贖いしカイオディウム 第四話④ 激動直前の想定外
“大聖堂への攻撃が見えたら、それを合図に作戦を開始せよ”。
王女ルテアの言葉を思い返し、オーランドは笑った。
彼が立つのは、天空聖殿ラーゼアディウムの中枢。大聖堂デミエル・ダリアに最も重要な部分を奪われた聖域の新たな中心部。
白亜の大地を削り出して創られたような、巨大なる白き天空の島。夜の闇の中でも、超高密度の魔力によって輝きを放っているその姿は、既にラーゼアディウムが臨戦態勢にある証だ。大聖堂デミエル・ダリアの暗い灰色の外壁とは全く対照的な輝ける白亜の聖域は、それ一つが首都ディフェーレスの衛星都市全てを足し合わせたよりも更に巨大だ。周囲には騎士が持つ盾のような壁がいくつも旋回しており、ラーゼアディウムと魔力のラインで繋がっている。
自然の岩々をそのまま屋根のように使って形成された、ヒトが歩くためとは思えない巨大な通路には、岩の屋根から数えきれないほどの、屋根とは対照的に明らかに人工物であることを思わせる機械的な亀裂の入った柱が下がり、大地を貫通し、浮かび上がる島の下部にまで突き出ている。リシアの“ジラルディウス・ゼファルス”を思わせるデザインで、同じく伝承魔法ゼファルスを操るオーランドとラーゼアディウムの関係性を窺わせる。
その威容は、ただでさえ巨大な大聖堂デミエル・ダリアをも上回る。カイオディウムが擁する最大の軍事力であり、他国に一切知られていない最高機密でもある。
ラーゼアディウムの制御は、あくまでも「最深部」を擁する大聖堂デミエル・ダリアにあった。だが、先代枢機卿が実用化させた兵器としてのラーゼアディウムは、権能のほとんどをオーランドによって掌握された後で、その上位と下位の関係性を覆した。
胸元に隠したロケットをおもむろに取り出し、パチンと開けて中を見る。その時のオーランドの表情は、家族ですら見たことのないものだ。
「あなたでも感傷に浸ることがあるのですね」
「……このような場所にまでいらっしゃるとは」
オーランドが意外そうに目を見開いて、ロケットをぱっとしまった。彼にしては珍しい所作である。
王女ルテアが、彼女のペットであると同時に最も信頼できる部下でもあるリンクルを抱いて、ラーゼアディウムの中枢に足を踏み入れた。
ラーゼアディウムの中枢は、大聖堂デミエル・ダリアの中枢と同じく、淡い光と輝ける古代の文字の羅列で満たされた空間だった。大聖堂と違って正方形に造られた部屋には、宙に浮かび不定形に形を変え続ける鏡のようなものが無数に浮かんでおり、それらはラーゼアディウムの周囲を旋回する盾のような壁と繋がっている。周囲を旋回する盾は外部の映像を写し取り、この場所の鏡へと落とし込む。床からは不規則な高さの細い柱がいくつも突き出していて、それらは全て異なる役割、異なる機能のスイッチの役目を担っている。
「待っているだけというのも退屈でしたので。この最終局面に至って、紅茶を飲んでいる場合ではありませんから」
「賢明とは言えませんな」
オーランドは穏やかに笑いながら言った。
「こういう状況になって我が孫が大人しくしているとはとても思えませんし……身内自慢で恐縮ですが、アレが暴れだすとなればこちらもそれなりに覚悟がいる。ルテア様をお護りする余裕があるかどうか」
「では、あなたにはおあつらえ向きということでしょう?」
ルテアはにこりと邪気のない笑みで、オーランドの皮肉めいた物言いに返した。
「私を護らない言い訳が立ちますものね」
「……これは異なこと。最善を尽くしますとも」
「嘘ばっかり」
ルテアはクスクスと、相変わらず見透かしたようにオーランドを見極めて、言った。
「あなたをこちらに引き込んだ時点で、こちらも“それなりの覚悟”とやらを決めていますよ。願わくは、良い関係で在り続けたいものですけれど」
オーランドは何も言わない。
ラーゼアディウムの機能を最も十全に発揮させられるのはオーランドである。強力な伝承魔法であるゼファルスを操り、ラーゼアディウムの力を借りてその威力を増大させられるオーランドは、この国の主導権を握る存在と言っていい。フロルを護る大聖堂の権能も弱まった今、カイオディウムの行く末はオーランドの匙加減一つだ。
それをわかったうえで、ルテアはオーランドを味方に引き入れた。それは、王女としての目的とオーランドの目的とが似通っていたから。
オーランドの人格と思想の危険性を差し引いても、彼がフロル枢機卿の陣営にいる限りは――――形の上でだけでもフロルに従っている限り、王家に勝ち目はなかった。
だがオーランドの側も、空恐ろしさは感じている。
その苦肉の策ですら楽しみながら弄して、この状況の手綱を握る王女ルテアの潜在能力は、オーランドにとっても未知数であり、間違いなく脅威だ。
王女ルテアは、ベルが必ず作戦を無視し、ルテアやオーランドよりも先んじて仕掛けるであろう未来を予期していた。それが故にオーランドとライゼスを先に走らせ、ラーゼアディウムの臨戦態勢を整えさせた。
作戦決行の日時すら、ルテアにしてみればベルに対する撒き餌に近い。彼女の行動原理、その心理を読み切っているルテアにとっては、ベルの先走りは当然の帰結であり、それを合図に作戦を開始する現状は決まっていたようなものだ。
「ルテア様の想定外を起こし得るとすれば、我が孫と、アレが連れている『少年』でしょうな」
「あら、なんの探り合いですこと?」
ルテアが見透かしたようにクスクス笑いながら言った。オーランドは虚を突かれて目を丸くし、肩を竦めた。
「かないませんな。ええ、つまり――――ルテア様はどのように読んでおられるのか、ご教示願いたく思った次第。『彼』はどう動くとお考えで?」
「直接お会いしたことはないので、そこは確かに不確定要素ではありますね」
ルテアは正直に言った。
「ですが、恐らく『彼』は枢機卿猊下の味方をされることでしょう」
「……つまり、スティンゴルドの敵となる道を選ぶと?」
オーランドは腕を組んで、ルテアの意見を反芻した。
「失礼ながら私にはそう思えませんが……リシアが惚れこむ男だ。多少なりとも共に過ごしたスティンゴルドと敵対するとは考えにくいのですが」
「いえ、いえ、そうではなくて」
ルテアは首を振って、オーランドの言葉を否定した。
「きっとベルちゃんも枢機卿猊下も、救おうとするだろうと。そう読んでいます」
「……だとすれば、愚かと言うほかありませんな」
ルテアの見立てを聞いて、恐らく彼女の見立てが外れることはないだろうと信じ、そのうえでオーランドは嘲笑した。
「何もかもすくい上げようと大きく手を広げるほど、指の隙間から零れ落ちるものだ」
「ええ。しかしどんな物語であっても、救世主とは愚かなほどにまっすぐなもの。そうでしょう?」
「……なるほど。そしてその無理を通すのもまた救世主だ」
「そういうことです。我々が固めるべきはむしろ、“世界を救う運命に在る者”を敵に回すという覚悟なのかもしれませんよ」
女神を救うため旅をするという少年。そのパーソナリティーの詳細までは知らずとも、彼の最終的な目的については二人にとっても既知のものだ。
女神が定める運命は、下界にある意志ある生命たちの認識をはるかに超えて絶対的。オーランドもその現実は身に染みてよくわかっている。
「では、試すとしましょう。我らが女神の定めた運命にどれだけ抗えるのかを」
オーランドの含みのある物言いを気に留めず、ルテアはさらりと話題を変えた。
「皮肉なものと思いませんか、オーランド」
「皮肉とは?」
ルテアはコツ、コツと軽やかな音を鳴らしながら、中枢をゆっくりと歩いて回る。
「どこの国より女神教を崇拝し、女神を崇める“我がカイオディウム”が、恐らくどこの国よりも聖域を蹂躙し、自分たちの欲のために好き勝手作り変えている。ウェルゼミット教団の闇そのものですね、ここは」
女神の領域と接続できた大国の聖域は、多くの国にとって不可侵の領域だ。
女神をことさら崇め奉るカイオディウムにとってみればまさに、現代にまで残る聖域は絶対的な信望の対象であって然るべきだろう。
だが、実際には。
カイオディウムは聖域を事もあろうに「分割」し、分割されたどちらも自分たちのために使い倒している。一つは信者の信仰心を握って離さず、且つ教団の要人を強固に守護するための機能を果たし、一つは外敵に対する武力となった。そのどちらも、女神レヴァンチェスカのために消費されているということはないのだ。
「……いつの世も、ヒトはその程度のもの。形は違えど我が国に限った話でもありますまい。そう言えばかつて、先代枢機卿がこのようなことを」
オーランドが感慨深げに語る思い出話。ルテアが興味深げに、笑みを浮かべながらオーランドを見つめ、続く言葉を待った。
「“ヒトの欲には際限がなく、無垢であるほどに厄介だ”。どういった折にそう仰ったのか、あまり覚えがないのですが……しかしその言葉に拠って立つとすれば」
オーランドは苦笑しながら、
「無垢とは程遠い我らは、まだマシなのかもしれませんな」
「……そうであるよう願いたいものです。ところで」
「はい?」
「ライゼスはどこに? あなたと一緒だろうと思っていたのですけど」
「あぁ」
王女ルテアの言葉を受けて、オーランドはまた苦笑した。
「“アレ”は私よりも血の気が多いのでね。一足先に――――」
「ご心配なく。ただいま戻りました、ルテア様」
ラーゼアディウムの中枢に、ライゼスが現れた。ルテアもオーランドも、その姿を一目見てぎょっとした。
ボロボロというほどでもないが、激しい戦闘があったことを思わせるには十分な損傷具合だったのだ。頬から血を流し、鍛えられた体つきを強調する彼の衣服がところどころ派手に裂けて、随所に傷を負っていた。
そしてライゼスは、彼にその傷を負わせた戦いの相手を捕らえ、連れてきていた。
「……これはこれは……」
オーランドの驚きを隠せない表情、というのは、王女ルテアを相手にする時以外ではかなり珍しいものだった。流石のオーランドであっても、この展開は予想外だったのだ。
「手こずりはしたが、ご覧の通り。ルテア様がこちらにいらっしゃるとは僥倖。良い手土産を持って来れた」
おどけたように言うライゼスが引きずっているのは――――縛り上げられた状態の、気を失ったベル・スティンゴルドだった。