贖いしカイオディウム 第六話③ 再び訪れる裁きの時
「少し離れます、ルテア様。こちらを動かれませぬよう」
オーランドの放った魔法はラーゼアディウムの中枢の壁を突き破った。姿の消えた二人を追うため、オーランドはルテアに声を掛ける。
「ええ、どうぞ。オーランド、念のため言っておきますが」
王女ルテアは振り返りもしないオーランドに、言葉を掛ける。
「別に殺さずとも良いのですよ」
「……もちろん、わかっておりますよ」
ふっとオーランドの姿が消える。王女ルテアは先ほどの小競り合いを思い返し、わずかに目を閉じた。
やはりオーランドの魔法の腕前、それに戦闘の才覚は一級品ではある。ラーゼアディウムの魔力を掌握し、それを全て自分の力に変えるというのは、ただヒトの身には離れ業。
魔力が殊更に濃厚な空間では、ヒトが扱う魔法もその威力、効力を増す。ルディラントの“真実の聖域”において、総司やリシア、スヴェンの魔法が普段以上の力を発揮していたように。
だがオーランドは、その場所に踏み入っただけで得られるよりも多くの恩恵をラーゼアディウムから享受できる。ただでさえ卓越した魔法の使い手である彼の力は、この場所に限って化け物じみた領域に到達しているが――――
一連の攻防の中で、圧倒していたように見えても。
女神の騎士には傷一つ付けられていない。しかもかわされたわけではない、オーランドの魔法攻撃は全て「直撃した上で正面から打ち破られた」。
リシアの剣は軽くさばいていたオーランドだが、三者ともがまだ、完全にギアが上がり切っているわけではない。
「さて……どう戦うのか、見ものですね」
「……戦いが終わるまで身を隠すよう命じたはずです。何故、あなたがここに……」
「お許しください、いてもたってもいられず……」
大聖堂デミエル・ダリアにて。
フロルは厳しく険しい顔つきで、一体どうやって舞い戻ったのか、自分の元へと再び馳せ参じたクレア・ウェルゼミットに言葉をぶつけた。
クレアは膝をつき、深く頭を下げて、真剣な口調で主の問いかけに答えた。
「私も詳細はわかりませんが、大聖堂が天へ昇り始めた時……私は地上の『光のゆりかご』からそれを眺めていました。無駄とはわかりつつ『道』へ入ったのですが、どういうわけかここまで辿り着くことが出来ました」
大聖堂がラーゼアディウムに引き寄せられ始めた時点で、既に『下』との接続は断絶したものとフロルも考えていた。
だが、クレアが飛び込んだ『道』は、彼女を大聖堂へと送り届けるまでつながったままだったようだ。
「……クレア」
「ハッ」
「よく戻ってきてくれましたね」
クレアがぱっと顔を上げた。フロルはもうクレアを見ておらず、彼方に見えるラーゼアディウムの中枢と思しき建造物を見据えていた。
その壁の一角が吹き飛び、光が溢れ出る様を見た。
レヴァジーア・ゼファルス。オーランドの魔法であることは遠目にもはっきりとわかった。
「護衛をよろしく頼みます。ここを離れるわけにはいかないので」
「ハッ! 喜んで!」
「それと」
フロルはふと気付いて、クレアに向き直り、手を差し出した。
「例の手紙ですが、返していただけますか?」
「よろしいので?」
「ええ、必要ありません」
クレアに託した遺言書、救世主に伝えるべき情報を記した手紙を受け取ると、フロルは指先に小さな魔法の火を灯した。
手紙に火をつけ、そのまま焼き払う。わずかな灰と化した手紙を風に乗せて捨て去ると、フロルは少しだけ笑みを浮かべた。
「彼らの勝利を確信していますので……自分で伝えることとします」
「……猊下のために、戦ってくれているのですね」
「ええ、その点はあまり大きな声では言えないのですけどね」
リスティリアを背負って立つべき世界の希望二人が、今はただフロルのため――――いや、フロルとベルのために戦ってくれている。
大いなる運命が流れるままの結末を良しとせず、抗うことを選んだ二人。
その選択が果たして、彼らの到達目標である「女神救済」の達成に向けて、正しいのかどうかは定かではないが、彼らに迷いはなかった。
女神の思惑はさておき、フロルの個人的な感想としては、きっと“だからこそ”あの二人だったのだ。
女神教の教えの中に限らず、リスティリア世界において女神の決定は絶対的だ。フロル自身も実感した通り、信徒やその他の生命が考えている以上に、女神の意思は世界の流れそのものを強固に決定づける。
その運命の流れから逃れられる存在があるとすれば。
大いなる運命を捻じ曲げるほどの力と確固たる意志を持った存在があるとすれば。
あの二人をおいて他にはいない。
「この戦いに勝利したら、申し訳ありませんがあなたには給仕の真似事もしていただきますよ。宴をするには人員不足です。皆に暇を与えてしまいましたので」
「喜んで」
「――――君の戦う理由は問うまい」
ラーゼアディウムの巨大な通路、その屋根は、白亜の大地をそのまま切り出したような自然の形が残っており、故に足場としてはあまりよくない。
それでも、総司とリシアはオーランドを迎え撃つ場所として、無数の柱が立ち並ぶ通路の最中ではなく、その屋根の上を選んだ。
「枢機卿猊下のため、スティンゴルドのため……どれを取っても、君の最終的な目的からすれば合理性を欠く。が、恐らく“そういう問題ではない”のだろうからな」
“レヴァンフェルメス”が報酬だ、などと、誰の目から見ても建前でしかない。当然、総司がフロルの陣営の切り込み隊長として戦っている理由は、何より彼が自身の感情に従ったからに他ならず、総司にとってそれ以外の理由は必要ない。
理屈よりも感情が優先した時、ヒトは往々にして合理性を欠くものであり、総司はそれを良しとした。
「貴様こそ、ソウシと敵対することの意味がわかっているのか?」
「……と言うと?」
リシアの問いに、オーランドが薄く笑いながら聞き返した。
「貴様の言う通り、最終的な目的は別にある。ソウシと敵対し、そして殺すとはつまり、世界の希望の芽を摘み取ることと同義だ」
「ふむ……」
「貴様がルテア様に協力し、何を得るつもりなのか……予想はあるが、それはさておくとしてもだ。要は、ソウシを仮に殺せたとして――――そうなってしまえば世界は終わりだ。リスティリアは滅ぶ。貴様がこの戦いの果てに何を得ようと、全て無駄に終わる」
「一理ある」
ブン、と、再びオーランドの指先に光が灯った。
“ランズ・ゼファルス”が一直線に総司を狙うが、総司が動くまでもない。リシアが槍の正面に回り込んで、同じ魔法をぶつけて相殺する。
「同じ言葉を、レブレーベント王女にはぶつけたのか?」
「一緒にするなと、何度も言わせるな」
リシアが怒りを滲ませて言った。
「あの御方は“ソウシの代わりに自分がやる”つもりだったから、我らは一時、道を違えたのだ」
「なるほど、確かに違うな、この戦いとは」
晴れ渡る空の下、遥か天空であっても不思議なほど穏やかな風の中で佇むオーランドから感じられる、言い知れぬ気迫と底知れぬ魔力。
総司とリシアを相手取ってもなお崩れぬ余裕。
その姿を見て、それまで黙っていた総司が口を開いた。
「互いの目論見だなんだってのは、いったん置いておくとしてもだ」
オーランドがリシアから総司へと視線を移した。
「あんたは間違いなく強い。あんた自身も、ラーゼアディウムの力もな。けど、今のところアレインほどじゃない」
二度、オーランドの魔法の直撃を食らった。
全力ではなかったにしても、総司にとってオーランドの攻撃は、ハッキリ言って取るに足らないレベルのものだった。
「アイツはもっと強かった。まだ全力じゃないって言うなら早めに出さないと――――後悔することになるぞ」
総司が気合を入れた瞬間、蒼銀の魔力が爆発し、リシアは吹き飛びそうになった。
莫大な力が渦巻き、総司を取り囲み、うねる。
「あんたを止めるのは確かに必要なことだが、あんたの言う通り、俺の最終目標はそこにはない。さっさと会わせたい二人がいるもんでな」
「……君の戦う理由がそこにあるなら、なおのこと。無意味だとしか思わんが」
ベルとフロルを再び引き合わせること。ベルの本心を知った後だからこそ、そうすることに意味があるのだと総司は信じたが、オーランドにとっては「無意味」に思えるようだ。
当然、オーランドと意見を合わせたいなどと微塵も思っていない総司にとって、オーランドの言葉こそ無意味だが。
「レブレーベントの王女殿下と比較されてしまえば確かに、私としても耳の痛い話だ。そもそもレブレーベント――――否、シルヴェリアの家系の脅威性はそこにあると言っていい」
「……どういう意味だ?」
「魔法使いが何らかの魔法を行使する時、“場所”というのは重要だ。魔力に満ちた場所、儀式の準備を整え陣を刻んだ場所……通常、特に高度な魔法を発動する時は、そういう下ごしらえを欠かさぬものだ」
各国の“聖域”しかり、大聖堂デミエル・ダリアの転移魔法をはじめとする権能しかり。
強力な魔法には礎となる場が整えられているのは、総司も今まで見てきた事実だ。
「ゼルレインに連なるシルヴェリアの系譜は、単独で、いついかなる時、いかなる場所においても、己が身と魔力で高次元の魔法を発現する。内包する魔力量、場所に関わらず周囲の魔力を味方につける特性……外的な要因に左右されない強さの発揮が、ゼルレインが最強であった所以の一つでもある」
「何でそんなことを知ってる……?」
「大聖堂に残る千年前の記録だ。君がもしも生き残れたら、探してみると良い」
オーランドの笑みが深まった。
何か来る。リシアが警戒を強め、いつでもオーランドに斬りかかれる態勢を取った。
しかし、仕掛けることはしなかった。先ほどの小競り合いの最中、オーランドはリシアの剣を見切り、指先一つで刃を受け止める離れ業をやってみせた。
リシアが仕掛けて隙を作れればいいのだが、また完璧に見切られて、肉薄した状態で捕まってしまえば、総司に躊躇わせる結果になりかねない。
リシアがやるのは、総司が仕掛けて、オーランドが崩された後。
「君との実力差がわかっていながらもなお、こうして君と戦っているのは、もちろん勝算があるからだ。根拠となり得る作戦はいくつかあるんだが……時に、イチノセ」
「あん?」
「君は飛べないのだったな」
オーランドが指をパチン、と鳴らした。
突然だった。何の前触れもなく、高位の魔法の劇的な演出じみた、派手な光の奔流もなく。
総司とリシアの足元の、巨大な通路――――前後数メートルほどが、跡形もなく消え失せて。
二人の体は一瞬のうちに、自由落下に移る。
足元が「共に落ちる」のではない。「消え失せた」のである。足場としていた通路の屋根が崩れ落ちて下に落ちるのだとすれば、総司とリシアの今の身体能力なら、それらを踏み下して跳躍し、舞い戻ることもできただろう。
だが、二人の足元には何もない。あらゆる物理法則を無視し、魔法的な何かの発動すらも一切悟らせることなく。
二人は不意に、支えを失ったのである。
「なっ――――!」
「ここは“私の本拠地”であり、カイオディウムの軍事拠点となり得る場所――――この程度の防衛機能があっても不思議ではあるまいよ」
落ちる、落ちる。
オーランドの姿が一瞬で遠のく。
女神の騎士としての総司は、驚異的な身体能力を持ち、空を舞うようにして戦ったこともこれまで何度もあるが、それはあくまでも「跳躍」によるもの。
空中で自由に動けず、ひとたび地を蹴れば別の足場がない限り進路を曲げられないのは、彼の弱点でもあった。アレインとの戦いでは、それが大きなネックになって、アレインの攻撃を正面から突破する以外に手がなかったこともあった。
そして今、リシアも翼を奪われている。リシアの光機の天翼があれば全く意味を為さない手ではあったが、“ゼファルス”の使い手たるオーランドによって、リシアもまた、今は飛べない状態だ。
十分に警戒していても、あまりにも想定外の一手だった。足場が何の前触れもなく消え失せるなどと、流石に予想しようがなかった。
しかも、数十メートルを落下した時、総司とリシアは見た。
ラーゼアディウムから、何かが放たれようとしている。
あの光は――――あの巨大な力は、ティタニエラからカイオディウムへ戻ってきた時。
街一つを消し飛ばした、破壊の光。
「“アポリオール・ゼファルス”」
ラーゼアディウムを「砲台」として放たれる、圧倒的な力。
天から降り注ぐ強大な一撃が、血のつながった家族を撃とうというのに一切の躊躇いもなく、二人に向かって撃ち込まれた。