清廉たるティタニエラ・第六話③ それぞれの課題
「な、なんのつもりだ!」
リシアが慌てて叫ぶが、ジャンジットテリオスはフン、と下らなさそうに鼻を鳴らす。
『クルセルダの島々を一時隠しておいたが、既にその魔法は解いた。その中に飛ばしただけだ。ヤツには強者ひしめくこの島の中で学んでもらう。しかしその前に』
ジャンジットテリオスがぎろりと、リシアとベルの二人を睨みつける。
『お前だアリンティアス。お前も喜ぶが良い。この私が直々にお前の想いを聞いてやろうではないか。お前たちヒトのちっぽけな、取るに足らない悩みを、神獣たる私が聞いてやるんだ。全く、つまらんことをさせてくれるわ。それもこれもお前たちが無様に過ぎるせいだ』
「……私は……」
『まあ座れ』
ジャンジットテリオスが促し、リシアがそっと椅子に腰かける。ベルは立ったまま腕を組んでいた。
『私は、お前の躊躇いが理解できていない』
どっこいしょ、と金属製の椅子に腰かけて、ジャンジットテリオスは淡々と言った。
『何故ゼファルスの覚醒を嫌う。あるものは使え』
「か、簡単に言ってくれる……」
『簡単なことではないのか。私にわかるように言ってみろ』
「……いや、その通り。簡単なことだ。わかっている」
『わかっているなら使え』
「ねーえ、せっかく聞いてくれるっていうならちょっとは理解しようとしてあげてよ」
ベルがたまらず口を挟むと、ジャンジットテリオスは足を組み、腕を組み、ベルに向かって言った。
『と言うと、お前はわかるのか、アリンティアスの心情とやらが』
「多分あたしと同じでしょ。血で受け継がれる伝承魔法をあんまり使いたくないって気持ちが覚醒を妨げているってことは、それだけその血を受け入れたくないってことじゃないの。実際、リシアは一部は使えてても全部が使えないって状況なわけで。自分の感情を押さえて使おうとしたところで本心が拒否っちゃって、満足に発動しないんじゃない?」
『……はーっ』
ジャンジットテリオスは、心から呆れたように深いため息をついた。再びリシアがシュンと小さくなってしまった。
『お前はもう少し利口な子と思っていたぞ。買いかぶりだったな。お前の“いやだ”という感情は、ソウシを想う気持ちよりも強いわけだ』
「そ、そんなことはない!」
『あるからこうなっているんだろうが』
「……それは……」
『先祖を嫌っているのか。父か母か、もっと上か』
「……もう一世代上だ」
『えー……祖父・祖母。だったかな』
「そうだ」
『生きているのか』
「祖母は他界しているが、祖父は生きている」
『そしてその祖父が原因か?』
「……そうだ」
『では今すぐ会いに行って気のすむようにやってこい』
まるでカウンセリングのような光景である。ベルはちょっと笑いそうになるのをこらえていた。神獣にお悩み相談をするヒトの図。生きているうちに見られるものとしてはとんでもなく珍しく、ある意味ではとても面白い珍妙な光景だった。
『話すなり殺すなり好きにやれ。それで万事解決だ、そうだろう』
「そりゃ神獣様からすりゃそういう話なんだろうけどさぁ。そうもいかないんだって」
『全くわからん。私にはお前が滑稽にしか映らん。矛盾している。ロアダークの子孫たるこの娘を容易く受け入れる器があって、とうのお前がどうして先祖の何やらに囚われることがあるというんだ。わけがわからん』
当然ながら、ジャンジットテリオスに「ヒトの心の機微」など、簡単には理解できない。視点がそもそも違い過ぎる。しかし、ジャンジットテリオスの言葉は的確でもあった。
根本的な技術と知識が足りない総司と違って、リシアの問題はリシアの心に原因があるだけだ。リシアは既に、二十歳に満たないヒトの身では驚くほど、魔法の使い手として完成度が高い。彼女の実力と素質は、受け継がれる伝承魔法を使いこなせるだけの次元に達しているのである。それはつまり、彼女は自分の心と向き合うことさえできれば、伝承魔法“クロノクス”を十全に扱う王女アレインと同格とも言えるような次元にいるかもしれない、ということだ。
『いいか、アリンティアス。私には先祖のどうこうはわからんが、一つわかりやすく問いかけてやろう。答えて見せろ』
ジャンジットテリオスは、ミスティルの細腕でリシアの頬をぐっと掴んで、目を逸らさせないように固定し、言った。
『迷っている間に全てが台無しになったら、お前はどうする?』
「……全てが……」
『その血を継いで生まれ落ちたという事実、お前には何の責任もない。だが同じように、お前がどれほど嫌おうとも、その事実はお前にはどうしようもないはずだ。考えても悩んでもどうしようもないのにいつまでもウダウダとしている間に、ソウシが何者かに負けて死んだら? 忘れたわけではないだろうな。先ほどまさにそういう状況だったんだぞ』
もしも、ジャンジットテリオスが本気だったら。
総司とリシアの弱さに呆れ果てることがなければ、彼らの挑戦を受け入れて、真っ向からその挑戦を跳ね除け、両手を広げ立ちはだかるリシアを容易く引き裂いて、ジャンジットテリオスは総司を殺せた。
『この先お前たちのゆく手を阻む者たちは皆、私のように物好きで、慈悲深い連中ばかりだろうか? お前が本気を出さなかったせいで、今度こそソウシが死ぬかもな』
目を逸らすことを許さない。リシアの顔が抵抗するようにわずかに動こうとしたが、ジャンジットテリオスはその顔を押さえつけて逃がさなかった。
『答えて見せろと言ったはずだ。どうするんだ。言え』
「……私、は……」
『その時になれば最善を尽くすか。その時にならなければ、最善を尽くせないか。その程度か、お前の想いは』
幻想のルディラントを駆け抜けた先で、リシアは誓った。
総司が先へ進むことを自らの意思で選び取るのならば、彼を助けるために死力を尽くすと。それを思い出すと同時に、王ランセムの言葉も脳裏に浮かんだ。
口先だけの青二才。全くその通りである。
自分の世界ではない異世界のため、それでも全力で脅威に立ち向かってきた総司の傍に立ち、リシア自身も命を賭して、死力を尽くして彼を支えてきたつもりだった。主君である王女アレインにすら刃を向けた。彼を支えたい気持ちに嘘偽りはなかった。
リシアには確かに自分の身を投げ出してでも総司を護ろうとする覚悟があるが、「自分の心が嫌だと思っていること」だけはしてこなかった。
リシアにとっては、神獣の爪によって体を引き裂かれ命を失うことよりも、自分の血を受け入れることの方が苦痛だったのだ。
そして自分の感情に素直に従うあまり失念していた。
もしもリシアの体が引き裂かれていたとしたら、その先に待っていたのは総司の死だったという事実。
いみじくも彼女自身がかつて口にしたように、リシアは総司のために命を捨てる覚悟がありながら、その実、根本的な部分であまりにも自己中心的だった。
自己満足に浸り、聞こえの良い言葉を紡いで、それに自分で酔っていただけだった。そうすることで、リシア自身の不安もいくらか薄れたから。
言動に行動が伴っていない以上、リシアがどんなに言葉で示したところで結果は同じだ。リシアは心のどこかで「ソウシが何とかするもの」だと決めつけて、未だに押し付けて、自分は物語の当事者でいながら一番大変なところからは外れているという、卑劣極まりない位置取りで――――
結局のところ彼女は相変わらず、“やりたいことだけをやりたいようにやっている”。器が空虚な総司と同じように、彼女は覚悟が空虚だった。
『……うむ』
ジャンジットテリオスは、ほんの少しだけ満足そうな表情をした。
目を逸らさず、ミスティルの瞳を見つめ返す、リシアの目の奥に宿る何かを、確かに見出したからだ。
まだ覚醒には至っていないが、彼女の中で何かが変わりかけている。
「私は――――」
『よい。前言を撤回する。言葉は不要。答えはいずれ結果で示してもらう』
ジャンジットテリオスはパッと両手を離してリシアを解放すると、リシアの頭を優しく叩いた。ミスティルの顔で微笑みを浮かべ、ジャンジットテリオスはわずかに頷く。ジャンジットテリオスは続いてベルを見た。
『お前に言いたいことも同じだ。事情はどうあれお前も、私を倒さねばならない理由があるのだろう』
「……まあ、そうなるんだけどさ」
『であれば、使えるものは使え。身に染みてよくわかったはずだ。今のままでは何度やっても結果は同じ。お前のそよ風ではなんの役にも立たんぞ』
「聖騎士団員やれるぐらいには強いんだけどなぁ、あれでも……」
『お前たち二人はこのままクローディアの元へ戻るがいい』
ジャンジットテリオスは、壁に開いた大穴に向かいながら言った。
『事の次第を伝えておけ。あのひ弱な救世主は少しの間私が預かる。アリンティアス、寄越せ』
リシアが持っていた食料の類を預かって、ジャンジットテリオスは二人に向けて告げた。
『アイツは私が仕上げておいてやる。お前たちも多少マシになっていることを期待しているぞ』
ドン、と凄まじい速度で、ジャンジットテリオスは飛び去った。
その姿を見送り、ベルはぽつりとつぶやいた。
「ミスティルの体……無事に帰ってくるのかなぁ……」