混濁たるティタニエラ 第九話⑤ 最強の魔法
ミスティルの黒と銀の瞳が精霊を見た。
精霊がその輝きに呼応し、魔力を拡散させ、何らかの魔法を放った。
どこからともなく空を包む暗雲が、黒い雷を降らせ始める。無作為に地上へ降り注ぐそれは、着弾した地点を爆破させ、無造作に破壊をまき散らした。
総司たちのいる場所も例外ではない。軽やかな動きで雷を回避するベル、空を飛びそれらの間を縫うリシア、そして――――
雷の降り注ぐ聖域の中心で、再びミスティルと激突する総司。
「さっき振り向いて私の首を狙っていれば、終わっていたはずでしょう」
か弱い乙女の自称を自ら覆す、圧倒的な力。地上でも総司と互角に張り合うミスティルは、嗜虐的な笑顔で総司の選択をなじる。
「お人よしもその辺にしておかないと、本当に死にますよ」
「それよりアレは何だ? 精霊の力ってのはわかるが」
ミスティルの皮肉に答えることなく、総司が率直な疑問をぶつける。
次元の魔法の中でも、かなり高位な魔法の発動に際して、ミスティルはあの黒い女性体の助力を受けているように見えた。クローディアが顕現させたということから、ミスティルの“次元”の力に呼応し強大な魔法を扱う礎であろうとわかる。
「その通り、それが全てです。アレは精霊の現身、大老様が下界に下ろした……まあ、レプリカというか、劣化品のようなものです」
バチン、と二人が弾かれて距離を取る。総司が素早く身を翻し、天から降り注ぐ黒い稲妻を紙一重でかわした。
「つっ……」
わずかに散った雷が総司の頬をかすめた。鋭い痛みを感じる。頬が薄く切れて血が飛んだ。簡単には傷つかないはずの総司の体が、ほんの少しかすっただけで傷を負った。
「まだ“器”を満たしている最中でして。大老様の目的ぐらいなら、今のアレでも十分達成は可能ですが……」
世界からティタニエラを切り離し、リスティリアの滅びの運命からティタニエラだけを逃がす所業。だが、ミスティルはそんな未来を許さなかった。
「意志ある生命の全てを薙ぎ払うには、完全な状態でなければ。でもソウシさんには感謝していますよ」
ミスティルは笑顔のままで言う。
「最初は私も少し焦ってしまいました。けれどあなたがアレに傷をつけた最初の一撃、その修復を見たおかげで私も確信できた。最早アレは、あなた達の力では滅ぼし得ない段階にまで成長していると」
ミスティルにとっては初めての戦闘であると共に、総司やリシアの存在は彼女にとってイレギュラーだ。この一連の戦闘では、彼女にとっての想定外が次々と起こっている。
だが、そのどれもが想定外というだけで、問題にはならなかった。総司とリシアがミスティルの想定を超えて多少強かったところで、今のミスティルならば容易に対応できるレベルであり。ミスティルの想定を超えた成長を遂げている精霊の現身については、むしろ嬉しい誤算である。
「完全な権限を達成すれば、距離も、魔法的断絶も、何も関係がない。あらゆる護りを突破し、この世界の果てまででも追い詰めて、意志ある生命全てを絶つことが出来る」
“次元”の魔法を完成させるあの精霊の完全顕現は、ミスティルが誰にも止められない殺戮の嵐へと変貌することを意味する。抵抗しようのない破壊が、どんな抵抗も容易く突破して、命という命を追い詰め狩り尽くす。
「……その先に何があるんだ?」
「何も。そしてそれでよいのです。私は何かを得たいわけではないので」
「本当に?」
総司がじっと、ミスティルの黒と銀の瞳を見つめた。雪の結晶のような銀色の輝きをまっすぐ見つめ返して――――何かを、見抜いているように。
「得ようと思っても得られない、っていうか」
「……は……?」
「悔やんでも仕方のないことを悔やんでるだけだろ。別にお前が悪いわけじゃねえのに」
黒き精霊の現身から一直線に、総司へ向けて魔法が飛んだ。
赤黒い閃光。魔力を一点に集中させたレーザーのような攻撃。総司はリバース・オーダーをヒュン、と振りかざして、その刀身でレーザーを受け流した。
「何を、言っているんです?」
「別に。何となく違和感があったからカマかけてみただけだ」
ミスティルの顔からは笑みが消え、代わりに総司の顔には笑みが浮かんでいた。そこにからかうような色はなく、どこか安心したような笑みだった。
「リシアに言われたこと、あんなに怒るようなもんだったのかって、引っかかってな」
「……よくわかりませんし、わかる必要もないのでしたね。ここで死ぬヒトの言葉なんて」
ミスティルが遂に本気になった。戦いを楽しんでいた彼女は消え、総司への殺意がさらに増した。総司とリシアの抵抗を心地よいスパイスにように楽しんだミスティルはもういない。
総司の言葉が、何かを見透かしたような雰囲気が、彼女の逆鱗に触れた。
降り注ぐ稲妻を巧みに回避しながら、リシアが急速旋回し、ミスティルをその射程圏に捉えた。ミスティルもそのことに気づいている。
ミスティルの姿が、視界から消えた。
彼女の魔力を敏感に捉えた総司の視線が、精霊の現身へ向けられる。
「止まれリシア! ベルはこっちへ来い!」
リシアもミスティルの動きに気づいたようで、精霊の現身、その顔の前に浮かぶ彼女との距離を詰めようとしていた。総司の怒号に近い指示を受けて、リシアが空中でビタッと止まる。
ベルがいち早く総司の元へ飛んだ。
「俺に後ろにいろ!」
総司が察知したのは、ミスティルだけではなく、精霊の現身に宿る異様な魔力だった。
最初は、強大な魔力が集中しているだけ――――それだけでも十分な脅威だが、その程度の認識だった。
しかし違う。ミスティルが今からやろうとしていることは、総司の想像をはるかに超えた魔法の実現だ。
「どうあっても、あなたが私を見くびって、本気にならないというのなら」
ミスティルの口元には再び、嗜虐的で凄惨な笑みが浮かんでいる。天に祈るように、或いは神の祝福を歓迎するように、両腕を広げる。
「そのまま何も成せずに死ぬだけです。さようならお三方……あなた達との日々は、まあ……悪くない思い出でした」
例えるなら、照明の強さが一段階下げられたように。
完全な暗黒ではなく、少しだけ世界が薄暗くなった。
日の光を含む空間そのもののエネルギー、それら全ての一時的な歪み。黒き精霊の現身を中心として凝縮され、やがて解き放たれるミスティルの最強の魔法。
名を――――
「“レヴァジーア・ディスタジアス――――ゼノグランデ”」