清廉たるティタニエラ・第八話⑥ 笑顔の少ない再会
「意外と過保護なのね、ジャンジット。わざわざついてきたの?」
『やかましい。イイところで水を差してくれる。下界のことは任せておけば良いだろうに』
総司がハッと気づいたときには、目の前で二人が既に会話していた。
ミスティルの体を再び乗っ取ったジャンジットテリオスと、レブレーベントで会って以来となる「女神」。
レヴァンチェスカはクスクスと笑いながら、ジャンジットテリオスの不満げな言葉を聞き流し、気が付いたらしい総司へとその視線を向けた。
見た目の年齢にそぐわない相変わらずの妖しい笑み。ほのかな色気すら感じさせる彼女の見知った笑顔を見て、総司は――――
唇を真一文字に結び、眉根にしわを寄せ、険しい表情で見つめ返した。
「……久しいわね、総司。強くなったわ。力も、心もね」
「レヴァンチェスカ」
『止せ』
総司の声色は強く、そして厳しかった。総司がダン、とあまりにも強い一歩を踏み出したことに何を察知したか、ジャンジットテリオスが総司の隣にさっと移動した。総司と同じくレヴァンチェスカに向き合うように立つと、ミスティルの細腕を伸ばして隣にいる総司の胸元を押さえ、押しとどめる。
『何を怒っているのか知らんが、何にもならんぞ』
「止めないでくれ」
『どうせさほど時間はない。余裕そうに見えてもな。無駄に使うな』
「無駄なんかじゃないんだよ!」
叫び声を上げて、総司が火の出るような目でレヴァンチェスカを睨んだ。
「ルディラントに行ってきたぞ」
「そうではないかと思っていたわ。リスティリアから数日の間、あなた達は確かに消え失せていた。サリア峠の先でね。やはりランセムの仕業だったのね」
「千年前の話も聞いた」
「……そう」
「その終わりを、この目で見てきた。千年前の終わりと、今の終わりを」
「……ランセムは」
レヴァンチェスカの口元に、悲しい笑みが浮かんだ。
「きっと、喜んだことでしょうね」
「お前――――!」
『止せと言うのに』
前に出ようとする総司の体を押さえつけて、ジャンジットテリオスが諫めるように言った。
女神レヴァンチェスカは、総司が“オリジン”の獲得に近づいた時、その姿を現す。女神にとって、総司が手にする“オリジン”の数は、救世主の成長を示す指標だ。女神救済の旅路に必要となるであろう「女神の騎士の力」、その封印を解いても彼が十全に扱えるか、正しく扱えるかを見定める目安となっている。
レブレーベント以来、久々に出会った総司と女神であるが、その関係性に以前のような親しみがなくなっており、亀裂が入っていることは間違いなかった。
クローディアが言った通り、女神は下界の諍いにいちいち首を突っ込めるような立場にはないのだろう。そもそもの価値観が大きく違うだろうし、女神にとっては全ての生命が平等だ。そして彼女はとりわけ「愛が深い」からこそ、邪悪なるものも含めて全てを愛そうとし、千年前も今も、その愛が届かなかった何者かによって脅かされている。
頭ではわかっているのだ。既にルディラントの滅びは過去のこと。終わった物語。今更女神に何を言ったところで、その現実が捻じ曲がるわけがない。
「そろそろ俺にちゃんと、肝心なことを教えろ。敵は一体どういう存在で、俺に一体どうしてほしいのかちゃんと言えよ!」
総司の憤激を、レヴァンチェスカは静寂な瞳で受け止めていた。
「あなたの憤り……やり場のない怒り……一応、理解はしているつもりよ。きっとそうなるだろうとも、思っていたわ。けれど、私はあなたに託すしかないの」
きわめて冷静に、穏やかに、レヴァンチェスカは告げる。
「あなたにしてほしいこと、あなたへの“お願い”は変わっていない」
総司にも予想外だったが、レヴァンチェスカはすうっと、品よく、丁寧に頭を下げた。
その姿には見覚えがあった。
リスティリアとも、総司の元いた世界とも判別のつかない、二人きりで過ごしたあの時間。
荘厳な大聖堂のステンドグラスを背景に、消えゆく体でレヴァンチェスカが示した「懇願」の姿勢だった。
「どうかリスティリアを、救い給え」
「ッ……卑怯だ……! 俺が今更降りられないのをわかっていて……!」
『レヴァンチェスカ?』
どうにも収まりのつきそうにない総司と、かつての懇願を繰り返すしかないらしいレヴァンチェスカを見かねたか、ジャンジットテリオスが口を挟んだ。
『時間もないだろう。私も読み切れない“敵”、その正体。既にわかっているのならそれだけでも教えておけ。最後に討つべき存在がどのようなものか、早めにわかっていても損はなかろう』
ルディラントの話を続けてしまえば、総司とレヴァンチェスカの考え方はいつまで経っても交わらない。神獣が示すのは、せめてこの時間を総司にとって有意義なものにしたいという考えの元に導いた「落としどころ」というやつである。
「……言いたくないわ」
「いい加減にしろ!」
「だって、言ってしまったら」
レヴァンチェスカは怒り心頭の総司をじっと見つめて、呟くように言った。
「きっとあなたは――――」
空間全体に強烈なノイズが走った。
あまりにも不愉快で、総司は反射的に耳を手で覆ったが、どうやら不愉快なノイズは脳内に直接響いているようで、全く効果がない。
流石のジャンジットテリオスも、この奇妙な音には不快感をあらわにした。
『チッ――――! オイ、手短に済ませろレヴァンチェスカ! 時間がない!』
「大丈夫よ。既に救世主に与えた枷の一つは封印を解いた。二つ目の力は、総司に返したわ」
「そいつはありがたいが、間違えんなよ、レヴァンチェスカ……!」
不愉快なノイズの中で、唯一平然としているレヴァンチェスカに向かって、総司が言葉を絞り出した。
「三つ目だ……! 二つ目はもうもらった!」
「……ええ、そうね、ごめんなさい」
穏やかにそう謝るレヴァンチェスカは、にこやかに笑っていた。総司に怒りの感情を向けられても、彼の成長を心から喜んでいるように。
「今回は無理やり過ぎたわね。あなた達の戦いに割って入るために力を使い過ぎた。おかげで余力がないわ。ジャンジット、あなたが遊びすぎるせいよ。さっさとレヴァンディオールを渡してあげなさい。もう充分でしょう」
『わかっている!』
空間に亀裂が走り、今にも世界が砕けそうな不吉な振動を感じた。ジャンジットテリオスは焦った様子で言った。
『おい、本当にそれで終いか、それでいいのか!』
「あぁ、そうね、もう一つだけ」
亀裂が広がり、空間が広がり、レヴァンチェスカとの距離が大きく遠のいた。
上も下もわからない不思議な空間の中で、自分の体が「落下する」のを感じた。
その浮遊感の最中で、総司は確かに聞いた。レヴァンチェスカの言葉を。
「クローディアに伝えておきなさい。あなたのやり方ではきっとうまくいかないから、今のうちに諦めるように、って」
『我が主人ながら呆れるぞ頑固者め――――!』
「ジャンジット」
総司の意識が遠のく。ミスティルの細腕が、総司を捕まえようと伸びてくるのが最後に見えた。そして――――
「これからも総司をよろしくね。では総司、また会いましょう。愛してるわ」