贖いしカイオディウム 第三話④ オーランドを討て!
フロルの元にエルテミナの意思がない時点で、その可能性に気付いておくべきではあった。だが、気付いたところで総司にはタイミングがなかった。ローグタリアからフロルの元へと飛ばされて以来ここまで、リシアたちと合流することが出来なかったからだ。
ベルの導きによって、リシアとミスティルはクーデターの陣営にいるはずだ。フロルの言葉を信じるなら、リシアの祖父も、聖騎士団の名うての魔法使いも共にいる。
その中の誰かが、エルテミナの意思を受け継ぐ現在の継承者だ。
最悪だ。ベルの戦いは最早、エルテミナを滅ぼすということに主眼を置けば意味がないどころか、助ける戦いになってしまっている。
「これでベルがフロルを殺してしまったらいよいよ救いがない……! ダメだ、やっぱり何とかしないと!」
座って休憩がてらにレスディールと話していた総司だったが、じっとしてはいられなかった。
「さあ、どうだろうね?」
その勢いを、レスディールがおどけた口調で削いでいく。
「“まさに狙い通り”だったりしてね。いや、あたしも今の継承者については全然わかってないけど」
「……どういう意味だ……?」
総司が聞くと、レスディールは笑った。
「可能性の問題だよ。キミが何をどう信じたいのかは置いておくとして。我が子孫が継承者でないと、どうして言い切れるのかってこと」
鈍器で頭を殴られたような衝撃が、総司の思考に襲い掛かった。
「……あり得ない」
総司は首を振ってレスディールの言葉を否定した。
「そりゃ確かにね、通常ならあり得ないよ。母はあたしが、両親のやろうとしていることに賛同していないってことには、最終的に気付いていたしね」
エルテミナは最後には、レスディールの反抗心に気付いていた。スティンゴルドの名を持つ誰かがウェルゼミット家の者に近づけば、エルテミナからすれば排斥の対象だ。
しかし、ベル・スティンゴルドが聖騎士団に入る頃には既に、エルテミナの継承者はフロル枢機卿となっていた。
ベルが抱える重荷を幼き日に聞いていたフロルをいくら懐柔したところで、ベルの排斥など不可能。その点について疑問を挟む余地はないだろう。つまり、エルテミナはベルを排斥したくても出来ない状況にあったのだ。
スヴェンを騙る何者かは、「俺なら口説く」と豪語した。だが、スティンゴルドの系譜が抱える因縁を知った今、それも現実的ではないはずだ。
「けれど、器としてはあの子ほど相応しい存在もまた、いない」
ついさっき、自分自身が思い至った可能性を、総司は再び思い起こすことになる。
エルテミナの「外法」、魂と意思をこの世に残す魔法は千年前時点で未完成だったが、今は相当力を取り戻している。誰かを乗っ取ることが可能なレベルにまで、戻っているのだとしたら――――
「さて、さて、さて。キミがついこの間まで共に旅をしていたあの子は、本当にベル・スティンゴルドだったのかな」
「だとしたらフロルの時にもそれが出来ているはずだ!」
総司が首を振って、必死で否定しようとした。
「フロルにあってベルにないものがあるでしょ。大聖堂の権能の庇護下にあったフロルとベルを比べても、否定する材料にはならないね」
既にベルの人格は封じ込められて、総司が見てきたベルの一挙手一投足は全て、「修道女エルテミナ」のものだったのではないか。
総司としては意地でも認めたくない可能性だ。だが、レスディールの言葉は無視できない。
最初から最後まで――――初めてカイオディウムを訪れた時に出会い、共にティタニエラへと飛んだあの瞬間から、ベルが「エルテミナ」として行動していたなどと、到底認められる話ではない。
しかし、否定するにはレスディールの言う通り材料が足りない。エルテミナがそれほどの力を取り戻したのが最近だったなら、これまで動きだしていなかったのも説明がつく。代々「枢機卿」の地位と共に受け継がれるのが継承のルールだ。いずれフロルと決別することになるとまではエルテミナも確信を持っていなかっただろうから、フロルの祖母から継承される時点で行動に出ていないのも不自然ではない。
フロルが「使えない」となった時に初めて、エルテミナ自身も「転生」が可能なレベルにまで自分が力を取り戻したと悟ったなら。
フロルの祖母がフロルを警戒し、楔を打ち込んでいた自分の直系の方が使いやすいと考えて――――
「もう四の五の言ってる場合じゃない」
総司の左目に、白の強い虹の輝きが宿った。
「俺は信じない。けど、ベルにフロルを殺させるわけにはいかない理由が増えたのは事実だ」
レスディールの背筋に寒気が走った。それまで余裕の笑みを浮かべていた彼女が真顔になり、総司の左目を見つめる。
「……“それ”は、ヤバいね」
左目に宿る力の正体を知らなくとも、その力の一端を垣間見たか。自身も魔法による残滓に過ぎないレスディールにとっては、総司の左目が天敵であることが感じられるのだろう。魔法を無力化するすさまじい力だということを見抜いて、レスディールが警告するように言った。
「あたしは別にいいんだけど、その力は下手すると大聖堂の権能にもよくない影響を与えるんじゃない? フロルに残された最後の力だよ」
「俺が戻ればフロルを護れる」
総司が決然と言う。レスディールはなおも首を振り、
「キミのそれは、もしかしたらフロルに与えられた護りをすら――――おっ!?」
不可思議な空間全体に強烈な振動が走った。
レスディールは何の影響もないはずだが、あまりにも急激な変化に驚きを隠せなかった。
総司は足場の振動に大きく足を取られ、思わず片膝をついた。
「何だ!?」
強烈な振動は止み、しかし断続的な振動が続く。大聖堂全体を、大きな地震が襲っているようにも思えたが、それはあり得ない。
カイオディウム首都ディフェーレスは、大聖堂デミエル・ダリアを含む土地が空に浮かぶ天空都市だ。この振動はつまり、何か大きな力によって大聖堂が動かされているということ。
「これを……」
総司の左目を見た時点で、レスディールの余裕は消え去っていたが、この展開もまた彼女の予想外だったらしい。
「“これ”を狙って……!」
「オイ、何が起きてる!?」
「大分まずいことが起きてるね!」
「そんなもんカイオディウムに来てからずっとだ!」
総司にとって唯一の足場である、巨大なステンドグラスに亀裂が走った。
「おいおい待て待て……!」
「死にはしないから聞いて!」
ふわりと浮かんで、レスディールが総司の元へ飛び、動揺する彼に叫んだ。地響きのような音が響き渡っていて、レスディールが叫んでもかろうじて聞こえる程度だった。
「キミはこのままデミエル・ダリアの“核”に落ちる!」
「“核”!? なんだそれは!」
「状況を全部説明している暇はないけど、そこに落ちれば外に出られる可能性がある!」
「はあ!?」
総司はレスディールを睨んで、
「どうにもならねえんじゃなかったのかよ!」
「普通に落ちたってまたこの足場にぶつかるだけだったんだよ! でも事情が変わった。ここが崩壊するならキミは“落ちられる”んだ!」
ステンドグラスの亀裂が広がり、遂に割れ始めた。すんでのところでバランスを保つ足場の上で何とか姿勢を保ちながら、総司が叫んだ。
「その先は!?」
「正直落ちたところで普通は何もできないけど、キミなら可能性はある! だからもしキミがベルもフロルも救いたいなら――――死ぬ気で”この先”を何とかして、そして……!」
総司の唯一の足場が遂に崩れた。崩壊する空間、踊り光る文字の奔流に落ちゆく最中、レスディールの声が響いた。
「ここから出たら何よりも先に“オーランドを討て”! あの子たちと話すのはその後で良い! キミの相棒と一緒に、オーランドを止めろ!!」