眩きレブレーベント・第二話⑥ 神獣の祝福
「何をこんなところでぼさっとしている?」
「おぉう! 陛下!」
突然声を掛けられて、総司は飛び上がった。エイレーン女王が怪訝そうな顔で総司を見ていた。
「船酔いでもしたかい。じきに着く。我慢せよ」
「あ、いえ、そういうわけでは」
「万全なら良い。甲板に来い。よいものが見れるぞ」
「……よいもの?」
総司が甲板に出たと同時に突風に襲われた。思わず腕で顔を覆ったが、女王は何か魔法でも使っているのか、涼しい顔をしてゆっくりと先へ歩いていく。
丁度、高い山を――――あまりにも高すぎる山を越えるところだったらしい。
その光景を、総司はきっと生涯忘れないだろう。
異世界にきて、「ファンタジーの世界」にきて初めて――――
これぞ幻想の世界だと見せつけてくるような景色に出会い、圧倒された。
「レブレーベント山脈が最高峰、恵みの霊峰イステリオスである! さあ、山越えだ!」
総司の知る「山」ではない。この山は、土と木々と岩で形成されているわけではない。目に見えるのは正体不明の、氷のような、水晶のような結晶の群体。
陽光を眩く幻想的に乱反射し、切り立った崖がいくつもいくつも重なるようにして、霊峰イステリオスは来訪者を出迎える。山頂付近の結晶は双璧をなすように聳えて、中心が巨大な穴のように開けていた。これが自然の空路を形成しており、レブレーベント山脈の北と南を繋げているのだという。
重く響く鐘のような音が鳴った。体の芯まで響くような重い重い大音響に、総司は身を竦ませて、思わずリバース・オーダーの柄に手をかけそうになる。巨大な生物の咆哮のようにも思えたからだ。
「はっはっは! 案ずるな! 丁度『道』に入ったな、船の下を覗いてみよ。今の音が『水音』であると理解できるだろう」
「水……!?」
甲板の端に駆け寄り、身を乗り出すようにして下を覗き込んだ。
無論、乗り出す必要などない。結晶で出来た巨大なトンネルからすれば、総司たちが乗る船など米粒のように小さいのだ。その光景は見ようと思えばすぐに見ることが出来た。
結晶の下を、いや、もしかしたら結晶の中を?
激流を形成しながら、とんでもない量の水が流れている。しかもただ透明なだけの水ではない。これが女王のいう恵みというものだろうか、水は謎めいた紺碧の輝きを放ちながら、巨大に過ぎる結晶の中をそれでも所狭しと駆け回っている。
「相変わらずの雄大さだ。シエルダへ向かう時は別の方法を使ったから見れなかったが、やはり景色はこちらの方が良いな」
今にも落ちそうなほど身を乗り出して周囲を眺める総司の首根っこを、リシアがぐいっと引き戻す。
「落ちたら死ぬぞ。言うまでもないが」
「すっげえ……! うおっ!」
また大音響。だが、今度はさっきと質の違う音だった。
今度こそ総司の勘違いではない、それは獣の咆哮だった。荘厳に響き渡る圧倒の咆哮。
その音を聞いた瞬間、それまで総司の反応を面白おかしく見ていたリシアの表情が一気に険しくなった。
総司が目を丸くして、続いて甲板の先にいる女王を見ると、なんとあの、いつも余裕を見せていた女王ですらも驚愕の表情をしているではないか。
「まさか、彼奴が――――!」
「船内へお戻りください陛下! 早く!」
女王は立ち尽くしてしまっていて、リシアの呼びかけも聞こえていない様子だった。
リシアが女王の元へ走ろうとして、動きを止める。
結晶のトンネルの、上の部分だけがぐわっと開けた。
結晶を通して淡く照らしていた日の光が一気に強く照り付ける。それだけ天に近い場所なのだ。
その開けた屋根の、巨大な結晶の上に、女王が「彼奴」と称する存在がいた。
「……え……」
それはドラゴンのようにも見えたが、総司たちの乗る船を曳く存在とは明らかに姿かたちがかけ離れていた。
さほど大きくはない――――とは言っても、船を曳くドラゴンの3倍はあるだろうが、あまりにも圧倒的な気配を感じる割には小柄な印象を受ける。骨格としては馬に近そうないで立ちだが、立派な翼が別種の生き物であることを証明している。白銀の体躯、結晶の外郭。青い眼光が総司たちをしっかりと射抜いている。
体格など、問題ではない。莫大な魔力を感じる。あの竜とも馬とも呼べない不思議な、しかし神秘的で、総司の感性からすれば「カッコいい」生き物が、他の生物とは比較にならないほど強力な存在であると、誰が見てもすぐにわかるほどに――――ビリビリと打ち付けて来る気配は圧倒的で、絶対的で、凛としていた。
「ビオステリオス……久しいね……出来れば今は会いたくなかった……!」
女王が苦々しげに言った。杖を持つ手に力が入っている。
ビオステリオス。そう呼ばれた竜のような魔獣は、しかし――――女王やリシアの警戒とは裏腹に、特に何も仕掛けてこなかった。
その青い眼光は、ただ総司へと注がれていた。睨み付けるという雰囲気でもない、かの存在は総司を見ているだけだった。
「……俺……?」
総司はリバース・オーダーの柄から手を離し、ゆっくりと甲板の先へ、女王より前へ歩み出る。船が進んで、そろそろビオステリオスのすぐ下に差し掛かっても、ビオステリオスのアクションは特になかった。
総司は――――別に、頭に直接メッセージが送られてきた、なんてことはなかったし、ビオステリオスがヒトの言葉を発したわけでもないが。
何故か、「彼」の言いたいことがわかった。通り過ぎざまに、言った。
「必ず助けるから!!」
船はもちろん、女王があれほど警戒する存在の前で停止したりなどしない。着実にビオステリオスの元を通り過ぎ、離れていく。総司は甲板の先から船の後ろへ移動しながら、必死で叫んだ。
そうしなければならないと直感した。
「まだ何もわかってないしさ、説得力も何もないけど!」
ビオステリオスは見定めるために、そして問いかけるためにここに来た。
お前を信じてよいのかと、そう問いかけるために、ここへ来たのだ。
「俺は必ずやり遂げてみせる! お前もいつかその時が来たら、力を貸してくれ!」
瞬間、ビオステリオスの咆哮が再び響いた。
それが総司の言葉への返事。攻撃はなかった。了承の合図だとわかった。
ビオステリオスの咆哮は、いつの間にか優しい音色に変わっていた。ビオステリオスの翼が織りなす穏やかなメロディーを聞いて、リシアがぽつりとつぶやいた。
「……まるで、歌……」
「……おやおや、レブレーベントの国歌に聞こえないかい? 彼奴め、どこで覚えおった」
「見てろよー! やってやるからなー!」
まだ船の後ろでブンブン手を振っている総司を見て、女王が苦笑した。
「フン――――小さな悩みが吹っ飛んだようだし、良しとしておこうか。いやそもそも、ビオステリオスと行き会って何事もなかっただけ幸運か」
霊峰イステリオスの王は、レブレーベントにおいて畏怖の対象の一つである。
大山脈の頂に住まうかの王は、度々レブレーベントに恵みを、時に災いを齎した。
霊峰イステリオスは古来より、招かれざる来訪者の登頂を決して認めないと伝えられてきた。ビオステリオスはその伝説が具現化した存在だ。
招かれざる来訪者の前に姿を現し、魔力の暴風で容易く山の外まで叩き出す。ビオステリオスは生物を殺そうとしているのではなく、自らが護る山の領域から強制的に排斥するだけなのだが、結果的には命を奪うことに繋がる。無論、そこに王の情けなどあり得ない。
嵐を操り、水の恵みを。嵐を操り、罪人に裁きを。
かの王は霊峰の慈しみと怒りが生き物として顕現した姿であると信じられ、まさにその通り、遥か昔からイステリオスの平和を護り抜いてきた。
故に、ビオステリオスの姿を見て、生きて戻ってきた者はあまりにも少ない。基本的には、彼がヒトの前に姿を現すということは即ち、そのヒトを「招かれざる来訪者」と断じ、排斥するために現れたということ。偶然彼のテリトリーに入ってしまって、ちらりと見ただけの目撃談でしか、彼の雄大な姿は伝えられていなかった。
風と水の化身が堂々と姿を現し、しかも穏やかにヒトを見送るなど、レブレーベントの女王ですらも聞いたことがない。
「何故、何も……」
「決まっておる。ソウシに会いに来たのだ。私は初めから疑ってなどおらんかったが……」
先ほどまでの、些細な不安など消し飛んだかのように、スッキリした面持ちで戻ってくる総司を見て、女王が笑う。
「いよいよ真実味が増してきたじゃあないか。女神を救う救世主。私達よりリスティリアの神獣たちの方が、ソウシのことを良く知っているのだろうね」
ビオステリオスの奏でる壮大なメロディーは、船が結晶のトンネルを抜け山を越えるまで、穏やかに響き続けていた。