清廉たるティタニエラ・第二話① 王家へ
滑る道を通り抜けた先では、植物園のような、生い茂る木々と花が出迎えてくれた。整えられたレンガ造りの道には木々の葉がせり出しており、道の端には色とりどりの花が咲く。ほのかに香る花の香りは、通る者の心を癒す作用でもあるのか、リラックスした気分にさせてくれる。
カイオディウムの王宮があるこの衛星都市は、王家とそれに連なる貴族が住まう場所であると共に、各国の要人を出迎える場所でもある。植物園の最中に離宮のような建物があったり、コンサートホールがあったりと、大聖堂デミエル・ダリアほどではないにせよ、優雅な暮らしを思わせるに足る設備が充実していた。
ヒュッ、と目の前を横切るリスのような生物に、総司は目を奪われた。
サイズはまさにリスのよう、非常に小さいが、明らかに違う。毛の色は紫色で、しかもバチバチと明らかに帯電している様子が見て取れる。顔つきは大人しそうだが、なんだかすべてを見透かされているように思える、なんとも言えない妖艶さすら感じる目つきをしている。ベルもその姿に気づいた。
「リンクル、王サマに伝えておいてよ。連れてきたよーって」
リンクルと呼ばれた謎の生物は、ベルに対し頷くような仕草を見せると、目にもとまらぬ速さでヒュッと茂みの中へ消えた。
「今のは?」
「王女サマのペットだね。頭がいいんだあの子は」
しばらく歩くと、植物園のように生い茂る木々を抜け、開けた庭園へと差し掛かった。
「さあさあさあ、着いたよ。こちらがカイオディウムの王宮でございます」
それは王の住まう城――――というよりは、名のある貴族の屋敷のような建物だった。
豪華には違いないし、規模も大きいのだが、大聖堂デミエル・ダリアを見た後ではどうにも見劣りする。しかし、建造物の端々に、その主のセンスを感じる。深い赤を基調とした柔らかな色合いのレンガで積み上げられた壁は、年月を経て色褪せ、それが優しいコントラストとなって光を跳ね返す。荘厳というよりは豪華、そしてのどか。デミエル・ダリアの他者を威圧するような圧倒的な気配は感じられない。ビスティーク宰相の手紙を受け取り、二人を迎え入れようとわざわざ聖騎士団の一員まで手配してくれた、カイオディウム王の気質をそのまま表しているかのようだ。
「お待ちしておりました、スティンゴルド様、そしてレブレーベントの騎士のお二方」
屋敷の正面入り口まで行くと、使用人の一人が恭しく頭を下げ、二人を出迎えてくれた。
形式通りのあいさつを――――基本的にはリシアが――――行って、屋敷の中に入る。ベルのおかげで何もかもフリーパス、という印象である。
「おぉ、ご無事でしたか!」
エントランスで声を掛けてくれたのは、恰幅の良い人の良さそうな初老の紳士だった。聖職者の服ではなく、貴族が好んで着るような、重そうなローブに身を包んだ男性。ベルはニコニコと手を振った。
「お疲れ様でっす、陛下。ご注文通り連れてきましたよぉ」
「あぁベル、本当にありがとう。間に合わんのではないかと思っていたんだ」
誰あろうカイオディウム国王陛下であるらしい。総司とリシアは慌てて頭を下げた。カイオディウム王は首を振り、
「『下』では門番が失礼を致しましたな。あいつらは私の言うことなど聞きやせんのです。情けない話でございますが」
「いえ、滅相もございません。陛下、この度は格別の――――」
「あぁ、アリンティアス団長、よい、よい」
カイオディウム王トルテウスは、ぶんぶんを手を振ってリシアの口上を遮った。
「堅苦しくせんで下され。王とは名ばかり、隠居の身のようなもの。遠路はるばるお疲れでございましょう。すぐにお部屋に案内しますのでね」
ビスティーク宰相の手紙にあった本題については、夕食の席でしっかりと、ということで、総司とリシアはひとまず部屋に案内された。
小綺麗な部屋は、かつて訪れたアレインの部屋を少し思い出させる、屋敷の外観と同じくセンスの良さを感じさせるもの。天蓋付きのベッドに、五人ぐらいがお茶を楽しめるテーブルセット、ふかふかの絨毯に大きなクローゼット。深い赤とダークブラウンが見事に調和した、まさに貴族の屋敷然とした部屋である。
「とうっ!」
「いや何でお前まで入ってんだ!?」
いの一番に総司の部屋のベッドに飛び込んだのは、総司でもリシアでもなくベルだった。バインバインとベッドに弾かれながら、ベルはひらひらと舞うスカートを気にすることもなく楽しみ、くつろぎ始めた。
「つーかーれーたーんだもん! ちょっと休憩。っていうかもともとあたしはね、今日と明日はお休みなの。あなた達が来たせいで休日が潰れてるの。良いじゃんちょっとぐらい」
今回は、総司とリシアは同室である。ルディラントでは二人にそれぞれ部屋が与えられていたが、そもそもあのような対応こそ格別。と言うよりは、カイオディウムにおいても、しっかりとした部屋があてがわれており拠点と出来ることは、大変ありがたい話である。
リシアは手際よくティーセットを準備し、ベルの分もあわせて三人分の紅茶をてきぱきと準備した。
リシアに手伝いを断られた総司は、ベッドでごろごろするベルも放置し、部屋の壁に掛かった絵を眺めた。
横を向いた顔が描かれていない修道女の絵である。かなり巨大で、しかも立派な額縁に入って飾られている。修道女が手を斜め上へとかざしており、その手は何者かによって今にも取られようとしているが、修道女の手を取ろうとする存在までは描かれていない。
修道女の服装に見覚えがあると思ったら、シエルダで出会った修道女・ルーナの服装とほとんど同じなのだと思い出す。女神教はカイオディウムが最も盛んだが、各国にもその教義は伝わっているようだ。ルーナは総司に助けられたという現実があったことと、彼の力の一端を感じ取ったからか、本来であれば女神教の教えに反する総司の使命を受け入れていた。カイオディウムの内外で、女神教の信仰の度合い、その厳しさには大きな差があるのだろう。
絵の下部には、リスティリアの文字でとある名前が刻まれていた。恐らくは、絵画のモデルとなった修道女の名前だろう。
「エルテミナ……」
「千年前の修道女様だよ。最も敬虔なる修道女エルテミナ。聞いたことない?」
「千年前?」
ベルの言葉を受けて、総司がぱっと振り向いた。
総司の旅路にとって大きな意味を持つ、千年前というキーワード。まさに発端となったカイオディウムと言う国できっと、千年前の事件のことを更に知ることが出来るだろうと期待はしていた。
「そっ。カイオディウムが中心となって巻き起こった事件で、その元凶であるロアダークに対してカイオディウムの内側から抵抗したヒト、それが修道女エルテミナ」
反逆者ロアダークは、女神と下界の接続を断つために、各国の聖域の破壊を企んだ。ルディラントで見た過去の光景では、ロアダークだけでなく聖職者と思しき服装の軍勢も多数、ルディラントに攻め入っていた。カイオディウムそのものが、ロアダークに操られていたにせよ、他国への侵攻を行ったのだ。
その中にあって、ロアダークに抵抗した者。実在したかどうか定かではないが、象徴としては相応しい伝説だ。
「千年前何があったのかまでは、詳しくは伝わってないけどね」
「嘘つけ」
ベルの目を見て、総司が笑う。
「一般信徒の人たちはどうか知らないけど、少なくともお前は知ってる。だろ?」
「……そんなにわかりやすかった?」
「ロアダークの名前は普通は知らんよ」
リシアが苦笑しながら指摘すると、ベルはしまった! という表情でがっくりと項垂れた。
「まあ、偉そうなことを言ったが、私たちも全てを知っているわけではない。エルテミナと言う名前も初めて聞いたしな」
リシアは紅茶の準備を終え、ベルにも座るように促す。その顔には少しのいたずらっぽさを含む、不敵な笑みが浮かんでいた。
「さて――――せっかく来たんだ。ゆっくりしていってくれ。ベルも、私たちと話をしたかったんだったな?」
「……あれ?」
「そもそも無警戒過ぎるぜ、近衛騎士なのに」
ガチャリ、と部屋の鍵を閉めて、総司が呆れたように言う。ベルはぱっとベッドから起き上がったが、既に遅い。
「なに、手荒な真似はしないさ。ベルが当然のように知っていることを、私たちは知らないだろうというだけ。そして私たちはのどから手が出るほど、ベルにとっての当たり前が知りたいんだ」
「そういえば思い出したんだけど、枢機卿に呼ばれてたんだった! いやーあたしがすぐ帰らないとなると心配するだろうなぁー!」
「休日なんだろ? 茶飲み話だ、付き合えよ」
「おっ」
「ベッドで転げていただけだったくせに、説得力も何もないな」
「……あの」
「どうぞ」
リシアがにっこりと笑って、ベルに座るように促す。ベルはしばらく総司とリシアを交互に見たが、観念したようにおとなしく椅子に座った。