贖いしカイオディウム 第二話③ カイオディウムは今、王女のために
ミスティルは油断なく、部屋の隅々まで視線を走らせた。
「盗聴の類の魔法はないようですね。見張られているということもない……」
ベルが買ってくれたヴェールを丁寧に畳んで、サイドテーブルにそっと置く。リシアもひとまずは剣を下ろし、壁に立てかけた。
王家の住まう屋敷に入ったはいいものの、ここから先の動きについては今から聞くことになる。
大聖堂デミエル・ダリアの護りを突破し、聖騎士団と教団を崩壊させる。ベルの目論見に王家も加担しているからには、彼女らはこれからカイオディウムの歴史上でも千年ぶりとなる大混乱を巻き起こすことになる。
そのはずなのだが。
「しかし……本当にミスティルの言う通り、リラウフの街が破壊されたのは“誰か”の計算通りなのだとすれば……」
「ええ。リシアさんには酷かもしれませんが」
冷静さを欠いていたリシアとベルの二人とは違って、ミスティルは状況を正しく認識していた。
「覚悟を決める必要があるでしょうね。場合によっては過去のわだかまりを超えて、あなたのおじい様と手を組むことにも」
釈然としない表情のリシアではあるが、そこに異を唱えようとはしなかった。
オーランド・アリンティアスが「味方」なのだとすれば、ベルの目的を達成するためには強力なカードとなる。当然それは、混乱に乗じて“レヴァンフェルメス”をかすめ取ろうと画策するリシアにとっても大きなプラスだ。
なんといっても女神教総本山における「大司教」。枢機卿の絶対的な指令の権限をわずかにでも逃れ、独断で動くことのできる二人の内の一人である。
オーランドとできれば手を組みたくはないし、会いたくもないが、それはリシアの子供じみたわがままだ。女神の騎士の旅路を補佐する己の役割を正しく認識すれば、その感情は封じ込めなければならない。
「それにもう一つ。ベルさんはリラウフの街へ苛烈な破壊が行われることを知らなかった、という点にも注意すべきでしょう」
「……と言うと?」
リシアが聞くと、ミスティルは少しだけ目を細め、小さくため息をついた。
「本調子ではないようですね。常のリシアさんであれば読めたでしょうに」
「……済まない」
「リラウフの街で破壊があった後のベルさんは、演技をしているようには見えなかった。目の前の光景に大きなショックを受けていました。そのことから、ベルさんがあなたのおじい様の攻撃までは知らなかったとすると……では、あなたのおじい様を引き込んだのは、誰です?」
「……既にこのクーデターは、ベルの手を離れている……」
「そうです。私たちはベルさんを中心として事が起こるのだと認識していましたが、改める必要があります。既にベルさんも“駒”の一つでしょう」
ミスティルはふかふかのベッドの上に腰かけて、その感触を確かめた。
幼さなが残る顔立ちではあるが、憂いを秘めたミスティルの表情はどこかミステリアスで、冷静さを欠いた今のリシアには見えていないものが見えているようで、いつもより数段大人びて見えた。
「ベルさんの話を聞いて、私たちはある程度カイオディウムのことを知った気になっていましたが……もしかして、まだ何も知らないのかもしれませんね。この国で起こっていること、起ころうとしていること、何もかも」
リシアが何か言おうとしたところで、部屋のドアがノックされた。ノックの主は部屋に入ることなく、返事も待たず、二人に声を掛けた。
「二人とも、すぐ来て」
ベルの声だ。リシアとミスティルはぱっと立ち上がって、リシアはちゃんと武器を手に取り、部屋の外へ出た。
そこには、真剣な表情で――――どこか納得のいっていない憮然とした表情でベルが立っていた。
そしてもう一人。
背が高く、鍛え抜かれた体つきの、迫力溢れる男性がベルのすぐ近くにいて、リシアとミスティルを品定めでもするように交互に見つめていた。
「……失礼、ベル、こちらの方は?」
リシアが聞く。ミスティルは明らかに警戒の色を露わにしており、当世最強の魔女たる静かな気迫で以て、男性の圧倒するような気迫に対抗していた。ピリピリとした空気を楽しむように、その男性は笑った。
「これはこれは……本当にティタニエラのエルフを連れて帰ってくるとは。大したものだな、スティンゴルド。一体どうやって口説いたのか教えてほしいものだ」
「その前に殺気を抑えなよ、ライゼス。言っとくけど勝てないよ、いくらあなたでも」
「ほう。ますます興味がある」
ライゼス・スティンゴルド。アリンティアス大司教と並んで、フロル枢機卿に次ぐ権限の持ち主が、二人の目の前に立っていたのだった。
ベルとライゼス、聖騎士団でも指折りの魔法の使い手と目される二人に連れられて、リシアとミスティルはとある部屋に通された。
国王トルテウスの屋敷の中でも最も大きな部屋、謁見の間。レブレーベントのそれほど荘厳さはなく、ティタニエラの大老が客を迎える場所と比べれば神秘的でもない、貴族の屋敷の、単なる大きめの部屋。赤色の絨毯が敷かれ、修道女エルテミナの巨大な絵が飾られている。
国王が他国の使者を迎えるための部屋だ。円形のテーブルが中央に置かれており、国王のために造られた大きな椅子と、ごく普通のサイズの椅子が並ぶ。
そこに並ぶ錚々たる面々こそ、ベルの不機嫌の原因だ。
「よくぞご無事でお戻りになられましたな……いやはや、リラウフの知らせを聞いた時は肝を冷やしましたが」
国王トルテウスはヒトの良さそうな笑顔で、リシアとミスティルを出迎えた。国王もまた、リラウフで起きたことについては知らなかったようだ。ミスティルを一目見たトルテウスは目を見張り、ベルに視線を移した。
「流石だね、ベルは……本当にエルフが……」
ライゼスと同じく、国王トルテウスにとっても驚愕の出来事だ。ベルは苦笑して、
「別に私の功績ってわけでもないんですけどね。ミスティルが優しいから来てくれたの」
「ミスティル。それがあなたの名前ですか」
世にも珍しいティタニエラのエルフを目の前にして、国王の身分にあるトルテウスであっても緊張気味だ。ミスティルは礼儀正しくお辞儀をした。貴族令嬢のような所作が良く似合う。
「初めまして、国王陛下。お会いできて光栄です」
「いやいや、どうか畏まらないで。光栄と言うなら私のセリフだとも。生きているうちにエルフと会えるとは」
続いてトルテウスはリシアに視線を移したが、リシアはトルテウスを見ていなかった。リシアにしては無礼な所作だが、それも致し方ないことだ。
リシアの鋭く、火の出るような、彼女らしからぬ感情のこもった眼差しは、円形のテーブルに既についている男へと向けられている。
ミスティルの予想通りではあったし、心の準備もしていたものの、いざ目の前にしてみればそう簡単には割り切れない。
「久しいな、リシア。元気そうで何よりだ」
「……ええ。ご無沙汰しております、オーランド殿」
空気がひりつき、緊張が走る。オーランドは涼しい顔だ。
幼少期以来の再会となる祖父と孫。その再会にしては感動的な雰囲気ではない。
「ま……まあまあ、アリンティアス団長。あぁいや、ここではリシア団長と呼ばせていただこうか」
トルテウスは遠慮気味に、険しい顔のリシアへと声を掛けた。
「ひとまずお掛けください。オーランドとあなたの関係は聞きましたが、ここにいるのは志を同じくする仲間なのだ」
「……ということは、あなたも……」
「そうだ」
リシアの問いかけに、オーランドは薄く笑みを浮かべたままで頷いた。
「私もライゼスも、スティンゴルドが首尾よく目的を達した暁には――――」
「フロル枢機卿を排し、カイオディウムの現体制を終わらせるために動く。王家とはそのように密約を交わしていた」
ライゼスが後を引き取った。
謁見の前に至るまでの道中で、ライゼスの身分も聞いていたリシアは、二人の言葉を予想はしていたものの、改めて驚くほかなかった。
女神教における大司教の地位にあり、まさに枢機卿の「腹心」であるべき二人。オーランドはそうでもないが、ライゼスはベルによれば、「裏切り」がベル以上の予想されないような、枢機卿に心から忠実な聖職者であり、聖騎士団の騎士だという。
その二人が枢機卿に背を向け、王家と共にウェルゼミット教団を敵に回し、カイオディウムの現体制に牙を剥こうなどと、誰が考え付くだろう。
そして同時に、誰が、この二人を口説き落とし、仲間に引き入れようなどと画策するだろうか。
ベルは気に入らなさそうにフン、と鼻を鳴らした。
「“王家”と? よく言うよ、まさに“王”でいらっしゃる陛下はご存じなかったみたいだけど?」
「ベル、良いんだよ。あまりそう喧嘩腰に――――」
国王トルテウスが諫めようとするのも聞かず、ベルは続けた。
「王家とじゃなくて、“王女”とでしょうが」
リシアとミスティルの背筋にぞくり、と悪寒が走った。リシアよりも更に魔法に熟達し、その気配に鋭敏なミスティルから、強大な魔力の気配が拡散し、ライゼスとオーランドが目を見張った。当世最強の魔女たるミスティルが醸し出す、臨戦態勢とも呼ぶべき状態の魔力は、腕に覚えのある二人の魔法使いからしても異質で別格のそれだ。
そして、ミスティルにそこまで警戒心を抱かせたのは、謁見の間の奥から軽やかに現れた可憐な――――年端も行かぬ少女だった。
「そんなに怒らないで、ベルちゃん。仕方なかったの。お父様ったら、一言一句完璧に仕上がった台本がないと嘘の一つもつけないんだもの」
王女ルテア・カイオディウム。ベルがその慧眼を見込んで此度のクーデターに引き込んだ、見た目の年齢からは想像もつかないほどの才覚を持つ、カイオディウムにおける“時代の傑物”である。




