清廉たるティタニエラ・第八話② 予期せぬ再会
ティタニエラの大自然を利用した隠れ里は、ただ見て回るだけでも面白いし、何より目に映るすべての光景が幻想的だった。機械文明の発展がほとんどなく、代わりに魔法をふんだんに使った生活様式をしているおかげもあってか、隠れ里の周辺もほとんど手つかずの自然の環境となっている。透き通る水の流れる渓流や、うごめく木々が創り出す天然の迷路などなど。たった半日では、全てを楽しむにはあまりにも短い。
無論、ベルはただ遊ぶために二人を誘ったわけではない。ミスティルに案内された「水晶樹の迷宮」で、ベルは敢えて土地勘のあるミスティルと組んで、総司とリシアを二人きりにして引き離した。
水晶樹はティタニエラの森でしか見られない特殊な木で、樹木の節々に水晶が構成されており、その部分が高い魔力を内包する。一本一本が巨大に成長し、しかも無数の枝を持つ。その枝はエルフが歩ける通路にもなるが、定期的に動くがために、煌めく水晶の光の中で幻想的な光景に目を奪われていると途端に迷子になってしまう。その特性から「迷宮」の名を冠することとなった。
ただし枝の動きはある程度の規則性があり、ミスティルはその動きをほとんど読み切ることが出来る。総司とリシアから多少離れても、二人の魔力を感じ取ることが出来ればそこまで辿り着ける。また、里のエルフたちもこの迷宮については熟知しているようで、あちこちに印めいた布がまかれていたりする。
「お優しいのですね」
ミスティルがニコニコと笑って、小細工を施したベルへと声を掛ける。ベルは苦笑して肩を竦めた。
「いつまでもウダウダ、めんどくさいじゃん」
一方の総司とリシアは、二人とはぐれてしまったものの、特に慌ててはいなかった。
短い付き合いとはいえ、二人きりで過ごす時間が旅のほとんどを占めていた救世主とその相棒である。リシアの様子がどこかおかしいことは、総司も既に気が付いていたし、リシアもまた、ベルが気を遣ってくれていることに気付いていた。
「エルフの生活も、俺達とあまり変わらないんだな。飯は多少気を遣ってくれてるらしいけど。肉はあんまり食べないんだってさ」
「カイオディウムからこちらまで、ベルの言う通り息をつく暇もなかったが……そうだったな」
リシアは苦笑して、
「我らは実に千年ぶりにティタニエラを訪れたヒトなのだった」
「スヴェンとサリア以来のな」
カイオディウムで起きた予想外の出来事と、それを成し遂げたベルの尋常ならざる執念。転移魔法は行き先を指定しなければ当然ながら発動しない。デミエル・ダリアの強力な魔法の後押しがあったとはいえ、ベルは何としてでもティタニエラに辿り着くという強い望みを抱いていた。
彼女にもまだ隠していることがあり、それを聞き出すのは困難を極める。
「エルフたちはもっと敵対的かもしれないと危惧していたが、大多数はそうではなかったな」
「やっぱり仲が悪いのか、エルフとヒトは」
「仲が悪いというわけではない。さっき言った通り、ほとんど交流がないからな。しかし、エルフにとって、ヒトが多すぎる場所の魔力は基本的には不快というか……例えるなら、我々にとっての蒸気機関の排気に近いものと聞く」
「へえ……まだ俺達三人だけだから、影響は少ないって感じかね」
「自然と共に暮らすエルフたちは、外界からの隔絶を選んだ。これは千年前の事件をきっかけとした流れではなく、はるか古より続く歴史だ」
ヒトがはびこる世を捨てて、秘境の森と共に生きる。その中から飛び出そうとしたミスティルの母は、悲惨な末路を辿ってしまった。
ミスティルの異常性は、クルセルダ諸島で過ごした二日間で十分わかった。女神の視点に近しい、ある種の達観と、エルフにしても強すぎる魔法。彼女の特別さは疑いようもない。
予想外の転移の先で出会ったエルフが彼女であったこともまた、クローディアの語る「千年の時を経た」運命なのか。ミスティルというピースがなければ、ティタニエラにおけるオリジンの探索、その道がこれほど整然としていることもなかっただろう。
ここまでの展開も含めて、女神の思い通りなのか。レブレーベントで言葉を交わして以来、彼女の気配の片鱗すら感じられることはなかった。
「それで、リシア」
「ん?」
「俺に言いたいことはないのか」
ひときわ巨大な水晶樹のふもとに辿り着く。
きらきらと輝く不可思議な虫たちが踊り、二人の周囲を穏やかな様子で旋回していた。深い森の中にあって、その虫たちと、虫たちが放つ光を反射する水晶のおかげで、迷宮の中が暗いということはなかった。柑橘系の爽やかな香りがあたりを包み、どこかで果物も自生しているとわかる。
「……己の望みを探し叶える旅から、逃げてはならない」
「そうだ。見ていらっしゃるからな」
ルディラント王が最後に残した言葉。決して総司にだけ向けた、空の器の救世主を諫めるための言葉ではなかった。王は確かに、リシアの名も力強く呼んだ。
「自分で見つけ、自分で望まなければ意味はない。それはわかっている。だが――――私はその過程に矛盾がある」
「……と言うと?」
「死力を尽くしてお前を助ける。それが私の望みであることに偽りはない。だが、お前を助けるためには――――望まない力を、使いこなさなければならない」
矛盾し両立しない願望。
どちらもリシアの本心だった。総司の助けになりたいという強い想いと同じぐらいに、ゼファルスの真の力を使いたくないという想いがあった。
心にある矛盾した二つの望みは決して両立しないがゆえに、後はリシアがどちらかを切り捨てるだけだ。
その選択を総司にゆだねるわけにも、当然いかない。リシアはそう頑なに決心していた。
「わかっていても、ダメだ。情けない限りだ。王ランセムの仰った通り、口先ばかりで、私にはどうしても――――」
「なら」
己を得るためには、自らが望みを持つほかない――――それ自体は間違っていない。
しかし、大事なことを見落としていた。
「俺が言ってやる。俺のために使え、リシア」
悩みを抱えた時、一人で全て何とかしようとする必要もないのだ。最後に決めるのは自分だが、誰の助力も受けてはならないということはない。
総司とリシアは正しく救世主とその相棒。志を同じくする二人にとって、互いの悩みは互いの問題だ。
責任を押し付け合うことなく、共有出来る存在であるはずだ。
「レブレーベントで、ルディラントで、もう充分痛感してる。俺にはお前の助けがいる」
真剣な表情で、リシアから目を逸らすことなく、総司は言う。
「お前には感謝しかない。お前が一緒に来てくれなきゃそもそも俺の旅路は、レブレーベントの端っこで詰まって、そこまでだった」
「そんなことはない」
「いいや、ある」
リシアの遠慮がちで弱々しい否定を、バシッと強く跳ね除ける。
「俺がここまで来れたのは全部、リシア・アリンティアスの功績だ。リスティリアの常識も何も知らねえ、情報源としちゃなんの役にも立たねえ俺を引っ張って、三つ目の“オリジン”に手が届くところまで連れてきてくれた。口先ばかりなもんかよ。お前以外の誰にこんなことが出来る」
ルディラントで、女神への怒りと失意に沈む総司の手を、リシアが優しく握ってくれたように。
総司もリシアの手を取り、力強く握る。
「お前が自分の力をどうしても好きになれないなら、代わりに俺が好きになる。価値あるものだと俺が認める。お前が俺を支えてくれるように、俺もお前を支える。そういうもんだろ、相棒ってのは」
聡明すぎるが故に、自分で納得できなければ誰に何を言われてもその頑なさを絆すことが出来ない。
クローディアはリシアの人となりを、今苦悩する彼女をそう形容した。そしてその見立ては間違っていない。
クローディアには全てお見通しだった。リシア本人ですら動かせない彼女の心を動かせる存在がもしいるとすれば、それは一人しかいないのだろうと。
「……ふふっ」
数秒の沈黙の後、リシアは呆れたように笑った。
自分に呆れ果てたその笑顔はしかし、どこか晴れやかでもあった。
「何だよ。似合わねえのは承知だっつの」
「いや、そうではないよ」
照れ臭そうに拗ねる総司へ、リシアは首を振って答える。
「頑固な自覚も、堅い自覚も多少はあったが……思っていたより単純らしくてな。それは今の今まで知らなかった」
言葉一つで覆るほど、自分の心の奥底にある嫌悪感は単純なものではないと決めつけていた。総司を支えたいという気持ちを上回りかねないものだと勝手に思い込んで――――
いざその時が来てみれば、何と呆気ないものか。自分の単純さに呆れる。
そして、そこまで総司に言わせなければわからない自分の愚かさにも。
賢い女だなどと過ぎた言葉である。リシアもまた、悩める年頃の乙女でしかないのだから。
「……そうだな」
わずかに頷き、リシアは総司の目を見つめ返した。
「支えてくれるか、私を」
「俺だけじゃなくお前が折れても、女神救済の旅路は終わりだ。頼むぜ、相棒」
つきものが落ちたような顔のリシアに、総司もまた満足げに微笑む。
うまくいくかどうかまではまだわからないが、最も大きな問題が一つ、解決のきっかけをつかんだ瞬間だった。
「……ところで」
総司の笑顔が消える。リシアもまた真剣な表情で頷いた。
「わかっている」
リバース・オーダーの柄に手を掛ける。
総司とリシアが二人きりになり、話をしている間、ずっと二人を見つめる何者かがいた。
しかも、リシアにはその気配に覚えがないが、総司は知っている。レブレーベントで二度邂逅した、覚えのある魔力の気配。
「出て来いよ、カトレア」