贖いしカイオディウム 第一話③ 継承のかすかな矛盾
総司の元いた世界の常識で言えば、「枢機卿」とは原則として聖職者階級である「司教」の中から選ばれた教皇の補佐役であり、複数名が選ばれている。しかし女神教における枢機卿の地位はただ一人だ。
何故なら、枢機卿の称号を冠するということは、修道女エルテミナの意思と魂を受け継ぐ継承者であることを意味するからである。つまり、千年前のカイオディウム事変の最中においては存在しなかった階級なのだ。
そして「教皇」は長らく空席であり、千年前の最後の教皇――――その時代は教団の最高権力者がそう名乗っていたものの、各国の為政者を除いては広く認知されていたわけではないが――――以来、席が埋まったことはない。
この空席の意味するところは、代々の枢機卿のみが知る。今を生きる生命の中では唯一、フロルだけが知っているはずのカイオディウムの最高機密である。何の偶然か、千年の時を超えた血族の末裔もまた、その機密の一端を知ったが故に反逆することとなったのだが。
要するに、教皇の地位が空席である以上、一人しかいない枢機卿とはまさにカイオディウムの支配体制における頂点であり、他の聖職者と比べて圧倒的な権力を有するということである。
それでも、フロルの命令系統を少しだけ外れることが可能な階級が存在する。
それが「大司教」の地位。現在のカイオディウムにおいては、最強の魔法使いでもあるライゼスともう一人だけが冠する称号だ。
大司教の地位にある者は、絶対であるフロル枢機卿の命令を待たずして、いくつかの行動について独断で決行することが出来る。
何が言いたいかと言えば――――
「誰が街ごと薙ぎ払え、などと命じましたか、オーランド……居場所を特定し、可能ならば捕らえてきてほしいと依頼したはずですが」
もう一人の大司教、オーランド・アリンティアスは、フロル枢機卿の命に背いて、独断でリラウフの中心部の撃滅を行ったということである。
「どのみち死罪は免れますまい。スティンゴルドも含めて、あの四名の目的はカイオディウムという国の崩壊です。最も合理的な方法として、殲滅を選んだまで」
オーランド・アリンティアスは、きわめて冷静沈着に、そして冷酷にそう言った。
齢は60過ぎ、というところであろうか。しかし年齢を感じさせない覇気と、鍛え上げられた体つきをしている。まだまだ戦いに身を投じる者として現役であることを感じさせる、総司よりも大柄な老戦士。長い銀髪をオールバックにして腰まで流し、聖職者のローブを纏うその姿は、まさしく「魔法使い」と呼ぶにふさわしいいで立ちだ。孫のリシアは誰の目にも見目麗しい美女として映るが、それも伝承魔法と同じく遺伝であろう。厳しそうな印象を与える鋭い顔つきではあるが、若い頃はさぞ人気が高かっただろうと思わせるだけの整った顔をしている。
「それに捕らえよというのは非現実的でもありましょう。スティンゴルドと共にいたかの少年は、リスティリアでも屈指の魔女と謳われるレブレーベントの王女と戦い、退けたという情報を掴んでおりましてね。そのような気骨のある若者を相手取って、スティンゴルドのみを捕まえて来いというのはいささか……老体に無茶を言わんでほしいものです」
「捕縛に関しては“可能ならば”と言ったはず。私が命じた時にそう言えば良かったでしょう」
フロルの声は厳しさを増していた。傍に控えていたライゼスが口を挟む。
「アリンティアス大司教、住民の被害はないとの報告だったが……?」
「宿屋の主人に、金を多めに握らせておいたのですよ。情報料に色をつけてね。代わりに迅速で隠密な避難を主導するよう追加の仕事を与えたという次第。さすがの私も全員まとめて殺すような真似はせんよ」
さすがの私も、というあたりに、普段自分がどう見えているかの自覚はあるようだ。フロルはまだ何か言いたそうな顔で、その眼差しは時を追うごとに鋭さを増していたのだが、オーランドにどれだけ小言を並べ立てたところで響かないのは目に見えていた。
ベルとは全く別のベクトルで、枢機卿の説教が通りにくい厄介な相手だ。
「……死体も確認できない状況で、任務を達成したとどうして言えるのです」
「確かに。底の見えない大穴を創り出す魔法の直撃を受けて生きていられる者などいない、というのは証明できかねます。実験のしようがないのでね」
「不敬に過ぎる。慎むよう」
からかいの色が強くなったオーランドに対して、ライゼスが鋭く忠告した。オーランドはニヒルな笑みと共に肩を竦めた。
「子供四人にいつまでもかかずらっていられるほど、我らも暇ではない。違いますかな?」
「あなたの孫娘もいたはずですが」
「それが何か?」
「……もう結構。下がりなさい」
オーランドの問いかけに答えることなく、フロルが冷淡に言った。オーランドはそれ以上何も言わず、軽く頭を下げてフロルの執務室を去っていった。
「スティンゴルドがそうたやすく死ぬとは思えませんね」
ライゼスは冷静に言った。フロルもすぐに頷いた。
「本当に余計なことをしてくれました……居所をつかむまでは良かったのですがね。その時点で報告があれば捕らえるのも容易かった」
安楽椅子に身を預け、フロルは大きくため息をつく。
絶対的な権力を有し、独裁者の如き見られ方をするフロルだが、大きな組織であればこそ手綱を握り切れない者もいる。オーランドはその筆頭と言っていい。最終的にはフロルに忠実であったはずのベルも、今や裏切り者だ。
「ディフェーレス周辺は特に警戒するよう皆に伝えてください。再三になりますが」
疲れた様子で、フロルは静かにそう言った。
一方、枢機卿の執務室を後にしたオーランドは、自室に戻り、そこで待ち構えていた部下と言葉を交わす。
「位置は?」
「予想通り、スティンゴルド様以下三名、『アデルシャ』の街に入ったようです」
リラウフにほど近い街「アデルシャ」は、リラウフと同じく平和な田舎町である。リラウフよりも人口が少ないが、果物を中心とした農業が盛んで活気がある。
「三名……?」
「はい。大司教が仰っていた『少年』の姿が見当たらないとのことで」
大司教の執務室は、魔法に熟達したオーランドによる守りが万全であり、盗聴の可能性も完全に排してある。神官らしい重厚な服装で顔まで隠した部下に対し、オーランドは言った。
「確かなのか」
「リラウフの跡地も含めて周辺はよく調査したとのことですが、影も形も」
「……そうか」
オーランドはどさっと椅子に腰を下ろして、目を閉じ、しばらく何事かを思案した。
「引き続き、スティンゴルドたちの居場所を常に把握し続けてくれ。見つからぬようにな」
「ハッ」
部下の姿がさっと消える。オーランドは手を組み、執務室で一息ついた枢機卿のように、大きく息を吐きだした。
「誰の仕業か知らんが……やはり、一筋縄ではいかんな……」
枯れた木々が生い茂る、まるでホラー映画のワンシーンにでも出てきそうな森の中を、総司とスヴェンは賑やかに話しながら歩いていた。流石にこの二人が揃ってしまえば怖いものなし、といったところである。
木々には葉もついておらず枯れているのに、その幹には気味の悪い、心臓のように脈打つ黄色い何かがところどころついており、試しに触ってみたところ殊更大きく飛び跳ねて総司を驚かせた。黄色い実とも何とも言えない何かは淡く発光しており、暗い森の中で光るそれがまた、枯れた木々の森の不気味さを助長している。
「修道女エルテミナ……名前は聞き覚えがあるな。けどまさか主犯格級の外道だとは思ってなかった。ロアダークのクソッタレが自ら手を下したって話だけだな」
「ってことは、ルディラントが滅びる前にエルテミナは殺されていたのか……? それだと整合性が取れない気もするけど」
「整合性だぁ?」
「ロアダークの体を乗っ取って、自分が唯一の支配者になろうとしていたんだとするとだ。世界に喧嘩売る前にロアダークを乗っ取っちまったら、自分がロアダークの力を使って頑張らないといけなくならねえか?」
「おぉなるほど、そうかお前、からっきしバカじゃねえのか」
「うるせえなコイツ」
「だが別に疑問に思うほどのことでもねえな。要は『事を起こそうとして返り討ちにあった』んじゃなくて、『企みがバレて粛清された』ってだけのこったろ」
「あぁ……確かに」
「しかしそうか、カイオディウムは今そんなことになってんのか……世界を敵に回した外道の魂の継承、ねえ……んん?」
スヴェンが唐突に足を止めた。
別に目の前に目的地が見えたわけでもない。総司もぱっと止まって、スヴェンに声を掛けた。
「どうした?」
「それこそ、整合性が取れてなくねえか?」
スヴェンは振り返って総司を正面から見据え、素朴な疑問を口にした。
「お前と一緒にいるベルって子は、ロアダークとエルテミナの子孫なんだろ? 数世代の時を経て伝承魔法も受け継ぐ名うての魔女って話だったな。だったら何で、それほどの逸材が継承者に選ばれてねえんだ……?」
「……ホントだ……」
総司はつぶやくように同意して――――かっと目を見開いて頭を抱えた。
「ホントじゃん! そうじゃねえか! あれ!? 確かにおかしいな!?」
「今の枢機卿ってのが、その子以上の適性を持っていたからってだけか? どうにもそうは思えねえが……これは俺の偏見かね……?」
スヴェンの指摘は総司にとんでもない衝撃を与えていた。
まさしくその通り、その点については明らかな矛盾があると言っていい。スヴェンの言う通り、「フロルがベル以上の適性があった」というだけの可能性もあるが、しかしその可能性はどれほどのものか。
直系であり、しかもロアダークの伝承魔法すら受け継いでいるという稀有な存在、ベル・スティンゴルド。かつてロアダークの力を欲し、それが原因で自分の肉体を失うこととなったエルテミナにしてみれば、これ以上の「器」はあり得ないはずだ。
しかし、とうのベル本人は、ロアダークやエルテミナの野望ではなく、両親の野望に決して同意していなかった「子」の意思を継いでいる。
もしかしたらエルテミナは、自らの末裔であるベルが自分の野望に決して賛同しないであろうと知っていたのかもしれない。