贖いしカイオディウム 序章③ カイオディウムの真の歴史
広大なカイオディウム領の北東、ほとんど首都ディフェーレスとはかかわりのない田舎街、「リラウフ」。女神教の国に属するものの、さほど宗教の色は強くはなく、決して閉鎖的ではない。
“この森を超え、三つの川を渡り切れば、そこは妖精郷ティタニエラ”。田舎の街に古くから伝わる言い伝えを信じる者は既におらず、言い伝えはそのまま子供たちに、「勝手に出歩いて迷い込んでしまったら、怖いエルフたちにさらわれてしまうよ」としつけをするための脅し文句へと変化していた。
実際には、この田舎街「リラウフ」の傍にある森がティタニエラの領域というわけではない。ティタニエラはその森を超えて遥か先に存在し、しかも領域内の森に入ってしまえば、大老クローディアの結界によって迷い、どこか別の場所に吐き出されるだけだ。ティタニエラの位置関係としてはカイオディウムの遥か北東であり、レブレーベントからは北の方角ということになる。無論、あまりにも広大な森が広がる上、エルフたちは結界の中でもさらに隠れ住んでいるため、招かれざるヒトが辿り着ける可能性は限りなく0である。
首都ディフェーレスからの行商人が、生活に必要な日用品や、たまに手に入る外国の珍しい品々を持ってくる以外には、ほとんど旅人も訪れることのない閑静な田舎街。レブレーベントのリゾート地「シエルダ」のように、貴族たちの避暑地のようになっていることもない。リラウフで生まれ育ち、リラウフで死んでいく者が大半を占める、静かな生命の営みが緩やかに行われているだけの平和な街だ。
田舎らしい自然あふれる光景が広がっており、開拓して作り出したというよりは、自然にできるだけ手を付けずに勝手にヒトが住み着いた場所である。リラウフに流れる時間はまるで、他の場所よりも流れが緩やかに思える。街がどこから始まり、どこで終わっているのかもわからないような、境界のない街だ。
リラウフの唯一の宿を確保するのは容易かった。宿の利用者は行商人以外にはめったにいないので、部屋はいくらでも取れた。
救世主たる総司とその相棒のリシア、それにカイオディウムからの道連れであるベルと、ティタニエラのエルフ・ミスティル。数奇な運命に導かれるようにして、今は協力関係にある四人は、ようやく一息つくことが出来た。
ティタニエラのエルフの隠れ里を後にしてから丸二日、森を抜けるために歩き続ける必要があった。クローディアの結界は、大老自ら解除してくれたが、物理的な距離が相当あったためである。
かつては貴族の屋敷だったという、白を基調とした豪華な建物を改装して有効活用した宿は、名が知れればこの宿に泊まるためだけにヒトが集まりそうなほどお洒落だった。路銀の節約のため、部屋は二つ取った。総司とリシアがペアで一室、ベルとミスティルで一室。男女に分けると総司が広すぎるし、総司とリシアは男女の別があるとはいえ、もともと二人で旅をしていたため同室の抵抗もなかった。
小高い丘の上に立つ宿からは、リラウフの静かな街並みと、その先にある森とが一望できる。宿の傍を流れる川が宿の内部にも引き込まれており、バルコニーを流れるような構造になっていた。
「さて、と」
日はそろそろ落ちる頃。夕食の時間までしばしの休憩として、それぞれのペアが部屋に入った。
ティタニエラから抜けてくる道中の森では野営もすることになったが、手慣れた様子のミスティルのおかげで存外に快適ではあった。彼女はわずかではあるものの、次元の概念を掌握する魔女である。どこからともなく次々と、エルフ御用達のサバイバル道具を取り出しては準備を整えていくので、総司たちは彼女の許しが出るまでその辺をうろうろしているだけで勝手に野宿を達成できた。正直なところ、見た目だけで言えば一番「お嬢様」らしいミスティルなのだが、生活力の面ではこの四人の中で随一である。
「どう思う、ソウシ」
「ベルの話か?」
貴族の屋敷を改装した宿は、壁の厚みも申し分なさそうだ。ベルとミスティルが隣で着替えたりなんなりと活動しているはずだが、物音一つ聞こえてこない。
たまたま共に旅をすることになった四人とはいえ、総司とリシアのペアと、残る二人とは目的意識に差があり、立場も違う。
四人はベルの目的を達成するために協力する。その点に合意はあるものの、総司とリシアにはさらにその先がある。
互いに嘘をつかない。その誓いを立てた二人にとって、意思の疎通は非常に重要だ。
部屋に備え付けの水の入ったガラス瓶から水を注いで、総司に渡しながら、リシアは頷いた。その表情は厳しかった。
「“修道女エルテミナは千年前の反逆者の一人であり、その魂と意思はウェルゼミット教団の『枢機卿』に代々受け継がれる”。そんな話だったな」
ティタニエラで聞いたベルの話、彼女の真意を思い出しながら、総司が言う。
ベルが語ったカイオディウムとウェルゼミット教団の真実は、総司とリシアが目指す「女神の救済」と同じくらいに荒唐無稽で、にわかには信じがたい話だった。
「千年前、世界の敵として君臨したのは確かにロアダークだった。けれど、ロアダークは一人で何もかもやってたわけじゃなかったんだよ」
ティタニエラにて――――大老クローディアが招いた、床が浅く水で満たされた儀式の部屋において、ベルは語った。
「クローディア様の仰る通り、ロアダークには協力者がいた。当時の“スティーリア”では小さな宗教団体に過ぎなかったウェルゼミット教団の修道女、エルテミナ・スティンゴルドがね。カイオディウムの内側から当時の王家や兵士たちを掌握したのは彼女の功績だって話」
「スティンゴルド」
総司が鋭く繰り返した。ベルは情けなさそうな顔で笑って、頷いた。
「びっくりでしょ。私ってば直系なんだよね。ロアダークとエルテミナの子が、私のご先祖様。けど」
ベルはすっと顔を引き締めた。
「少なくとも、その『子』はロアダークとエルテミナを全く肯定していなかった。だから真実の記録を残し、それが千年受け継がれて、今私の記憶の中に在る。カイオディウムに伝わる歪んだ歴史とは違う、本物の歴史がね」
曰く。
修道女エルテミナの目的は、ロアダークと同じく当時の“スティーリア”と女神を切り離し、女神の支配から逃れ、新たなる世界で支配者として君臨すること。
しかしエルテミナの目的には“その先”があり、彼女が開発した禁忌の魔法で以て――――唯一の支配者として、ロアダークを排除し君臨すること、でもあった。
「自分の魂、意思、命を、他者に植え付ける。エルテミナが創り出した外法……エルテミナは要するに、その魔法で“ロアダークの体を乗っ取ろうとした”」
「……で、うまくいかなかった」
「そゆこと」
総司の言葉に頷きながら、ベルは続けた。
「エルテミナはロアダークに殺されて、そこで彼女の野望は終わり……とはならなかった。彼女の魔法は、他者を“乗っ取る”ためには、自分の肉体を完全に捨て去る必要があったみたいなんだけど、“魂の痕跡を残す”ぐらいなら、一部を切り取って楔を打つだけで良かった」
「……なるほどな」
ベルが掲げる目的に思いを巡らせて、リシアが思い当たったようだ。ベルはさすが、とばかり感心した様子でリシアを見る。どうやら先を促しているようで、リシアは自分の考えを口にした。
「ウェルゼミット教団の権力者に、その楔とやらを打ち込んでいたわけか」
「その通り。もともとエルテミナは“暗躍”していたらしくて、表立っての首謀者はロアダークしかいないように見せていた。まあ、その方がお互いに動きやすかったんじゃないかな。権力者の中で生き続けることとなったエルテミナは、ロアダークの敗北と共に自分自身の死を利用して自分を祭り上げた。反逆者ロアダークに抵抗し非業の死を迎えた、誇り高き修道女だってね」
「乗っ取るのではなく、巨悪に立ち向かった修道女の意思として時の権力者に助言を与えながら、か……」
「そっ。女神教が栄えたのもその頃からだしね。世界の敵になっちゃったカイオディウムにとって、宗教は心の拠り所になって……千年前の英雄ゼルレイン・シルヴェリアがいなくなっちゃった混乱にも乗じて、エルテミナは教団を使ってカイオディウムを掌握し……現在に至る。これがカイオディウムの歴史だよ」
千年前の事件の後、「戦後処理」がどのように行われたのかは定かではない。しかし、当時は話を聞く限り、教団よりも王家が実権を握っていた時代である。責任追及の矢面に立たされていたのは教団ではなく王家だっただろう。
そうして王家から人心が離れ始めたタイミングで、宗教と言う民衆の心の拠り所を大きく掲げながら、勇敢なる修道女エルテミナの教えを継ぐ者たちとして教団が表舞台に出てきて、そのまま支配体制を構築していった。ゼルレインの失踪後、リスティリアと名を改めたこの世界の国々はバラバラになって、千年互いの不干渉を貫いてきた歴史がある。カイオディウムのそうした支配体制の変化に口を出す他国もなかっただろう。
ウェルゼミット教団の権力者に受け継がれるエルテミナの意思――――すなわち、現在の継承者は、フロル・ウェルゼミット枢機卿。
ベルが彼女を殺さなければならない理由がそこにある。フロル枢機卿を殺し、その肉体に宿るエルテミナの魂をも根絶すること。
千年続く「誤った歴史」の系譜を、現代において断ち切るために。
ロアダークとエルテミナを祖先に持ち、しかし反逆を志した両親を決して肯定しなかった「子」の意思を受け継ぐ者としての、ベル・スティンゴルドの孤独な戦いだ。
「でも……」
総司が遠慮がちに口を開いた。
「さっきもちょっと言ったけどさ、今のカイオディウムは……格差はあるんだろうが、一応は平和で……いや、ベル、お前自身が納得のいかない状態なのかもしれねえってのはわかるんだが」
「言いたいことはわかるよ。別に今のままでもいい、命を賭けてまでこの体制を終わらせる必要があるのか、って話だよね」
言いにくそうな総司の言葉を引き取り、ベルが頷いた。
「どうしても、今、何とかしなきゃいけないんだ。エルテミナの次の目的が“女神”だから」
「……いくらなんでも、不可能だ」
ベルのこぼしたわずかなキーワードだけで、やはりリシアは答えに辿り着いたらしい。
「何がだ?」
流石に読み切れなかった総司がリシアの方を見る。リシアは首を振りながら、
「自分の魂を他者に植え付ける外法……その次なる標的が女神さまだと。そう言いたいのだろう?」
ベルが頷いた。総司は思わず苦笑して、
「そいつはさすがに無茶だな。いや、ベルの言う通り、目的がそこにあったとしてだ。まず無理だろ。レヴァンチェスカにそんな魔法が通じるとは思えねえよ。リスティリアにおいては絶対の存在、なんだろ?」
「……どうしてそう言い切れるの?」
ベルが何気なしに聞いた。
「現在進行形で“絶対であるはずの女神が脅かされている”から、あなたはここにいるんじゃないの?」
総司が言葉を詰まらせた。ベルの眼差しには確信が宿っている。
そう、彼女の言葉の重みは、今聞いただけの総司やリシアが多少の反論を並べ立てていいようなものではない。
なんとなれば彼女は、その目的を果たすために一世一代の賭けを打ち、ヒトが千年踏み入ることのなかった秘境にまですっ飛んできたのである。言葉で言い表せないような使命感と目的意識に燃えていなければ、ベルのこれまでの行動に説明がつけられないのだ。
「あたしも確証までは持てなかったんだ。他ならぬあなたに会うまではね」
総司に笑いかけ、ベルは続ける。
「あなたの出現は、女神が本当に危機に陥っていることを証明していると思う。そしてそれはつまり――――悪意ある誰かが、或いは何かが、“女神を脅かす手段がある”ということの証明でもある」
女神の騎士が女神救済のために立ち上がる。
その事実はつまり、女神が「自分では何ともならない窮地に陥る」ことが確かにあり得るということを、「外敵によって女神が窮地に立たされる可能性」があることを示している。総司やリシアが言う通り、ベルにとっても、彼女の推測は荒唐無稽なものに思えていた。ベルに確信を与えたのは、他ならぬ総司自身だったのだ。
ベルがカイオディウム王家に届いたレブレーベントの書状に興味を持ち、総司とリシアの事情について並々ならぬ関心を寄せていたのは、まさにこのため。ロマンスを求めた思春期の乙女の好奇心ではなかった。
周到に準備を整え、総司とリシアに実際に会って、己の予測を確信へ変えたベルは、ついに行動に出た。もともと一人でもやるつもりだった彼女は、自分の無謀さを誰より自覚していただろう。
それでもやらなければならなかった。女神の騎士が相対すべき「最後の敵」とは全く別の角度から、この危機に乗じてリスティリアを脅かそうとする世界の敵、その打倒を成し遂げるために。