清廉たるティタニエラ・第五話① いざ、魔境へ
エルフの隠れ里で、ミスティルはかなりの人気者らしいことがわかった。
朝早く起きて、『クルセルダ諸島』で数日過ごせるだけの準備を手早く整えることとしていたが、食料やサバイバルに役立つ道具の数々は、あれよあれよという間に揃っていった。
エルフの商い――――というより、取引の基本は物々交換である。リスティリアの共通通貨リーグは、ティタニエラにおいては価値を持たず、ほしい物を持つ相手が「何を欲するのか」もまちまちである。
そのような状況下において、「人気」とは最強の武器である。
容姿端麗で性格も良く、クローディアにも目を掛けられているミスティルは、その人気で以て次々に必要な物資を調達していった。それは彼女の優しさ故である。ジャンジットテリオスに挑む三人をもはや止められないと悟った彼女は、せめてその旅路の不便を少しでも取り除こうと奔走してくれた。
「これは『トルテム』と言って、伸縮自在の縄のようなものだよ」
ミスティルの頼みを聞きつけてやってきた、森の中で狩りをするときの仕掛けづくりを得意とするエルフの一人、総司とリシアにとっては初めて話すこととなった男性のエルフが、熱心に説明した。
「あって困るものじゃない。持っていきな」
「助かります。ありがとう」
「いいさ。ミスティルを泣かせないようにね」
続いてやってきた浅黒い肌の女性エルフは、小さな青色の、不思議な球体がたくさん入った麻の袋を持ってきた。総司が受け取り、しかしわけのわかっていない顔をすると、浅黒い肌のエルフが言葉少なに説明した。
「水だ」
「水!」
どうやら特殊な魔法で、ティタニエラの清らかな水を飴玉のように加工したものらしい。
「一つ口に含めば半日分。二つあれば昼日中は水を飲む必要がない。クルセルダの島々の泉は魔獣たちの水飲み場だ。安易に近づけば要らぬ争いを生む。これで済ませろ」
「すげえ……こいつはありがたい」
「それとミスティルに頼んで、『ディナの実』という果物を調達してもらうといい。食べてすぐ実感するほど疲労回復の効果がある。野営のためにあるような果物だ」
「何から何までありがとう、助かる!」
「良い。クルセルダの魔獣は、恐らくお前たちがこれまで出会ってきた魔獣とは格が違う。あそこの外と内は別世界と考えろ。油断すれば死ぬ。しかも最近は特に獰猛な魔獣もいると聞く。たまに島の外に出て、里の近くまで来るような狂った連中がな」
恐らくは『活性化した魔獣』だろう。クルセルダ諸島の、ただでさえ強力な魔獣たちが、更なる強さと凶暴性を獲得し、タガが外れた闘争本能によってエルフの里を襲いに来る。
レオローラたち戦士はその対応で、最近は忙しくなることも多いようだ。
「――――ディナの実も調達しましたし、これで準備万端ですね!」
バッチリ準備を整え、大きな荷袋を背負ってやる気満々のミスティルが意気揚々と言った。ミスティルの家の前で、総司・リシア・ベルの三人は顔を見合わせた。
「……いや」
総司が眉を顰め、リシアは首を振る。
「ミスティル、なんの真似だろうか」
「何ですかリシアさん。もうこうなったらやるしかないのですから、もっと元気よく行きましょう! カラ元気ですけど!」
「そうではなく。何故ミスティルまで行くつもりでいるのかということだ」
「それはもう、こうなったからには! ものすごく怖いですが、その恐怖は昨晩封印しました! 私もお役に立てます、これでも魔法に長けたエルフの端くれですから!」
「ダメに決まってんだろ」
総司がひとことでバッサリと切り捨てた。
「連れていけるわけねえだろ。そもそも俺のやるべきことで――――」
「私たちの、やるべきことで」
リシアが素早く訂正し、総司はコホン、と咳払いする。
「俺達がやるべきことであって、ここまで協力してもらえただけでも十分以上だ。命の危険がある場所にまで連れ回すわけにはいかない」
「ただ待っているだけだなんて絶対に無理です! それこそ心配で気が狂ってしまいます!」
「っていうか、あなたを連れて行ったらあたしたち、他のエルフさんたちに殺されるんじゃないの? ウチの可愛いミスティルをー、ってさ」
「よい。連れて行くが良い」
ふわりと、なんの気配もなく。
クローディアがミスティルの家の前に現れた。
「クローディア様!」
一体どうやって現れたのかわからないが、既に精霊に近い身となっているエルフの大老である。空間を移動する魔法もお手の物なのかもしれない。
「ミスティルは決してひ弱ではない。足手まといにはなるまい」
「しかし……」
総司が少し渋るが、クローディアはその肩に手を置いて言った。
「ミスティルは死をも覚悟しておるというのだ。何かあってもお前の気にするところではない。ミスティル、ついていくからには泣き言は許されぬ。自分の身は自分で守らねばならぬ。よいな」
「もちろんです!」
「……クローディア様のお許しがあるなら、俺がとやかく言うことじゃないな」
総司は仕方なさそうに言った。
「俺も護れるほどの余裕があるかはわからない。十分気を付けろ」
「了解です!」
「さて」
クローディアがふわりと手を翳すと、魔力が急激に高まった。
総司が思わず身構え警戒するほどに、空間を満たす魔力が強烈さを増していく。何が起こるのか予期できなかったが、クローディアが作り出したのは、淡い緑色の光を帯びた「門」だった。
「行きだけは送ってやろう。帰りは自力で何とかするように」
空間転移の魔法の一種らしい。
一度に複数人を運ぶ転移の魔法は難易度が高く、カイオディウムにおいても、あらかじめ大聖堂デミエル・ダリアの「礼拝の間」の機能として魔法を刻んでおいて、やっと発動可能なものだった。クローディアは苦も無くそれを単独で実現できるようだ。
「天を墜としてみせるがいい、女神の騎士よ。土産話を期待しておるぞ」
「ええ、ルディラントよりも面白い話を持って帰ってきます!」
「それは楽しみだ。今宵も宴だな」
光の中へ、まずは総司が飛び込んだ。そのあとにリシアが続く。
「感謝します、クローディア様」
「あの子を頼むぞ、救世主の相棒よ」
次にミスティルが入った。
「行ってきます大老さま!」
「引き時を見誤らぬように」
そして最後に――――
「……行かぬのか、ベル」
ベルだけが、わずかな間だけ残った。
「お聞きしても?」
「……許す」
「あなたほどの魔法の使い手が、今の世界の危機に対して何もしないのは、どうしてですか?」
クローディアがすうっと目を細めた。
「それは私をなじっておるのか?」
「いいえ」
ベルが首を振る。
「不自然に思っただけ。ソウシとリシアに協力はするけど、あなた自身は動かない」
「お前はわかっておらぬだけだ」
クローディアは下らなさそうに言った。
「女神がそう定めたからには、この危機を打開できるのはソウシだけ。これはリスティリアの絶対の法則、私であってもゆがめることなど出来んよ」
「……そうですか」
ベルは頷いて、光の中へと飛び込んでいった。
転移の魔法の門を消し去り、クローディアは目を閉じる。
「ふふっ……言ってくれるわ、小娘の分際で」
その横顔からは、寂しさと――――そして、不安がわずかに見て取れた。
「私に何とか出来るのなら、とっくの昔にそうしておる……」