贖いしカイオディウム 第一話④ 同郷の先駆者
「例えば、ベルはエルテミナの意思が残っていることに対して反旗を翻そうとしているから、それを予見して、とか」
自分の考えをそのままぶつけてみる。片目の部分が割れたサングラスの奥で、スヴェンがわずかに目を閉じ、何事か思案するのが見えた。
「もし俺がエルテミナの立場だったなら、継承前にまずは口説くね。それがあったかなかったかだ。口説いてもダメだったならお前の言うことは一理ある。口説きもしてねえならやっぱ変だな。と、思うが、どうだ」
「……ベルには、無事に戻れたら聞いてみないとな」
「無事に戻れたら、な。そこまでは保証できねえぞ。俺に出来るのは道案内だけだ」
それからも二人はしばらく歩いた。
千年前の話はしなかった。スヴェンがその話題に触れないのはもちろん、総司も少し考えがあって、質問攻めはしなかった。
取り留めのない話をした。基本的には総司が話して、スヴェンが答えるか茶化すか。今置かれている総司の状況は最悪に近いし、ティタニエラを出てカイオディウムに入った直後から事件が連続しすぎていて精神的にも疲れていたが、スヴェンと話すことでいくらか気が紛れた。スヴェンは二十代半ばのユニークな男で、リスティリアに来てから出会った中では最も気楽に話せる相手だ。思えば、今まで総司が話したリスティリアの民の中に「若い男」というのはあまりいなかった。せいぜいレブレーベントの「執務補佐官」であったカルザスぐらいのものだが、カルザスとは事務的な話が多かった。
「おっ」
話が弾んでいた最中、スヴェンが気付いて声を上げた。
枯れ木の森の中に灯りが見えた。ぼんやりとした光は、木々が湛える正体不明の心臓のような黄色い何かによるものではなく、魔法の火の光。
奇妙な家が見えてきた。木造の丸みを帯びた一軒家だ。
その構造は見た目にも明らかに物理法則を無視していた。丸みを帯びた小さな一階から、柱の支えもないのに斜め上に通路が伸びて、また丸い建物へとつながっている。中からはガチャガチャと生活音らしき音が聞こえていて、誰かが、或いは何かがいることが窺える。
「どうやらここだな」
玄関らしき木の扉の前に立って、スヴェンが安心したように言った。総司は目を細めて警戒しながら声を掛けた。
「おい、大丈夫か……?」
「突っ立ってるのもなんだし、お前がいりゃ大体何とかなるだろ」
スヴェンは躊躇いなく扉をノックした。
カンカン、と中を歩く音がして、ヒトが出てきた。
その姿を見て、総司は目を奪われ、言葉を失い、しばらく茫然とした。
「はいはい。ん、何だねお前、一体……?」
「こんにちは。突然すみませんね。ちょいと迷子でして。良ければ道を教えてもらうついでに、ちょっと休ませてほしいんだが」
「はあ……? 何を言っ――――あぁ、そういう……」
中から出てきた“老貴婦人”は、スヴェンを見て訳の分からない顔をしたが、何かに気づいたようだ。言葉を切り、突然の来訪に対して特に何も文句を言うことなく、すんなりと頷いた。
「なるほど……見たところ怪しくはあるが危険はなさそうだ。こんなところまで強盗に来る物好きもいないだろうしね」
「着物……?」
「――――」
総司が絞り出した声を聞き――――総司だけでなく、その老貴婦人もぽかんと口を開け、怪訝そうな顔のまま呆気に取られていた。
その老貴婦人はすらりと背が高く、老いてもなおスタイルがよく、そして何よりも気品があった。ミルキーブロンドの髪を結い上げ、リスティリアでは見たことのない衣服に身を包むその姿は、総司から言葉を奪うには十分だった。
老貴婦人の顔立ちは、俗に言う欧州系。しかし、着ているものは確かに総司の出身国である「日本」の伝統的な着物である。鮮やかな青と金の織り込みが美しく、決して地味ではないが上品さを失わない落ち着いた色合い。年の頃は70を超えているだろうが、腰も曲がっておらず、老け込みを感じさせない。
「……“アジア系”だね」
総司が目を見張った。老貴婦人は総司がふと漏らした一言で、恐らく全てを悟った。
「便利と思っていたけど、初めて不便に感じるよ。言語が直感的に理解できるから区別がつかん。大陸か島か、どっちだい」
総司は意を決し、答えた。
「日本です」
「お入り」
老貴婦人はぱっと扉を示して、穏やかに笑った。
「お前が懐かしむ味の茶があるよ」
「ヘレネ・ローゼンクロイツ。ドイツの出だよ。若い頃に日本に渡って夫と出会い、リスティリアに渡るまで過ごした」
「ソウシ・イチノセです。生まれも育ちも日本です」
未だ驚愕の冷めやらぬ中、総司は老貴婦人ヘレネの言葉に対して何とか答えていた。
その可能性については、これまでも何度か言及されていた。
レブレーベントの女王は、総司の世界とリスティリアとで、魔獣の呼び方の一部が似通っているという事実を指して、「総司以外にも異世界の民がリスティリアにいた可能性」を語った。
ルディラント王ランセムも、リスティリアには異世界の存在を思わせる痕跡じみたものが確かに存在し、おとぎ話の中の話とはいえ可能性を否定しなかった。
そしてついに、総司の目の前に現れた。
“総司と同じ世界からやってきた”存在、ヘレネ・ローゼンクロイツ。老齢な彼女は実に四十年もの間、リスティリアで過ごしてきたのだという。
総司としてももっと声を上げて驚きを表現したいところだったが、ヘレネのたたずまいはあまりにも上品で、醸し出す空気にどこか高貴なものを感じ、手作り感ある家の中にあってもはしゃぐ気になれなかった。
総司もまた、自分の身の上を話した。女神レヴァンチェスカによって招かれた、彼女を救う使命を背負う女神の騎士であり、そのために必要なアイテムを揃えるために旅をしていると話すと、ヘレネはなるほど、と頷いた。
「お前は女神が手ずから呼びつけた存在ということか。これはこれは……」
「ヘレネさんは、どのように……?」
「私かい? 私はどうやら、かなり高名な魔法使いによって召喚されたらしいんだけどね。らしいってのは、私が無事にリスティリアに来た時にはもう、そいつは灰になってたから」
高度な魔法を操る魔法使いは、女神レヴァンチェスカの如く、「異世界の民」を召喚することが出来る、ということなのだろうか。しかし、やはりそれはあまりにも非現実的な行いだったようだ。ヘレネを召喚して力尽きた魔法使いは、結局のところ目的を達成できなかった。
恐らくは、40年も前から、リスティリアに迫る危機を「漠然とした不安」と共に感じ取り、その魔法使いは行動を起こしたのだろう。ヘレネの言葉を借りれば「高名」なる魔法使いは、世界と女神を救うための手段として「異世界の民」の召喚を選んだ。しかし、ヘレネと共に異変の解決に向かうことはなく、その魔法使いは力尽きてしまった。
「お前と違って大した力もなくてね。異世界の民としての特権、特別な権能があるにはあるが、まあ使い物にならない。私を召喚した魔法使いの奥さんの支援を受けて、リスティリアでの生活を確立した、ってところだね」
ヘレネは日本でなじみ深い「湯呑」の形をした陶器を総司の前に差し出した。
緑がかった液体が入っている。
「緑茶!」
「この文化ばっかりは、どこの国にもなくてね」
一口すすってみれば確かに緑茶の味である。あまりにも懐かしい味に、総司はほっと安堵のため息をついた。
今、総司とヘレネ、それにスヴェンが囲んでいるのは、ヘレネが手ずから創り上げた「囲炉裏」である。
ヘレネは30歳の頃、日本人の夫と死別し、その一年後に突如として召喚されたのだという。ローグタリアの高名な魔法使いに呼び出された彼女は、本来であれば女神救済のために召喚者と協力するはずだったのだが、異世界の民を召喚する魔法は高度過ぎて、召喚者の命を奪う結果になり、ヘレネが女神を助けるための道を歩むことはなかった。
リスティリアのことを何も知らなかったヘレネは、それが故に、自分が召喚された理由を知ろうと歴史を調査し、世界のことについて詳しくなったが、彼女自身の魔力そのものは特筆すべき点もなく、世界を救う救世主となるには足りなかった。知識と知見を多く得て、ローグタリアではそれなりに名の知れた賢者となり、今では国の外れの森に隠居しているのだという。
互いに身の上を話し、総司は続けて今までの旅路のこと、ここに来ることになった顛末についてを話した。
その間、スヴェンはずっと無言だった。当然だ、スヴェンにとっては総司とヘレネの会話の意味が全くわからなかいのだから。ただ、ヘレネと出会って話が弾む総司を見て、総司をここに連れてきたことが間違いではないのだと確信は出来ていた。
「なるほどねぇ……まさにおとぎ話のような冒険だ。よくもまあ頑張るもんだね。私なら願い下げってところだが、本当なら私も頑張ってなきゃならなかったんだろうね」
ヘレネは美しく正座しており、まさしく純日本人たるたたずまいだった。日本にいたのは10年程度らしいが、日本人の夫を選ぶぐらいだ。相当に日本のことを愛していたのだろう。
「女神でなくても異世界から召喚できるとは思っていませんでした。過去にいたかどうかはともかく、こうして会えるなんて」
「まあ、いくつか順序をすっ飛ばした感はあると思うがね」
ヘレネが横目でスヴェンを見た。正体不明の魚の串焼きにかぶりつくスヴェンは、ヘレネの視線を気にもしていない。二人の会話に口を挟むべきではないと判断してのことだ。
「私も確信できたことがある」
ヘレネは湯呑を置き、居住まいを正した。総司もつられて背筋を伸ばした。
「私を召喚した男は、実力確かな魔法使いだったという。そんな使い手がわざわざ命を賭してまで、異世界の民の召喚にこだわった。これには理由があると思っていたが、どうしても今までわからなかった……40年越しに解決したよ。まさにお前こそが答えだ」
「お、俺ですか?」
「そうだ。異世界の民はこの世界において破格の力を持つという、事実でありしかし条件のある伝説じみた情報を、私の召喚者はどこかで仕入れた。さて、ではその情報の出所はどこか……」
ヘレネが言葉を切ったことで、総司は、「考えてみろ」と促されているのだと理解した。
思考を回し、しばらく押し黙って、総司はティタニエラの長・クローディアのある言葉を思い出す。
――――ロアダークを追い詰めた軍勢、その頭は確かにゼルレインであったが、ロアダークを討ったのはあやつではないらしい――――
「……実際にそれで、世界が救われたことがあったから……!」
「同意見だ。千年前、私たちと同じように召喚された『異世界人』がカイオディウム事変にかかわり活躍したんだろう」
これはあくまでもヘレネの推測でしかない。しかし、実力確かな魔法使いが高度に過ぎる魔法の実行を決断するのには、それなりに理由があったはずだ。
世界を救った英雄の伝説がどこかに残っていた。そして、似たようなことが出来るだけの力があった。
伝説の再現に挑んだその魔法使いは、残酷な運命を辿る結末となってしまった。しかし彼の所業は決して無意味ではなかった。40年の時を経て、こうしてまさに救世主たる存在とヘレネが出会い、助言を出来る状況にあるのだから。
「……俺の召喚はまさに、千年前の再現なのかもしれない、と」
「さて、千年前の召喚者もまた女神であったのかまでは、わからないところだね。ま、しかし」
ヘレネは湯呑を手に取って茶をすすり、穏やかに笑った。
「お前がどうしてここに連れてこられたのかは知らないが、私にとっては疑問が晴れて御の字といったところさ。お前も多少は落ち着いたようだし、意味はあったんだろうね」