眩きレブレーベント・序章① 失意の中の召喚
「カッコつけてんじゃないわよ、出来損ないが!」
炸裂する金色の稲妻と、雷撃の中で怒り狂う少女。
明確な敵意と共に、本気で自分を殺しにかかってくる彼女を前に、自問自答する。
彼女に真っ向から敵対するだけの、彼女と対等に渡り合えるだけの意思が、自分にあるのか。敵対の資格があるのか。彼女の怒りと敵意を真正面から受け止めた今、力が在るからと言ってただ倒すだけで良いのか。
「人を見る目だけは確かな彼が、ことさら気に入っていたようですからね」
万感の想いと達成感に満ちた言葉を残し、淡い光に揺らめく少女。
全てをやり遂げた彼女を前に、自問自答する。
本当にこの選択は正しかったのか。最初から決まっていた結末に向かってただ歩いていただけで、最後に用意された選択肢を前に「それしかない」と自分で決めた。決めたことに責任を持つだけの覚悟が、果たしてあったのか。
「だったらあなたにもわかるでしょう!? 愛するヒトを失ったあなたなら!」
どうしようもない苦悩と向き合い、悲痛な叫びをぶつける少女。
幼い精神と不釣り合いな力、湧き上がる憎悪に翻弄される彼女を前に、自問自答は必要ない。
言うべき言葉は決まっている。彼女と同じく愛するヒトを失った自分だから、返す言葉は同意でも共感でもない。彼女の前に至るまで、情けない姿を晒し続けた自分だからこそ、初めて自分は諭すことが出来る。
「それがあなたの役目だというなら、あたしを殺して奪い取ってみろ! そうするための力なんでしょうが!!」
生まれ持った血の呪縛に囚われ、自分の命と引き換えに全てを終わらせようとする少女。
強い意志の裏に年頃らしい弱さを隠す彼女を前に、自問自答は必要ない。
与えられた力は、決して友を斬るためのものではない。自分の望みを叶えるため、目の前にいる彼女も含めて、大事なヒトを残らず護るためにこの力は在る。斬るべき相手を間違えてしまっては、自分の選択に責任が持てなくなる。
「弱さを言い訳にするのはもうやめます。けれどまだ震えるほど怖いので……一緒に戦ってくれますか」
足りない才能、足りない自分に向き合い、それでも立つと決めた少女。
決意を新たにまっすぐ前を向く少女の隣に立ち、最早掛ける言葉はない。
求めた力は繋がる力、繋がる世界を見出す力。自分の力はただ叩きつけるためのものではなく、誰かと繋がるためにあった。迫りくる悪意から、繋いだ絆を護り抜くため、人生二度目の「斬る」選択に挑む。
「きっと勝ち目がないのでしょうけど、誰も助けに来てくれないのでしょうけど……あなた達がいてくれるから、私も諦めずにいられるのです」
絶望に満ちた明日を悲観しながら、それでも健気に笑う少女。
心のどこかで、誰も助けてくれないことを恨んでいるのが見て取れる彼女を前に、最早掛ける言葉はない。
その諦観は必要ないと彼女に証明したければ、結果で以て示すしかない。たとえ絶望の極致に沈もうと、消えない光は必ずあると。最後までみっともなく足掻く誰かを、世界は決して見捨てはしない。
「奴がこの時をどんなに待ち望んでいたか、もうわかっているだろう。終わりにしてやってくれ。いい加減……見てられん」
黒き甲冑を纏う紫電の騎士が、剣を置いて呟くように懇願する。
そうするしかなかった彼女を前に、最早掛ける言葉はない。
彼女に背を向け、歩き出す。辿り着いた最後の戦い。焼け落ちた城の奥へと進む。
急に足元が歪んだ。世界が丸ごとぐにゃりと歪んで――――
意識がふわりと、攫われていった。
「鍛えられた良い体をしているわ。無駄のない筋肉の付き方。それに運動神経も並大抵のそれではないけれど、年頃の少年にしては顔がやつれているわね。あぁ、そういえば失恋したんだっけ。きつかったわけね、少年?」
急に、不意に、どこまでも真っ白でまっさらな空間の中で、少女がずけずけと問いかけてきた。
そこに至るまでの経緯を、彼は微塵も思い出せなかった。気が付いたらここにいた。床と、空間と、全てと溶け込みそうな真っ白なテーブルの上に肘をついて、何気なく言葉をかけてくる少女の純粋な目から、己の視線を外すこともできなかった。
「ざっとあなたの“物語”を見たけれど、うん、面白いものだったわ。近年にしては割とね。悲劇の一つに数えられるのでしょう。それでもあなたの物語は、幾千の“それら”よりも輝いていた。価値ある物語だったわ。気に入ったのよ、つまりは」
ようやく、自分の体の感覚というものが戻ってきた。今の今まで、少女の前に座っているはずの彼は、自分の意識だけで少女の前にいて、意識だけで彼女の紡ぐ美しい声を聴いていただけだった。
幼くも見える顔立ちからは信じられないほど、その少女は完成された美の雰囲気を纏っていた。妖艶に見える笑みはしかし、単純な親しみが込められているだけに過ぎない。
少女が「あなた」と言ったとき、彼の体に感覚が戻った。少女が価値を認めた時、彼は冷静に今の自分を把握し始めた。そして――――
「はじめましてになるのね。私はしばらくの間、あなたを見ていたのだけれど。そろそろ起きてくれるかしら、ねえ? 我らの救い主、一ノ瀬総司どの」
少女が優しく名前を呼んで、彼はようやく、自分の名前を、自分と言う存在を、はっきりと思い出した。
大好きだった幼馴染の死は、一ノ瀬総司の人生に大きな衝撃を与えた。
小学生になる頃には、彼女のことが好きだった。きっと、彼女もそれをわかっていたし、彼女も総司のことが好きだった。
互いに口に出すこともなく、しかし互いに理解しながら、二人はとても良い関係だった。落ち着く距離感で、安心感があって、素晴らしい日常だった。
総司がバスケットボールを始めたとき、誰よりも総司を応援していたのは彼女だった。総司の父は総司に野球をやってほしくて、バスケの上達にあまり関心を示さなかったし、試合を見に来ることもなかなかしようとしなかった。厳格で、堅物で、素直になれない父で、そのせいで中学二年生になるまで、総司と父の仲はお世辞にも良いとは言えなかった。
そんなとき、彼女が動いた。総司とチームメイトが必死で戦い抜いて辿り着いた、全国大会の舞台に総司の父を無理矢理連れ出し、総司の戦う姿を見せた。
もちろん父も本当はわかっていたのだ。自分の息子が青春を賭して戦っていることぐらいとっくにわかっていたし、認めていたけれど、きっかけがなかっただけだった。
気づけば総司のバスケ用具は父の手によって勝手に充実し始めた。中学三年生のとき、父の職場の部下から、父は出張のたびにバスケの雑誌を購入しては、新幹線の中でしかめっ面のまま読みふけっていると聞かされた。我が息子の競技を知るのに必死だったが、どうにもゴールテンディングバイオレーションの基準が理解できず、バスケ部出身の部下に飲み会のたびに聞いていたらしい。
彼女は仲良くなった幼馴染親子の姿を、数年の間しっかりと見守り、見届けて、満足そうにこの世を去った。死に顔は最後まで笑顔で、自分だけ想い人に積年の恋心をこれでもかと語り上げ、旅立ってしまった。
笑顔で見送ることすらできず、泣きじゃくるしかできなかった総司は、自分もずっと好きだったと答える時間もなかった。彼女の言葉を聞くので必死だった。そのことが、総司の心にずっと残っていた。
半年もの間、総司はもはや自分の部屋かと思うほど通い詰めていた幼馴染の部屋に踏み込むことが、どうしても出来なかった。絶対に忘れたくないのに、想い人がこの世を去るあの瞬間を二度と思い出したくないと思ってしまう、矛盾した自分の心に打ち勝つことができなかった。
きっかけは、幼馴染の父親の言葉。
「総司くんにどうしても見てほしいものがあるんだ」
慣れ親しんだ、自分の父とは正反対の優しい顔のおじさんが、悲しい笑顔で伝えてくれた。
幼馴染の両親の許可を得て、半年ぶりに踏み込んだ懐かしい部屋の中は、総司との思い出で溢れていた。総司も良く知る写真が並び、よくわからない「おまじないの品」が規則正しく並べられていた。
体が弱くなって、試合会場まで足を運べなくなった幼馴染が、せめてもの願いを込めた勝利のおまじないだった。
作りかけのミサンガが、ベッド脇のテーブルに置かれている。総司のユニフォームと同じ青色の、どこか不恰好な、どうしても渡すことのできなかった彼女の遺品。
ふと、おまじないの品の中に、見慣れないものをいくつか見つけた。
彼女が総司のために、いろんな可愛らしいおまじないグッズを揃えていたのは知っている。もちろん、彼女にそれらを全て買って回るだけの体力はもう残されていなかったから、代わりに彼女の両親が動いていた。
見慣れないいくつかの品々は、恐らく彼女の両親のセンスによるものだろう。幾何学的な造形の置物を手に取ろうとして――――
言いようのない悪寒を覚えて、総司は思わず身構えた。
寂しくも暖かい彼女の部屋の中にあって、想像も出来ないほどの「悪い予感」が脳裏をよぎり、何の理由も根拠もなく、形容しがたい焦燥感に襲われて、総司はぱっと踵を返し、とにかくこの物悲しい部屋から出ようとした。
だが、間に合わなかった。
視界が揺らぎ、姿勢が保っていられない。体がゆっくりと地面に落ちるのを暗転する光景の中で確かに感じた。
それが、一ノ瀬総司が覚えている最後の景色だった。
「――――なんだこれ!!」
白い椅子が飛んだ。同時に総司の体も後ろへ飛んだ。一気に覚醒した意識が総司の体を後ろへ飛び退かせて、バランスが取れずに倒れ込む。
その様子を、可憐で妖しい少女がにこにこと笑いながら見ていた。
「おはよう。目が覚めたようね」
「なんっ……! は!? どこだ、ここ!?」
混乱する思考をまとめることが出来ない。あまりにも真っ白で、上と下の境界があいまいなこの空間が、わけのわからない総司の意識を更に混乱させていた。
「まあ座りなさいな。説明してあげるから。あぁ、紅茶でも飲む? それともコーヒー? 何でもあるわよ」
明らかに何もなさそうだが、少女は気さくな調子で言った。総司は床に座り込んだまま、身じろぎもせず少女を見つめていた。
「警戒してるわね。当然かもしれないけど。それともまだ夢とでも思ってる?」
「……俺の名前を知ってる」
「もちろん。言ったでしょう、あなたの“物語”を見ていたと」
「でも、俺はあなたを知らない」
「あぁ――――あぁ、なるほど。そうね、あなたは“そういうの”、割と大事にする人だったかしらね。良いわ、応えましょう」
少女がふわりと椅子を立つ。彫刻のような白いつま先が、そっと真っ白な床に触れた。
その瞬間、真っ白な空間は消え失せた。
訪れたのは、晴れやかな朝の景色だった。足元は広々とした草原に塗り替えられ、遥か遠くに雪の冠を湛える大山脈が聳え立ち、吸い込まれそうな青空が二人を祝福するかのように包んでいた。
また、パニックになる。暖かな風が頬をなでる今の現実が受け入れられず、総司はぎゅっと目を閉じて頭を抱えた。
「もうなんだ、なんなんだホントに!」
現実とは思えないほど、その景色は美しかった。未だかつて訪れたことのない大自然の中で、絶世の美女が目の前に立ち、薄く微笑む光景など、夢で見るにしたってあり得ないように思えた。
薄目を開けて様子を伺う。もちろん、目の前の光景は変わらない。スイスだの南フランスだの、本当に映像の中でしか見たことのない雄大な自然の中に、見知らぬ美女が立っていて、総司に向かってただ笑顔を向けている――――
「……あぅっ……」
「あーこらこら、もう寝ないの。起きる時間なの。いい加減待つのも飽きたの。これでも随分と長い時間待たされていたのだから」
少女がくいっと指を曲げた。卒倒しかけた総司の体が見えない何かに強引に引っ張られて、総司の姿勢が無理矢理正された。
「……んえっ!? なに今の!?」
「いちいち新鮮な反応も結構だけど、話が進まないわね。とりあえず立ちなさい。別に立たせてあげてもいいけど。ほら」
もう一度、今度は少女が指を上へ向け、くいっと腕を上げた。総司の体が地面から見えない手に押されたように立たされ、総司はまた目をぱちくりするばかりだった。
「名乗りを上げるわ。黙って聞きなさい」
思わずまた「何だこれは」と叫びそうになる総司を黙らせて、可憐な少女は告げる。
「私の名はレヴァンチェスカ。あなたをあなたの世界から奪った張本人よ。以後、敬いなさい」
“女神”レヴァンチェスカは妖艶に微笑み、青空の下で高らかにそう言った。