清廉/混濁たるティタニエラ 終話② 価値を示した先にあるもの
翌朝、三人は出発のための支度を早々と整えていた。
第三の“オリジン”・レヴァンディオールは、ミスティルによってその力を取り戻しておりそれを獲得したことでティタニエラでの目的はひとまず達成された。
次の目的地は三人とも同じ、女神教の国“カイオディウム”。
ベルの目的に協力し、教団の支配を終わらせる。と同時に、四つ目の“オリジン”・レヴァンフェルメスを手に入れるために、カイオディウムを目指すということで三人は合意した。
「しかし、たった一晩しか考える時間もなかったのだろう……デミエル・ダリア大聖堂の護りとやら、突破する術にあてはあるのか、ベル?」
見送りに来たクローディアが、不安そうな表情で聞いた。
ティタニエラの大半を覆いつくす森の結界を抜けるためには、クローディアの助力が不可欠だ。そうでなければ十日近くは森の中をさまよう羽目になってしまう。しかしクローディアは乗り気ではないようだ。もちろん、三人の邪魔をしたいわけではない。
大聖堂の圧倒的な護りを、恐らくそれを突破できるであろうミスティルを抜きにして何とかしなければならない。その方策を三人が見出せているとはとても思えなかったからだ。
「まあ……ないです、ぶっちゃけ!」
ベルがあっけらかんと言った。
「俺の左目で魔法を消し飛ばすのは、いろんなリスクが大きすぎるし……かと言って他の方法ってのも、思いつきませんでした」
総司の左目に宿るルディラントの力は、限定空間内ではあるがあらゆる魔法を打ち消すものだ。ティタニエラに飛ばされる直前、冷静にリシアが言ったように、消し去る魔法が大聖堂の護りや転移魔法だけではなかった時、とんでもない被害が発生する可能性がある。
「ですので、とりあえず戻ってから方法を考えようと思ってます! 何か見落としている情報があるかもしれないし、王サマの力とかも借りられるかもしれないし!」
努めて明るく振る舞おうとしているのが見え透いていて、クローディアはハラハラしている様子だ。レオローラはこの場にいないが、もしいたら大老の普段見られない姿に口を開けていたことだろう。
「や、やはりもう少しゆっくりしていったらどうだ。せめてもの詫びだ、私も知恵を絞ろう。どこまで力になれるかはわからんが……」
「お気遣い痛み入ります、クローディア様。けれど、大丈夫」
ベルが笑った。
覚悟を決めたヒトの笑みだった。
「何とかしてみますよ。あたしもこの国で、いろいろと吹っ切れたところもあるから」
「……そう、か」
クローディアはベルの手を取り、その目をしっかりと見て、言った。
「数々の非礼を許してくれ……命を粗末にせぬよう。お前の目的は崇高なるものだが、しかしお前が全て背負わねばならぬものとはとても思えん……何より生きることを優先するよう……お前の無事を祈っておる」
「ありがとうございます。もし全部うまくいったら、また遊びに来てもいい?」
「もちろんだとも。いつでもこのティタニエラを訪れ、存分に心と体を癒すがいい。我らはお前たちをいついかなる時も歓迎する。約束しよう」
「それだけで、十分」
クローディアは総司とリシアの方を見た。
「お前たちの旅路も、これより先もまた苛酷なものであろうが、言いたいことは同じだ。ベルの目的に手を貸す選択を諫めはせんが、お前たちにはその先もある。決して忘れぬよう。お前たちが死んではそれこそ、カイオディウムのみならずリスティリアが終わるのだ」
「はい。肝に銘じておきます、クローディア様」
「任せてくださいって。乗り掛かった舟です、ここまで来たら全部何とかしてみせますよ!」
総司がガッツポーズのような所作をして、力強く言う。根拠のない言葉ではあるが、一応、これまで何とかしてきた実績があるにはある。クローディアは不安げにしながらも思わず笑った――――
「驚いた。本当に行き当たりばったりなんですね、あなたって」
口調こそ丁寧だったが、あまり温かみのない声が聞こえた。
クローディアが驚いて素早く振り返った。リシアとベルも目を丸くした。
布を適当に合わせただけのような衣ではなく、全体的に薄黄色がかった、ベルの「学生服」じみた服装に近い恰好をして。
次元の魔女ミスティルが、にこりともせずにクローディアの後ろから歩いてきた。
飾り気がないものの優雅な、流れるようなドレスを着こなしたかつての姿とは似ても似つかない、肩を露出し短いスカートを履いた、動きやすそうで活発な印象を与える装い。まるで別人のようだった。
「ミスティル!」
クローディアが声を上げる。ミスティルはクルセルダ諸島から戻ってきて初めて、クローディアの目をはっきりと見つめ返し、わずかに会釈した。その視線はすぐに外れ、総司の方へと向けられる。
「行ってみれば、やってみれば、何とかなる。根性論というやつですか? 天運に任せて適当にドタバタしていれば、ベルさんの問題も世界の問題もなんだかんだで解決していくと。そういう感じです? 自覚だけじゃなく頭も足りていないようで」
「いきなりとんでもなく失礼なんだけど何だコイツ! 別れ際に喧嘩売りに来たのかオイ!」
総司ががーっと怒りを露わにミスティルに詰め寄ろうとしたので、リシアが慌ててその体を押さえた。
「もう一回やるかコラテメェコラ」
「何でそんなに喧嘩腰なんだお前は。落ち着け」
「そもそもベルさん、あなたは命も含めていろんなものを捨てる覚悟で、一世一代の賭けのようなことをしてティタニエラまで来たと、そういうお話ではありませんでしたっけ。だというのに何も得ることなく大人しく帰るだなんて、あなたも底抜けのお人よしですね」
ベルに対しても辛辣な物言いではあったが、ベルはただぽかんとするばかりで、何も言い返さなかった。
無気力そのものだったのに、わざわざ装いまで“エルフらしからぬ”格好に着替えてミスティルがこの場にやってきた理由――――そんなもの、考えるまでもないことだったからだ。
安い挑発に乗せられたせいでわかっていない馬鹿が、未だいきりたってはいるのだが。
「そりゃ仕方ねえだろ、お前があんなことして協力を頼める状況でもなくなっちまったから――――なくなっちまった、から……」
ようやく、総司が気づく。リシアは呆れたようにため息をついて、総司を離した。
「……ミスティル……? まさか……」
ミスティルは相変わらずにこりともせず、淡々と告げた。
「お見込みの通り、大聖堂デミエル・ダリアの無敵の護りとやら、私の魔法であれば突破することも不可能ではないでしょう。ついていってあげますよ」
それは僥倖であると同時に、信じられない提案だった。意外そうな顔をしつつも、穏やかに笑うのはクローディアだけだ。
「あ、ありがたいんだけど、ミスティル、良いの……?」
ベルが遠慮がちに聞く。ミスティルは少しだけ頷いた。
「……どういう風の吹き回しだ?」
「あら。信じられませんか? まあ当然でしょうけど」
ここでようやく、ミスティルが少しだけ笑った。不敵で妖しい笑みだった。総司は彼女をしばらく見つめ、同じようににやりと笑う。
「いいや。よろしく頼む」
あっさりとそう言い切った総司に対して、ミスティルはすぐに笑顔を引っ込めた。
「……本当に、そのお人よしはすぐにでも改めた方が良いと思いますけど。苦労しますね、リシアさん」
「そろそろ慣れた頃だ。それにミスティルにとっては気に入らないかもしれないが」
リシアも総司につられたように、ミスティルに笑いかけていた。
「私も同じ気持ちだ。礼を言う」
「……世界を背負う二人が揃いも揃って。先が思いやられますね」
「ありがとー! やった、これで一番の問題点は何とかなりそう!」
先ほどまでのカラ元気とは違って、小躍りしそうなぐらいにテンションの上がったベルと、柔和な笑みを浮かべる総司とリシア。ミスティルはそんな眩しい三人組から視線を外し、クローディアを横目で見た。
「お許しください、大老様。皆には、帰ってきたらちゃんと謝って回ります」
「誰もそれを望んでおらんよ。わかっているだろう」
ミスティルは答えなかった。代わりに、三人の方へと歩き出しながら、小さな声で言った。
「行ってきます」
クローディアは穏やかな表情のままで頷いた。
「お世話になりました、クローディア様! ミスティルは必ず無事にお返しします!」
「またいずれお会いできる日を楽しみにしております。ありがとうございました」
総司とリシアが頭を下げる。クローディアは二人にも頷いて応えた。
「お前たちも、無事であるように。達者でな」
「さよなら! また絶対遊びに来るから!」
「楽しみに待っておるよ」
ベルには優しい母のような顔で心からそう言って、クローディアは三人を送り出した。
意図せぬ四人目はもう、振り返ることもしなかったが――――
彼女の中で何かが変わったことは誰の目にも明らかだ。今生の別れにはならないとも確信していた。多くを語るのは無粋というものである。
「……その子らを頼んだぞ、ミスティル」
届かせるためではない小さな呟きはしかし、ちゃんと届いていた。
「お任せを」
ミスティルが同行することとなって本来の明るさを取り戻した三人は、いつにもまして騒がしかった。騒がしい四人の背中が遠のいていく。
エルフの国・妖精郷ティタニエラで巻き起こった戦いは、決して望ましいものではなく、救世主の旅路においては必要のない、意味のない戦いだったかもしれない。
しかし、望まれない戦いであったとしても。
その中で確かに繋いだ縁がある。救世主とその仲間たちは、憎悪に飲まれ世界を敵に回そうとした悲劇の少女を、暗い闇の中から見事に救い出して見せた。
この展開すらも、女神が敷いたレールの上のことなのか、そこまではわからない。しかし、今を懸命に生きる彼らは、どんな困難が待ち構えていようとも、必ずや乗り越えてみせることだろう。
「……使命に踊らされ、自らの道を見出そうとしてなお答えも見えず、しかし」
独り、クローディアはつぶやく。その言葉はミスティルに向けたものでもなく、総司に向けたものでもなかった。
「あの子は苛酷なる運命の中で足掻き、足掻きながら他者をも助け、この世界で見事に生きておる……なあ、どうか……」
救世主たる彼を信頼しきれなかったがゆえに、強引な手段に及ぼうとしたクローディアだったが、今はもう総司のことを信頼している。総司は結果で以て彼の価値を示して見せたのだから、クローディアに出来るのは、彼に託し、彼を見守ることだけだ。
きっと彼でなくても良かった。彼がやらずともリスティリアの誰かがその役目を担ったかもしれない。女神の言う通り“異界の人間”でなければならなかったのだとしても、それが「一ノ瀬総司」でなければならなかった理由はどこにもない。
しかし、彼と出会い、彼の価値を――――救世主としてだけではない、一ノ瀬総司としての価値を確かに見たクローディアは。
祈るように、懇願するように呟いた。
「どうか水を差してくれるな……他ならぬあなたが……邪魔立てなさらぬよう……」
“そんなつもりは、ないのだけどね”。
困ったようなおどけたような、そんな声が聞こえた気がした。