混濁たるティタニエラ 第九話① クローディアの懇願
妖精郷ティタニエラ、エルフが住まう隠れ里は、クローディアの神殿に近づくほど、無残な姿となっていた。リシアとベルにレオローラを預けた総司は、破壊の痕跡が色濃くなっていく隠れ里を駆け抜けた。
倒れるエルフの戦士たち。無事だった住人が大慌てで救助活動にあたっている。
この有様と暴虐の範囲を見れば、どのような経緯だったかは少しだけ察することが出来た。破壊的な活動がクローディアの神殿で発生し、そのことに気づいた者たちを蹴散らしながら、何者かがエルフの隠れ里を離れたのだ。
目的は何か。決まっている。昨晩から今日にかけて突然このような悲劇が起こった理由は一つしかない。“レヴァンディオール”が獲得され、それがクローディアの手元にあったから。
安易だった。昨日の決断を後悔しながら、総司は駆ける。
クローディアのことを疑ったりはしなかった。いや、それどころか、ティタニエラの誰一人として疑ったことはなかった。しかし問題はそこではない。
“オリジン”を自分の目の届かないところにひと時でも置くべきではなかったのだ。クローディアに預けるのなら、自分も神殿に留まり、“オリジン”のすぐそばに控えておくべきだった。大老クローディアに加えて総司までそのすぐ近くで見張っているとなれば、流石に手出しするのは躊躇われただろう。
ティタニエラには、正体不明の敵である一人、カトレアの姿もあるのだ。様々な脅威が周囲にあることをきちんと認識していれば、この事態は未然に防げた。彼女を疑うというピンポイントな「予見」がなくても良かったのだ。ただ総司に自覚さえあれば。完全に油断していたのだ。
――――本当に?――――
いやな言葉が頭をよぎる。それは最悪の自問自答。彼女の嘘を何一つとして見抜けなかった自分への暗い問いかけだ。
――――たとえ、その場にいたとして。本当にあの子が事を起こしたのだとしたら。お前に斬れたのか、あの子を?――――
「……そりゃそうだ」
クローディアの神殿のすぐ前まで辿り着いた時、総司は一人、歯を食いしばって呟いた。
「出来るわけねえ……!」
クローディアの神殿に齎された破壊の痕跡は凄まじかった。崩れ落ちかけた通路を駆け抜け、滝の落ちる広間へ辿り着く。
その広間も無残なものだった。滝が落ちていた鮮やかな岩肌は粉砕され、水は不規則に、見た目の美しさを失ってただ零れるように落ちるだけ。崖崩れが起きたかのような状態だった。
「クローディア様ァ!」
クローディアの姿はない。彼女の名を叫ぶが、返事があるはずもなかった。
「ソウシ!」
クローディアに仕えるエルフの一人が、広間に繋がる横の通路の入口から声を掛けた。レオローラに次いで総司たちを補佐し、クルセルダ諸島の忠告もしてくれたあの褐色の肌のエルフだ。総司はぱっと彼女を振り向いて、その後に従った。通路を早足で歩きながら、総司は彼女に問いかける。
「クローディア様はご無事か」
「何とか。最初は大変な痛手を負われていたんだが、何とか命に別条のない状態には回復なさっている」
「レオローラに聞いたが、これは本当に……」
「ああ」
褐色肌のエルフは目を伏せ、本当に、心の底から信じたくないと、現実から逃れるように首を振り、しかし、事実を告げた。
「ミスティルだ。私もこの目で見た……見てしまった」
「ッ……ミスティルはどこに行った?」
「わからない。誰も、あの子を追える状況になかった」
総司が通されたことのない、広い円形の部屋に通された。
木の根が壁の代わりに部屋の奥を覆っている、特別な部屋だ。総司はその光景を見て驚きに声を上げた。
木の根にからめとられるように、クローディアの体が埋もれている。しかし、クローディアの表情は柔らかで、捕縛されているわけでもなく、その状態はクローディアにとって好ましいらしいことが窺えた。
既に魔法の力と、木の根に囚われているような今の状況のおかげで回復し始めているらしいが、木の根の隙間から見えるクローディアの服がズタボロになっているのを見れば、凄まじい傷を負って瀕死の状況にあったことが見て取れる。
「……ソウシか」
「申し訳ありません!」
総司はクローディアの足元まで歩み寄ると、跪いて深く頭を下げた。
「最低最悪の間抜けぶりです、こんな状況になるまで呑気に寝ていました……お詫びの言葉もありません……!」
握りしめた拳を床につき、総司が言葉を絞り出す。クローディアは「お前のせいではない」と優しく声を掛けた。
「よく来てくれた……お前がこの国にいてくれたこと、幸運に思う」
「そんな……“オリジン”が狙いだったのでしょう! 俺が“レヴァンディオール”を持ち帰ったせいで――――!」
「そう遠くないうちに、きっとこうなっておったよ」
クローディアは自嘲的に笑った。
「誰もあの子の心の内を読み切れておらんかったのだ。あの子が本気になる日が早いか遅いか、それだけのことよ」
「クローディア様……」
「本気になったあの子の力に届き得る魔法使いなど、ティタニエラにはおらぬ……私もこのざまだ。だが偶然にも、今はお前がいてくれる」
クローディアは情けなく笑って、総司に懇願するように言った。
「お前には詫びることもある。全てを打ち明けよう。だから頼む。あの子を止めてくれ、ソウシ。あの子は――――」
クローディアは恐れを抱いて少し震えながら、言った。
「あの子は、リスティリアの意思ある生命全てを……滅ぼすつもりだ……」
「は……?」
しゅるり、と木の根がクローディアの体を離れる。
壁から落とされてよろけるクローディアの体を、総司が丁寧に支えた。
「い、一体どういう……? 何をおっしゃって……?」
「言葉通りだ」
「いけません大老、まだ回復が……」
「よい、もう動ける」
褐色肌のエルフの気遣いを一蹴したクローディアだったが、まだ自分の足で立てる状態ではなかった。総司に体重を預けながら、クローディアは話を続ける。
「まず話さねばならない。私のやろうとしていたことをな……」
女神レヴァンチェスカが諦めるように勧めた、クローディアの目的。総司は今日、クローディアと話し合いの場を持った時に女神の忠告を伝えようと思っていた。
総司はクローディアの体を抱きかかえて、彼女の寝室まで運ぶことにした。傷は癒えたようだが、流した血と使い果たした体力の回復には相当の時間が掛かりそうだ。
その道すがら、クローディアは話し続けた。
「私がやろうとしていたことは、このティタニエラを世界から切り離すというものだ」
「切り離す……?」
「そうすることで、ティタニエラの、エルフの滅びを回避する……それが私の目的だった」
総司が敗北すれば、リスティリアは核であり象徴である女神を失い、滅びの道を辿ることになる。女神の死は世界の死。それは逃れられぬリスティリアの法則である、とはジャンジットテリオスの弁だ。
「範囲を絞るため……少しずつ、森に散ったエルフたちを私の近くへと集めた。そして“レヴァンディオール”が手に入った暁には……その力と、精霊の力と……そして“次元”の魔女ミスティルの力を借りて、皆を世界から切り離し、護ろうとした」
クローディアの寝室に辿り着き、天蓋付きのベッドにそっと彼女の体を横たわらせる。クローディアは総司が姿勢を低くしたとき、その頬に触れて情けなさそうに言った。
「しかし見誤った……ミスティルは“レヴァンディオール”と精霊の力を使って、ヒトの世を終わらせるつもりだ……己の憎悪が指し示すままに、この世界に破壊をまき散らすつもりだ」
「そんな……」
「どうか軽蔑してくれ……私も、お前を騙そうとした……“レヴァンディオール”を預かるフリをして、お前もリシアも連れて行こうとした」
「クローディア様……」
弱々しい手を優しく掴み、総司は彼女の名を呼ぶ。
「皆にも、お前たちにも、死んでほしくなかった……お前の旅路を無理やり終わらせ、生涯嫌われることになろうと……」
「……俺を信じてはくださらないのですか、クローディア様。俺が負けると、そう仰っている。侮辱です。俺じゃなかったら怒ってる」
「……すまぬ……」
「気にしません。俺には出来ない俺には勝てない、俺には任せていられない。そろそろ言われ慣れてきましたしね」
おどけたように言う総司の手に、わずかに力が入った。クローディアの目をまっすぐに見つめ、力強く言う。
「ミスティルは俺が止めます」
「……お前を侮辱したこの大嘘つきの頼みを、聞いてくれるのか」
「いいえ。俺を心から想ってくださる恩人の頼みを聞くんです」
「すまぬ……恩に着る……」
「ただし」
総司はバシッと強く言った。
「俺がミスティルを止めたら、今度こそ協力していただきます。“レヴァンディオール”の力を取り戻し、俺に託してもらいます」
クローディアは微笑んで、確かに頷いた。
「お前のために、力を尽くそう」
「クルセルダ諸島でしょうね」
「察しが良いな……」
「あの場所の魔力を取り込むつもりでしょう。わざわざ俺達に二度も付いてきたのは、 “レヴァンディオール”の確保を手伝うためではない。怪しまれることなくあの領域に入り、役に立ちそうな場所を選別するため、ただそれだけだ」
「……あの子を許してやってほしい」
弱々しい声のままで、クローディアは懇願するように言った。
「ヒトへの憎悪、世界への憎悪……私も抜けておった……あの子の事情を考えれば持って当然の感情を、あの子ならば振り払うことが出来たのだろうと、勝手に……此度の所業を良しとは言わぬ、しかし……あの子はずっと……」
まるで女神の視点。そう形容した彼女の本性は、きっと、意思を持つ生命にとって当たり前のものだった。
「あの子はずっと一人で……耐えてきたのだ……」
クローディアは無事だった別のエルフたちに任せて、総司は褐色肌のエルフを連れてミスティルの家へと戻った。旅の相棒と、予期せぬもう一人の道連れに向けて、力強く声を掛けた。
「クルセルダへ行くぞ!」
レオローラの看病をしていたリシアとベルだったが、既に二人は支度を整えており、いつでも出れる状態となっていた。
「行けるぞ。出よう」
「一筋縄ではいかないようにできてるのかもね、ソウシとリシアの旅は」
「手を貸してくれ、ベル」
総司が言うと、ベルはすぐに頷いた。
「どこまで役に立てるかはわかんないけどね。そもそもこのままカイオディウムに引き返したって手ぶらじゃん。それに何より」
ベルは自嘲的に笑った。
「このままミスティルとお別れってのも、納得いかないし」
褐色肌のエルフにレオローラの看病を任せ、三人は急いでミスティルの家を後にした。エルフの隠れ里では無事だったエルフたちがせっせと復興にあたっている。ショックを隠し切れない者も多くいるようだが、皆が為すべきことをわかっているのだ。
手伝いたい気持ちを押さえて、その中を駆け抜ける。武器を取り、三人で疾走する姿を見たエルフたちが、口々に声を掛けた。「ミスティルを頼む」「どうか止めてやってくれ」。誰も、「討て」とは絶対に言わなかった。間違いなく、エルフの隠れ里に破壊を齎したのはミスティルで、皆がそれをわかっているのに。彼女に対する恨みごとの一つも聞こえてこない。
何か事情があったのだと。だから、彼女を解放してやってほしいと。
「止めれば英雄だが、殺せば途端に私たちが嫌われ者ということだ。クローディア様を下すような使い手を相手に、無理難題だな?」
不謹慎にも思える口調で、リシアが言う。もちろんそれは、総司への鼓舞。そして、リシア自身の意思を相棒である総司に示す行いだ。
何が何でも“殺さず止める”つもりだが、それでいいだろう? と。総司に確認しているのである。
「無理でもやるんだよ……!」
総司は切り捨てるように言った。
「必ず連れ帰って皆に頭ァ下げさせる! その後アイツをどうするかは皆に任せる! そんだけだろ!」
怒り心頭、とはまさにこのこと。
ルディラントが終わりを迎えた直後、女神レヴァンチェスカへの怒りと不信をぶちまけた時よりもずっと、総司の怒りは激しかった。こんなに怒っている彼を、初めて見る。
「ミスティルの目的はヒトへの復讐か」
二度目の挑戦の前夜、リシアもまた、クローディアから釘を刺された場にいた。「外の世界の冒険譚をあまり話し過ぎてはならない。エルフたちが憧れてしまうと、ミスティルの母親の、二の舞になってしまう」。その忠告を確かに受けていたから、リシアもベルもミスティルの事情はある程度知っていた。
総司はリシアの言葉にうなずいて、怒鳴った。
「そりゃ憎いのはわからんでもねえけど、あんまりだ! っていうかそんな想いがあるんなら、目の前にヒトが三人もいるんだから嫌味の一つも言ってくれりゃよかったんだ! 勝手に一人で抱え込んで、こんなに愛してくれてる皆を傷つけて! ふざけんな!」
「そうだな」
総司とは対照的に、リシアは冷静に、そして気遣うような声で言った。
「聞かせてほしかったな。でも、まだ手遅れではない。止めよう」
「……甘いんじゃないの?」
まとまりかけた話を、ベルがさらりと切って捨てた。
「甘い? 何がだよ!」
「友達だと思ってるのはこっちだけでしょ。一週間ばっかの付き合いでさ、あたし達がなんのかんの説教したところで響くと思う?」
三人の中で一番冷静なのは、どうやらベルのようだ。
「決める覚悟を間違ってると思う。あたしたちが決めるべきは、たとえこちらが傷ついてでも、あの子を“止める”覚悟じゃなくて」
総司が一番言ってほしくない言葉を、ベルは迷わずに告げた。
「ティタニエラの皆に忌み嫌われようとも、世界のためにミスティルを“殺す”覚悟なんじゃないの?」