贖いしカイオディウム 真章開演・罪裁くカイオディウム
幼いリシアが見せた伝承魔法“ゼファルス”の素質は、オーランドを大いに喜ばせた。
習得するためには何よりも「血筋」が必要不可欠な伝承魔法であるが、しかし血の条件を満たしたからと言って必ずしも、その系譜の誰もが力に目覚めるわけではない。
正統継承者の系譜に生まれながらも、その生涯を通じて伝承魔法の覚醒が一切ない者もいれば、歴史をどれだけ遡っても見当たらないぐらいの天才が不意に生まれることもある。代々伝承魔法の覚醒が続く系譜もあれば、数世代に一度しか目覚めない系譜もある。
孫の代に稀有な天才が生まれたことは、ゼファルスに誇りを持つオーランドにとっては僥倖だった。授かったその命を、オーランドは心から喜んだものだった。
そして今、皮肉にも、オーランドはその力によって打倒された。
肩のあたりから腰に掛けてまで、リシアによって迷いなく切り裂かれたオーランドは、力が抜けた体で落ちていく。両断するには至らないが、致命的に近い傷。少なくとも戦闘続行は不可能だろう。
自身が生涯を賭けても辿り着けなかった、自らの伝承魔法の真髄を前に、誇りを掲げたゼファルスを捨てて他の伝承魔法に頼り、自分ではない何かの力を借り受けた挙句、己の全てであったゼファルスの前に敗れたのである。
「――――あの馬鹿、上に行っちまったら援護のしようがねえだろうが……!」
倒れ伏すリンクルの前で、息の一つも切らさず剣を下げ、背負いなおした総司が憤然と言った。
「援護は不要、ということでしょう。元々、一人でやるつもりだったでしょうからね」
ミスティルがほんのわずかに笑みをこぼして、わかったような口を利く。
獰猛さを増し巨大化したリンクルは、普通の戦士にとっては相当な脅威だっただろう。総司の見立て通り、レブレーベントでかつて戦ったブライディルガと張り合える力の持ち主だとすると、街一つ滅ぼして余りある強敵だったはずだ。
しかしその力を以てして、今の総司と、そしてミスティルの前ではあまりにも無力。ほとんど為す術もなく、リンクルは倒れた。
『安心なさい、ソウシ。アリンティアス団長――――いえ、リシアの勝利です』
十字架のイヤリングから、フロルの声が発せられた。大聖堂のほぼ最上階から、遠くに見える激闘を目を凝らして見守っていたらしいフロルが、確かにリシアの勝利を見届けたようだ。戦闘の詳細まではわからずとも、光機の天翼で飛ぶリシアの健在を確かに見ていたのだろう。
『少し呆気なく思ってしまうのは不謹慎でしょうが……見事です、リシア。つらい戦いだったでしょうに、よくぞ……』
ふっと、不自然な調子でフロルの声が途切れた。
総司がそのことに気付いて何かを言う前に、上から何かが落ちてくる。
オーランドの体が無抵抗に落ちてきて、床にどさりと倒れ伏した。
「……私の……負けか」
その後を追って、リシアが天井に開いた穴から突っ込んできた。
しかもまだ、リシアは戦いを止めていなかった。剣をまっすぐに構え、大の字になって寝転がる、既に戦えるわけもないオーランドの肢体を見据え、勢いを留めることなく突進してくる。リシアはふっと“ジラルディウス”を消して自由落下に入った。
背負いなおした剣を再び振りかざして、総司が走った。
天空からまっすぐに突き出されるリシアの剣を、紙一重で弾く。
レヴァンクロスの鋭い切っ先はオーランドの脇をくぐり、床を突き刺した。
ドン、と強い衝撃。地が震えるほどの勢いで、リシアはオーランドを殺そうと突っ込んできていた。
オーランドの傍らに跪くような態勢で、剣の柄に体重を預けていたリシアが、総司を見もせずに言った。
「殺すべきだ」
「必要ない」
「目を背けていろ。すぐ終わる」
「リシア」
今度は総司が、リシアに懇願し、リシアが何とも言えない情けない表情になる番だった。
「頼む」
「……わかった」
レヴァンクロスをすっと下げて、リシアが立ち上がり、数歩下がってオーランドを睨みつける。総司はふーっと息をついて、王女ルテアに向き直った。
「さて、王女様。終わりだ。あんたも一応拘束させてもらう。どうやらラーゼアディウムの制御の鍵を握るのは、あんたの方みたいだからな」
「終わり? オーランドはまだ生きているようですが」
「生きているだけだ、戦えやしねえ。足掻きはしない、だったよな?」
「ええ、オーランドが敗れたならば足掻きはしない、そういう約束でしたね」
不意に、ぞくりと、背筋に悪寒を覚え、総司が振り返る。
立てないはずだ、血を流し過ぎている。傷も深く、命を繋いでいるのもやっとのはず。
それでもオーランドは、不自然に痙攣しながら立ち上がり、リシアに向かって走った。
リシアは不意を衝かれたが、オーランドの速度には先ほどまでの凄まじさがなく、容易くその手を逃れて、追撃の魔法をレヴァンクロスではじき返した。
「これは……!」
目に見えるほど濃厚な魔力のラインが、オーランドにまとわりついて、恐らくは強制的にその体を動かし、力を発現させている。
人形のようにオーランドの体を弄ぶ主は、王女ルテア。
「ソウシ!」
「ダメだ殺すな! もう脅威でもねえ、受け流せ!」
「ッ……わかった……!」
「いい加減にしとけよテメェ……!」
総司の体が閃光と化し、一瞬で王女ルテアとの間合いを詰める。王女は柱を背にして総司を出迎え、身じろぎもしなかった。リバース・オーダーを構え、その刃を王女ルテアの首筋にぴたりと沿わせる。あと数ミリで首を跳ね飛ばせる、王女ルテアにとって絶体絶命の状況。
オーランドの追撃をことごとくいなしてかわし続けるリシアを尻目に、総司は火の出るような目でルテアを睨み、脅すように言った。
「いつでも殺せるぞ、ルテア……! わかってんだろ、もう決着はついてる! さっさとやめさせろ!」
王女ルテアは笑った。首に巨大な剣を当てられてなおも、全く意に介していないように。
「……やはり、殺せないのですね、あなたには」
いつも通りにヒトを見透かして、確信に満ちた声で。
総司の甘さを、的確に指摘した。
「ここまで状況が進んでもなお……私もオーランドも切り捨てることが出来ない。その甘さを、最後の最後まで引きずるつもりですか」
「テメェには何の関係もねえことだ。おしゃべりを楽しむつもりも全くない。もう一度だけ言うぞ。今すぐ、やめさせろ」
「ソウシ!」
リシアが叫んだ。
総司は素早くルテアから離れて、背後から襲い来るオーランドの魔法をかわした。
ルテアから離れる瞬間、総司はルテアの意識を刈り取るべく、手荒になってしまうがルテアの腹に拳を差し込もうとした。
だが、それは見えない力で阻まれてしまった。王女ルテアの体に迫ることが出来たのは、女神から与えられた神器であるリバース・オーダーだけ。中途半端に打ち込もうとした拳では、ラーゼアディウム自体の護りを受けているらしい王女ルテアには届かない。
オーランドは息も絶え絶えの様子だったが、それでもまだ生きて、ルテアに操られるままに総司とリシアに攻撃を仕掛けている。
ミスティルがぽきり、ぽきりと指を鳴らし、静かに言った。
「やりましょうか」
「ッ……もう少しだけ待ってくれ……!」
「……放っておいてもじきに終わりそうですし、構いませんが……もしも助けたいなら、早くしないと」
「わかってる!」
リシアは、総司の号令があればすぐにでもオーランドにとどめを刺すだろう。
オーランドの命を切り捨てるか、それとも王女ルテアを殺すか。その選択は総司に委ねられた。
『何故使わないの?』
総司にだけ聞こえる声が響く。
聞きなれた声――――ティタニエラで喧嘩別れのように終わってしまって以来の、妖艶さを含む女性の声。
ここはかつて女神の領域と接続できた場所の一部、“断罪の聖域”の残骸である。それはすなわち、彼女の領域そのものでもある。
『デミエル・ダリアの“核”で、あなたには既に三つ目の……いえ、四つ目の力を返している。自覚しているでしょう、その使い方も、それが齎す結果も』
オーランドの覇気のない攻撃をかわし、距離を取る。リシアはじりじりと間合いを見極めながら、総司が万が一危ない状況に陥ればすぐにでもオーランドの首をはねられる位置について、少し焦った様子で戦局を見ていた。
『何もかも取りこぼしたくないあなたにはうってつけの力だと思ったのだけど――――』
「うるせえ黙ってろ!!」
総司が全力で叫んだ。リシアとミスティルが目を見張る、「声」が聞こえていない二人にとって、総司の叫びの意味は理解できない。
「どうするかは俺が決める……! 何もかもお前に仕組まれた通りなんて……こうなることが運命だったなんて、認めるわけにはいかないんだよ! わかるだろ!」
カイオディウムにおける、この一連の戦いは。
確かに自分の意思で身を投じたが、決して自分のためにではない。女神救済の旅路のためでもない。
抗いようのない運命に囚われ、美しくも悲しい思い出の中の過去から現在に至るまで、踊らされていただけなのかもしれない二人の女の人生が、決して総司が目的を達成するために整えられたものではないのだと、あの二人に示すための戦いだ。
その最終局面に至って、“旅が始まる前から”総司に与えられ、封じられ、そして返されることとなった力が、まさしく「おあつらえ向き」の力とあっては。
これまでの戦いが無意味になってしまう。抗ったつもりの運命から逃れ出ることは出来ず、やはり最初から“こうなることが決まっていた”のだと確信することになってしまう。
総司にとって、それは何より許しがたかった。
『……どうしても、私を信じてくれないの?』
オーランドから再びばっと距離を取って、間合いを保ち息を吐く総司へ、「声」は相変わらず静かに語り掛ける。
「お前のそういう卑怯な言い方は嫌いだ……!」
『ごめんなさい。……ふふっ、でも優しいのね。“信じない”とは言わないところ、あなたらしいわ』
「茶化すだけならそろそろ消えろ、気が散る!」
『エメリフィムで話しましょう、総司』
「声色」が変わった。総司がハッと目を見開いて動きを止める。
『全てを話すことは出来ないわ。でも、そうね……そろそろ、あなたから逃げるばかりでは、本当に愛想を尽かされてしまいそうだから』
「……お前は、マジで……!」
一瞬、茫然としてしまった総司を、“ランズ・ゼファルス”が襲った。
大きく吹き飛ばされた総司だったが、しかし無傷だ。オーランドの攻撃はただでさえ、総司には届いていなかった。既に戦闘能力をほとんど失った彼の魔法は、痛くもかゆくもなかった。
総司は再び大きく息を吐くと、蒼銀の魔力を爆発させた。
魔力はラーゼアディウムの中枢を駆け巡り、満たしていく。女神から与えられし力の発現、カイオディウムで初めて見せる本気。
「本当にどこまでも卑怯な女だ――――リスティリアの女はそんなんばっかだな!」
『イイ女が多いのよ。よい出会いをしてきた証拠。それじゃ、待ってるから。愛してるわ、総司』
「声」が、「気配」がふわりと消える。
しかし、満ちた女神の力は消えない。総司はリバース・オーダーを高らかに掲げ、謳った。
「“罪裁きしは、カイオディウム”――――!!」
眩い光と共に、リバース・オーダーの刀身に劇的な変化が生じる。
片刃の大剣が光り輝きながらすうっと細く、長く伸び、まるで「日本刀」のような形を作る。しかしその長さは、ただでさえ巨大だったリバース・オーダーの通常の姿よりも更に伸び、決して軽やかな印象を与えない。
柄の部分には幾重にも巻かれた銀の鎖が出現し、柄と総司の右腕をがんじがらめにして繋いだ。
光は消えず、総司はそのまま大太刀と化したリバース・オーダーを構える。
覇気を失い、意識も朦朧としているオーランドに向かって突進し、迷いなく剣を振り抜いた。
躊躇いのない一閃。あれほど殺すことを嫌った総司が、一瞬の迷いもなく、オーランドを確かに切り裂いた。
だが、その光景を見たリシアが、ミスティルが、そして王女ルテアが目を見張る。
外傷はなく、オーランドはただ倒れ伏す。拡散する蒼い光と共に、ルテアがオーランドを操るために繋いだ魔力のラインが途切れ、霧散する。
「魔法を切り裂く刃……いいえ違う、それは――――」
ルテアが言葉を紡ぎ切る前に、総司はルテアの眼前にまで迫っていた。
「“それ”が断ち切るのは、魔法だけじゃない――――!」
「今度こそ終わりだ――――しばらく寝てろお転婆娘!」
大太刀と化したリバース・オーダーが、王女ルテアの肩から心臓を通り、腰のあたりを抜ける。
やはりルテアの外傷はなく、致命傷にはなり得ない。
だが、確かに斬った。
もちろん初めての感触であって、総司の直感以外になんの根拠もないが、手ごたえがあった。
ルテアが掌握するラーゼアディウムの力を、意識を保つその精神を、確かに斬って――――
ついでに、というわけではないが、もう一つ「何か」を斬った。
「……えっ……?」
そう――――「何か」を確かに斬った感触があるのだ。手ごたえがあるのだ。うまく表現する術を持たず、ただ感覚でしかないのだが、総司は何か、斬れるとは思ってもいなかった予想だにしないものを斬った。
けれど、違う。根拠は己の直感でしかなく、なんの証拠もなく、総司はただ「違うのだ」としか言えないのだが。
リシアの予想にあった、「修道女エルテミナの魂」なのかと一瞬だけ思ったが、なんの根拠もなく「そうではない」のだと直感した。女神に返された力は、返されたその時から使い方や効果を理解する。感覚的な理解が、総司に確かな「直感」を与え、その直感が「違う」と告げている。
カイオディウム・リスティリオス。女神がその騎士へと返す力の一つ。
その力は、リスティリアにおけるあらゆる奇跡の天敵となる“ルディラント・リスティリオス”と似た性質を持つものの、もっと局所的で限定的であり、しかし効果を発揮する範囲においては強力なもの。
魔法的干渉に限らず、斬った相手に対するあらゆる外部からの干渉を断ち切り、その精神に対し攻撃する、「ヒトを殺す」ことに対して頑固なまでに線を引く総司にはうってつけの力だ。対象者の精神に対する攻撃力の程度は、総司が相手を「どうしたいか」によって変わる。
その力でルテアを斬り、ルテアの精神を斬り、ラーゼアディウムからルテアに対する干渉を切り裂いた。
それに加えて、「もう一つ何かを斬った」のである。
意識を失い崩れ落ちるルテアの体を支えながら、総司は自問する。
では、一体自分は「何を斬った」というのか。エルテミナの魂でないのだとしたら、今斬ったものはなんだ。
「お見事です」
総司のすぐそばに歩み寄り、ルテアの体を預かりながら、ミスティルが珍しく掛け値なしの賛辞を述べた。
「大きな独り言を言い始めた時は、いよいよ殴って止めるしかないものと思いましたが。杞憂に終わって何よりです」
「……ミスティル……?」
「……どうしました? 顔色が優れませんが……何か傷を負いましたか? そうは見えないけれど……」
「いや……何か……何かおかしい」
リシアは、倒れたオーランドの傍に跪いて、その意識を確認していた。
オーランドはしぶといもので、深手を負い、それでもなお戦わされたにも関わらず、意識を飛ばすことすらしていなかった。
「ふっ……呆れているだろう……生き汚いものだと……」
「わかるか」
「わかるさ……私は、お前の祖父だからな……」
「……馬鹿な真似をしたな、オーランド」
「ふはっ……そうだな……後悔はないが否定はせんよ……殺さんのか?」
「嫌われたくないんでな」
「……良い男だ……せいぜい、支えてやれ……」
「貴様に言われるまでもない。……手当をしてやる、生き永らえろ。貴様には、誰よりフロル枢機卿に頭を下げてもらわねば、私もあの御方に合わせる顔がない。首を取って差し出すつもりだったが……あとは、あの御方に任せる」
「……好きにしろ」
リシアは手際よく、自分が傷つけた祖父の体に止血を施して、簡単な手当てをした。あとはオーランドの生命力次第といったところだが、この男は恐らく命を繋ぐだろう。
その先で首をはねられることになるのかはわからないが、フロル枢機卿執政史上最大の咎人と言えるオーランドの処遇は、フロルに任せることにした。
「……それより……お前の大事な相棒が、何やら……様子がおかしいが……?」
「なに……?」
手当を終えた時、オーランドがふと総司を見た。その視線につられてリシアも総司を見て、ハッとする。
総司の表情があまりにも冴えない。ようやくカイオディウムでの戦いを、一連の騒動を終わらせたというのにだ。
「……ソウシ? どうした」
総司の代わりにまずミスティルが呼びかけに答えた。
「よくわかりません。『何かを斬った』と言うのですが、どうも抽象的で」
「……『何か』……」
オーランドがぽつりとつぶやく。
オーランド自身も、総司に斬られた当事者であり、それによってルテアの支配から解放されている。総司の新たなる力の効果を、身を持って体感し、ある程度把握している存在だ。
「いや、ホントに、俺もよくわかってねえんだけど……でも気のせいじゃない。確かに手ごたえがあった、けど……一体『何』を……?」
「……イチノセ……君の剣は……魔法を、斬る……或いは……何か、外部の干渉を……繋がりを、斬る。そうだな……?」
「……何か思い当たるのか?」
総司がたっと駆け出して、寝転がるオーランドの傍に跪いた。
オーランドは何とか繋ぎ止めた意識の中で視線を動かし、総司をじっと見て、それからリバース・オーダーをよく観察した。
「……さて……確かなことは言えんが」
オーランドは目を閉じ、ふーっと息を吐きだして、言った。
「単純に考えれば……“ルテア様にかけられていた何者かの魔法”を斬った……と、推測するがね……」
総司が目を見開いた。リシアとミスティルは首を傾げ、二人ともがそれぞれ考えを巡らせたが。
普段は二人よりもよほど鈍いはずの総司が、誰よりも先にその可能性に思い当たった。
思い当たってしまった。
レスディールとの会話が心に深く残ってしまっていた彼だから。
「……リシア……」
「何だ?」
「ベルは……どこに行った……?」