罪裁くカイオディウム 第七話① カイオディウムは今まで、ベルのために
大いなる翼“レヴァンフェルメス”。
カイオディウムが擁する秘宝、女神が下界に齎した恵み。
それが安置されるのは、大聖堂デミエル・ダリアの最も高い場所。聖域の最深部を移植して創り出された大聖堂の中枢の、更にもう一段上の部屋。
カイオディウムを見下ろすその場所の名は、“星拾う展望台”。外部から見ても内部の様子は全くわからず、ほの暗い大聖堂の尖塔の一つにしか見えない。だが中に入ってみれば、その場所は半球形のプラネタリウムのような形になっており、ハニカム構造よろしく正六角形の透き通るような結晶がガラスの役目を果たして連なり全体を覆っている。
大聖堂デミエル・ダリアの基盤となる建物が出来上がったのは千年前。修道女エルテミナがロアダークに誅殺され、のちにロアダークが討たれ、悪しき者とはいえ絶対的指導者を失ったカイオディウムが時のウェルゼミット教団を祀り上げた後、教団を護るためと言うよりは、エルテミナを護るために建造された。
“断罪の聖域”を分割し、最深部を大聖堂の中に収容すると共に、“レヴァンフェルメス”も取り込まれることとなった。女神に成り代わろうとするエルテミナにとって、女神の力の凝縮体ともいえる“レヴァンフェルメス”は当然掌握しておきたい物だった。
大いなる翼の正体は、二対の翼を模した金色の髪飾り。髪留めに近い構造のそれは、女神レヴァンチェスカが身に着けていたとしたらよく映えることだろう。
“星拾う展望台”の入口から見た時、最奥の台座に安置されたそれは、展望台が大いに取り込む日の光を浴びて燦然と煌めいていた。台座の周囲には低い段差が数段連なっており、台座に安置されるものが特別な価値を持つのだと示している。
“星拾う展望台”をゆっくりと横切り、コツ、コツと、小さな足音を立てて、段差を登る者がいる。急ぐ様子も焦った様子もなければ、秘宝を前に感動に打ち震えるような姿もさらさない。無感情にも見える少女の表情からは、その思惑が微塵も読み取れない。
台座に安置された“レヴァンフェルメス”はわずかに浮いていた。何の防御も施されておらず、少女がしなやかに伸ばした腕を、指を容易く受け入れ、その手の中に収まった。
「それに触れて良いのは、あなたではないはずですよ」
鋭く、厳しい声が、展望台を横切って少女の耳に届いた。
彼女にとっては聞き慣れた声だ。お説教をするときの声。それを聞き慣れているということはつまり、いつも小言を言われていたということでもある。
身じろぎ一つせず、驚く様子も見せず、振り向きもしない彼女へ、フロルが “星拾う展望台”の入口から少しだけ歩を進め、再び声を掛けた。
「“資格”の問題もありますが、何よりあなたの髪には合いません。その鮮やかな金髪に同じ色の髪留めをしても、あまり映えないでしょう」
彼女は答えない。やはりまだ、振り向きもしない。
「あなたの髪には……そうですね、銀色か、深い青。派手かもしれませんが赤も良いですね。黒で大人びて見せるのも良い。今度商人を呼んで一緒に選びましょうか」
「……昔、一緒に選んだね。でも結局買わなかった。あたしも髪飾りってあんまり好きじゃないし、フロルはそもそも、身に着ける飾りは少ない方が好きだもんね」
「ではなおのことあなたには不要でしょう。“レヴァンフェルメス”を置いて下がりなさい、ベル」
名を呼ばれ、ベルは笑った。
「怖いなぁ……怒ってる?」
「当たり前です」
決して荒げはしないものの、フロルの声は怒気に満ちていた。
「どれだけ巻き込んできましたか。どれだけの嘘をつきましたか。どれだけ騙してきましたか。ティタニエラからカイオディウムに至るまで、どれだけ……そう言えば、あなたが脱走した時、もうお説教では済まさないと誓ったのでした。覚悟は良いですね」
「それは……困ったなぁ」
ベルは小さく息を吐き、また笑った。
「怒られるだろうなーとは思ってたんだけど、いざこうなってみるとやっぱりヤだね。フロルのお説教には慣れてるつもりだったんだけど」
「自慢げに言うことではありません」
厳しい表情と声を崩さないフロルに向かって、ようやくベルが振り向いた。
二人がこうして向き合うのは久しぶりだった。ベルが大聖堂の転移魔法を利用してティタニエラに飛んでから、カイオディウムに戻ってきた後も、二人が顔を合わせる機会はここに至るまで訪れなかった。ベルとフロルを引き合わせるために、総司は心を砕いたものだが、それが叶わないのは必然だった。
全てが、ベルの計算通りだったからだ。
「……やはり、そういう……」
振り向いたベルの瞳は、フロルの知る彼女の眼差しで間違いはなく、瞳の色が変わったわけではないのだが。
振り向いた瞬間、一瞬だけ。
わずかに赤い煌めきが混じったのを、フロルは見逃さなかった。ベル自身が押し隠していた彼女の魔力の質、気配は、ベルが「隠さなくなった」ことでフロルへと露見し、フロルに確信を与える。
フロルであれば、結局のところ「ベルが何をしたのか」が理解できた。
「……今日まで起きてきた一連の騒動に……修道女エルテミナの意思が介在したのだとすれば、どう繋げても“おかしなところ”がありました」
フロルの声が震えた。
「ルテア様が継承していても、あなたが継承していても……万一、オーランドやライゼスの元にエルテミナがいたとしても、どうしても辻褄が合わない部分があった……私はそれを、エルテミナの気まぐれだと考えて……不合理であっても仕方がないのだと思った」
「流石、あの女のことをよくわかってるんだ」
修道女エルテミナの意思がフロルの元を去った後。
もしも王女ルテアが次なる継承者になっていたのだとしたら、『ベルをティタニエラに遣わして古代魔法の力を得る』という回りくどい手段自体がそもそも合理的ではなかった。
大聖堂の護りは確かにフロルを強固に護っていたが、しかし「護っているだけ」だ。オーランドとライゼスという二大戦力が敵に回れば、正面からの激突では流石に分が悪い。総司とリシア、ミスティルの助力がなければ太刀打ちできる相手ではなかった。ヒトの機微を驚くほど見抜く慧眼、才知があり、オーランドとライゼスすらも手駒とした王女ルテアにとって、大聖堂の掌握は簡単ではないものの、不可能ではなかったはず。
王女ルテアが継承者だった場合にはそもそも、ベルがティタニエラに飛ぶ必要がなかったはずなのだ。
ではベルが継承者であり、エルテミナの魂と共に存在し――――ベルの出自を考えればかなり難しいはずだが、「共闘」の道を選んでいたのだとしたら、今度は別の矛盾が生じる。
力を取り戻したエルテミナに、ベルの人格そのものが侵食されてしまったのだとしたら、ベルが「何としても自分の手でフロルを殺す」ことに固執し、王女ルテアの作戦を無視して独断専行したことの説明がつかない。それは決して合理的ではない。だから、ベルが継承者の場合でも、エルテミナの魂とは「共存」していたことになるが。
その場合、オーランドがルテアに協力的だったというのがおかしい。オーランドとの協力をベルが嫌ったとしても、だからと言って単なる王女であるだけのルテアに臣下の礼を取る理由にはならない。
今回の一連の騒動が、エルテミナによる「フロルの排斥」、再び大聖堂を掌握するためのものだったとすると、どうあっても説明できないところがある。
だが、前提が間違っていたら。
「けれど、そう――――エルテミナの意思が『一切介在していない』のだとすれば……誰も知らないあなたの目論見のためにのみ、この騒動が引き起こされていたのなら、私も含めて誰もが“わけがわからなくても”当然のこと……」
フロルの思考の外、つまりは、騒動の中心に「エルテミナ」がいないのだとしたら。
「私にはとてもそんなことは出来なかったけれど、あなたになら“それ”が出来る……カイオディウムきっての天才であるあなたになら」
全てに辻褄が合うことなどあり得なかった。「辻褄が合う誰かの筋書き」そのものが今なお全く見えなくても当然だ。彼女は、心の内を、その真意を、誰にも話していないのだから。
「取り込んだのですね、エルテミナを」
ベルの瞳に再び、ちらちらと赤い、不吉な光が宿った。
ティタニエラまで巻き込んだ「二度目のカイオディウム事変」は、時の権力者と決別した修道女エルテミナによる、権力の座を取り戻すためのクーデターではない。
希代の天才、カイオディウムにおける“真なる時代の傑物”。
反逆者ロアダークとその共犯者エルテミナの力を受け継ぎ、その力を遂には完全に掌握した、血の呪縛の操り人形――――ベル・スティンゴルドによる反逆である。
簡単に一言で形容するのだとすれば、ベルはつまり、“大嘘つき”ということだ。
「王女ルテアが“何者かの魔法にかけられていた”そうです。あなたですね」
十字架のイヤリングを通して得た情報から、ベルに詰問する。ベルは申し訳なさそうに眉を八の字にしつつも頷いて肯定した。
「そだね。アリンティアス大司教を動かすには、そっちの方が手っ取り早いと思ってさ。あたしが直接交渉したんじゃあ、もっと要らないことを考えそうだからね、あのおじいちゃんは」
ベルは間違いなく天才的な魔女であるが、人心を掌握しヒトを操ることにかけてはルテアに及ばない。王女ルテアもまた“時代の傑物”、稀有な能力の持ち主である。その力を利用しないという選択肢は、ベルにはなかった。
「目的は何ですか。いろんなヒトを、エルフの国すらも巻き込んで、こんなに回りくどい真似をしたのはどうしてですか。私を殺したいだけではないのでしょう」
「いろいろあるけど、知る必要はないよ、フロル」
ベルの目がぎらりとフロルを睨みつけた。
びりびりと、“星拾う展望台”全体に不吉な魔力が充満する。押し潰されそうになるほどの魔力、そして殺気。
ベルが強いことはフロルも承知していたが、しかしフロルの知る彼女とは全く違う。オーランドやライゼスが赤子のように感じられるほどの圧力。ライゼスと共に聖騎士団の両翼を張る存在だなどと、勘違いも甚だしい。
今のベルは別格だ。
「丸腰でのこのこと……実はあたしが違う目的を掲げていて、結局は殺されない、とでも思った? 違う、違うよ、フロル――――確かにフロルを殺すことだけがあたしの目的じゃない、けど……目的の一つであることには、変わりないんだよ」
「私がどうしてここへ来たか、言わなければわかりませんか!」
たまりかねたフロルが怒鳴った。
一瞬だけ、ベルが委縮したようにも見えた。部屋に充満する魔力を伝って、彼女のわずかな動揺がフロルにも伝わった。
「あなたを叱るために決まっているでしょう! ソウシが、リシアが、ミスティルが! 何のために命を賭けて戦ってくれたのか、言わなければわからないのですか!? そこまで性根が腐りましたか!」
「ッ……わかってるよそんなことは……わかったうえで、こうするしかなかったんだ……フロルはソウシのことをわかってない。この世界の危機のこともわかってない!」
「ではわかるように説明なさい! あなたがどうしてこんなことをしたのか、ちゃんと話して! 今ならまだ許してくれるかもしれません、だから、ベル――――」
「そんなこと言ってる場合じゃないんだよ!」
再びベルの魔力が、気迫が、殺意と圧を取り戻した。
「……話すことはないよ、フロル。いろいろとやりたいことはあるけど、とりあえずさ……“これ”に決着をつけることにするよ」
ベルが腕を掲げる。魔力が収束し、濃密さを増していく。
告げるその魔法の名に、フロルは目を見張った。
「“ディノマイト・ネガゼノス”」
赤い閃光、黒の雷光。
ベル・スティンゴルドが何より忌み嫌ったはずの力。手刀の形に構えたベルの右手に宿るその力は、オーランドが苦し紛れに発動した「まがいもの」とは質が、格が違う。
伝承魔法“ネガゼノス”――――反逆者ロアダークが振りかざした破壊の魔法の正統継承者。
「……あんなに嫌っていた力を、私に向けるのですね」
フロルが静かな声で言った。
「もう私の知るベルはいない。そういうことですか」
「どうだろうね。もともとそんな子はいなかったんじゃないかな」
「……残念です。もしそうなら……もっと、あなたを知りたかった」
「すぐ会えるよ。長生きするつもりもないからね」
ベルが踏み出す。
フロルは抵抗もしない。本気のベルを前に、さしたる魔法の才覚も持たないフロルでは抵抗のしようがない。
突き出された腕に宿る赤と黒の閃光が、そのまま流星の如くベルの速度に合わせて突進し――――
そして、阻まれる。
巨大で無骨にも見える刀身に赤と黒の閃光が激突し、そして拡散する。バチバチと稲妻のような音を立て、力がぶつかり、せめぎ合い――――拮抗する。
立ちはだかる蒼銀。その光と、凛とした清涼な、草原を吹き抜ける風のような魔力を、よく知っている。ベルは一瞬だけ目を見張り、そして――――今にも泣きだしそうな情けない顔をほんのわずかに見せたが、すぐさまギラリと闘志に燃える瞳を取り戻して、弾かれるように後ろへ跳んで距離を開けた。
「長話しちゃったなぁ……こうなるよね、そりゃあ……」
「当たり前だ。“それ”をさせねえための戦いなんだよ」
リバース・オーダーにまだバチバチとまとわりつく赤と黒の閃光をブン、と振り払って、総司がベルの前に立ちはだかる。
共に戦い、共に笑い合った大切な仲間、友人――――しかし今は。
敵として向き合うしかないのだと、総司も理解していた。剣を向けたい相手ではなくとも、そうならないでほしいと心から願っても、どうにもならない状況なのだと。