清廉たるティタニエラ・第八話③ 風に消える呟き
水晶樹が静かに揺れる。巨大な枝がざわめき、ゆっくりと動いて、二人の周囲が様相を変える。
木々の間から、二人よりもわずかに高い位置から、蒼と白のバトル・ドレスを纏う少女が姿を現した。短い金髪と際立って端正な顔立ちが特徴的な、ある意味では見知った少女。
「お久しぶりです。逢引きを邪魔するつもりはなかったのですが」
「アレインは『仕留めた手ごたえはない』って言ってたっけな、そういや。まさかこんなところで再会するとは思ってなかったけど」
総司の言葉を聞き、リシアも理解した。
レブレーベントの王都・シルヴェンスで、総司と共に行動していた女王を襲撃し、その手にある“悪しき者の力の残滓”、その黒き結晶を奪おうとした賊。
その時は、王女アレインが救援に駆け付け、圧倒的な力で瞬く間に撃退した。死神のような仮面をつけた不吉な大男と金髪の可憐な少女という、いびつな二人組――――ディオウとカトレア。
リシアはレヴァンクロスを抜き放ち、臨戦態勢を取った。総司に対して決して好意的ではないのは明らかだ。しかも、再会したこの場所はレブレーベントとはわけが違う。
千年もの間、ヒトが踏み入ることのなかったリスティリアきっての秘境・エルフの楽園ティタニエラである。そう簡単に侵入できる場所ではなく、それが許されることもないはずだ。
軽々とティタニエラの奥、大老クローディアを中心として成立するエルフの隠れ里付近まで侵入してきたカトレアは、その事実だけで相当の実力者であり、同時に、外界の者が簡単には触れられないであろう情報を持っている存在であると容易く推測できる。
「こちらに戦闘の意思はありませんよ、アリンティアス団長」
カトレアは冷静に、にこりともせず言った。
「此度はまさしく偶然ですので。流石にあなた方二人を相手取ってしまえば、私に勝ち目もありませんし」
「アイツはいないのか」
カトレアと共に行動しているらしいもう一人、ディオウの所在を聞く。ディオウの魔力の気配は今のところ感じられないが、王都シルヴェンスにおいても、彼は突然現れ、総司の隙をついて女王に迫った。
魔力の気配を悟らせることなく奇襲を仕掛ける術を持っている。だが、カトレアはわずかに首を振る。
「お互い別の仕事が入っておりましたので」
「……その仕事ってのは、誰から与えられたものなんだ?」
「さて――――答える義理も、理由もない」
カトレアの目が細く、鋭さを増して、総司とリシアの胸元を射抜いた。
「……ルディラントの……」
リシアが目を見張り、慌ててカトレアに詰問する。
「何故知っている」
「歴史書をいくつか読めば、かつてのルディラントの紋章などいくらでも」
カトレアは下らなさそうに言った。
「しかし想定外でもある。なるほど……レブレーベントを出た後、あなた方を見失ってしまいましたが……そういうことですか」
「つけるつもりだったわけだ」
総司が一歩前に出た。カトレアがわずかに身をこわばらせ、警戒を露わにする。
「レブレーベントの時は料理屋だったもんなァ。でもここなら誰もいねえ」
リバース・オーダーを抜き放ち、カトレアに向けて、総司が厳しい目つきで問いかけた。
「答えてもらうぞ。お前の目的と、知っていることを全部」
「あの時の会話を覚えているのならば、もう一つ思い出してほしいものです。あなたの旅路の果てに、あなたの望む結末はないと確かに伝えたはずでしたが」
「そんなことも言ってたっけ。わかった、そっちも詳しく聞かせてもらおうか」
総司がカトレアに向かって突撃しようと、ぐっと構えた瞬間――――
がさっと、背後で音がした。
総司とリシアが同時にばっと振り向いた先に、ベルとミスティルがいた。
「びっくりしたぁ。急に動き出すんだもん。ミスティルの話じゃもうちょっと時間あるんじゃなかったっけ?」
「そのはずだったんです! 私も予想外ですよぉ、水晶樹の動きが急に変わるなんてぇ」
二人は水晶樹が動き出し、道順が変わってしまう前に総司とリシアを迎えに来るつもりだったようだが、何故か、基本的には規則正しく動くはずの水晶樹が想定外の動きをしたために、慌てて二人の元へとやってきたようだ。
総司が再びカトレアがいた場所へ視線をやった。当然、この隙を逃す女でもない。カトレアはもうそこにはいなかった。
「あれ? 誰かいなかった?」
ベルが不思議そうに聞いた。総司とリシアは顔を見合わせて、仕方なさそうに笑った。
「いいや。葉っぱでも見間違えたんじゃねえのか」
「迎えに来てくれたんだな。ありがとう」
「……別にいいけど」
ベルは胡乱な目つきで二人を見たが、すぐにニヤリといたずらっぽい笑みを浮かべる。
「なになに。ちったぁマシになったの」
リシアにささっと近寄ってベルが聞いた。リシアは微笑んで、
「ああ。手間を掛けさせたな」
「……もしかして、キスでもした?」
「はあ?」
想定外の質問に、リシアは素っ頓狂な声を上げ、続いてわずかに顔を赤らめた。しかしすぐに冷静さを取り戻した。
「馬鹿なことを言うな。そういう間柄ではない」
「なぁに、じゃあ喋っただけで解決したわけ? 意外と単純なんだ」
「……事実だが、ベルに言われると無性に腹が立つのは何でだろうな」
「図星だからじゃない?」
リシアは無言で素早く手を伸ばし、ベルの頬をわずかにつねった。
「やぁめぇてぇ」
「全く……感謝の気持ちも薄れる。さて、そろそろ里に戻ろうか。クローディア様への謁見も叶う頃合いだろう」
合流した四人は連れ立って、水晶樹の森を後にした。
気配を消したカトレアが、その背中を見送っていることに気づかないまま。
魔力の気配を敢えて隠さなかったのは、確かめるため。彼らが、カトレアの目を逃れていた数日間、一体どこで何をしていたのかを。
服に刻まれた紋章と、総司とリシアの反応を見れば、カトレアの予想は確信に変わった。
女神の騎士、この世界の救世主たる彼は、彼が思っているよりも遥かに順調に、その旅路を歩んでいる。
「……もしかして……」
カトレアは一人、誰にも聞かれることのない、意味のない呟きを、水晶樹のさざめきに乗せた。
「止めてほしいのですか……? 我が主よ……」