贖いしカイオディウム 第五話③ 突入
オーランドとの通信が途切れた。フロルは金属板をぽいっと投げ捨てた。
「私への害意としては間違いありませんね。これだけハッキリと言われると、いっそ清々しい思いです。為政者に対する反乱とはこうも堂々としているものなんでしょうか」
「それに関しちゃ実は耳が痛くて、最初は俺やリシアもそれに協力するつもりでカイオディウムに来たんだけどな。フロルと先に話してなきゃぁどうなってたか、正直わからん」
「何を今更……そうならなかったのだから、考える必要のないことです」
フロルは涼しい顔で言った。
「枢機卿権限で不問とします」
「とんだ最高権力者がいたもんだ」
「重要な話をしますので心して聞いてほしいのですが」
茶化す総司を華麗に無視して、フロルが言った。
「先ほどのオーランドの話です」
「先ほどの? どの辺の話だ?」
「あなたが不確定要素だった、というくだりです。オーランドはあなたが“既に私と共にいる可能性”を排除していなかったのでしょう。ですから即時の突入を避け、自分が絶対的に有利な場所で迎え撃つことにしたんです」
「あぁ……なるほどな……」
総司が囚われの身であったことなど、流石のオーランドも知る由もないことだった。
オーランドにとっては、総司はリラウフの街で行方知れずとなりそれきり。ローグタリアへ一時的に飛ばされていたことも、その後にフロルの元まで転移させられていたことも知り得ない。
オーランドはその点では用心深いともいえるが、しかし今回はその用心深さがオーランドにとって不利に働いた。ミスティルが大聖堂の護りを突破したまさにその瞬間は、総司はフロルの傍にいなかったのだ。
「だからこそ、十分に警戒しなければなりません」
フロルは厳しい顔つきで、総司に本気で言い聞かせるように、極めて真剣に言った。
「オーランドはあなたに、“大聖堂では勝てない”と考え、大聖堂に突入しあなたと激突することを避け、ラーゼアディウムで迎え撃つことにした。つまりは、“ラーゼアディウムでならば勝てる”自信があるということです」
「その思い上がりを正しますとも」
リシアが力強く言った。
「あんまり熱くなるなよ」
「お前が言うか。毎度毎度過剰なほど熱くなるのはお前の方だろうに」
総司の冗談めいた口調に、リシアが気に入らなさそうに返した。
「どんな仕掛けがあるかわかりませんし、敵はオーランドだけではありません」
フロルがなおも厳しい口調で言う。
「ライゼスだな。ベルを連れ去った相手……リシアとミスティルは知ってるのか? そいつの強さを」
「顔を知っているぐらいだ。確かに実力者には見えたが、強さの程は不明だな」
「あぁ、彼は私に任せていただければ」
ミスティルが気楽な調子で言った。
「大丈夫かよ? 目の前でベルをさらわれたんだろ?」
「ええ、その失態を取り戻しますとも。あなたはご自分の心配だけどうぞ?」
総司とミスティルがばちっと視線で火花を散らす。
「……わかった、じゃあライゼスはミスティルに任せる。俺とリシアでオーランドだ」
「そ、そんな簡単に言って……!」
フロルがあたふたと割って入ろうとしたが、三人は気にしなかった。
「フロルは残ってもらった方が良いか? でも、そうなるとこっちに飛び込まれたらヤバいな」
フロルの言う通り、オーランドが自分の本拠地以外の場所で総司と激突することを避けたのだとすれば、総司がフロルの傍を離れた途端にフロルを襲撃する可能性を捨てきれない。
総司が考え込む前に、ミスティルが動いた。指先に銀色の光を宿し、何か不可思議な紋章を描いて、四人が立つテラスの足元に印を刻み付けた。
「大聖堂の権能があれば、多少なりとも抵抗は可能でしょうね?」
「ええ、オーランドとライゼス相手でも、時間稼ぎぐらいは出来るでしょう」
「では、何事かあればすぐにこの印に魔力を通してください。それで私にはわかりますし、この印を終点として転移魔法で戻れます」
「さすがだな、次元の魔女」
ミスティルは総司と戦った時も、なんの下準備もない状態で、一瞬で空間を超越する“セグノイア・ディスタジアス”を息をするように簡単に使っていた。彼女にしてみればこれぐらいはお手の物だ。
「一応、こちらも渡しておきましょう」
フロルは大聖堂の権能を使って空中から何かを取り出した。
ベルがかつて身に着けていたものと同じ、十字架のイヤリングを三人に手渡す。
「聖騎士団の連絡手段の一つです。あなた達はこれからラーゼアディウムに入りますが、大聖堂から見て何か異常が起こっていたら知らせます。ただし『特定の相手に声を届かせる』のは私にしか出来ません。魔力を通している限り、あなた方の会話は全員に聞こえるはずですので、お気をつけて」
「聞かれて困る話なんざしねえよ今更。全員出来るだけ常に起動させておけ。それぞれの断末魔が聞こえねえことを祈るとしよう」
「縁起でもないことを……」
陽気に軽口を叩く総司をリシアが窘めつつ、全員がイヤリングを装着する。
ここから先はまさに行き当たりばったり、ほとんどなんの事前情報もない敵陣に飛び込むことになる。わかっている情報と言えば、オーランドとライゼスが待ち構えていることぐらいのもの。それ以外のラーゼアディウムの機能、行く手を阻む仕掛けは全く未知数だ。だが、一人として臆する者はいなかった。
「時間的制約がないのは良いことですね。しばらく睨み合いと言うのも面白い。あちらがじれて何らか行動を起こすまで待ってみましょうか?」
ミスティルが冗談めかして言った。
「……オーランドには通じまい」
リシアが冷静に言う。総司もリシアに同意した。
「ラーゼアディウムがどんな機能を持っているのかわからない以上、あっちが迎え撃つつもりでいてくれている間に決着をつけるべきだ。オーランドの気が変わった時、何が飛んでくるかわかったもんじゃねえからな」
「なるほど、確かに。では、行きましょうか」
三人の準備が整い、遂に「反乱鎮圧戦」開始の機運が高まった。
フロルは胸元で両手を組み、ぎゅっと握って、最後の言葉を掛ける。
自分のために戦うこととなった者たち――――だが、それはもはや言うまい。覚悟を決め、堂々たる姿でオーランドとの決戦に挑む戦士たちを前に、今更そんなことを気にするのは無粋というものだ。であれば、フロルが掛けられる言葉はそう多くない。
「あなた方の助力に、心から感謝します。どうか――――無事に戻ってきてください」
「何かあったらすぐ呼べよ。遠慮はなしだ」
「ええ、わかっています」
「それじゃ……行くぞ!」
総司がダン、とテラスの手すりを踏み下し、大きく跳躍した。
「えっ――――ちょっと……!」
真っ逆さまにラーゼアディウムへと落ちていく。目が飛び出さんばかりに驚いたフロルがだっとテラスの端に駆け寄った時には既に、閃光と化したリシアが総司の後を追いかけていた。落ちゆく総司の体を空中で捕まえて軌道を変え、一気にラーゼアディウムの中枢に向けて飛んでいく。その後ろを、ミスティルがふわりと飛び上がって追いかけていった。
「全く……常識外れもいいところです……!」
フロルはその場に崩れ落ちそうになりながら、ほっと胸をなでおろしつつ、飛んでいく三人の姿を見送る。荒事には不慣れな身である。時折起きる暴動や事件の対処を聖騎士団に命じることはあっても、最前線に立って陣頭指揮を執るような機会はこれまでなかった。総司とリシアはフロルの心配など気にも留めず、どんどん進んでいく。
だが、そううまくはいかない。
ラーゼアディウムの中枢までの距離、その半分ほどを進んだところで、リシアが急に軌道を変えて、巨人が歩けるような巨大な通路の端を目指し始めたのが見えた。
何らかの魔法的妨害を受けたのだろう。フロルの目にも見て取れる強力な魔力の結界のようなものが発動して、リシアの高度がみるみる下がり、通路の端へと不時着していくのが見えた。恐らくそれも織り込み済みではあるだろう。何の妨害もなく中枢まで一直線というわけにはいかないというのは、三人も想定していたはずだ。しかしそれでも、フロルとしては心配せずにはいられない。
フロルは彼らの一連の動きを遠くから見守りながら、祈りを捧げることしか出来なかった。
「女神様、どうか、彼らをお守りください……」
「できればお前の拘束も解きたいのだがな、スティンゴルド」
「解けば良いじゃん、あたしはいつでも大歓迎だよ、大司教」
ラーゼアディウムの中枢で、オーランドとベルが軽口を叩き合っている。
ベルは未だ、ライゼスによる魔法の拘束を受けて不自由なままだった。フロル枢機卿を殺すという目的に限って言えば、オーランドとベルは志を同じくしているはずなのだが、ベルの剥き出しの敵意を受けては、オーランドとしても彼女を自由にさせるわけにはいかなかった。
ベルは自分の手で決着をつけたい。自らの血の呪縛に、築き上げてきたフロルとの思い出に、自分の手で終止符を打ちたい。オーランドとライゼスに「手を貸す」つもりは最初からなかった。昨夜の独断専行はひとえに、オーランドの準備が整いつつある状況で、出し抜こうとして行ったものだ。
それすらルテアには容易く読み切られてしまったわけだが、ベルはまだ諦めてはいないらしい。
「“ネガゼノス”を使えば容易く捕まるようなこともあるまいに。強情だな」
「それを使う相手は決めてるもんでね」
「枢機卿猊下か。無用のこだわりだ。誰が殺そうと結果は同じだろうに」
オーランドの言葉に、ベルは答えない。
「スティンゴルドの因縁か、それともお前自身の因縁か……いずれにしても、今の内から身の振り方を考えておけ。フロル枢機卿の排除が成った後、自分がどうするかをな」
オーランドの陣営が勝利し、フロルが死ぬことになれば、ベルにとってはもう戦う理由がなくなる。ミスティルがかつて口にした「誰が枢機卿を殺すのか」の競い合いは、オーランドとベルの間で行われていた。と言っても、「自分の手で決着をつける」ことに固執しているのはベルだけだったが。
オーランドがベルにそれを許さず、わざわざ捕縛したのには当然理由があり、それはベルのように「フロルを自分の手で殺す」という終着によるものではない。
あのままベルがフロルを殺し、大聖堂デミエル・ダリアの認識を書き換えて「枢機卿」の地位に自分を据えてしまっては、大聖堂の権能がオーランドの手に入らないからだ。王女ルテアは、ベルの目的がフロルを殺すことのみならず、大聖堂の権能にもあると読んだ。
その見立てが外れるにせよ当たるにせよ、オーランドとしてもベルは自由の動かすには信頼のおけない駒だ。ミスティルによる大聖堂の護りの突破が達成された今、ベルを自由にさせておく理由がない。
「別にあなた達がどうなろうが、今となっては知ったこっちゃないけど、甘く見てない? 手駒がライゼスだけで足りるとでも思ってるわけ?」
ベルは不機嫌そうに、吐き捨てるように言った。
「あの三人は正直とんでもなく強いよ。とてもあなた達の戦力で足りるとは思えないけど」
「心配無用だ。そのためにここへと招き入れたのだから」
オーランドは不敵に笑う。中枢の柱のいくつかに手を触れて回り、ラーゼアディウムの機能を作動させていく。
「ここはリスティリアにおける神秘の根幹、下界に打ち込まれた女神の礎。そして今は、カイオディウムが誇る軍事力だ。戦争に用いる兵器となれば、乗り込まれた時のための防衛機能も当然備わっている」
「それで止められる相手じゃないって言ってんの」
「それで止まらぬのであれば」
ベルの背筋にぞくりと悪寒が走った。
濃密な女神の魔力の中にあっても明瞭に感じる、オーランドの魔力の気配。リシアの魔力と似ている伝承魔法“ゼファルス”の力が、女神の力と入り混じって不吉さを増している。
神秘性の中に内包された邪悪。本来混じり得ないはずの力が入り混じって、互いに相反し合いながらも力を増大させている。
「私が迎え撃つまでだ」
「……不敬なもんだね。そのうちばちが当たるよ」
「今や私は『与える側』だ。それに先ほどは本音を話した」
「本音……?」
「彼と会ってみたいのは本心だ。だが、それも叶わぬかもしれんな」
やれやれ、と言わんばかりに肩を竦め、オーランドが言った。
「私も、“アレ”の血の気の多さがあそこまでとは思っていなかった。お前を相手に相当手加減していた鬱憤もたまっているようだ……血の雨が降るかもしれんな。できればあまり、汚さないでほしいものだが」