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リスティリア救世譚  作者: ともざわ きよあき
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贖いしカイオディウム 第五話⑤ 格の違い

 フロルは大聖堂デミエル・ダリアの権能を用いて、テラスの床を変質させ、執務机のような形を整えてデスクと椅子を準備していた。魔法道具の一つでもある、耐久性の高い羊皮紙を広げ、三人のイヤリングを通して聞こえてくる情報の全てをつぶさに記録した。無力なフロルには、それぐらいしか出来ることがなかった。


 ライゼス・ウェルゼミットの気質の危険性を認識していなかったわけではない。枢機卿としての力と権限で彼を抑えつけてはいたものの、彼が内包する危うさはフロルもよくわかっていた。


 ベルと拮抗する力の持ち主だったはずだが、ベルはライゼスに敗れた。しかもライゼスはベルを下してなおも、戦い続けられる余力を残している。二人の力の差がそんなにあるというのは、フロルの認識にはなかったこと。


 オーランドが与えた「偽りの伝承魔法」が、ライゼスにこれまでとは異なる次元の力を実現させている。カイオディウム事変を経て千年前に失われたカイオディウムの力――――ミスティルにその詳細を警告すべきかどうか、フロルは迷っていたのだが、戦闘に集中し始めたミスティルに対して、余計な口を挟むべきではないと判断した。


「ティタニエラのエルフ、その実力……信じていますよ、ミスティル……」






「“ゲルセム・レゼリアス”」


 ライゼスの姿が、黒と紫の輝きと共に、床にすっと飲み込まれた。


 ミスティルの目がギン、と魔力の輝きを帯びて、見開かれた瞳に雪の結晶のような銀色の紋様が浮かび上がる。


 ミスティルは一瞬、硬直し――――ふっと、後ろを振り向きながら身をかわした。


「“ヴィネ・レゼリアス”!」

「“リシュテム・ディスタジアス”」


 槍のように一直線にミスティルへと向かう黒と紫の魔力の光。


 ミスティルは身をかわしながら、両手を緩やかに上下に開いて魔法を発動させる。


 何かもろいものを包み込むように優しく開かれたミスティルの腕の間に、渦巻く銀のゲートが出現し、ライゼスの攻撃を吸い込んだ。


 ライゼスはくいっと首を傾げるような動作で、自分の背後に出現した銀のゲート、その中からライゼスを狙うライゼス自身の魔法を回避する。


 その眼前にミスティルが迫る。


 通常は様々な儀式や「場所」の力、下準備を要する超高難度の「空間転移」。しかしミスティルにとっては十八番ともいえる瞬間移動魔法“セグノイア・ディスタジアス”。ライゼスは一瞬目を見張ったが、ミスティルが続けざまに放った“レヴァジーア・ディスタジアス”の爆発を見事な身のこなしでかわし切り、ミスティルから距離を取った。


「……なるほど」


 距離を取った、というだけでは、ミスティルの追撃をかわすことは出来ないはずだ。ライゼスの姿をミスティルが捉えていれば、距離はさほど関係ない。


 だが、ミスティルは既にライゼスを見失っていた。あまりにも多すぎる柱の中に紛れ込むように、ライゼスが隠れ潜んでいる。


「レゼリアスとよく似た魔法だ。同類というやつだな」


 ミスティルの足元に黒と紫の渦を巻く穴が開いて、ライゼスがぬっと姿を現し、ミスティルの足を掴んだ。ミスティルは再び空間転移を用いてライゼスの手から逃れる。


 だが、ぱっとライゼスから逃れた勢いそのまま、柱の一つにトン、と足を付けたのは握手だった。ライゼスがまるで柱の中を通ったように、床ではなく柱から姿を現して、ミスティルに容赦なく拳をぶち込んだ。


 魔力を腕に集中させて、ガードを固めて受けきったミスティルだったが、彼女の体は軽い。容易く吹き飛ばされ、ざっと地面を滑った。


「空間を掌握する古代魔法……しかも熟練度も相当のものだ。見た目通りの年齢だとすれば天才のそれだな」

「……どうも」


 ライゼスの拳を受けた腕が悲鳴を上げている。


 重い一撃。フロルの言葉通り、ライゼスが操る“レゼリアス”の魔法が、彼本来が持つ血統の伝承魔法でないとすれば。


 魔力を用いて身体能力を上昇させ、体術で戦う徒手空拳の戦闘スタイルこそが本来の彼の強さだ。それはつまり、まさしく魔法使い然とした、魔法主体の戦いを得意とするミスティルとの相性が悪いということでもある。


 距離を取った戦闘で、ミスティルが詰めたいときに詰められ、離れたいときに離れられるような主導権を握った戦いが出来れば、むしろミスティルが有利な戦闘スタイルではあるが、レゼリアスの魔法がその有利を消している。ライゼスもまた、床や柱を通って自在に空間を移動できる。局地戦での間合いをライゼスも自在にコントロールできる状況では、肉弾戦で大きく上回られているのは相当厳しい。


「だが君は、魔法に熟達しているだけだ」


 ライゼスも既に見抜いている。ミスティルは、魔法という一点において破格の実力者ではある。しかし――――


「魔法使いとしての格は君の方がはるかに上回るだろうが、君には決定的に戦いの経験値が足りていない」


 ライゼスの姿が再び消える。次に現れたのはミスティルの背後。鋭い蹴りをすんでのところでかわして、ミスティルはまた瞬間移動で距離を取る。


 だが、彼女自身も考えていたように。


 ミスティルとライゼス、二人の間に半端な「間合い」は無意味だ。ライゼスは何らかの魔法によって地形の中に溶け込めるが、ミスティルにその力はない。姿を晒し続けるしかないミスティルを、常に視認できるライゼスからすれば、距離の開きは問題ではなかった。


 ライゼスの拳が再びミスティルを撃つ。腕のガードの上から叩きつける衝撃、それこそがライゼスの強さの真骨頂。近距離の肉弾戦が不得手な魔法の使い手に対する回答の一つを、極め切った戦闘狂。


「魔法使い同士の戦いで相手を上回ろうとするとき、『魔法の腕前』は必要条件かもしれんが、決して十分条件ではない。魔法の腕が良いのは前提だ、互いにな」

「……その前提があなたにはなかったから、“そんなもの”に縋ったんですか?」


 得意げに語るライゼスに対して、ミスティルが冷たく言葉を投げかける。


「……君の物言いはいちいち深遠だな。何が言いたい」

「“レゼリアス”は、ウェルゼミットの血筋における伝承魔法ではないのでしょう? いえ、もっと言えば、ウェルゼミット家にはそもそも、血統が受け継ぐ伝承魔法が存在しない」


 びりびりとまだ衝撃の取れない腕の感触を、拳を握り固めながら確かめて、ミスティルが続ける。


「私は魔法の匂いに敏感なもので。フロルを見ていればわかります。生命個々によって魔法の才能が違うのはヒトに限らず当然のことですが……ウェルゼミットはそもそも、特段魔法に秀でた家系ではない」

「なるほど、そういう意味か。肯定しよう。ウェルゼミット家はただ女神教の権力と大聖堂の権能を掌握するだけの血筋……それも、頑なに権力を手放さなかっただけで、別に“ウェルゼミット”でなくても良い」


 千年前、修道女エルテミナの野望がロアダークによって潰された時、たまたま女神教を喧伝していただけの、エルテミナにとって都合のいい隠れ蓑となり得る組織を率いていた家系。出所を千年辿ればそもそも、カイオディウムにおける名家ですらなかった。


「無駄話で時間を稼いで、君に勝機が訪れるのかどうかは知らんが」


 ライゼスは余裕の笑みを浮かべ、コツ、コツと、巨大な通路を闊歩しながら語った。


「なに、簡単な歴史の話だ。カイオディウム事変の折、カイオディウムの力在る血筋は軒並み倒れた。もしもゼルレイン・シルヴェリアが失踪していなかったら、カイオディウムは抵抗の力もなく瞬く間に解体され……そうだな、もしかしたら『レブレーベント領・ディフェーレス』という名前になっていたかもしれんな」

「その隙をついたのが、ウェルゼミット」

「そうだ。君の言う通り、大した魔法の名家でもなかったウェルゼミットは、千年に及ぶ『立ち回り』のみでカイオディウムを支配するに至った、と言っても過言ではない。正直に言おう……私は君やアリンティアス大司教がとても羨ましい」


 強力な伝承魔法や古代魔法を、その血筋によって受け継ぐ者たち。


 戦う者として稀有な力を有し、しかし「生まれ」による資格が必要な特別な力を持たないライゼスにとって、ミスティルはどれだけ羨んでも足りないぐらいに羨望の対象だ。


「恐縮ですが、私としても残念です」

「……やはり君の物言いはすぐには意味がわからんな……そういう癖なのかね?」

「そうやって生まれながらに背負った“血筋”の不利を、あなたは見事に覆していたはず。その鍛え抜かれた格闘術と魔力制御によって」

「ほう……ティタニエラのエルフに褒めてもらえるとは、光栄だ」

「そのまま――――そのまま己の極めた戦闘力で戦い続けていれば、あなたの力はもっと研ぎ澄まされていたのに」


 ライゼスの笑みが消える。ミスティルは大きく息を吐いて、再び集中した。


「私のことを『同類』と言いましたね。残念ながら格が違います。あなたの付け焼刃の魔法では、どうあっても私には届かない」

「そういうセリフは、私を仕留めてから言ったらどうだ」


 ライゼスの姿が再び消えた。


 だが、ミスティルは完全に見切った。軽く跳躍して、腕を振りかざし、唱える。


「“レヴァジーア・ディスタジアス”!」


 強烈な爆裂。銀の光の奔流から飛び出したのはライゼスの体だ。ミスティルは空を飛び、鮮やかにライゼスの眼前まで舞い上がる。


「ぐっ――――!」


 ライゼスの姿が再び消えようとした。何かに吸い込まれるようにして消えゆく彼の体を、ミスティルは逃がさない。ミスティルの腕がライゼスに向かって伸ばされ、彼女が何かをつかむ動作をすると、それだけでライゼスの体が動かなくなった。


「なにっ……!」


 そのままライゼスは通路の床に叩きつけられる。激突の寸前、彼は床の中へともぐりこんだようだが、ミスティルの目は、見えないはずのライゼスの姿を的確に捉え、追いかけていた。


「“レゼリアス”の魔法は、壁や床に溶け込むものではない。その起点は――――」


 ミスティルが着地し、すうっと緩やかに腕を上下に開き、伸ばした。


「あらゆる物の“影”にある――――“シェルレード・ディスタジアス”!」


 ミスティルが振り下ろした右腕に呼応するように、銀の光を帯びた巨大な魔力の斬撃が、床と天井を一気に蹂躙し切り裂いた。


 たまらず柱の影の中から弾き飛ばされたライゼスは、床を転がりながらもなんとか態勢を整える。


 だが、損傷は甚大だ。空間を、物質を容赦なく切り刻むミスティル渾身の一撃は、魔力で全身を強化したライゼスの体を切り裂いて、血を流させた。


「くぉっ……!」

「 “影”の中に異空間を形成し、その内部の事象を操る魔法。カイオディウムに在ったかつての伝承魔法は確かに、私にとっては興味深い性質を持っている」


 レゼリアスは影の中に自分だけの異空間を形成する魔法であり、ライゼスが認識できる範囲の影は全て、その異空間への出入り口となり得る。柱や床に潜り込んでいるように見えたのも全て、それらが巨大な通路において影の中にあるからだ。


「相性としては最悪というやつです。その性質では私の“ディスタジアス”は超えられない」


 次元と空間を掌握するミスティルにとっては、下位互換に等しい魔法。ライゼスが語った魔法の熟達度の話ではなく、そもそもの格の話である。


 ライゼスは傷口を押さえ、柱に体を預けて何とか立ち上がった。


 だが、それだけだ。既に決着はついている。


 簡単な治癒の魔法では、ライゼスの傷口を完全に癒すことは不可能だが――――高等な魔法を使えないライゼスでは、それ以上の対処が出来ない。ミスティル渾身の古代魔法によって刻み付けられた傷は致命傷にこそならなかったようだが、ライゼスの戦闘力の大半を奪っていた。


 戦いという一点において、経験値はライゼスの方が上だ。ライゼスが自分の強みを前面に押し出して、ミスティルに対し肉弾戦を押し付ける戦いであれば、もう少し善戦できたかもしれない。


 だが、ライゼスは与えられた力に縋ってしまった。付け焼刃で、しかも同系統の魔法。熟練度においてはミスティルが大きく勝る部分に頼りながら勝負を挑んでしまった。


「……ふーっ」


 ライゼスはしばらく、まだ戦意をぎらつかせてミスティルを睨みつけていたが、やがて諦めたように息を吐いた。


「全く……ようやく、出番が来たかと思えば……あっけないものだ」


 本気には程遠いミスティル。既に傷を負ったライゼス。格の違いは圧倒的。ベルが言った通り、「あなたでは勝てない」の言葉通りの結末。


「殺すか、私を」

「お望みとあらば。必要ないとは思っていますよ。あなたがどれだけ頑張ったって、彼らに辿り着く前に私がいますのでね」


 力の差があり過ぎる。そもそもよくて「善戦」止まり。ミスティルは確かに、命の奪い合いとしては経験値がまだ足りないにしても、それを補って余りあるぐらいに強い。


「そうか……まあ、勝者に委ねるさ」


 戦闘狂の割には、あきらめが良い。ライゼスはその場に座り込んで、戦う意思が潰えたことを示した。


「『偽りの伝承魔法』とフロルは呼んでいましたが。命の代わりです、もう少し教えていただけますか?」

「……これは意外。すぐにでも追いかけなくていいのか?」

「思ったより早くケリがついたもので」

「言ってくれる」


 ミスティルの容赦ない言葉に、ライゼスは苦笑を漏らすほかなかった。


「しかし、君にとって価値ある情報かね?」

「いいえ。彼にとって価値ある情報かと思いまして」


 女神救済の旅路は、千年前を辿る旅路でもある。総司が語ったその話を思い返せば、ライゼスが知っているであろう『偽りの伝承魔法』の秘密は、総司にとって価値あるものかもしれない。ミスティルはそんな思いから、敗者が差し出すべき命の代わりとして情報を求めた。総司の到達点は決して「オーランドを止めること」ではなく、そのずっと先にあるのだからと。狂ったように戦いを求めたライゼスもまた、その条件に素直に答えた。


「昔話の続きになるだけだ。千年前に失われた――――と言うよりは」


 傷口の痛みも落ち着いたか、ライゼスは少し安らかな表情になって、言葉を紡いだ。


「千年前に“奪われた”魔法の再現……アリンティアス大司教は、現代にない魔法の再現に執着しているからな……その一つが“エルテミナ”でもある」

「奪われた……?」

「さて、そのあたりのことは、私も詳しく知る部分ではない。伝聞でしかないが」

「構いません」

「千年前、カイオディウムの敵対陣営……つまりは、ゼルレイン・シルヴェリアの陣営にいたとのことだ……“殺した相手の能力を奪う”という、世にも奇妙な力の持ち主が」


 ある程度は魔法の知識を持つミスティルであっても、そんな魔法は聞いたことがなかった。


「……千年前の出来事です。恐らくは伝説の域でしょうが……尾ひれがついているようにも思えますね。天才的な魔法の使い手が、カイオディウムの魔法を模したということも考えられます」

「伝承魔法をか? 生まれながらの素養であると、君も良く知っているだろう」

「……ゼルレインの陣営にいたということは……」


 ティタニエラで行われた、ささやかな歓迎の宴。

 あの夜の一幕を思い出し、ミスティルが言う。


“ロアダークを追い詰めた軍勢、その頭は確かにゼルレインであったが、ロアダークを討ったのはあやつではないらしい”


「もしかしてその者は、ロアダークを――――」


 ズン、と重い衝撃が床を伝って二人に届いた。


 始まった――――ミスティルはすぐさま表情を引き締め、ラーゼアディウムの中枢と思しき建造物を見やる。


「行け」


 ライゼスが言った。


「アリンティアス大司教は恐らく、君が考えているよりも厄介で……強い。君の助けもきっと必要になるだろう」

「……お気遣いどうも。あなたはどうするのです」

「さて、ここで生き残ったところで、君らが勝てば死罪が免れるわけもなし……君らが負けたところで、居場所があるかどうか。今後の身の振り方としては、選択肢はそう多くないな」


 ミスティルはしばらく、静寂な視線をライゼスへ注いでいたが、それ以上彼には何も言わず、たっと駆け出した。


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