清廉たるティタニエラ・第七話③ 想定以上の幸運
大老クローディアに事の経過を報告したリシアとベルは、クローディアから予想外の言葉を聞くこととなった。
「では、手に入れたも同然だな」
「ど、どういうことでしょう?」
「なに、簡単なことだとも」
クローディアが住まう神殿の、滝が落ちる謁見の間において、クローディアは相変わらず優雅に佇み、少しも焦りの表情を見せていなかった。
「流石の私も、神獣の心の内を全て理解できるわけではないが、二つに一つと思っていた。まさに決戦となるか、神獣がお前たちを気に入るか……此度は後者であったというだけのこと。ジャンジットテリオスは、最初からレヴァンディオールをお前たちに渡すつもりだ」
ジャンジットテリオスは試練を与えたが、総司とリシアに対して敵対的な存在ではなかった。クローディアにも読み切れなかった神獣の意図が明らかになった以上、オリジンは既に二人の手にあると言っても過言ではない状況だ、というわけだ。
クローディアは口元に手を当てて、リシアとベルが遭遇した状況に思考を巡らせる。
総司とリシアの目的が達成されることは、クローディアにとっても優先すべき事項だ。そしてそれは首尾よく進むらしい。それは、クローディアの先見の明を以てしても予想外のこと。
ルディラントで総司とリシアが得た経験、王ランセムが千年の時を超えて救世主の心に刻み込んだこと。その証はクローディアを容易く懐柔したばかりか、神獣ジャンジットテリオスをすら墜として見せるに足るだけの価値を持っていた。
ジャンジットテリオスは総司とリシアの弱さに呆れたというが、しかし、それはジャンジットテリオスが二人の力を見定めるべきだと判断したからこそ辿り着いた問題点だ。
既に器を認めたからこそ、その信念を認めたからこそ、神獣はわざわざ二人を手ずから鍛えようとしてくれている。
異世界から呼ばれた救世主に足りないもの――――しかし、今は足りなくてもいいもの。本人が足りないことを自覚していれば、今はそれで十分なもの。
誰かが示さなければならなかった。与えられた使命に踊るだけの、しかもそれを当然のように受け入れるお人よしである彼が、誰にもヒントを与えられないままでは至ることのできない道筋。
恐るべき、そして喜ぶべき大誤算である。
クローディアは笑う。やってくれたな、とばかりに。
ルディラントへの心付け、かつての盟友の意に沿うために、総司とリシアを支援するとなれば、偉大なる王ランセムが与えた以上のものを与えねばならない。これはとんでもないハードルを用意してくれたものだと、クローディアは笑ったのである。
「クローディア様?」
そんな心の内など知る由もないリシアは、遠慮がちに声を掛ける。クローディアを大きく失望させてしまったかと危惧していた彼女だったが、クローディアの心の内はもちろん真逆。これ以上ない展開に、クローディアの気合も入りなおすというものである。
「あぁ、気にせずともよい。ソウシのことはひとまずジャンジットテリオスに任せるとしよう。なに、悪いようにはするまい」
「はっ……」
「ふふっ」
クローディアはリシアの様子を見て、からかうように笑った。
「私が怒ると思ったか?」
「いえ……失望されるものと……」
「まさか。先ほど言ったとおりだ。レヴァンディオールをどうやって手に入れるかという課題についてはさほど考える必要もなくなった。さて、では何をすべきかということだが」
クローディアは滑るようにリシアの前に移動して、ぱっとその顔を捕まえた。片手でリシアの頬に触れ、逃がさないように。リシアは突然のことに動揺してびしっと固まった。
「血を受け入れる準備は出来たか?」
「……頭では、わかっているつもりでした」
伝承魔法ゼファルス。リシアがその系譜によって受け継ぎ、その才能の片鱗だけを覗かせている力。
ジャンジットテリオスが指摘した通り、拒んでいるのはリシアの心そのものだ。リシアは生真面目で聡明な人間である。この力があれば、今の状態よりもずっと総司の助けになるであろうことは十分に理解している。しかし、ヒトの心とは、理性だけではどうしようもないものだ。
ジャンジットテリオスの厳しい問いかけによって、リシアはわずかに扉を開きかけてはいた。しかし開ききることが出来ていない。自分に出来る何かがあるとすればそこだと、クローディア自身が気づいていた。
「私は口先ばかりの女です。小細工でしか、ソウシの役に立てない」
「口先ばかりの女“であった”かもしれんな」
クローディアは優しく言う。
「しかしこの先は違う。そうであろう」
「……己の心と向き合い、己の心を説き伏せるにはどうしたらいいのでしょう。己を得るとは、どういうことなのでしょう」
総司からリシアへ何かを相談することはあっても、リシアから総司に何かを相談するということはなかった。あったとしてもそれはくだらないことだ。
リシアは総司を信頼し、その剣を預けると誓っていても、それもやはり言葉でだけ。
自分が何に苦しんでいるのか、何を迷っているのか、総司に話したことは一度もなかった。ルディラントでは本当に最後まで、総司に自分の考えを明かすこともなかった。
いやそれどころか、自分の力を心の奥底で嫌っている胸の内を、総司だけでなく誰にも明かしたことはなかったのだ。誰かに見抜かれることはあっても、それを正直に吐露して、どうすればいいかと聞いたことはなかった。
「よい、よい」
クローディアは頷きながら言う。
「大いに悩み、大いに苦しめ。それでよいのだ」
リシアの顔を逃がすことなく、クローディアが続けた。
「よいか、お前は賢過ぎる」
「そ、そのようなことは……」
「他者に何かを言われたところで、お前が本心から納得していなければ響くことはない。聡明であるが故、理性的であるが故に……悪く言えば、頭が固いのだ」
リシアの生真面目さは、ともすれば頑固という表現に通じる。聡明で、そして優秀であるが故に、彼女は何より信じられるのが自分であり、なかなか他人の意見が、頭では理解していても心に入ってこない。賢い人間にはありがちなことだ。
「だから、私から出来る助言は一つだけ。その心の内をソウシに話し、どう思うかを聞くが良い。あの子が戻ってきたら、騙されたと思って話してみよ。私は確信しておるよ……それで、全てが解決するとな」
リシアが目を丸くした。クローディアはそれ以上告げることなく、リシアからすっと離れて、今度はベルに歩み寄った。
「ロアダークの子孫であったか」
「……まあ、そうです」
「なるほど、お前から感じる気配の正体はそれか……因果なものだな」
クローディアが想いを馳せるのは、彼女にとっては連続した時間軸の中に在る千年前の出来事だ。
「お前が善なる者であるかどうかは知らぬ。しかし、これは運命だ」
「運命……?」
「レブレーベントの王女がそうであるように、千年の時を超えて、かつての力が再び現れている……なぜか。簡単なことよ。それが必要となる時が来るからだ」
「……知らないよ、そんなこと」
「まあ、お前にとってはありがたくもないことだろうがな」
ヒトにとっては途方もない過去の話で、今を生きるベルには関係がない。ベルもそう思いたいのは確かだが、しかしクローディアの言葉は真実味を帯びていた。
女神レヴァンチェスカをして、ゼルレイン・シルヴェリア以来の天才と言わしめた王女アレインも、ロアダークの力を千年の時を超えて色濃く受け継いだベルも。
まるで女神に迫る危機と、それに連なる総司の召喚に合わせるかのようにリスティリアに出現している。
「いずれ悔いるぞ、今のままではな。せめてもの助言だ。心にとめておけ」
「それはどーも」