眩きレブレーベント・第二話② 総司が救えなかったもの
「まず、ソウシ。さっきも言ったが」
「はい?」
パンを食べ終えた総司が、不意に声を掛けられて女王を見る。女王エイレーンは口元を拭いて、改めて言った。
「シエルダの仇討ち、ご苦労であった。レブレーベントの国民ではないが、街一つ滅ぼした獣に立ち向かい、討ち果たしたことは、勇敢で尊い行いであり、私は王として報いねばならん。褒美を取らせる。望みがあるなら聞くが、なければ金でよいかな?」
「……光栄です。しかし、結構です。遠慮しておきます。とても――――それを理由に受けとる気分にはなれません」
「ふっ。欲のないことよな。まあまあ、聞け、若いの」
女王はにこにこしながら言った。
「我らの資金も、愛すべき民の血税である。使うには理由がいるということだ。お前は『女神を救う』旅路を歩む、そうであろう? 金とちょっとした道具ぐらい揃えておかねば隣の国に行くのも一苦労だぞ。そういう意味だ」
「あっ――――すみません、考えがたりませんでした。甘えても良いですか、陛下」
「褒美と言った。お前の働きに対する対価である、遠慮はいらん。ところで、バルドの姿が見えんが」
「オーレン殿は既に街に出ております。生存者の捜索と、街の……後片付けの指揮を執っておられるところで」
総司を見やり、リシアは言葉を濁した。女王はぱっと立ち上がって、
「よし、では我らも行くとしようか」
「え――――お待ちください、陛下。先ほども申し上げましたが、この街がもう安全になったという確証はないのです」
リシアも立ち上がり、身振り手振りで抗議した。
「ソウシが確かに魔獣を倒してくれましたが、それですべてが終わったと確信できるわけではありません。グライヴや他の魔獣がまだ潜んでいるかもしれません。陛下が出られるというのは危険極まりないことです。どうかこのまま城にお戻りください。私も総司もお供しますので」
「お前達が共をしてくれるなら、帰りの道中もそうだが、街に出ても危険はあるまい? さあソウシ、多少は気合を入れておいてくれよ。リシアの言う通り、お前の出番がないとは言い切れんからな」
「へ、陛下、御考え直しください。どうか……」
リシアが抵抗しているのは、総司のため。それが総司には痛いほどわかった。
まだ街に散る死体の山は処理できていないのだ。総司には既にトラウマとなっているその光景をもう一度見せることに、リシアは必死で抵抗している。だが、女王は有無を言わさない。
「私がそう決めたのだ。騎士であるお前が私の決定に逆らうか、リシア?」
「い、いえ、そういうつもりではないのですが!」
「ならば黙って従え。行くぞ」
総司も立ち上がった。リシアはもうどうにもならないと悟って唇を噛んだが――――女王が、彼女にだけ聞こえるように、すれ違いざまに呟いた。
「必要なことなのだ。すぐわかる」
「……陛下……?」
シエルダの街は物寂しかったが、しかしやはり美しかった。
昨日一日をかけて走り回った、誰もいない街。総司は眩い朝の陽ざしが白い街並みに跳ね返るさまを、目を細めて見ていた。
大通りから一歩小道へ入れば、破壊の跡がよくわかる。グライヴは家々を荒らし、住民を一人残らず食い漁った。
活性化した魔獣――――バルドはそう言っていた。
「残虐性が増し、生物としての行動の規則性が破綻する……それが、我々が『活性化』と呼ぶ異変の、最たる特徴だ」
リシアは重々しく言った。
グライヴの目的が捕食だったことは間違いないが、それにしては、その行動が荒すぎた。新鮮な人の肉を求めていたにしても「食い残し」が多すぎるのだ。リシアの言う行動の規則性の破綻とはつまり、本来の生物としての目的意識を有り余る凶暴性が上回り、端的に言えば狂ってしまうことを意味する。生物の本能として現れる捕食の行動を、殺しを好む嗜好が大きく上回ってしまった。食べることよりも楽しむことが優先された。
「魔獣が悪だというわけではないのだ」
女王はゆっくりと口を開いた。
「例えば龍種、例えば一角の馬……類まれな魔力を持ち、我等リスティリアの民をして常識外と驚嘆する魔法を行使する、ヒト以外の獣を、魔獣と総称する。我らヒトが勝手にそう呼んでいるだけだが」
「……本当に、俺の世界のおとぎ話ってやつです。ドラゴンや、ユニコーンと名付けられていました」
「意外な関連性だな」
女王は笑った。
「呼び名が同じとは――――お前の世界とリスティリアは、我々が思っているよりもずっと近いところにあるのかもしれんなぁ」
「本当ですか?」
「本当だとも。なあ、リシア?」
「ええ、私も驚いています」
「お前の世界ではおとぎ話の中の話……うぅむ、お前の世界の創作家たちにもしかしたら、リスティリアのことを知っている者がおったのかもしれんぞ?」
「まさか……いえ、可能性がないとは言えませんね。こうして俺がこの世界に来た以上は、過去にもいなかったなんて言い切れない」
「うむ、うむ。夢のある話ではないか。もしこの想像が当たっていたら、お前は世界を救った後、元いたところに帰ることだってできるかもしれん! そうでなければ、リスティリアの常識を“持ち帰って”物語におこすなど、出来ようはずもないからな!」
女王は実に楽しそうだ。総司の話を面白いと称していたのは本心だったらしい。女王は心底、女神を救いに来たとのたまった総司との出会いを楽しんでいるのだ。
惨劇のただなかで、総司と同じく、いやそれ以上に、穏やかな胸中ではいられなくても。
「しかしまあ」
女王はかつん、と杖を強めについて、振り返った。
後片付けが全く進んでいない場所だった。
開けた公園には、一日が経って乾ききった血の跡と――――子供たちと、その母親と思わしき住民の遺体が転がっていた。母親は子供を護るように、覆いかぶさっている者ばかりだった。その姿を、容赦なく、グライヴは恐らく楽しみながら――――切り裂いた。
「これほどの惨劇を、子供たちに夢を与える“おとぎ話”に書き記すわけにはいかんだろう」
総司が拳を握り固める。リシアがおろおろとしながら、
「陛下……すぐにここにも手が入ります。あまり――――」
「目を逸らすな。よぉく目に焼き付けておけ。我らが救えなかったものを」
女王の声が厳しさを帯びた。女王は「お前が」とは言わなかった。王である自分も含め、我らがと――――その罪を再度、声高に。
「一国の主として偉そうにふんぞり返っておきながら、女神の加護を受け圧倒的な力を手にしながら、それでも救えぬものがある。何と無力なことよ、私もお前も! 人を死刑にするだけの権限がある。魔獣を剣の一振りで殺せるだけの力がある。にもかかわらず、幼子一人助けることもできやしない!」
それは、女王自身への憤激でもあった。
何もしていなかったわけではない。国の端の田舎町であろうと、護衛の騎士たちは配備されていたし、緊急事態の知らせを受けて王国の騎士たちが、更には女王自らがシエルダへと足を運んだ。
しかしすべてが遅かった。ヒトの想定を超えて凶暴化した魔獣は、惨劇を容易く引き起こした。もう戻らない命を前に、出来ることは、それを教訓とすることだけだった。
「なあ、ソウシ。教えてくれ。お前が女神を救えれば、このような惨劇は二度と起きぬか?」
「……わかりません」
「わからんでは、話にならん」
女王の言葉はなおも厳しい。それでも総司は目を逸らさなかった。
女王の言葉のひとつひとつが、重く感じた。
「見つけ出せ、お前がこの世界に来た意味を。そして見せつけてみせよ、お前の価値を。憤る気持ちも、自分を責める気持ちも、痛いほどわかるとも。私にわからぬわけがあるまい、私は彼ら彼女らの王なのだ!」
自責の念は、総司の比ではない。それでも女王は、総司のように、いつまでもうじうじと情けない姿を晒したりはしなかった。
それは彼女が民を何とも思っていないから、ではない。
強くあらなければならないからだ。
「屍を越えて前へ進め。決して忘れることなく、全て背負って、最後まで背負いきって見せろ。その重さに耐え切れず潰れてしまった時がお前の最期だ。その時まで足掻き続けろ。大いなる運命の中で、私もお前も、ただ翻弄される一人に過ぎぬ。己の無力さ、それでもなお進まねばならぬ己のさだめ、どちらも受け入れて強くなれ」
涙がこぼれそうになるのを、ぐいと腕で拭う。
ただの少年でしかなかった総司にとって、昨日の出来事はあまりにも辛く、心に大きな傷をつけた。
だが、思い出さなければならない。総司には使命があり、もしかしたらその場の勢いでしかなかったとはいえ、総司は自分の意志でそれを受け入れたのだ。
「強くなります。これから、もっと」
「良い顔になった。男の顔だ」
強い目で女王を見つめ返した総司を、女王は微笑みながら称えた。
「さて、では。もったいぶるのもこの辺にしておこう」
女王は惨劇の公園を後にして、歩き出しながらそう言った。
「お前に見せたいものがある。こんな悲劇の中ではあるが、喜べ、二人とも。待ち望んだ唯一の吉報だ」
総司とリシアが顔を見合わせた。そして二人であっ、と気づいて――――
「まさか……マジか!」
「へ、陛下、それって――――!」
「さあ、教会へ行くぞお前達! 走れ走れ!」
初老であるはずの女王がたったっと軽やかに駆け出す。総司とリシアも、慌ててその後を追った。