、総司の背中に声を掛ける。
「どうかお願いします……ベルを止めて」
「任せろ」
赤い閃光が一直線に放たれる。
剣で受ける、重い一撃。ずしりと腕に伝わる感覚が、一筋縄ではいかないことを如実に示す。総司は思いきり剣を振り抜いて、“レヴァジーア・ネガゼノス”をはじき返した。
「……別に、今更“わかってた”なんて見栄を張るつもりはないんだけど」
寂しそうに、総司が言う。ベルは唇を真一文字に結んで、総司をじっと睨みつけている。
「心のどこかで“こう”なる気はしてた……お前は一度も、俺達に本音を話さなかったから」
「……そうだね。きっと、遅かれ早かれこうなってた。あたしとあなたの敵対は多分宿命だろうから」
反逆者の力を持つベルと、世界の救済を使命とする総司。
肩を並べて歩く二人の異常性を指摘したのはジャンジットテリオスだっただろうか。
千年前と今は切り離されてはいないが、決して、今を生きる生命の主観からすれば完全に連続した時間軸ではない。遠い過去の出来事であり、事実がそこにあるだけの、他人事に近い単なる歴史に過ぎない。
だが、ベルにとっては違う。
ティタニエラでは確かに背を預けて戦った。命を賭して総司を護ることすらあった。それでも、この運命から逃れることは出来なかった。
「そんなものはない」
ベルが口にした「宿命」という単語を、真っ向から否定する。
「お前はお前だ。たとえ全てが嘘だったとしても、ベル・スティンゴルドはロアダークでもエルテミナでもない。俺にはお前と戦う理由がないから……教えてくれ。お前は、何のために今日まで戦ってきたんだ」
“修道女エルテミナの意思と魂を滅する”という目的が嘘で、“フロルを殺す”という目的は本当。血の呪縛に囚われたベルが、その生涯を支配する呪いから解放されるにはどうしても必要なことなのかもしれないが。
それはそれとしても、では“レヴァンフェルメス”を求めた理由は何か。
王女ルテアに魔法の暗示を掛け、まるでエルテミナの意思の継承者であるかのように思わせて、オーランドとライゼスを誑かした。ラーゼアディウムの起動と大聖堂との合流、ひいては“断罪の聖域”の完成もベルの計算の内だろう。
ベルは総司の問いかけに答えなかった。
金色のソルレットを呼び出し、高速で総司のすぐそばまで跳んで得意の蹴りを仕掛ける。当然、既に臨戦態勢となった総司が反応できないわけはない。凶悪な速度の蹴りを剣で受け止めて、至近距離で、ベルと視線を交わす。
二人の力のぶつかり合いは衝撃波を生み、フロルがぐっと体を押された。何とかその場に踏みとどまり、二人の戦いを見守る。
「リシアとミスティルはどうしたの?」
「オーランドとルテアを任せてきた。ライゼスまで拾えるかは知らねえが……お前の同僚が、安静にできるところまで案内してくれている」
「……クレア。そう、あの子もいるんだったね」
ドン、と派手なぶつかり合いと共に、ベルの体が大きく吹き飛ぶ。“サレルファリア”の魔法で、空中で自在に態勢を変えられるベルが、くるんと体を回して再び、上空から総司に突撃した。
強烈な踵落とし。受け止めても殺しきれない衝撃。ティタニエラで見せた彼女の戦いとは全く質が違う。
「三人がかりでお前とやり合うつもりはない。お前は俺が止める」
「甘いね、相変わらず。だからダメなんだよ、ソウシは」
再び別れる二人。二人ともまだ本気の本気、というわけではない。
だが、はたから見ていても、二人ともが徐々にその力を、本気度を高めているのが、フロルにもわかった。機を窺い、探り合いながら、決着の隙を見出そうとしている。
恐らく、二人のどちらかの作戦や奇策がはまって、不意に戦いが終わるようなことにはならないだろう。
二人ともそんな次元にいない。もとより小細工するつもりもないだろうし、互いにそれが通じる戦士ではない。
女神の騎士の力と、“ネガゼノス”の激突。
しかもベルはエルテミナの力を取り込んで、常の彼女よりも更に数段上の力を有している。フロルのイヤリングを通じて、総司もそれは把握している。
「“レヴァンフェルメス”を手に入れるためには、ここへの扉を開く必要があった。オーランドのクーデターに備えるため、大聖堂の権能を使うため……フロルがこの場所への扉を開くことまでお見通しだったわけだ」
実際には、フロルは総司と本音で話すために、ベルが想定していたより早く大聖堂の中枢に至る扉を開いていたが、それがなくともこの場所への扉は開かれていただろう。
エルテミナの知識をも掌握したベルにとってみれば、大聖堂の仕組みは手に取るようにわかる。ベルが王女ルテアを使ってオーランドを唆し、フロルと敵対させたのは、まず一つに、この場所に辿り着くためだった。
「大聖堂がフロルを枢機卿と認める限り、あたしでもここには入れないからね。正解だよ」
「お前が取り込んだエルテミナ自身が創り出した護りだ。お前にフロルの護りを突破できるわけもない。そうなるようにエルテミナが創ってるだろうからな。だからミスティルを連れてきた。オーランドより先にやろうとしたのはまあ、お前の意地だよな」
「それも正解。なんだ、割と頭が回るんだね」
ビキリ、ビキリと、空間がひび割れる。
次の魔法が来る。ベルが見せたことのない手が、これからいくつも襲い掛かってくるだろう。
「“イミテイス・ネガゼノス”」
何かが割れる音と共に、総司の体をいくつも、ひび割れるような赤い光が襲って、随所に衝撃を感じた。
ベルから飛んでくる魔法ではなく、回避のしようがなかった。不可避の攻撃、その分威力は大したことはなく、単にガツンと殴られた程度の衝撃があるだけで、大きなダメージはなかったが、総司の集中と注意を途切れさせるには十分だった。
流れるように総司の懐に潜り込み、ベルの回し蹴りが胴に入る。
だがベルも詰めが甘かった。
総司はタダでは蹴られておらず、ベルの足をとっさに掴んだ。
大きく吹き飛びながらもベルを捕まえて、胴回し蹴りのダメージをこらえてベルを振り回す。
「っと!」
ベルを床に叩きつけようとした総司だったが、ベルの身のこなしも見事なものだった。総司の顎を自由な方の足で蹴り上げて彼の手から逃れ、足に宿した“ディノマイト・ネガゼノス”で続けざまに総司を攻撃し、弾き飛ばす。
「やるじゃん」
本来の彼女の力はもちろん、かつてのロアダーク並というわけではない。世界を相手取れるほどの力は、彼女にはまだない。
今はまだ、というだけだが。これほどの天才が長じればどこまで伸びるかは未知数だが、現段階の彼女は確かに強いとはいえ、総司と本気で戦って互角にやり合える領域にはいないはずだった。
だが、恐るべきは継承者としての特権。
エルテミナの知識だけでなく、エルテミナが取り戻しかけていたその力すらも掌握したことで、ベルの力は一つ上の領域へと至った。
「けど、あたしに刃を向けないのはどういうつもり? 峰打ちで済むはずないでしょ。まだ本気になれないわけ? 死ぬよ、ソウシ」
剣の柄を握りしめ、総司はぎりっと歯を食いしばった。
今の総司には、ベルを殺さず止めるための力がある。
罪裁く大太刀“カイオディウム・リスティリオス”は今この瞬間のために与えられた力なのかもしれない。最初から、王女ルテアやオーランドを斬るためでもなく、ベル・スティンゴルドを止めるための力だったのかもしれない。
ベルが血の呪縛に囚われたまま行動を起こし、最後まで止まりそうもない状況になったのは、ベル自身の意思によるもの。
総司に与えられたのは、定められた運命の導くままに結末を迎えるための力ではなく。
自らの運命に囚われ暴走する悲劇の少女を、止めるための力だった。
そう思わなければ総司自身の心にも折り合いがつかない。女神レヴァンチェスカはここまで見越して総司に力を与えた。総司がリスティリアに来た時には既に、ベルを捕らえて離さない血の呪縛は、彼女をがんじがらめにした後だったのだから。
だが、まだその力は使えない。
女神から力を返されるのと同時に理解した新たなる力の効力、特性。それを考慮すれば、今のベルを相手に簡単には振るえない。
罪裁く大太刀は命を斬らず魔を切り裂く力だが、その力は局所的、限定的にしか発揮されない。
ひとたび「誰か」を斬れば、大太刀は魔を切り裂き、その対象に混じる「不純物」を切り捨てることが出来るが、「誰か」から離れた状態の、魔法により発生した事象を切り裂くことが出来ないのだ。つまり、ベルが放つ“ネガゼノス”の攻撃魔法とぶつかり合っても、通常の姿であるリバース・オーダーと同じように対抗することが出来ない。それは左目に宿る反逆の煌めきと比べても明確に劣る弱点だった。
“カイオディウム・リスティリオス”を使うには、ベルの体そのものを間違いなく斬れる瞬間でなければ、逆にやられてしまう。
「俺がお前を斬るってか。そんでその後ミスティルに殺されると。『もし殺したら殺します』ってちゃんと釘刺されてんだよ俺は。冗談じゃねえぜ、アイツらお前の心配ばっかりだ」
ベルの顔が初めて、苦悶に歪んだ。
ベルはフロルにももちろん情はあったはずだ。その情を、長い時間を掛けて切り捨てられるよう覚悟を決めて、遂にフロルに対し殺意を向けられるようになった。
彼女の「情」にとっての計算外は、特にミスティルだった。期せずして友人となってしまったミスティル。古代魔法の使い手としての価値はさておき、ミスティルが態度の割に愛に深いというのは、ベルにとっても毒のように効いていた。
裏切りに、何の躊躇いもなかったわけではない。ミスティルと出会った時点で、もう止まれないところにまで歩みを進めていただけだ。
「“レヴァンフェルメス”を求めたのは、俺と同じ理由か」
ベルのわずかな動揺、その心の隙間に。
総司が鋭く差し込んだ。ベルがきっと目を細める。
「……俺の甘さが、お前を不安にさせたのか。一緒に旅をして、お前にそういう結論を出させてしまった。だとすれば……俺が悪いな」
総司やリシアには推し量りようもない、暗く重い宿命の中に生きてきたベルが、総司と共に行動して、「女神を救う資格なし」と断じた。
だからベルは、“レヴァンフェルメス”を求めたのではないか。
総司の推察を聞いたフロルが納得しかけていた。
女神の領域への鍵として“レヴァンフェルメス”を求めたとすれば、ベルの「その先」は女神救済にある。
“オリジン”は六つ集めなければならない。だが。
他の国とは違い、現代に至っても“聖域”を運用し、その力を引き出し続けているカイオディウムの“断罪の聖域”と、修道女エルテミナの知識と力という他にはない特権を持つベルであれば、“悪しき者”の力の残滓を獲得したアレインのように、鍵が一つあれば事足りるのかもしれない。
初めて、辻褄が合いそうになる。
ベルが策謀を巡らせた理由。“レヴァンフェルメス”まで至る道を開くことと、カイオディウムの聖域をかつての姿に戻すこと。
その過程の中、彼女にとってどうしても譲れなかった、「フロルを自分の手で殺し、血の因縁に決着をつける」ことを盛り込んで、今この状況になったのだとすれば、ベルの行動の全てに一応の説明はつくように見える。
ベルの側にも誤算は多かった。総司とリシアの成長は想定以上だっただろう。何よりミスティルの情の深さがベルにとっては大誤算で、彼女の焦燥と葛藤は日に日に大きくなっていただろう。
それでも決断し行動した。行動を止めず、最後の局面にまでこぎつけた。
一人納得しかけたフロルだったが――――ベルの反応は、決してそれを肯定しなかった。
「……ホンットに……お人よしだよね、ソウシはさぁ!」
目にもとまらぬ速さだった。
赤い閃光が総司の眼前を埋め尽くし、総司が素早く反応した時には既に、ベルの姿が消え、総司の背後に回っていた。
“ネガゼノス”の威力だけではなく、魔力による身体強化の伸びしろがあまりにも高い。
元々、ベルが得意とする風の魔法“サレルファリア”と蹴り技を駆使する高速戦闘こそがベルの十八番だ。だがその戦闘スタイルは、ベルが“ネガゼノス”を封印している限り一手一手が「軽い」ものであり、圧倒的な耐久力を持つ相手とは相性が悪いものだった。
「嫌いだから」と言う理由で使わなかった“ネガゼノス”を解禁したことで、ベルはその弱点を克服している。高次元の破壊力を持つ魔法によって一撃の重さを手に入れ、そして高速戦闘のスタイルも更に完成された。
総司の目がギュン、と動いてベルを捕らえた頃には、ベルの蹴りが総司の首に決まっていた。
それでも、女神の騎士たる彼の防御力で以て致命傷には至らない。大きく蹴り飛ばされた総司はすぐさま態勢を立て直して、追撃を迎え撃つ。
「おあいにくとね、ソウシほどお人よしじゃあないんだよあたしは!」
剣の上から叩きつけるつづけざまの“ディノマイト・ネガゼノス”。破壊力と膂力を上げる、かつてのロアダークの得意技でもある。
「勘違いも甚だしい――――それはムカつく、心からふざけんなって感じ! その誤解は許容できない! だから教えてあげるよ、あたしの目的を!」
総司をまたも蹴り飛ばし、ベルは怒りに満ちた顔で叫んだ。
「あたしの野望は“エルテミナと同じ”! エルテミナの外法を使って、女神の器を奪い取ること! そして――――全知全能の権能を使って、スティンゴルドの系譜がこの世に生まれ落ちた事実を、消し去ることだよ!」