贖いしカイオディウム 第六話④ 王女の参戦
“アポリオール・ゼファルス”。恐らくはラーゼアディウムの力がなければここまでの威力は達成できないであろう、オーランドにとっても切り札に近い破壊の魔法。
空中に投げ出された二人に対し放つにはあまりにも無慈悲。オーランドは総司も、そして親族であるリシアですらも、殺すことに躊躇いがない。
「……さすがに、驚いた」
“アポリオール”は総司とリシアを巻き込み、遥か天より地上へ降り注いで爆裂し、旋風を巻き起こして広範囲を破壊し尽くしなお余りある――――はずだった。
だが、「止まっている」。
空中で、総司とリシアに届くよりも手前で、莫大な魔力を内包した破滅の魔法がせき止められ、押し留められている。
「ティタニエラの妖精か――――!」
空中で、凄まじい爆発が巻き起こった。拡散する魔力と衝撃。ラーゼアディウムの下部の大地が、一部削り取られるほどの衝撃波が広がったが、オーランドにしてみればそれは「手ごたえ」にはなっていない。
止められた事実がある以上は、範囲外へ逃げられた事実も続いてしかるべきだ。しかも恐らく、割って入ってきたのは、ライゼスを下したティタニエラのエルフ――――
「“レヴァジーア・ディスタジアス”」
オーランドが身を翻し、瞬間移動の如き速度で引き下がった。オーランドが一秒前までいた場所を銀色の爆発が襲う。
総司とリシアの体を、消え失せる範囲の外にあった、未だ残る屋根の上へと滑らせながら、ミスティルがオーランドを睨みつけ、既に次の手を打っていた。
「“ジゼリア・ディスタジアス”」
銀の光を帯びた無数の弾丸が不規則に飛び、オーランドを囲むようにして狙い撃つ。オーランドは指の一振りでそれらを払ったが、その表情は険しかった。
消しきれない。内包する魔力が高すぎて、いくつかを取りこぼしている。
オーランドは、老人とは思えない身のこなしで残った弾丸をかわした。
「……想定より早い……早すぎる。ライゼスはもう負けたのか」
屋根の上に転がる二人を護るように、ミスティルが魔力を迸らせて立ちはだかった。
「あなたが余計なことをしたせいですよ、オーランドさん。おかげでつまらない戦いになってしまった」
「それは申し訳ない。良かれと思ってのことだったのだがね」
リシアが翼を奪われた今、空を飛べるのはミスティルだけだ。
ギリギリのところで合流が出来た。間に合わなければ総司とリシアは転落死間違いなしだ。ライゼスとの戦いが長引いていれば、ミスティルは間に合っていなかった。
恐るべきはその規格外の強さ。ライゼスと戦ってもほとんど消耗していないらしく、ミスティルは万全の状態でオーランドの前に立ちはだかっている。
魔法に優れたティタニエラのエルフ。ベルが連れてきた反乱の引き金が、最後の最後で立ちはだかるところまでは、王女ルテアの想定内でもあったが。
それをとどめ切れるかどうかはオーランドの手腕次第だ。
「あぁぁ死ぬかと思った!!」
「済まないミスティル、助かった……!」
「いえ、どうでしょう。この場所を少し離れれば、リシアさんの翼は機能したと思いますけどね」
ミスティルがしれっと言うが、リシアは首を振った。
「そうだとしても、“アポリオール”を止める術がなかった……まさか受け止めるとは……!」
「あら、言いませんでしたか?」
何でもないことのように、飄々と。感情の起伏を感じさせることもなく、それが当然であるかのように、ミスティルは言う。
「『次があるなら止める』と、リラウフで言った記憶がありましたが……信じてませんでした? 心外ですね、お二人とはそれなりに信頼関係があったと思っているのですけど」
言われてみれば確かに、と、リシアはリラウフでの会話を思い出す。
破滅の一撃が天から降り注ぎ、リラウフの街を壊滅させた後、いきり立つリシアに対してミスティルは確かにそのようなことを言っていた。
しかしまさか、こんな局面においても有言実行、本当にやってのけるとは。
「何はともあれ、だ。仕切り直しだな」
落下の最中にも決して手放さなかった剣を構え直して、総司がミスティルの隣に並ぶ。リシアもその後に続いた。
オーランドがパン、と手を叩くと、消え失せた通路の一部がふっと戻ってくる。まるで最初からそこにあったかのように、やはり前触れもなく、どこから出てきたのかもわからないほど自然に。
ラーゼアディウムそのものが、オーランドの意のまま。今のような単純で、それでいて最も効果的な一手が打てるとなれば、気を緩めることは許されない。
いくらミスティルがカバーできるとは言っても、戦闘が激化すればそれは明確な隙になっていく。
「そう何度も同じ手を食らっていられねえ。早めにケリをつける」
「そう急くな。始まったばかりではないか」
「一瞬でケリつけようとしたのはそっちが先だろうが」
オーランドはそれでも、余裕を見せていた。
ミスティルという強力な援軍が到着し、既に三対一の状況だ。余裕が崩れないのは、先ほどのような、回避不能の自信に満ちた手がまだあるからか。
「リシアを躊躇いなく撃ったな」
「敵対する以上は止むを得まい……一応言っておくが、望ましいとまでは思っておらんよ」
「そうかい」
総司の顔に怒りが刻まれる。
「あんたはリシアの才能を買って、自分の傍に置こうとしたと聞いたが……どうやらそれも諦めたらしいな」
「十年近く前の話だ。叶わぬことはわかっている」
総司の姿が閃光と化した。オーランドの眼前に詰め寄り、剣を迷いなく振り抜く。
オーランドは受け止めることはせず、ふっと姿を消した。
ミスティルの魔法と同等に近い空間転移。高難度の魔法だが、ラーゼアディウムの中であればオーランドにも達成可能な魔法のようだ。
「むっ――――」
空へ逃れたオーランドの転移先には、既にミスティルが迫っていた。
次元を掌握する魔女、同系統の魔法であればその解析はお手の物といったところ。
オーランドの“ランズ・ゼファルス”と、ミスティルの“レヴァジーア・ディスタジアス”がぶつかる。銀の爆裂から逃れて屋根の上へと降り立ったオーランドは、迫りくるリシアの追撃を受け止めた。
「くっ……」
「浅慮だと、言ったはずだが」
総司の剣は回避に徹したが、リシアの剣は指先一つで受け止めている。
この違いはもちろん、膂力の差を見切っているから。反撃を考えれば受け止めた方が選択肢が増えるが、総司の一閃を受け止めることのリスクを重々承知している。
対して、リシアの剣術は鋭く、熟練度もなかなかのものではあるが、総司ほどに重くない。身体能力自体は、“ジラルディウス”の魔法で向上しているものの、やはり翼を封じられた状態では、ジャンジットテリオスと渡り合った時ほどの力を発揮できていないのだ。
総司とミスティルが創り出した隙を生かすことが出来ない。せめて翼が機能してくれれば、リシアの脅威度も格段に増すのだが、オーランドにとっても“ジラルディウス”はまともにやり合いたくない力なのだろう。
リシアがぱっとオーランドから離れた。
オーランドが気づいた時には既に、彼の頭上に影が落ちた。
上空へ飛び上がった総司が、迷いなく剣を叩きつける。オーランドは身を翻してかわしたが、総司の力は屋根一つでとどまることはなく、足場を粉砕し、崩落させた。
オーランドはそのまま、ラーゼアディウムの中枢へと再び戻っていく。
「あら、お帰りなさい」
衝撃音と共に舞い戻ってきたオーランドに、ルテアが気楽な調子で声を掛けた。
中枢まで入り込んでくる、白亜の大地が生んだ土煙の中から、全くの無傷でオーランドを追ってきた総司が出てくるのを見て、ルテアの口元には笑みが浮かぶ。
「早かったですね」
「お騒がせして申し訳ありません、一つ策を破られたもので」
「構いませんよ、ベルちゃんとのお話も一区切りついたところですし」
もう騒ぐこともやめたらしいベルが、相変わらず両手足を拘束されたままルテアを睨んだ。ルテアはにっこりと笑みを深めて無言を返すだけである。
「……妙な真似をする」
剣を構えて睨んでくる総司を見ながら、オーランドはつぶやくように言った。
「まるで殺す気がない。どころか当てる気すらもない。私は君の敵であるはずだが」
少し遅れて、リシアとミスティルも到着した。総司に集中しているらしいオーランドに対し、ミスティルがぱっと腕を掲げて仕掛けようとしたが、その動きを止める。
オーランドの凍てつくような眼光が――――わずかな怒りを含む眼光が、ミスティルを瞬間的に硬直させた。
魔法でも近接戦でも、流石に総司たち三人がかりでは圧倒していると言っていい。オーランドにどんな手が残されているかはともかくとして、このまま正面からやり合う限りにおいては、三人に負けはないように思えた。
だが、今の気迫は、「仕掛ければやられる」とミスティルに思わせるには十分の、底知れない恐ろしさがあった。嫌な予感を敏感に察知して、ミスティルはオーランドとの間に総司を挟むように位置を変える。
「……良い嗅覚ですこと。分が悪そうですね、オーランド」
不規則に並ぶ、何かの制御装置の役目を果たしている柱の上に腰かけ、事の成り行きを見守っていたルテアが、静かに言った。
だが、オーランドは首を振った。
「これは異なこと。全く問題はありません。どうやらやる気に欠けるらしい」
オーランドの声色には、失望がわかりやすく滲んでいる。
「戦力で上回っているように見せれば、私が矛を収めると考えている。斬らなくて済むのではないかと。存外、甘い男だ。そんな調子で世界を救えるのか、イチノセ」
「あんたを斬るのは俺の役目じゃねえと思っただけだ」
「リシアの役目と? 酷なことを言う。血の繋がった祖父と孫で殺し合うのがあるべき姿かね」
「そうさせているのは貴様だろうが……!」
殺意に満ちた“アポリオール”の一撃を躊躇いなく撃ちこんでおきながら、飄々と言ってのけるオーランドに対して、リシアが怒りを露わに歯を食いしばった。
「親族の繋がりを少しでも気に掛けるような男であったら、“こう”なってはいなかった!」
「正論ですね」
「いや全く、返す言葉もないとはこのことだ」
リシアの冷静さは、努めて冷静であろうと自分を律していたからこそ。小ばかにしたような物言いに堪忍袋の緒が切れたか、リシアが力強く一歩を踏み出したところで、総司が慌てて止めた。
「止せ。お前の剣は止められてる。真正面から斬りかかったって捕まるだけだ」
「奴は私が斬る」
「わかってる。とにかく落ち着け」
「……これでは長引くばかりです」
トン、と。小気味のいい音を立てて。
自分の背丈の三倍はある高さの柱から飛び降り、王女ルテアが軽やかに着地する。
一体どこに隠れていたのか、王女のペットであるリンクルがふわりと姿を現して、彼女の腕の中へと飛び込んだ。そのまま肩に登ったリスのような小動物が、バチバチと帯電するように魔力を放出し始める。
「楽しみを奪って申し訳ないのですけど、時間を掛けても何かが好転するわけではありません。お互いにね。いずれ晒す手の内であれば、決着を早めても良いでしょう」
「……確かに、仰る通り。もとより私はあなたの意思に従う契約だ……では、ご助力願いましょう」
オーランドの姿が消えた。だが、この場所から遠いところへ動いたわけではない。
王女ルテアのすぐそばに現れたオーランドは、仰々しく跪くと、ルテアが差し出した手を取り、その甲に軽く口づけした。
その途端、ルテアから流れ出る、はっきりと目に見える正体不明の魔力が、幾重にも絡みつくツタのようにオーランドを捕らえ、瞬く間にオーランドの魔力と混じり合っていく。
王女ルテアからだけではない。ラーゼアディウムの床から、壁からも同じように、細いツタのようにして伸びる魔力がオーランドを捕らえ、力を与える。
リンクルもまた、王女ルテアの肩からヒュン、と飛び出してきて、その姿を変え始めた。バチバチと稲妻のような魔力を迸らせ、体が少しずつ肥大化し、やがてその大きさは一軒家と並ぶほどに達する。リスのようなサイズであった時の可愛らしさはどこへやら、獰猛で凶悪な狼のような姿かたちへと変貌したリンクルは、ペットではなく「魔獣」そのもの。とげとげしい体毛が自らの発する稲妻によって逆立って、剣山のような危険な見た目に変貌を遂げた。
「これが本来の姿だというのか……」
リシアが驚愕に目を見張る。
王族が魔獣を飼育しているというのは、レブレーベントでも同じだ。レブレーベントでは小型のドラゴンを使役しており、船を曳かせたりしていた。
だがまさか、王女ルテアがいつも愛でていたあの可愛らしいリンクル、その本来の姿がこんな恐ろしい化け物だったとは想像もしていなかった。
王女ルテアから、目に見える形でリンクルに対し魔力のラインが繋がれている。オーランドに何かしらの力を供給したように、リンクルとも繋がりがあるようだ。恐らく、リンクルは本来の力を超えて、王女ルテアによって強化されている。
「……感覚的にはブライディルガ級、ってところか」
王都シルヴェンスの間近で戦った、“活性化した魔獣”。獰猛で全身兵器のような魔獣ブライディルガとの戦いは、総司もよく覚えている。アレインとの共闘でようやく打倒した魔獣だ。とは言え、今の総司はジャンジットテリオスの試練の成果もあって、あの時より明確に強い。リシアとミスティルの戦力も込みで考えれば、ギリギリの戦いになるような難敵とまでは見なしていない。
問題はそちらではなく――――
「さて……ルテア様が“早くせよ”と仰せだ」
明らかに雰囲気の変わった、オーランド・アリンティアスの方だ。
見開かれた彼の目は、もう通常のヒトのものではなかった。
漆黒に染まる瞳と、金色の眼光。本来白いはずの部分が黒く、そして黒いはずの部分が黄金に輝く。機械的で幾何学的な、亀裂にも似た紋様が眼球に浮かんだ。亀裂に時折走る魔力の光は、リシアの翼が魔力を滾らせたときの挙動によく似ている。
「無論、私としてもすぐに片をつけるつもりではあったが、小細工ではどうにもならんらしい。となれば是非もなし。やはり最終的には、これが一番わかりやすい」
罠にかけるでもなく、不意をつくでもなく。
ただ力でねじ伏せる。女神の騎士を相手にそれが出来ると豪語できるだけの自信が、今のオーランドにはある。
「小競り合いはここまで。殺し合うとしよう、女神の騎士と――――その仲間たちよ」