清廉たるティタニエラ・第五話③ 反逆者の末裔
総司を先頭として、一行は白亜の道を歩き出した。
しばらく、四人とも無言だった。あてにならなくなった地図の情報によれば、島へ続く海の中には化け物が住んでいる。いつ飛び出してきてもおかしくはないと、警戒を強めていた。
だがそれも杞憂に終わりそうだ。不自然な波を生み出す海は平穏そのもの。行動を起こしたジャンジットテリオスの威容が、他の化け物たちをも畏れさせ、押さえつけているのかもしれない。
「ジャンジットテリオスにはこういう能力でもあるのか? まるでヒトやエルフのような魔法を使う、そういう特徴が……」
総司が聞くと、ミスティルはわずかに首を振る。
「神獣の力を全て解き明かした者はいませんので……もしかしたら、この金属を操る力があるのかもしれませんね……」
クローディアの神殿でも見られた、特殊な金属。色合いは異なるものの、同一のものだ。
しかし予想でしかない。ジャンジットテリオスの「出迎え」を経験した者は、恐らく今の世界には存在しない。
生態も、能力も、あらゆる事項が謎に包まれ、ただ恐れられる脅威。出たとこ勝負で戦うにはあまりにも強大な相手である。
「大老さまは何かお考えがあるとは思うのです。勝算がなければ、お二人をここへ向かわせるはずがないので……でも、具体的なことは、何も……」
「行けばわかると思っていらっしゃるか、この程度自力で乗り越えねば話にならないということか……」
通路を渡る際にも、何事も起きなかった。
白亜の塔は巨大過ぎて、そのふもとまで辿り着いてしまうと、それが「塔」であることもわからなくなってしまった。
入口らしきものは見当たらず、わずかに曲線を描く壁が延々と続くばかり――――と思ったが、調べまわるまでもなく、すうっと壁に切れ込みが入って、内部へと通される。
総司を先頭に、四人は一列に並んで内部へと入った。
無数の幾何学模様の切れ込みが入った床が延々と続く。内部空間は広々としているが、逆を言えば広いだけで、何かがあるわけではない。すぐそこでジャンジットテリオスが待ち構えていることもなかった。
「……見て」
ベルが何かに気づいた。
内部の壁に、等間隔で「絵」が飾られている。総司の身長ほどの大きさで、お世辞にも上手いとは言えないざっくりとした絵だ。
入口の右手、最も近い場所に飾られている絵を見て、総司はどきりと心臓が跳ね上がるのを感じた。
女性と思しき何者かが、魔法を使っている絵。地面には魔法の陣のようなものが描かれ、その中心に、顔も姿かたちもはっきりとはしない誰かがひざまずいている。
それが「召喚」を示す絵だと直感した。
総司がレヴァンチェスカに召喚されたという事実を絵に起こしたのだろうか。総司は続く絵を見た。
向き合う男女の絵だった。中央にバチバチと、絵を見るだけでも不穏に思える光を置いて、修道女の格好をした女性と、はげた頭の男性が、互いに向けて腕を向け合っている。
「エルテミナとロアダーク、じゃないかな」
ベルがささやくように言う。対立する二人。直接対決したという言い伝えはなかったが、この絵は恐らく、カイオディウムにおいてロアダークに抵抗した修道女エルテミナの勇姿を示すものだろう。
続く絵も、男女の絵だ。手をつなぐ男女。総司たちに背を向けて、絵の奥を眺める男女の姿。二人の格好を見れば、それが「スヴェンとサリア」を描いたものだと容易に想像がつく。
ここに飾られているのは、千年前にあったことを絵に起こしたものなのだろう。ジャンジットテリオスの粋な計らいか、それとも死にゆく勇者へのせめてもの手向けだろうか。
『気に入ったか?』
ミスティルの声が不自然だった。エコーが掛かったように反響し、普段の彼女からすれば信じられないほど無機質な声。総司が振り返った時には既に、リシアがミスティルの首に剣を突き付けていた。
『優秀だな、リシア・アリンティアス。ゼファルスの翼を継ぐ者よ』
ミスティルの目はうつろで、無表情。しかし声はわずかに楽しげだった。
『間抜けな救世主が今日まで生きながらえているのは、お前が傍に控えているからだ』
「……お前……!」
『我が翼に挑む者、その心強き相棒よ。私は、お前が本気を出さずとも勝てる相手だと、そう謳うか』
「ジャンジットテリオス……!」
ミスティルの体を乗っ取り話をしているのは、総司たちが「その翼に挑む」相手。それすなわち神獣・ジャンジットテリオスである。
『剣を下げよ。案ずるな。お前たちの相手は後でしよう』
リシアが剣を下ろすことはなく、総司も既にリバース・オーダーを抜いていた。ベルはじりじりと位置取りを変え、ミスティルの死角に回り込み、いつでもとびかかれる姿勢を取っていた。
『……カイオディウムの』
ミスティルが振り向き、うつろな目でベルを射抜く。その視線の空恐ろしさは形容しがたい。ベルは足が床にへばりついたように動けなくなった。
ただミスティルを操り、自らの言葉を伝えるだけの、本体ではない存在。それでも、神獣が持つ圧倒的な力が漏れ出し、ベルを襲っている。頬を冷や汗が伝い、うかつに動けば首が飛ぶと直感する。
『いや、それどころか……』
ミスティルの眼光が、うつろであるはずの目が力を増した。
『おぉ……これは驚いた』
ミスティルは総司を見て言った。
『ソウシ』
「何だ」
当然のように、総司の名前を知っている。当然だ、ジャンジットテリオスは総司を出迎えるために、クルセルダ諸島の在り様を作り変えてしまったのだから。
『お前、“わかっていて”この娘を連れているのか? それとも知らないままか』
「……言っている意味がわからねえよ。せっかくこうして立ち話が出来るんだ。わかるようにしゃべってくれ」
『ではお前も言っていないわけだ』
今度はベルに向けて、ミスティルは鋭い眼差しを向ける。
『奇特なことだ……救世主と肩を並べて歩くのが、かつての反逆者の末裔とは』
一瞬、ミスティルが――――ジャンジットテリオスが言ったことの意味が本当にわからなかった。その言葉の意味を理解するまでに、総司もリシアも数秒を要した。
ベルは、ただ無言で目を伏せるだけ。
「……どういう意味だ?」
『そのままの意味だ。なあ、ロアダークの子孫よ。血は相当薄れたようだが、お前には、奴の力に実によくなじむ素養があるらしい』
ジャンジットテリオスが見抜いたのは、ベルの資質そのもの。
神獣は千年前の事件の時も今と変わらずリスティリアに存在し、そして覚えている。ベルが持つ「ロアダークから脈々と受け継がれる」力を感じ取り、ジャンジットテリオスは既に確信していた。
ベルの家系の系譜を千年さかのぼれば、そこにはロアダークがいることを。
かつてリスティリアを敵に回し、女神に反逆した大罪人には子が複数いた。現代に残るロアダークの系譜をたどるのは当然ながら困難を極める。ウェルゼミット教団の上層部においても、ベルがロアダークの子孫、その末裔であることなど把握している者はほぼいない。
千年前の先祖の力が、薄れゆく血の中でたまたま、なんの因果か覚醒し、色濃く表れることとなった存在。それがベル・スティンゴルドである。
彼女が若くして魔法と戦闘の才に長けるのは、千年越しの先祖返りが起きてしまっているからだ。