清廉たるティタニエラ・第四話④ 価値のない約束
「うぅぅ……本当に行くのですか……?」
何を言っても止まりそうになり二人。ミスティルは今から涙目になっているが、総司もリシアも止まるつもりはない。
「そうだな、とりあえず行ってみねえと」
「とりあえずで行ける場所ではないのです。脅威はジャンジットテリオスだけではありません……リスティリアの強い生物を詰め込んだような場所なんですよ」
「それでも行かねばならない」
「ミスティルは、ジャンジットテリオスのことをどれだけ知ってる?」
「その姿を見たことがあります。恐らくエルフであれば一度は目にしたことがあるでしょう。たまに飛んでいますからね」
「え? この辺をか?」
「はるか天の彼方です。遠目に見えるだけですが」
ミスティルは体を震わせ、
「翼を広げ天を横切るその姿はまさに覇者です。翼の大きな、くすんだ銀の鱗を持つ竜。その鱗はあらゆる攻撃を弾き、その爪はあらゆる護りを一撃で粉砕する……我々の物差しで言う『強い』とか、そういう次元にいないんです」
「さて……」
総司の口元には笑みが浮かぶ。
「今の俺で、どれだけ張り合えるかね……」
「正面からやり合って何とか出来る相手ではない。作戦はあくまでも陽動だ。そもそもそこに辿り着けるかどうか、という問題もあるが……まあ、明日一日でケリをつけなければならない話でもない」
リシアはそう言うと、ふとベルを見た。
「時間が経てば経つほど、言い訳が苦しくなるぞ、ベル。どんどん後戻りが出来なくなる。わかっているな」
「もう腹は決まってるの。ちゃんと協力もするよ。……出来ることがあるか、わかんないけど」
ミスティルの家から表に出ると、木々のツタが絡み合いながら里の大通りへと繋がっている、自然の通路がある。家の外に出てふーっと一息ついた総司は、その自然の通路を眺めながら、飲むだけで体力が回復していくのを感じるティタニエラの清らかな水を飲んだ。
これほどの大自然の中で寝泊まりした経験は、元いた世界でもない。リスティリアに来てからも幸運なことに、まだ野宿の経験はなかった。不思議とヒトにとっては不愉快な虫も寄ってこない。
「……お前は、『どうしてお前がそうしようと思ったのか』を話していない。そうだな」
「……気配消してたのになーんで気づくわけ?」
こっそりと忍び寄っていたベルが、つまらなさそうに不貞腐れた顔をする。
「クローディア様の言う通り、そこは確かに話してないね」
「話す気は?」
「……今は、無理」
「何故?」
「まだなーんにも達成できてないもん。ここまでは計画通りだけど、ここから先はアドリブでいくつもりだったからね」
「お前がそこを話さない限りは、俺もリシアも協力なんてできるわけがない。わかってるよな?」
「わかってるよぉ……」
総司の横に並んで、ベルが弱り切った声で言う。
それすら同情を誘う演技なのかどうか、そこまでは総司にも見抜けないが――――
ベルの望みが何であれ、彼女はとんでもないことを一人で抱え込もうとしている。ベルもまた天才、魔法の才に秀でており、優れた頭脳も持つ傑物である。しかし、ヒトとして完成された器をまだ持たない未熟者でもある。
この年齢で言えば当然のことだ。総司もリシアも器の完成には程遠く、アレイン王女やフロル枢機卿が異常なだけ。
その未熟な器で抱えきれるはずのない大きなものを、無理やり抱きしめて、一人で意固地になっている。
未完成なままでも壮大な計画を実行できるだけの力と知恵があったのが、ベルにとっての不幸でもあった。
「……俺は別に、お前が話したくなるまで待つよ」
「おろっ。優しい」
「違う」
総司は厳しい声で言った。
生まれて初めて出す、本当に厳しい声である。これまで、総司は、総司が足りていないばかりに、周りの人間に言わせて・言われてばかりだったから、経験のないことだったが、今言わなければならないと思った。その雰囲気の違いを感じ取り、ベルがすっと姿勢を正した。
「慰めたいわけじゃない。その半端な状態で命を賭けるのは間違ってるって言いたいんだ」
「……付いてくるなってこと?」
「そういう意味でもない。お前の事情の全ては知らないけど、少なくとも今お前は、“そうしなければならない”という感情に突き動かされてるように見える」
「……かも、ね」
「俺もそうだった、つい最近まで」
「ルディラントの話?」
「そうだ。俺にとっての憧れの男が言ってくれた言葉をお前にも送るよ」
総司はベルの目をまっすぐ見つめて言った。
「“好きに生き好きに死ね。誰にもその選択を預けてはならない”」
「……良い言葉だね……」
「俺とリシアについてきて、ジャンジットテリオスと対峙して、もしも死ぬようなことになった時、お前は“好きに生きて好きに死んだ”と言えるのか? 俺は死ぬつもりはないけど、もしそうなっても後悔はない。俺は、“そうしたいから”この先へ進むんだ」
「……へへっ」
「オイ」
にやりと笑うベルを見て、総司が少し怒った顔をした。
「俺は真剣に――――」
「知ってる。やっぱり優しいんだ」
「ベル」
「必ず話すよ。今じゃないけど、ソウシにはちゃんと全部話す。だからご心配なく――――あたしも、そうしたいから、二人についていくよ」
「……その言葉、後悔しないようにな」
「へいへい」
ふざけた口調でそう言って、ベルは急にぐん、と総司に顔を近づけた。総司は思わず一歩引いてベルから距離を取った。
「こんな美少女に寄られて逃げるかね普通」
「うるせえ、何だ急に」
「思ってたよりイイ男なのかなって。ちゃんと護ってよね」
「出来る限りのことはするさ。俺も後悔したくはないからな」