清廉たるティタニエラ 真章開演・混濁たるティタニエラ
「すみませんソウシさん……何故か体の力が入らず……」
「どうしたんだろうな、この前はそんなことなかったのに」
ジャンジットテリオスの意識から解放されたミスティルは、体に思うように力が入らず、歩けない状態となっていた。詳しい要因は不明だが、本来なら総司と女神が二人きりになるはずだった空間に、神獣の力で無理やり連れて行かれた影響ではないか、とはベルの見立てである。総司は弱ったミスティルを背負って、エルフの隠れ里まで戻ることとなった。
“レヴァンディオール”の力を取り戻す方法を模索するため、どのみちクローディアの元へ行くのだ。ミスティルを回復させる手段も一緒に聞けるだろう。
クローディアの住まう神殿に辿り着くと、レオローラが四人を出迎えに出てきて、ミスティルの姿を見てぎょっと目を見張った。
「どうした!」
「わからないんだが、ちょっと調子が悪いみたいでな。クローディア様にお会いできるか?」
レオローラはすぐに頷くと、血相変えて奥へ走っていった。
「愛されてんなぁ」
「心配をかけてしまいました……」
ミスティルはすぐにベッドのある部屋に連れて行かれた。
しばらく、滝の落ちる広間で待っていると、クローディアがやってきた。
「よくぞ無事で戻ったな。お帰り」
「クローディア様、ミスティルは?」
「なに、魔力の波長に大きな乱れもないし、以前のように底を尽きていることもない……体力的な疲労だろう」
「体力的な……」
「あの子は優秀な魔法使いではあるが、お前たちと違って跳んだりはねたりに慣れているわけではない。聞けば“レヴァンディオール”を手に入れたのだろう? 気が抜けたのだろうよ。ここ数日の疲れが押し寄せたらしい」
女神の騎士たる総司の回復力は、体力、魔力共に異常だ。一晩ぐっすり寝て大人何人分という食事を摂れば、瞬く間に全てが回復した。
しかし、ミスティルはそうではない。一度すっからかんになった魔力を回復させるのにもクローディアの手助けが必要だったし、体力的な面でも総司のような異常な回復は達成できなかった。それでも、総司とリシアの、ティタニエラにおける最後の戦いに協力するために、疲弊した体を引きずって同行したのだ。
そんな様子は全く見せていなかった。わずかな兆候すら気づけず、彼女の無理を見抜けなかった。考えてみれば当然の衰弱。リシアやベルとは違い、彼女は荒事中心の仕事もしていない中で、総司と共にクルセルダ諸島のサバイバルを生き抜いた直後なのだ。ベルは顔に手を当てて、自分に呆れたようにため息をつく。ミスティル衰弱の要因、その見立てを外したことへの自嘲である。
「馬鹿かあたしは……!」
「安静にしていれば大事ない。気に病む必要もないぞ。あの子は自分で望んでお前たちについていったのだ」
暗い表情になってしまった三人へ、クローディアは微笑みを浮かべながら声を掛ける。
「何にせよ無事に帰ってきたのだ。しかも目的をきちんと達成してな。喜ばしいことよ。しかしミスティルが言っておったが……“レヴァンディオール”、どうやら一筋縄ではいかぬようだが?」
「はい。ソウシによれば、女神さまの力を感じられない状態だと」
気を取り直し、切り替えて、リシアが報告した。腰の袋に大事にしまった銀の腕輪を取り出して、クローディアに差し出す。クローディアは指先でそっと触れて、ふむ、と真剣な表情で言った。
「手に取っても?」
「もちろんです。もとより、ティタニエラの物ですから」
「うぅむ」
優しく手に取り、くるくるとその手の中で回し、よく観察しながら、クローディアは困惑とも何ともつかない声を漏らす。
「ふむ、ふむ」
「いかがでしょう……?」
「難題だな」
クローディアが苦笑した。総司とリシアは困ったように顔を見合わせる。
エルフの大老クローディア、恐らくは総司とリシアが知る限り、最も魔法に熟達した存在だ。千年以上の知識も併せ持つ彼女の観察眼を以てして、レヴァンディオールに力を取り戻す方法が思い浮かばないとなればいよいよ手詰まりである。「では誰なら何とか出来るのか」という問いに答えを持たない。
「この場ではすぐに答えが出せん……ソウシ」
「はい?」
「私を信頼できるか?」
「ど、どういう意味でしょう? 疑ったことなんてありませんが……」
「“レヴァンディオール”を数日、私に預けよと言って、うなずけるかどうかという意味だ」
クローディアは腕輪を見つめながら、
「見た限り確かに、この秘宝は本来の力を失っておる。しかしそれを復活させる方法は、考える必要があるのもそうだが何より検証せねばならん。何かしら手順が必要であろうとは思うが、確固たる答えが見出せん。まずは一日預かり、見当がつけられるかを見定める。そして見当がつかぬとなった場合には、いったんこれを私に預けて、お前たちはカイオディウムに戻るが良い」
「カイオディウムに、ですか……?」
「この国でいつまでものんびりとはしていられんのだろう。幸い、ベル、お前はこの国の座標を知っておるようだ。カイオディウムの“オリジン”を手に入れ、そののち戻ってきた時には、何らかの答えを示せるように私も努力しよう」
クローディアは続けて、
「数日のうちに決着がつけられそうだとわかれば、この国でもう少し過ごせ。いずれにせよ明日には一度、お前たちに見解を示す。無論、時間が掛かりそうになった時にどうするかは明日決めてよいぞ」
「クローディア様のことを疑うつもりは全くないのですが……」
総司は頬をかいて、
「そうおっしゃるのであれば、まずは明日までお任せ致します。その時にもう一度話し合いを」
「結構。任された。何はともあれ、秘宝は既にお前の手の中にある。最後まで滞りなくとはいかぬようだが、一つ難題を乗り越えた。天に挑む試練の達成、見事だ」
総司とリシアが笑顔になり、クローディアも満足そうにうなずいた。
「ベル」
「はい」
「お前もよく働いた。約束は違えぬ。カイオディウムの護りとやらを突破する術、お前たちがここを発つ時に与えよう」
「……ありがとう、ございます」
そのことをすっかり忘れていた。そもそもベルは、総司とリシアの「協力者」というわけではなく、彼女自身の目的を達成するためにジャンジットテリオスへの挑戦に付き合ったのだ。リシアがさっと顔色を変えて、
「考えは変わらないのか?」
「変わるようなことあったっけ?」
ベルが情けなさそうに笑う。
「悪いけど、私はもう決めてるから。役に立てたかどうか微妙なとこだったけど、一応仕事はしたってことで」
「しかし……」
リシアがまだ何か言おうとしたところで、その肩を総司が掴んだ。
「ベル、俺との約束は覚えてるよな?」
総司には全部話す、と、ベルはかつて確かに言った。ベルは笑いながら頷いた。
「もちろん」
「……なら、良いさ。リシア、それは後回しにしようぜ。まずは目先の課題だ」
「……わかった」
納得はいっていないようだが、リシアはひとまず引き下がった。クローディアはパン、と手を叩いてこの場を締めくくった。
「さっきも言ったが、何はともあれ難題を一つ乗り越えたのだ。宴はミスティルが調子を取り戻してからにしておこう。食事はこちらで用意させる。今宵はひとまず、ゆっくりと休みが良い。ミスティルだけではなく、お前たちも疲れていることだろうしな」
クローディアの神殿で食事を摂った後は、ミスティルだけをクローディアの元へ残し、三人でミスティルの家へと戻った。
一晩寝て疲れを癒した後は、明日の午後にクローディアの元へもう一度訪問し、“レヴァンディオール”に関する話し合いの場を持つ。
天へ挑む試練をどうにかこうにかクリアして、総司もリシアも一段階と言わず強くなって、課題は残るものの“妖精郷ティタニエラ”における冒険は順調に終わりに近づいている。
総司もリシアも、そんな風に思っていた。もう既に気は抜けていて、ある意味では楽観的な心持ちでさえいた。
翌朝。
総司は、ミスティルの家の外から聞こえたわずかな物音で目を覚まし、むくっと体を起こした。ガタン、という、何かが家の壁か、入口の木造りの扉かにぶつかる音だ。
はじめは、ミスティルが帰ってきたのかと思った。しかし、家の中に入ってくる気配が一向にない。
布一枚で仕切った部屋に、総司とリシア、ベルは寝泊まりしていた。その布の向こう側でも、既にリシアとベルが起き上がっているのが物音でわかった。二人とも、今の物音を確かに聞きつけていた。
布を取っ払って、総司は言う。
「何だろう……?」
「風のいたずらだろうか……それにしてはハッキリと……」
三人とも起き上がり、連れ立って家の外へ出る。
単なる物音である。だが、三人とも何故か、漠然とした「何か妙だ」という疑念を感じていた。何故そのような疑念を抱いたのか説明は出来ない。これはある種の直感だ。
そしてその直感は、見事に当たってしまうこととなる。
「ッ――――! レオローラ!!」
ミスティルの家の前、扉の脇に、戦士レオローラが弱り切った姿で倒れていた。
「レオローラ! どうした! しっかりしろ!」
何か強力な魔力、魔法をその身で食らったようで、全身が細かい傷にまみれている。致命傷に至るような深々とした傷はないが、相当弱っているようだ。
レオローラの体を抱きかかえた総司の手に、バチっと禍々しい魔力が走る。強力で攻撃的な、正体不明の魔法の痕跡。何者かがレオローラを攻撃したのだ。そしてレオローラは何とかその襲撃者から逃れ、総司の元へと辿り着いた。
「何があったんだ……! リシア、ベル! レオローラをベッドへ運んでやってくれ! 俺はクローディア様に伝えに行く!」
リシアとベルが「わかった!」と返事をして、レオローラの体をひとまず抱え上げようとしたとき。
レオローラの腕がさっと動いて、リシアとベルの手を振り払い、総司の二の腕あたりを力強く掴んだ。弱り切っているとは思えない力強さだった。レオローラは消え入るような声で、しかし確かに総司の名を呼んだ。
「ソゥ……シ……」
「聞こえてるよ。もう喋るな。少し休め。後のことは俺達に――――」
「きっと……君しか……無理だから……」
「レオローラ、もういい、わかったから……」
「頼む……あの子を……」
総司の腕を更に強く、強く握り――――絞り出すように、レオローラは告げる。
「ミスティルを……止めてくれ……」