贖いしカイオディウム 第四話③ 総司の味方
総司が何に怒っているのかが、ようやくわかった。
「ここで俺達がベルとフロルの過去を知るってのは、そりゃ大事だったよな……フロルの覚悟の理由もそうだし、多分ベルにとってもあの過去はキズになってる。そういう女だと思う……合理的だよ、俺達はそれを知ったうえで、あの二人ともう一度会うべきだ」
総司は、全てがあまりにも都合が良すぎる今の展開を創り出せそうな、唯一無二の存在に対して、怒っている。
それは自分自身のゆく道を恣意的に操作しているかのように見えるから、ではない。救世主がここに至るまでの道を整えるため、互いにすれ違いながらも互いを想う少女二人を、まるで意のままに弄んでいるかのような“これまで”に対する怒りだ。
「聞き分けのねえガキみたいなこと言ってんのはわかってる……! 今俺が情けねえこと言ってんのは自分でよくわかってるけど……それでも……!」
ガン、と地面を殴って、総司が言った。
「俺はあの二人から聞き出したかったし、聞きたかった! こんなことが“偶然”起こって、しかも終わったらさっさと外に出れるなんて、そんな都合のいい展開があり得ると思うか!? ここはレヴァンチェスカのお膝元なんだ!」
女神レヴァンチェスカが総司の前に姿を現す条件の一つが、“オリジン”に近づいた時。
重ねて言えばもう一つある。リスティリアの下界では二度、総司の前に姿を現した女神。彼女が現れた場所だ。シルヴェリア神殿とクルセルダ諸島の二つである。レブレーベントにおける“かつて女神の領域と接続できた場所”がどこか、と言えば、“オリジン”が安置されていた特殊性や、かつてリシアが語った、「千年前、世界中がロアダーク率いる軍勢と戦っていた時に王家が住まいとしていた」という歴史的事実から見て、“シルヴェリア神殿”であった可能性が高い。ティタニエラにおいては“次元の聖域”を擁するクルセルダ諸島。確定的ではないが、“聖域”かそれに近しい場所であることが、女神レヴァンチェスカの思念が顕現する条件と思われる。
大聖堂デミエル・ダリアは、その二つの条件を見事に満たす。“レヴァンフェルメス”は大聖堂の頂に安置され、そのすぐ下には“断罪の聖域”の最深部を移植したという神秘の中枢が存在する。これまで得られた情報と、これまで起こったことを繋ぎ合わせれば、総司がその答えに辿り着くのに無理も矛盾もなかった。
女神レヴァンチェスカは、かつて女神の領域と接続できた場所の近くでのみ限定的に、未だ下界に、わずかにでも干渉することが出来るのではないかと。
憤慨し、堰を切ったように思いを吐き出す総司に対して、リシアが必死で首を振る。
「いや……しかしそれは……!」
「レスディールも言ってたよな! 何でかわからないけどここに来れて、何でかわからないけどその穴を開けられるって! もっと別の何かがここに待ち構えていると思ってたんだろ!?」
「……まあ……そう、だね」
レスディールは総司の剣幕に少し気圧されながらも、彼の言葉を肯定した。
大聖堂の“核”で何が起こるのかまでは、レスディールも全てを把握していたわけではないが、少なくとも今現在の展開が、レスディールの想定をも超えて“都合がいい”というのは紛れもない事実だ。
「俺がここに来ることだけがアイツの予想外だった、だからレスディールによって軌道修正しようとしてんだよ! それ以外は全部アイツの思い通りだってことだ! ベルとフロルの過去すらも! フロルは俺をここへ閉じ込める前、俺に言ったんだ! “レヴァンフェルメス”を持ってカイオディウムを離れろと! 俺がそれに反抗したから、俺をここへ閉じ込めるしかなかった――――でも!」
「ソウシ!」
「俺がフロルの提案に乗ってたら、今頃“レヴァンフェルメス”は俺の手の中にあったんだ! 今カイオディウムが“こうなってしまった”ことで、容易く“レヴァンフェルメス”が手に入っていた……! 今さっきみたベルとフロルの過去があって、それがこの状況に繋がって、フロルが追い詰められたから!」
ダン、と地面を踏み鳴らして立ち上がり、総司はリシアに詰め寄った。
「俺の旅路は、リスティリアで必死に生きる命を、人生を! “誰かの幸せ”を踏み台にしてまでやり遂げなきゃならねえと思うか!? いやもちろんそうだろうな、俺がやり遂げなきゃ世界が滅びるんだから! なあ、リシア、だったら俺は――――俺は“フロルを見殺しにする”のが正解だったのか!?」
リシアががっと総司の肩を掴んで、いきり立つ彼を何とかその場に押しとどめた。
「全てを悪い方に考えすぎているんだ! 確かに私たちにとっては都合のいいことが起こっている、そしてそれらは全て枢機卿猊下にとっては都合の悪いことでもある! だがそれは、女神さまのお導きのせいでこうなったと決めつけられるものではない!」
リシアが掴んだ総司の肩は怒りに震えていた。
リシアの言葉を聞いても、総司が納得するには至らない。総司はしばらく火の出るような目で、懇願するようなリシアの眼差しを睨み返していたが、やがて――――リシアよりも背が高い総司の頭の位置が、リシアの顔の前に来るぐらいがっくりと項垂れて、そのまま膝をついてしまった。総司はそのまま情けない恰好で、弱々しい声で言った。
「いや……リシア、違う……そうじゃなくてさ……」
「……ソウシ?」
「お前の答えだけ俺にくれ……お前はどう思う……?」
「何だ、一体何のことを……?」
先ほどの剣幕から一転して、総司はか細い声で言った。
「全部そうやって、今だけじゃなくて、今までも……レヴァンチェスカが敷いたレールの上を、ただ歩いてきただけなら……俺は正しかったのかな……」
リシアの心が、ざわついた。
また、忘れてしまった。総司は幾多の挑戦を跳ね除けて今ここにいると言っても――――世界を背負うにはあまりにも若すぎる、年端のゆかぬ“平和な世界の少年”だったのだということを。
「俺の今までの選択は……サリアをこの手で斬ったあの選択は……正しかったのかなぁ……!」
たとえ、幻の中であったとしても。
総司がこの世界に来てから唯一その手で切り裂いた、“ヒトの形をした命”。幻影でしかなかったとしても、その感触は総司の手に今も残っている。
自ら下した決断だったはずだ。あの時はまだ、“どうしてもそうしたいから”というわけではなかったにせよ。
誇り高きルディラントのためと、総司は迷いなく刃を振るい、ついにはとどめを刺した。サリアの命に、ルディラントの反逆に。
でもそれすらも、レヴァンチェスカが定めた運命の中の、既に決まっていた出来事なのだとしたら、自分はもしかして、抗えたのではないか。そうするしかないと強迫観念のようなものに突き動かされ、狭苦しい視界の中であの時すらも、ただ踊っていただけで――――
カイオディウムに至り、女神レヴァンチェスカが齎す大いなる運命のうねりを肌で感じ、そして今この状況に辿り着いて、総司の心は遂に耐え切れなくなっていた。
「フロルを見殺しにしなかった俺の選択が、もしかしてもっとひどいことに繋がるのか……? 俺にはもうわからない……俺は――――」
リシアがギリっと歯を食いしばった。
荒い所作で総司の髪を掴み、膝をついたまま項垂れる彼の顔をぐいっと無理やり上げさせて、かがみこんで顔を近づけ、怒鳴った。
「間違いだなんてことがあるかぁ!!」
常の彼女らしからぬ怒声だった。
「良いか、よく聞け! お前にはきっとこの先も、決断が必要な時が訪れ続けるだろう。お前が女神救済の旅路を歩み続ける限り、そういう場面は幾度となくやってくる! でもな、ソウシ、これまでの決断も、この先の決断も! その責任をお前ひとりが背負うことはない! なんのために私がいるんだ! 後悔するぐらいなら全部私のせいにしろ!!」
ガン、と、総司の額に頭を突き合わせて、リシアはまだ怒鳴り続ける。
「全部私がお前にそうさせた! リスティリアを救うためにそうするしかないと、お前に全部押し付けてきた! もしお前が枢機卿を見殺しにして“レヴァンフェルメス”を優先していたとしても間違いではなかったさ、何故なら私が『最優先事項』だと言ったからな! だからどんな決断を下していたって、お前が一人で責任を感じる必要なんてないんだ! そして私も口先ばかりでは済まさない!」
リシアの気迫は凄まじく、総司は圧倒された。そして同時に、自分のためにこれほど怒ってくれる相棒の存在に、心から救われた。
「サリアを斬ったお前の決断を、枢機卿を見殺しにしなかったお前の決断を、“間違いだ”などと言うやつがもしいたら、私の前に引きずって来い……! 私がこの手で斬り殺してやる! “たとえそれが女神さまであっても”だ!!」
再現されたルディラントの反逆に終止符を打ち、王ランセムの亡骸の前に跪いた時、リシアは総司に自分の心境を吐露した。
女神レヴァンチェスカは崇拝と敬愛の対象であったはずだが、ルディラントでの一連の出来事を経て、そうではなくなったのかもしれないと。
その時既に、リシアの中の「天秤」は傾いていた。女神救済の旅路を歩む救世主の補佐役ではなく、総司自身の相棒として、彼の意志の味方なのだと。
ここに至って、遂にリシアは確固たる決意を高らかに謳った。彼女は「総司の味方」であり、たとえ女神レヴァンチェスカであっても、彼の勇気ある決断を、これまで苛烈な挑戦を跳ね除けてきた彼の偉業を否定するのならば許さない。
その宣言が、今の総司にとってどれだけ救いになることか。
ティタニエラにおいて自分の心と向き合えず、霧の中にいたリシアを総司が救ったように、今度はリシアが総司を救う番だった。
「……リシア……」
「望みを言え。お前が今最も望んでいることはなんだ」
「俺は……」
総司は、零れ落ちかけた涙をぐいっと拳で拭って、言った。
「ベルにもフロルにも、後悔してほしくない……!」
「では行こう」
リシアは総司を離して早足で木の根元へ向かった。総司が突き刺したままのリバース・オーダーを地面からぐいっと抜いて、総司の胸に押し付ける。
「女神さまの思惑が本当にお前の考える通りだったのかどうかはこの際どうでもいい。重要なのは、お前が見殺しにしない決断をしたことで今まさに私たちは、お前の望む全てを達成できる状況にあるということだ! 違うか!」
始まりが、定められた運命の中で踊らされる二人の少女の、悲しい思い出だったとしても。
女神の思惑通り、それが救世主たる総司にとって実に都合よく物語を動かしてきたとしても。
総司の望みがフロルを救うことであり、ベルとフロルが互いに後悔しない未来に辿り着くことなのだとすれば、リシアの言う通り、今はまさに絶好。
ここから飛び出してフロルを護り、オーランドの企みを止めて――――ベルとフロルを引き合わせることが出来れば、総司の望みは叶うのだ。
もしもその過程で、総司が女神の描いたシナリオに、大いなる運命に逆らったがために、何か良くないことが起こってしまったとしても。
それすら跳ね除けてしまえばいい。それが出来るだけの力が総司にはあるはずだ。それを全力で支えてくれる心強い相棒がいるのだ。
リシアが差し出すリバース・オーダーの柄を、力強く握りしめる。
「……リシア」
「何だ!」
まるで頼られていなかったことに怒り、そして頼らせることの出来なかった自分自身にも怒り心頭といった様子のリシアが、まだその怒りが収まっていないのか、荒ぶりを押さえきれない声で、総司の呼びかけに答えた。
「悪かった」
「このっ――――次謝ったらまずお前を斬るぞ愚か者!!」
リシアがレヴァンクロスを振りかざしてがーっとうなる。総司はようやく笑みをこぼし、すぐに表情を引き締めた。
「まずはオーランドを止める。本当に世界の敵になりかねないってんなら……リシア、その時は……」
「なに、心配するな。お前が斬るようなことにはならない」
オーランドの名を聞いて、リシアの表情にも気迫が増した。
「その時は私がやる」
「……なんか、そうなってくると今度はお前が心配なんだが……」
「さっきの今で随分調子を取り戻したなお前は! 見くびるのもその辺にしておけ、いい加減怒るぞ!」
「ずっと怒ってんじゃねえか……」
ズンズンと力強い足取りで、リシアは総司の前を行き、レスディールが開いた空間の亀裂の前に立つ。総司もすぐにその隣に並び立った。
「ふふふ」
「何だよ」
「お見苦しいところを」
レスディールの楽しげな笑いに、総司は嫌そうな顔をした。リシアは礼儀正しくぺこりと会釈した。
「……これは直感で、なんの根拠もないんだけどさ」
レスディールは穏やかな笑みを浮かべていた。そこに、からかうような色は微塵もなかった。
「多分キミたちは、女神の手のひらの上で踊るようなタマじゃないよ。女神の方が嫌がるさ、力強過ぎて手が痛いってね」
「……世話になった、レスディール。ありがとう」
「なーんもしてないよ。お礼を言うのはこっち。これからウチの子が世話になるみたいだし。あ、まあ一応心配しとくけど。下手こいて死ぬなよ、救世主」
「要らねえ心配だ」
「私がついておりますので」
「はいはい、行ってらっしゃい」
二人の英雄が、亀裂の向こう側へと飛び込んでいく。
目を閉じ、どこか得意げな顔で、二人の気配が消えていくのをひとしきり楽しんだレスディールは――――ふと薄目を開きながら、静かな声で言った。
「出てくるのがちょっと遅いんじゃないの。まさについさっきだったでしょ、キミの出番は」
朧気で、つかみどころのない霞のような、わずかな幻影。ノイズの入った映像のようにぶれるその姿はしかし、確かに。
女神レヴァンチェスカの姿を彷彿とさせるものだった。
『いいえ、きっと出るべきではなかったわ』
どこか遠くからか細く響き、それでいてしっかりと聞き取れる不思議な声。レヴァンチェスカの声そのものだ。
『必要なことだった。総司にとっても、リシアにとってもね。ありがとう、レスディール。あなたがここにいてくれてよかった』
「……あのさぁ」
総司とリシアに対して話しかけていた時と、明確に声色が違った。レスディールの声からは楽しげな雰囲気が消し飛んでいて、どちらかと言えば吐き捨てるような口調だ。
「千年前にも言われたでしょキミ。反省してないワケ?」
大聖堂の“核”、そのさなかに創り上げられた偽りのディフェーレスが、崩れ始める。地響きと共に崩れ落ちる空間の中に、レスディールの忌々しげな声が響いた。
「“性悪も大概にしておかないとそのうち天罰が下る”って。今下ってる最中なのか知らないけど。せいぜいあの子に愛想尽かされないようにしなよ」
『……そうね。心に留めておくわ』
「あっそ。別にいいけどね、好きにすれば」
レスディールは下らなさそうにそう言って、崩壊する空間の中に飲み込まれていった。