清廉たるティタニエラ・第八話⑤ ジラルディウス・ゼファルス
リシアと祖父の確執は、両親がカイオディウムの暴動に巻き込まれて以来、消え去ることのないまま現在に至っている。
伝承魔法“ゼファルス”の力を、世代を一つ飛ばして色濃く受け継いだリシアは、祖父から可愛がられてはいた。だが、その愛情がリシアの両親へ、つまり祖父からすれば我が子であるはずのリシアの父と、その生涯の伴侶へ注がれることはなく。
聖職者として、その中でも優れた魔法の使い手としてカイオディウムの「上」に住まう祖父と、蔑ろにされたまま「下」へ墜とされたリシア一家の溝は埋まらなかった。
それでもリシアは幸せだった。幼い頃の記憶は、忌まわしき別れの日を除けば、貧しくとも幸福に満ちていた。祖父はしきりにリシアを「上」へ来させようとしたが、リシアは断固として拒否し続けた。両親も共に上がれないのなら意味はないと、祖父の申し出を頑なに拒んだ。
両親が死んだあの日、祖父は何もしなかった。
何もしなかったどころか、ようやく邪魔者がいなくなったとばかり、リシアの元へと詰めかけ、自分の元へ連れて行こうとした。
リシアがカイオディウムを出奔し、隣国レブレーベントへと渡ったのは、家族を「自らが誇る伝承魔法を受け継ぐ道具」としか見なしていない祖父との縁を断ち切るためだ。両親のいない祖国に最早価値はなく、幸福だった頃の記憶を塗りつぶす「最悪の記憶」と共に祖国を切り捨てた。
その時、伝承魔法ゼファルスの才能もまた、リシアの心の奥底で扉を閉ざした。
まだ幼かったリシアにとって、そして貧しい「下」の住人であったリシアにとって、当時は両親こそが世界の全てであり、リシアの愛が向けられる唯一無二の存在だった。
それほど大切な存在を護れもしない、意味のない才能。しかも自分が最も嫌う人物と同じ力である。リシアにとって、それがどんなに忌まわしく許しがたいことだったか。
恐らく人生で最も多感な時期であろう十歳前後の時の記憶が、それから八年の歳月が流れた今もまだリシアを縛り付けていた。幼く素直な心に刻み込まれた、自らの持つ力を忌み嫌う本能に近い激情は、歳月を経てもリシアを決して解放しなかった。そしてゼファルスの魔法に限らず、通常の魔法や剣術、そして学問においても秀でた才能を有していたリシアにとって、伝承魔法に無理に頼る必要性も生じていなかった。
だが、今は。
「――――まずは私か、ジャンジットテリオス」
天空の覇者、リスティリアの空を制圧する強靭なる生命の眼光を真正面から受け、しかしその圧倒の輝きにわずかも臆することなく。
剣をすうっと顔の前に構えて、リシアは不敵に笑う。
クルセルダの島々は、再び挑戦する女神の騎士とその仲間を迎え撃つため、一度目の時と同じく消え去っていた。
白亜の塔を頂点まで登った先、あの卵型の不可思議な建造物の上で、ジャンジットテリオスは既に臨戦態勢。総司たち四人の挑戦を真っ向から受け止めるべく、翼を広げて待ち構えていた。デブリのように浮かぶ岩の上に分かれて飛ばされた四人のうち、ジャンジットテリオスがまず最初にその鋭い眼光で射抜いたのは、総司ではなかった。
総司を二日間にわたって追い込み、鍛えたのは、他ならぬかの神獣である。総司が最初の戦いよりはマシになっているということぐらい、ジャンジットテリオスは既に知っている。
かの神獣が見極めようとしているものは既に、救世主の力量ではなく。
ウダウダと「くだらない」感情に沈み込み、一歩も前に踏み出せずにいた、実に情けない救世主の相棒。彼女が得た答え、その価値。
「心配無用だ――――これ以上ソウシに気を遣わせるのは、私も願い下げだからな」
ほんの一瞬、目を閉じる。
脳裏によみがえる忌まわしい記憶と、未だ心に深く残る激情の渦を超えて。
“そういうもんだろ、相棒ってのは”
彼らしくない「激励」の言葉の数々が、一番前まで躍り出た。
発動を確信し、あらゆる葛藤を断ち切り、リシアは高らかに告げた。
「“ジラルディウス・ゼファルス”!!」
一度目の戦いで見るも無残に蹂躙され、ほとんど一瞬で吹き飛ばされてノックアウトされてしまった総司は、ジャンジットテリオスが「大きく弾かれ、態勢を崩す」様を、この時初めて見た。
空を切り裂き突撃したリシアの一撃は、ジャンジットテリオスを傷つけるには至っていなかった。鋼のように強靭な、くすんだ銀の鱗に覆われた腕で、ジャンジットテリオスは確かにリシアが振りかざした剣を受け止めた。
しかし、ジャンジットテリオスの膂力ですら勢いを殺しきれないほどに、リシアの突撃は凄まじかった。
細かく縦に筋が走り、見るからに細かく分離が出来そうな「機械仕掛けの翼」、戦闘機の両翼のようなそれを背に装着し、普段のリシアからは信じられないような莫大な魔力を放出しながら、彼女は天を自在に飛んでいた。左腕には青銅色に白の十字が入った縦に長い騎士の盾を携え、身に纏う鎧もわずかにデザインが変わり、同じく青銅色の金属で補強されているように見えた。
リシア・アリンティアスが受け継ぐ「伝承魔法」“ゼファルス”、その真髄。
地を這うヒトに天へ至る翼を与える魔法、光機の天翼“ジラルディウス”。リシアが持つ最大最強の魔法である。
「おおおカッケぇぇぇ!」
目を輝かせて総司が笑った。青少年のロマンを具現化したような姿は彼の童心をくすぐってやまない。そして彼の程近くに立つミスティルは、全く別の意味で驚愕し、リシアの姿に目を奪われていた。
「伝承魔法……? 本当に……!? アレはそんな次元じゃ……!」
「ソウシ!」
リシアが総司の近くまでギュン、と飛んで声を掛けた。
「ジラルディウスは使えたが、流石に一人では無理だ! 私たちで押すぞ! ベルとミスティルは後方から援護を頼む!」
「おうよ! 盛り上がってきたなァオイ!」
「いや援護って言ってもあたしに何が出来るって話じゃん? 要らないでしょ多分」
「ダメですよベルさん、お仕事しなきゃ!」
デブリのように浮かぶ岩を蹴って、総司もまた神速で跳躍する。その姿を、これまでただ呆気に取られて眺めるだけだったリシアが、肩を並べるようにして追いかける。
二人を迎え撃たんとジャンジットテリオスが王者の咆哮をぶちかます。
しかしその咆哮は、どこか喜んでいるようにも聞こえた。
総司の剣とジャンジットテリオスの鋭い爪がぶつかる。
そして今度は、押し負けない。
蒼銀の魔力を解放した総司は、しかし今までのように「ただ魔力を垂れ流している」だけではない。クルセルダ諸島の最奥、女神と接続する聖域において、格段に「自分の魔力をつかむ」ことがうまくなった総司は、神獣の膂力と真正面から激突しても、互角に近いレベルで張り合うことが出来た。
「ぬぐっ……!」
が、そこはやはり「神獣」相手である。女神の騎士よりも格上、女神の意思そのものを具現化したとも謳われるリスティリア最強の生命体だ。互角に見えた力のぶつかり合いも、長引けばその差は歴然と目に見える。
彼がひとりで戦っていたなら、やはり勝ち目など最初からない戦いだ。しかし前回とは違って――――
「ハッ!!」
此度はちゃんと、相棒がいる。リスティリアの救世主と肩を並べるに足る相棒が。
翼の加速で勢いをつけたリシアの一閃は、総司の本気の一撃に迫る威力を誇っていた。直線で加速し突撃することでしか実現できない威力であり、リシアの攻撃もまた一対一では今ほどの効果を発揮しなかっただろう。相対する強大な敵が、総司の攻撃を受け止めざるを得ないからこそ、リシアの攻撃にもまた意味が生まれる。
ジャンジットテリオスは二つの強烈な一撃を押しとどめることは出来ず、金属が激しくぶつかるような音と共に弾かれ、翼を広げて二人から距離を取った。
口を開き、あの強烈なビームのようなブレスを繰り出そうと、ジャンジットテリオスが魔力を増大させる。リシアはすぐさま総司を抱えて空中に躍り出た。岩を蹴るだけの直線的な動きでは捉えられるかもしれなかったが、リシアの自由自在な飛翔であれば回避できる可能性が格段に上がる。
しかし、ジャンジットテリオスの攻撃は不発に終わる。
リシアのような速度は到底実現不可能だが、ベルもまた風を操り空中を動ける魔法の使い手だ。
そのベルに抱えられて距離を詰め、総司とリシアを巻き込まぬよう射線を調整していたミスティルが、古代魔法“星の雫”を放った。その気配をジャンジットテリオスが察知した。
すんでのところで、強烈な魔法の矢をかわし切る。
以前、ミスティルの魔法は正面から撃ち負けて粉砕されてしまった。ジャンジットテリオスにとって脅威はミスティルの魔法だけだったために、容易く警戒され、対処されてしまった。だが今は前衛の二人が無視できない脅威へと成り上がったがゆえに、ミスティルの魔法も勝負を決め得る決定打としてジャンジットテリオスを脅かしている。
「くーっ……」
リシアに下ろされ、岩の上に着地した総司は、神獣とのかち合いの衝撃が未だに残る手を握り、苦笑する。
「やっぱ強えな……!」
「地に伏せる姿の想像がつかん。天空の覇者、まさにだな」
「けど、全員でやれば届かない相手じゃない。もう一回行くぞ!」
総司の号令で、リシアが再び機械仕掛けの翼から魔力を拡散させ、再度の突撃の姿勢を取った。二人の気迫を感じ取り、ジャンジットテリオスも迎え撃つ姿勢だ。
強大な三つの力の激突、その合間の隙を見逃さないよう、ベルとミスティルの集中もまた高まる。
しかし、「天を墜とす」挑戦は、思わぬ形で水を差されることとなった。
最初に気づいたのはミスティルだった。大地から遠く離れた遥か天空にある、この決戦場に、白く輝く不可思議な球体が出現し、皆の周りをかなりの速度で旋回し始めたのを見た。
「えっ――――?」
続いてリシアが気づき、ジャンジットテリオスへの突撃を取りやめ、総司を護るように彼の傍に寄った。
「何だ……? ん……いや!」
白い光の球が発する魔力を感じ取り、リシアがハッと目を見開く。
リシアにも覚えのある魔力の気配。
たった一度だけ、レブレーベントの「シルヴェリア神殿」でほんの一瞬だけ触れ合ったことのある力だ。
見れば、ジャンジットテリオスが空中で微動だにしていなかった。魔力によって浮いているらしいが、その姿からはどこか生気が感じられない。
かと思えば、ベルに抱えられたミスティルが一瞬、かくんと意識を失った。ベルも当然そのことに気づき、げっと焦りの声を上げる。
「ちょっと待って、あんたまた!」
『えぇい、あのおてんばめ、余計な真似を……思っていたより余裕があるようだな……!』
光の球はすうっと全員の中心近くに浮遊し、止まると――――光の規模を拡大し、全員を包み込んだ。