贖いしカイオディウム 第三話① これではもはや
『フロル・ウェルゼミット枢機卿はエルテミナの意思と魂を継承し、女神の器を乗っ取ることをもくろんでいる。
ベルはそれを止めると共に、カイオディウムの現体制を終わらせるため、ミスティルの力を借りて枢機卿を打倒する計画を立てている。
カイオディウム王家(王女)はベルと共謀し、これを機にカイオディウムに王制を取り戻すことを画策している。王女は多少、趣味嗜好の面で危うい部分がある。
オーランド・アリンティアスは、エルテミナの意思と魂が現代にまで受け継がれている事実を知っており、単にそれを是正したい。真なる目的は不明。
ライゼス・ウェルゼミットはオーランドの方針に賛同している。かねてからフロル枢機卿の治世に不満があるようだが詳細は不明。
ソウシの所在は不明。手元にある“オリジン”には何らの変調もないため、安否については無事と考えている。現在、連絡を取る手段はない――――』
ここまで書いて、リシアは大きく、深くため息をついて、羽ペンをそっと机の上に置いた。ため息と一緒に魂まで抜けてしまいそうだった。
カイオディウムに辿り着き、「協力者」たちと今後の話し合いをしていたら、瞬く間に夜になっていた。カイオディウムに来てから得られた情報、特に“この件”に深く関わることになる人物たちの目的を整理するため、試しに紙に書いてみたのだが。
多少は整理する手助けになったものの、それ以上の意味はなかった。と言うのも、リシアが今書き連ねた情報のどこに、どんな偽りが紛れ込んでいるのかが全くわからないからだ。
リシアの個人的な先入観で言えば、オーランド・アリンティアスの目的については完全に「表向き」のものだ。少なくともリシアが知る祖父の人物像から考えるに、目的があっさりしすぎているし、オーランド自身の私欲がなさ過ぎる。
伝承魔法ゼファルスを高次元で扱える希代の使い手。カイオディウムという国そのものにとっての強大な「軍事力」の一つであるゼファルスを誇り、その力の誇示と、自らの地位を高めることに心血を注ぐ人物。オーランドとはつまりそういう「俗物」であり、血縁すらもそのための道具としか考えない非情で自己中心的な人格の持ち主だ。
そんなことは、カイオディウムの聖職者として共に過ごしてきたベルやライゼス、ヒトを見る目が確かな王女ルテアにしてみればわかり切ったことだろうに、それでもオーランドと手を組む理由もまた伝承魔法ゼファルスにあるとみていいだろう。
つまりは、敵に回したくないのだ。オーランドの思惑がどうあれ、大聖堂の護りによる無敵性を失って、尚も脅威となり得るフロル枢機卿と相対するのに、オーランドまで「敵」陣営にいては、ベルの陣営に勝ち目がなくなってしまう。
少なくとも、総司とリシアという駒を抜きにして考えれば、オーランドがどちらの陣営につくかは、この騒乱の「勝者」を直接的に左右する。
そういう状況だと理解すればするほど、オーランドには絶対に何か別の思惑があると思えるのだ。自分の匙加減一つで、非常に重要な局面を迎えているカイオディウムの情勢をコントロールできるという状況を、利用しないはずがあるものかと。
「難しい顔ですね、リシアさん」
ミスティルが部屋に入ってきたことにすら、リシアは気付いていなかった。思考に没頭するあまり、周りが少しも見えていなかった。
「あぁ、いや……そうだな、少し、難しい」
こんな時、主である王女アレインならばどうするのだろうか。
アレインほどではないにせよ、リシアの力もまた、「普通」と呼ばれる領域を逸脱したそれだ。カイオディウムにとってのイレギュラーである総司とリシアも、オーランドと同じくその行動が現在の情勢を大きく左右する。
自分がそのような重大なファクターとなっている状況において、アレインならばどうするだろうと思考を真似しようとしてみたものの、力だけでなく器も別格な彼女を真似るなど到底出来るはずもない。
夜も相応に更けた頃合いだ。エルフらしく王家の浴場ではなく、王女肝いりの庭園の泉で水を浴びてきたらしいミスティルは、しっとりと濡れた髪に上質な布を当てて水気を取りながら、にこりともせずに言った。
「私はベルさんに協力するつもりで、わざわざこちらまで出向いたわけですが」
「うん?」
「なんだか話がややこしくて、やる気が削がれてしまいました。ベルさんのことがなければさっさと帰っているところです」
ティタニエラで、ことさらにベルを傷つけてしまった一件を言っているのだろう。ミスティルの行動原理には当然、カイオディウムの情勢など少しも影響していない。
ひとえにミスティルは、総司とリシア、そして誰よりもベルのため、妖精郷から出て俗世の諍いに首を突っ込むことになっているのだ。
「……済まないな、私もこんなことになるとは思っていなかった」
「あなた達対カイオディウム、という構図かと思えば、どうやら……内ゲバと言うんでしたか? なんともはや、愚かなヒトらしいあれやこれやの嵐ですね」
ミスティルの言葉は実に的確で、ヒトであるリシアとしてもぐうの音も出ない。
「別に、ベルさんの望みが叶うのであればそれで良いのですけど……それ以外の目的にも良いように使われているのは確かですし、釈然としません」
「祖父のことか」
「あなたのおじい様はいろんなお考えがありそうですが、私はあの王女様の方が気に入らない」
総司と会話する時は特に、なのだが。
丁寧な口調とは言え、初めて出会った時の聖女のような表情や言葉選びをかなぐり捨てた、実にストレートなミスティルの物言いは、難しい思考に沈み込んでいたリシアにとっては痛快にすら思えた。遠慮のなくなったミスティルの言葉は、それ故にもう嘘がなく、総司やリシアには気を許していることの裏返しでもある。総司が傍にいない今、ミスティルは唯一、リシアに対して嘘をつく必要のない存在だ。ベルですら、心の内全てをリシアたちに打ち明けているとは思えない。リシアにとってもミスティルがいてくれるのはありがたかった。
「ルテア様か? 確かに、年齢にそぐわない気配の持ち主だったが……」
「リシアさんの評価はあてになりません。おじい様を睨むので忙しそうでしたから」
痛いところを突かれてリシアが口をつぐむ。ミスティルはくすりとわずかに笑って、
「失礼、冗談ですよ」
「冗談で核心をつかないでほしいな……ルテア様がそんなに気になるか?」
「気になるのではなく気に入らないのです。王制の復活でしたか。多分嘘でしょうね。“アレ”はそういう次元で物事を見ていないと思います」
一国の王女をヒトともみなさず、何か得体の知れない怪物を示すかのように「アレ」呼ばわりして、ミスティルが冷たい声で続けた。
「あの歳で『大司教』とやらを従える卓越した交渉能力もさることながら、何より慕っているはずのベルさんも、枢機卿も自分の思うがままにしようとするような破綻した倫理観の持ち主です。あぁ、そういう意味では同族嫌悪なのかもしれませんね。私も独善的ですし」
「独善的だったし、だな。ミスティルの本質はそうではなかった。でなければベルのためにここまで来ている今の説明がつかないだろう」
からかい半分自虐半分のつもりだったミスティルだったが、今度はリシアに痛いところを突かれる番だった。ミスティルが途端に口をつぐんで、リシアが笑う。
「自覚がなかったか?」
「……そうでした。頭の回る方でしたね。今日は息を潜めていたと思っていましたけど」
互いに皮肉を言い合って、互いに少し気が晴れた。弱めの果実酒をグラスに注いで飲み交わし、今後の話し合いを始める。
「私はひとまず、ベルさんが私に望む通りの動きをしようと思います。ハッキリ申し上げて、この国でその後何が起こるかなんて興味がありません。私の行いが、枢機卿が死ぬ未来に繋がろうとどうでもいいです」
ミスティルの行動原理を考えれば当然の結論だ。フロルに対しても何の情もないミスティルにとっては、それさえ達成できれば、ベルの望みを叶え、彼女に対する贖罪を成したことに繋がる。
「私に止める言葉はない。それでいいと思う」
「ですが、あなたとソウシさんにも無事でいてもらわなければ」
大老クローディアとの、別れ際の軽やかな約束。
ミスティルは総司とリシアも無事で、きちんと目的を達成してもらえなければ気が収まらない。そのためにカイオディウムまで来たのだ。
リシアとしても、当初の想定とは大きくかけ離れたこの状況に対する疑念は尽きない。ミスティルの力がなくてもやるつもりだったベルのため、総司と共に協力することを決めはした。しかしこの状況で総司とリシアが手を出すことが、果たして物事を良い方向へ転がすのか自信が持てない。
リシアがミスティルの言葉に返そうとしたところで、部屋の扉がノックもなしに開いた。
二人がぱっと振り向くと、疲れ切った様子のベルがふらふらと部屋に入ってきて、ぽすっとベッドに体を倒していた。
ベルは王女と何事か、この先の打ち合わせをしていたはずだ。しかしこの疲れよう、並大抵の「意見交換」ではなかったらしい。
「はーっ……」
「何があったんだ……?」
ベルにも果実酒が入ったグラスを手渡して、リシアが聞いた。
「別に何もないけどさ……疲れたなーって」
ベルとしても予想外らしかったオーランドとライゼスの助力。その二人を引き込んだのは王女ルテアだ。
そのルテアとの会合から戻ったベルのこの疲れようを見れば、リシアもミスティルの言葉が正しいのだろうと認めざるを得なかった。
既に事はベル一人の使命感に満ちた反乱という域を超えて、もっと大きな騒動へと発展しているのだと。内ゲバの駒のように扱われようとしているのは、ミスティルに限った話ではない。
「明日一日は、オーランド大司教の準備に時間を掛けるんだってさ。作戦決行は明後日」
「準備……?」
ただでさえオーランドを疑っているリシアにとっては聞き逃せない言葉だった。
「何の準備だ?」
「さあ……そこは教えてもらえなかったけど……オーランドとライゼスは大聖堂に戻ったし、内側から何か仕掛けるつもりなんじゃないかな」
ベルはちょっとやけになったような、拗ねたような口調で言った。
ミスティルは目を細め、ベルの言葉を反芻し、何事か思案する。
「……リラウフの街が消し飛ばされた時のことですが」
「今朝の話だな」
「ええ。空には間違いなく“何か”があって、空間転移の魔法でその場から消え失せました。そしてその“何か”から放たれたのが、リシアさんのおじい様の魔法です。準備というのはそれのことでは?」
「……枢機卿の無敵性をミスティルが突破できたとして、大聖堂の権能全てを無力化できるわけではない、という話だったな?」
王女ルテアによってクーデターの共犯者が集められた顔合わせの場で、そんな話があった。ミスティルの“次元”を掌握する古代魔法は、大聖堂の中にいる限り傷つくことのないフロル枢機卿の無敵性にのみ効果を発揮するだろうという話が議題に上がったのだ。
「大聖堂の権能がどれほどのものかは知らないが、あんな攻撃を防ぎ切れるのか……? もしも防げないのだとしたら、被害が大きすぎる」
「防げるってわかってる攻撃を仕掛けようとするなんて意味わかんないよね。ミスティルの予想通りだったとしたら、あの魔法が通じるって思ってるんでしょ」
天から降り注ぐ一撃を、大聖堂の力でも止められないのだとすれば。
それは聖職者も多く住まう大聖堂を破壊し尽くすだけでは飽き足らず、ディフェーレスの直下にある『下』の民にも降り注ぐことになる。もしも住民を避難させないまま撃てばとんでもない被害になるが、しかし避難勧告など出そうものなら、クーデターが発覚することにもなる。
オーランドならばやりかねない。そう思わせるだけの危険な人物だ。
「早まった真似をしないように」
リシアが何か言おうと口を開きかけたところで、ミスティルが冷静に言った。
「私の推測一つで決めつけるのは早計に過ぎます。しかし……これではもはや」
カイオディウムの大きな戦力であるオーランドとライゼスがクーデターに加担し、着々と攻撃の準備を整えている現状を踏まえて、ミスティルはぽつりとつぶやいた。
遠慮のない物言いの彼女らしく、実に的確な一言を。
「誰が枢機卿を殺すのかと、競っているかのようですね」